第四十九話
ケントは迫りくる死体たちに躊躇なく左の鎖を投擲する。先頭を走るゴブリンの頭部目掛けて飛来する鉄の鎖は直撃する寸前で軌道がそれた。おそらく敵の魔法か武具の効果なのだろうが、どちらにしてもこの死体たちが魔法を使えるからには、生前の能力を保っているというのはハッタリではないようだ。
ケントは舌打ちしつつも最善の手を考える。敵の実力は解らないが、自分一人が躱し続けるのならば不可能ではない。しかし、ここにはジズーワンという足枷がある。彼を庇いながら戦うのは流石に無理がある。かといって一流の戦士を素体にした死兵を相手に彼が戦えるかどうかは分の悪い賭けになるだろう。
(どっちにしても賭けになるなら…信じてみるか。)
ケントは右の鎖を器用に腕に巻き付けると、ゴブリンの鉈を躱しざまに顔面を殴りつける。とっさに屈んでそれを回避したゴブリンだったが、屈んだことで身動きが取れなくなったところをケントが蹴り飛ばす。体格がいいといっても所詮はゴブリンであり、ケントの馬鹿力によってサッカーボールのように吹き飛んでいった。ゴブリンに続いてこちらに向かってくる亜人たちを睨みつけながら、ケントはジズーワンに命令した。
「ジズーワン。こいつらは俺に任せて、あれを殺せ。」
「わかりました。やって見せます。」
「俺からのアドバイスは一つだけだ。魔法を信じすぎるな。これを守ればお前なら殺せる。俺がこいつらを抑える。やれるな?」
「はい!師匠!」
ジズーワンは返事と共に向かってくる戦士たちの脇をすり抜けるようにキドゥの元へと走る。敵は当然、行かせまいとある者は切り付け、ある者は殴りつけたが、ケントは投げた鎖を武器に絡みつかせてそれを阻む。突破したジズーワンは一直線にキドゥに向かって突撃し、首を狙って切り付けた。
「くっ!乱暴な子ね…!」
さしものキドゥも接近戦は苦手らしく、ジズーワンの攻撃をかわすことはできずに杖で受けた。硬化の魔法を使っていたおかげで杖が折れることは無かったが、右と左の斬撃を両方受け止めることはできずに左の刃が肩口を浅く切り付けていた。魔法具と思われる服が裂け、傷口から血が滲む。それまで常に余裕ぶってこちらを嘲る態度を崩さなかったキドゥの顔が初めて憎悪に歪んだ。
子供どころか普通の大人でもたじろぐほどの殺意を向けられたジズーワンだったが、彼の心には一切の動揺は無かった。相手は父の仇であり、あれだけ好き放題やってくれたのだ。こちらの憎悪も決して負けてはいない。
だからといって感情のままに動く愚をジズーワンはもう犯すことはない。先の戦争ではそれが原因で魔法を使いすぎて勝手に自滅したことを反省したのも一つの理由ではある。しかし何よりも復讐のためには命を捨てても構わないと思っていた彼が、ケントという追いかけたい相手を見出したことによって戦って生き延びたいと思い始めたことが最大の理由に違いなかった。
ジズーワンの頭の中にはケントの命令を忠実に守ることのみがあった。ケントの助言はジズーワン自身にも覚えがあったからだ。先の戦争において、ジズーワンがミノタウロス相手に大立ち回りを演じられたのは魔法のおかげだった。しかし、魔力が切れたとたんに太刀打ちできなくなって容易く捕縛されてしまった。強力な魔法はそれだけで訓練された兵士を蹴散らす力がある。だが、それに頼り切りでは消耗戦に持ち込まれた時に勝つことができないのだ。
(魔法を使い過ぎないこと…。つまり、最低限の筋力増加と感覚強化だけに抑えて、攻撃魔法は無駄撃ちしてはいけないということ!)
ジズーワンはケントの指示の解釈が正しいのかはわからない。それでも自らの失敗を反省し、他者の助言を素直に受け止めるのは間違いなく彼の美点であり長所に違いない。ジズーワンはハンセンから学んだ魔術師との戦闘の定跡通りに距離を詰め、ケントの命令通りに魔法の使用を極力抑える。
ジズーワンは両手に持った短剣を空気を切り裂いて縦横無尽に振るう。彼はできるだけ早く、できるだけ鋭く、そしてできるだけ正確な攻撃を心掛ける。怒涛の連撃は魔法を使う猶予を決して与えない。
「ああっもう!鬱陶しい!何なの!?このガキ!!」
防戦一方に追い込まれたキドゥは心底焦っていた。魔術師としての彼女は文句なしに一流であるし、ミノタウルスという種族として身体能力も非常に高い。にも関わらず、年端も行かぬ子供に追い詰められていることが信じられなかった。
ここにきて彼女は初めて気が付いたのだ。自分が弄んできたのは生きた玩具ではなく虎の子であったことに。それを錯覚していたのは優秀な部下によって虎の子の牙を折られていたということに。彼女の不明の元凶は、これまで他者を暴力によって搾取と支配することしか考えてこなかったせいで他者の本質を見抜く眼を養う努力をしてこなかったからに他ならない。ジズーワンは思わぬ善戦を、キドゥは思わぬ苦戦を強いられていた。
ケントは両腕に巻いた鎖で左右から迫る剣と槍を受け止める。ウェアウルフとリザードマンの英雄たちが繰り出す一撃はケントをして受け流す余裕がなく、防御するしかなかった。敵の攻撃は受けた腕が痺れるほどの威力があり、そのせいで足が止まる。
「ぐっ…!痛てぇんだよ糞が!」
足が止まったと見るや、即座にゴブリンが背後から鉈で斬りかかる。ギリギリで体を捩じって直撃は回避したものの、薄皮一枚が切り裂かれてしまう。鉄の刃が背中に食い込む冷たい不快な感触に苦悶の声が漏れてしまう。だが、そんなことにいつまでも構っていられない。巨大な棍棒を振りかぶったトロールの正面からの一撃を回避すべく、敵の懐に潜り込む形で前転する。
「どいつもこいつも強いな…。想像以上だ。」
同じような攻防がすでに二十回以上繰り返される中で、ケントは敵の戦力を見誤っていたことを今更ながら悟った。先日の戦争時の死体たちを基準に考えていたせいで、素体の優劣は問題ないと考えていたのだ。これがキドゥが言っていた『玩具』と『お人形』の違いなのだろう。すでにケントは鉄鎖術を使う余裕はすでになく、邪魔にしかならない錘は外し、鎖を両腕に巻いて即席の籠手として使っている。それほどに敵の攻撃は速く、重いのだ。
さらに追い打ちをかけるのは敵の死体という特性だ。ケントはトロールの攻撃を躱しざまにアッパーカットの要領で顎を打ち抜く。ケントはそもそも片手に剣を持ち、もう片方は素手で戦っていたのだから彼の素手の戦闘能力は王国屈指である。そんな彼の鉄拳によってトロールの堅い皮膚越しでもその顎の骨が折れる感触が伝わってくる。それだけではなく、首の骨まで折れた手ごたえがあった。本来なら即死の攻撃であったが、トロールは何もなかったかのように体当たりでケントを弾き飛ばす。衝撃を殺すように地面を転がったケントは、その勢いに任せて立ち上がる。彼の眼に映ったのは骨がへし折れて赤子のように据わっていない首をぶらつかせたトロールだった。
ケントの体から絶えず再生魔法が修復するときに発生する蒸気が上がっているが、敵も決して無傷ではなかった。ある者は腕が捩じれ、ある者は足が挫かれ、そしてある者は首が折れている。最も重症の半魚人に至っては頭部の約半分が弾け飛んでいた。それでも敵は動く。ケントのように怪我が治っているわけではない。だが、どんな攻撃を食らっても動き続け、怯まずに攻撃する死兵はまともな武器を持っていないケントにとって最悪の敵だ。
「素手で触れれば…いや、無理か。」
ケントの吸収魔法ならば死霊術に使われている魔力を吸い尽くしてただの死体に戻すことも可能だ。しかしながら、吸収魔法は一度に吸い込める魔力の量と吸い込む速度に限界がある。一人の魔力を吸い尽くす前に他の敵に囲まれて殺されてしまうだろう。唯一の救いは敵が魔力を温存するために攻撃用の魔法を使ってこないことだろう。
ケントはギリッという音が聞こえるほどに奥歯を噛みしめる。情けないことに負けはしないかもしれないが勝つことは不可能に近いだろう。ケントは拳を強く握る。このままではジズーワンの勝敗という五分の賭けに勝たなければならない。
「ケントさん!」
突如として後ろからこの場で最も聞きたくない、そして最も声が聴きたかった女の声が聞こえた。目の前の敵のことも忘れてケントは振り返る。背後からケントに斬りかかっていたウェアウルフの胸を闇魔法によて作られた黒い槍が貫く。その間にも敵はケントに向かっていったが、その影の中から現れた巨狼がその脚を嚙み千切った。
「全く世話が焼ける。」
「お前は相変わらずだな…。さて、反撃開始だな、相棒。」
「応。任せろ。」
自分の足元から放たれる聞きなれた憎まれ口が心地よい。一人と一匹の不敗のコンビは不敵に笑った。




