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魔界の姫と用心棒  作者: 松竹梅
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第四十六話

 亜人たちの侵攻から三日が経過した。その間、ミノタウルス達は敗走したときに脱走しようとした奴隷兵の捕獲に明け暮れていた。ケントを捕まえるのにあつらえたかのように皆が常備していたボーラは元は逃げ出す奴隷を捕まえるためのものなのだ。奴隷は自分たちの壁となる駒であり、肉食であるかれらの非常食でもあるので、多い方がよい。

 一方で、手薄になったミノタウルスの集落では奴隷たちが過酷な労働を強いられていた。肉食であるミノタウルスが奴隷に何をさせているかというと、女王たるキドゥの宮殿を作らせているのだった。朝から晩まで重労働を余儀なくされているにも関わらず誰も逃げ出そうとしないのは、いわゆる連座制で奴隷同士を相互監視させているからだ。もし、誰かが脱走すれば残った者達は死ぬよりも辛い目にあうことになる。そして今まさにケントたちがその生き地獄を味わっていた。



 ケントたちが幽閉されているのはミノタウルスの集落から少し離れた洞窟の中だった。ケントは頭上から滴る水を器用に口で受け止めて喉を潤していた。ただ、彼は自分の意志で口を閉じることはできなかった。なぜなら、彼の頬には木製の杭が突き刺さっており、それは右から左に貫通していてケントは猿轡の要領で杭を噛まされていたからだ。

 彼の体に突き刺さる異物はそれだけではない。鎖によって拘束された四肢の関節部分と両手に同じ杭が、両膝にはジズーワンの短剣が刺さっている。他にも体の至る所に切り傷、打撲、火傷など様々な傷跡が残っていた。ケントは文字通りキドゥの玩具となっていた。ミノタウルスの女王にして当代一の死霊術師であるキドゥは生粋のサディストという一面も持っていたのだ。

 ケントは毎日繰り返される苛烈な拷問に耐え続けた。しかも彼は自動的に発動しそうになる再生魔法の発動を意志の力でねじ伏せてされるがままになっていた。それはその拷問がもう一人に向けられないようにするためのケントにできる精一杯だった。


 「はぁい。お元気?」


 耳障りな濁声で陽気に声をかけてくる邪悪な女をケントは睨みつける。ケントの瞳からまだ意志の光が消えていないことに満足したらしく、キドゥは愛用の杖を取り出して機嫌よさそうに振り回す。キドゥは反抗の意志を持つ相手を屈服させることに性的快感を覚えるのだ。逆に言えばケントが耐える限り、殺されることは無いということだ。

 彼女の杖は彼女によって拷問され、無念の内に死んでいった者達の腐った死体を液状になるまですりつぶし、そのどろどろになった血肉に浸した骨を寄せ集めて作られたおぞましい呪物だ。生命の尊厳を凌辱した冒涜の杖に宿るキドゥへ怨念は彼女の死霊術によって完璧に制御され、逆に彼女の魔力を増幅する効果を生み出していた。

 彼女の足元で疲労によってぐったりと横になっているジズーワンを突然その杖で殴りつける。苦悶の表情を浮かべるジズーワンをうっとりとした表情でキドゥは眺めている。呪われた杖は耐性が無いものにとっては触れるだけで全身に激痛を与えるらしく、ケントもさんざんその杖で殴られた。その痛みを知っているからこそ、ケントは黙ってそれを見ていた。腸が煮えくり返りそうになるほどの怒りを飲み込んで、じっと耐えた。


 「…あら?リアクションが薄いわね。つまんな~い。」


 キドゥはケントの反応が薄かったことがお気に召さなかったのか、それ以上ジズーワンを殴ることはなかった。その代わりにジズーワンに魔法をかける。魔法に反応した彼の首輪が妖しく輝くと、衰弱していたはずの少年はフラフラと立ち上がった。これは死霊術の応用で、死体を操る力を生きた人間に使えるようにキドゥが開発した呪術だ。

 本人の意思を無視してジズーワンは操られるがままにキドゥが持ってきた新しい玩具、もとい拷問具を手に取った。それは鋭く削った小さな石を先端に括り付けた縄を束ねて端に握りとして皮を巻いた武器、いわゆる茨鞭の一種だった。その先端は何かの液体で濡れている。そこに塗られているのは山椒の根や蓼の葉など毒性の低い刺激物を調合したキドゥの拷問用の薬品だ。これが傷口から皮膚に入ると死ぬことは無いが、気が狂いそうなほどの激痛が走ることになる。


 「さぁ、かわいいかわいい私の玩具さん。今日もいい声を、いい顔を期待しているわよ?」


 相変わらずキドゥを睨み続けるケントに対して、ジズーワンはその端正な顔をクシャクシャにして泣いていた。救いはおそらくないという絶望。強制されているとはいえケントを傷つけなければならない自らの無力感。そして何よりも無能な自分と理不尽を押し付けるキドゥへの怒り。それらがごちゃ混ぜになって彼の心を壊しかけていた。

 そんなジズーワンの精神が壊れないのはやはりケントのおかげであった。彼は拷問を受けている時も、二人になった時も決してジズーワンを責めることはしなかった。噛まされている杭のせいで言葉を発することができなくなっていたが、眼で、態度で、ジズーワンをむしろ励ましていたといってもいい。それでも体に走る激痛を無表情で耐え抜くことは決してできない。ジズーワンが鞭で打擲する度、皮膚に無数の裂傷と共に血飛沫が舞い、刺すような痛みが迸る。


 「アガッ!アガアァァッァ!」

 「あはは!あはははははは!素敵よ!もっと叫んで!?もっともっと!あはははは!なんて楽しいのかしら!こんなに頑丈な子は初めてよ!あははははははははは!」

 「やめてくれ…もういやだ…。」


 洞窟に木霊するキドゥの狂ったような哄笑とケントのくぐもった呻きがジズーワンの小さな、だからこそ切実な願いをかき消す。この拷問に制限時間は無い。キドゥが満足するまで何時間でも続く。終わりの見えない激痛の嵐をケントはひたすらに耐え続けた。

 キドゥは手を変え品を変え、様々な自作の拷問具でケントを責めさせる。拷問具が更新される度に異なる種類の痛みが走る。精神は痛みに耐えることはできても身体は嘘をつけない。半開きにされた口からは唾液が絶えず流れ出し、眼尻には反射的に出る涙が浮かぶ。精神面で屈しない男の無様な姿は、キドゥの嗜虐心をかきたてた。

 何時間続けた頃だろうか、突如メキメキと音を立ててケントの口に刺さっていた杭が折れてしまった。痛みに耐えるために食いしばる力が杭の耐久力を超えてしまったのだ。ケントは口から血まみれの杭の破片を吐き出す。キドゥは迷った。このまま続けるのも一興だ。だが、杭を打ち込んだのは舌を噛んで自害させないためでもある。


 「仕方ないわねぇ。一旦中断するわ。代わりを見繕ってくるからね。」


 サディストであるキドゥにとって最も屈辱的なことは、ケントが誇りを保ったまま死なれることである。その可能性を極力排除するために彼女は余裕ぶった態度ではあったものの、洞窟を出ると駆け足で集落の自宅まで走って帰った。

 キドゥの支配が解けたジズーワンは無気力に横になった。これ以上何もしたくない、いや、させられたくない。それならいっそ自決してしまったほうが楽なのではないか。そう考え始めていた。


 「なぁ、ジズーワン。お前、まさか死のうとか考えてるんじゃねぇだろうな?」


 掠れたケントの声にジズーワンの肩がピクリと動く。まさに今考えていたことを的中したからであるが、ボロボロのケントは深いため息をついた。


 「やっぱりか。ダメだぞ、そんなことじゃ。そんな下らんことよりも逃げ出す隙を常に探せ。その方が建設的だ。」

 「なんで…」

 「あ?なんだって?」

 「なんであんたはこの状況で俺を責めない!?あんただって俺が憎いはずだ!こんなボロ雑巾みたいになるまで痛めつけたのは俺なんだ!なのに何で…。」


 ジズーワンは震える声で血を吐くように叫んだ。彼はまさにキドゥの狙いである加害者意識に苛まれているのだ。無理やりにでも共犯扱いにして自らを追い詰めるように仕向けられている。これはその狙いに気づいていたとしても自己嫌悪や自己否定に陥ることを避けられないという点で最悪の精神面への拷問だろう。


 「なんでだと?決まってんだろ。それは俺は曲がりなりにもお前の師匠だからだ。俺自身まだ未熟者だけどよ、そんな俺にお前は弟子入りしたんだ。なら俺にはお前が十分に強くなるまで面倒を見る義務がある。

お前の師匠として言うからよく聞いておけ。脱出の機会は必ず来る。それまで耐えろ。俺も耐えてる。わかったな?」

 「…はい。師匠…!」


 これはケントの本心だった。だからこそ、ジズーワンの心に響いた。泣くのを必死にこらえて、ではなく泣いているのを悟られまいとしたせいでその声はか細かったが、声には力強い生きる意志が宿っていた。


 「そうだ。今しか聞けないから聞いておく。お前、なんで城壁の外に飛び出してきたんだ?」

 「復讐の…ためです。ミノタウルス族は、父さんの仇…ですから。」


 それからジズーワンは彼の復讐の動機についてケントに語り始めた。彼の父親は守備隊で哨戒任務の部隊長であった。その日も普段通り哨戒に当たっていたが、不幸なことに狩猟中のミノタウルスの部隊と鉢合わせになった。殿を務めた彼の父はその戦闘で深手を負ってそのまま死亡。母親は彼が生まれてすぐ後に亡くなったので、ジズーワンはその日に天涯孤独の身となったのだという。


 「父さんの亡骸を見て思ったんです。必ず仇を取るって…。そのためには強くならなきゃいけなかった。剣術も魔法も必死で学んだ。でも、勝てなかった。」

 「次は勝てる。」


 自分で言いながら落ち込んでいくジズーワンに喝を入れるかのようにケントが断言する。彼にはジズーワンがダイヤの原石であるという確信があった。その片鱗は数体のミノタウルスを屠ったことが何よりの証明だ。


 「次は俺の指示通りに戦え。そうすればあのクソ牛女の首を取らせてやる。」

 「そんなこと…」

 「出来る。師匠の俺が言うんだ。自分を信じろ。」

 「はい、師匠。」


 キドゥを斃すという明確な目標をもらったことで、ジズーワンの心は持ち直した。とりあえず自殺する気はなくなったようだ、とケントは胸をなでおろす。後はジズーワンの心的疲労が限界に達する前に何かアクションが起きる、または起こすタイミングを逃さないことがケントの役割だ。それまでの辛抱だ、と肚を決める。ただ、その機会は直後に訪れた。


 「し、師匠?この音は…。」

 「ああ。近くで戦ってるな。それも一人や二人じゃねぇ…まさか、救援?」


 ケントは正直救援が来ることに期待はしていなかった。あれだけの戦いで負傷者が出ないはずはない。戦える兵士をギリギリまで連れてきても半数の千にも満たないだろうと予測していた。圧倒的に数で負けている手負いの兵士では、奇襲に成功したとしても優位を保つことはできない。ケントのように集団との戦闘に特化した訓練を受けた者ならともかく、普通の兵士ではすぐに数で押しつぶされるだけだ。

 ただ、救援かどうかは解らないままだがミノタウルスの集落が混乱している今が最大の好機であることは間違いない。


 「ジズーワン。天は俺たちを見放してないようだ。」

 「で、では!」

 「ああ。脱獄だ。」


 ケントの体にあふれんばかりの魔力が漲る。ジズーワンは余りにも早くやってきたチャンスに戸惑うことはない。自分が師匠と仰ぐ男についていくことに、もはや何のためらいも無かった。

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