第四十五話
気絶していたケントは、首筋に垂れた水滴によって目を覚ました。どうやら自分は地下牢のような場所に拘束されているらしい。試しに磔になった体を動かそうとすると金属の擦れる音が聞こえる。鉄の鎖と鉄球付きの足かせが自分を縛っていることにケントは驚きを隠せなかった。
「あら?お目覚めかしら、坊や。」
声のする方を振り向いて目に入ったそれは思った通りミノタウルスだったが、戦場で戦った者達とは異なる出で立ちであった。とにかく派手なのだ。皮ではなく布、それも絹と思われる生地を継ぎはぎして無理やり着付け、大小さまざまな宝飾品もそれ同士がこすれて音が鳴り続けるほどに身に着けている。ただ、人間の手によって作られた『人間のため』の装飾品はミノタウルスの巨体には小さすぎたのだろう。色とりどりの宝石をはめ込んだ指輪はその穴に紐を通してまとめられてネックレスとなり、同じく煌びやかに輝くネックレスはサイズがギリギリのブレスレットとして腕に収まっている。
ケントはその見た目にも驚いたが、何よりもその女(雌?)の流暢な言葉に驚かざるを得なかった。剣を交えたンジャは十分な語彙力こそあったものの、発音や言葉の区切りに違和感があった。しかし、その女に話しかけられた時、ケントは人間に声を掛けられたのではないかと錯覚したほどだった。…声はだみ声の男にしか聞こえなかったのだが。
「初めまして。私はキドゥ。人間流に言えばミノタウルスの女王よ。これから長い付き合いになるのだからよろしく、と言わせてもらうわ。」
ミノタウロスの女王と名乗ったキドゥはそう言っておそらく流し目と思われる視線をケントに向ける。しかし、根本的に人間と亜人では美的感覚が異なるので見とれるどころか醜悪ですらあった。それをケントは鉄壁の無表情によって表情に出さない。生殺与奪の権限を握られた状態で反抗的な態度を取ることは寿命を縮めるだけと知っているからだ。
単に無表情を貫くことも相手の怒りを買うことになりかねないのだが、キドゥはその態度が気に入ったのか微笑を浮かべながら彼に近づいてきた。
「あらあら。いけずなお方ねぇ。でも、私は好きよ?そういう殿方のこと。」
語尾にハートマークを付けているような甘ったるい話し方は、その声と相まって不愉快を通り越して怖気が走るほど不快だったが、それも努めてケントはスルーする。キドゥはケントの体に手を伸ばすとゆっくりと愛撫し始める。そこでケントはこれまで経験したことのない種類の恐怖に襲われる。異種族に触れられることがここまで気持ちの悪いものだとは思わなかったのだ。それでもケントは表情を変えることはなかったが、内心は怯えていた。
「ああぁ。いいわぁ。私の一族にもこんなにいい体の雄はそういないわ。貴方にだったら抱かれてもいいわよ?」
ケントの本心などどこ吹く風と言わんばかりにキドゥは恍惚とした声でとんでもないことを言い出す。一瞬でもそのシーンを想像してケントはついに吐きそうになった。身動き取れないケントにできることといえば、ただ目の前の女から漂う獣の臭いが遠ざかってくれることを信じてもいない神に祈ることだけだった。
一通りケントの体を触って満足したのか、キドゥは予め用意していた椅子に座る。ケントにまだ用があるらしい。
「ねえ。何かお話ししましょう?聞きたいことがあれば何でも聞いて?」
「…この鎖はどこから手に入れた?お前たちが金属を加工するとは聞いていないぞ。」
「金属…いいものよねぇ。今の私たちには扱えない、人間の強さの源。この技術が欲しくて今回の戦争を仕掛けたのよ、私は。」
ケントが素直に話題を振ってきたことがお気に召したらしくキドゥはにんまりと笑いながら嬉々としてとんでもないことを喋りだす。
「これは戦利品。戦争じゃなくて人間と取引する子から巻き上げたの。この宝石類もね。まあ、他の子たちは価値を理解できないから私が独占しているのだけど。」
「あの死霊術はお前の魔法か?」
「そうよ?でも貴方よくそんな言葉を知っているわね。意外と魔法に詳しいのかしら?」
「知っている奴がいただけだ。」
「そうなの?ああ!だから私の最初の策が破れたのね。さすがは人間。知識の量では勝てないわね。でも生きてる兵士の別動隊がいるのは計算外だったでしょ?」
キドゥはケントとの会話を純粋に楽しんでいるようだった。だが、この女が決して心を開いてはならない類の相手であることは確かだ。死霊術を使いこなし、粗削りだが戦術への理解があり、なによりも味方を使い潰すことに何の抵抗も感じない残虐性にケントの本能が警鐘を鳴らしている。これ以上この女と話すのは危険だと感じつつも、ケントには聞いておかねばならないことが一つあった。
「俺と一緒に捕まった子供はどうした。」
「あの子?食べちゃった。」
何をしても揺らぐことのなかったケントの表情が初めて変わった。反射的にケントの体内で魔力が活性化し筋力を増強する。拘束を解こうとするケントの馬鹿力によって鎖が軋む音が鳴り響く。彼は露骨すぎるほどに怒り狂っていたのだ。
「嘘よ。嘘。そうムキにならないで。かわいい冗談じゃないの。」
ケントの反応を楽しむようにキドゥは笑っていた。ケントは怒りを隠そうともせずにキドゥを睨みつけていたが、その反応こそ彼女の望むものだったことを彼は知らない。
「でも、貴方がそんなに怒るってわかってホッとしたわ。そのために生かしておいたのに無反応じゃあつまらないものね。」
キドゥが指先を一振りすると、拘束されたジズーワンが死体のミノタウルスによって引きずられるようにして強引に連れてこられた。彼はまるで家畜であるかのように首輪をつけられ、それにつながれた縄に引かれていた。とりあえずお互いに生きていることを確認したものの、まだ安心はできない。キドゥは『そのために生かした』と言っていたのだ。それがろくでもないことなのは確実だ。
キドゥに命じられるまま、ミノタウルスはジズーワンの縄を近くに刺さっている杭に結び付けるとよたよたと精気のない足取りで来た方へと帰っていく。口外することのない死体を使っていることが、これから自分たちに行われる行為のおぞましさを物語っていた。
「さあ、そろそろ始めましょうか。私のかわいい玩具たち。」
そのキドゥの笑顔は、ミノタウルスであったならば妖艶な美に打たれたかもしれない。しかし、ケントとジズーワンにとってその笑顔は、醜悪な化け物の本性が作り出した狂気の具現化でしかなかった。
その頃、サーリャ、ヴォルフそしてチャンの三人は重苦しい空気に包まれていた。原因はもちろんケントの拉致によるものだ。チャンの屋敷に招かれたのは三人だったが、そのうちのケントを除いた二人しか現れなかった。そこで初めてチャンはケントのことを知ったのだが、それまで彼は部下を総動員して後方からの補給支援を指揮していたので前線の情報を取り逃したのは仕方がないことだろう。
席に着いたきり何も言わない二人の心中を慮ってか、チャンはあくまで事務的な話を滔々と語った。戦後処理やそれに伴う港の出入港の制限など内容は多岐にわたったが、我慢できないとばかりにサーリャが絞り出すような震える声でチャンに質問した。
「チャンさん。ケントさんを助けることはできますか?」
「すんませんが、無理です。ケントはんを助けるっちゅうことはミノタウルスにこっちから仕掛けることになりますわな。ただでさえ数で負けとんのに、野戦に打って出るのはそれこそ死にに行くようなもんや。この戦は勝ったんやない。籠城で負けんかっただけや。それだけ言えばわかってくれますやろ?」
「……。」
サーリャは魔界の王族として育ったがゆえに世間知らずな部分も多々あるものの、道理をわきまえていないわけではない。チャンの言葉の続きは『ケント一人のために割ける余分な人員はいない』ということに違いない。そして自分が単独で助けに行ったとしてもどうしようもないことも理解できる。自分の魔法が強力だという自負はあるが、それでも数には敵わないだろう。サーリャは悔し気にうつむいた。
「ケントがどういう扱いを受けているのかはわかりません。すでに死んでいる可能性だって、否定はできません。」
「ちょ!ヴォルフはん!?何を言い出すんや!」
あまりにも唐突に最悪のシナリオを口に出したヴォルフにチャンは慌てる。幸い、サーリャがそれに動じている様子はなかったが、それは彼女今の発言が彼女の耳に入っていなかったからに違いない。
「ですが、友人として見捨てるつもりはありません。ですから、援軍を呼びましょう。」
「援軍?そんなもんどこにおるんでっか?ワイらの国から呼ぶのは無理でっせ。十分な兵隊をそろえてここまで運ぶのには最低でも三ヶ月はかかるはずや。」
「違いますよ。呼ぶのはもっと近くに暮らしている人々です。」
「まさか…ゴバの民を呼ぶつもりかいな!?けど、今は海賊狩りで忙しいゆうてましたやんか。」
「無理は承知の上です。ですが、打てる手はすべて打っておかなければならないんです。僕は…祖国に帰らねばなりませんから。」
ヴォルフが帰国するという宣言にチャンは目を細め、サーリャはうつむいたまま肩をピクリと揺らす。ケントは懐から小さな袋を取り出すと、その中身を机の上に置いた。それは真っ二つに割れた小さな水晶玉であった。
「これは祖国にいる僕がお仕えするお方が緊急の用件で僕を呼ぶための魔法具でした。これが割れたということは、僕は帰国を何よりも優先させなければなりません。」
「それがダチ公の命やったとしても、かいな?」
「その通りです。」
チャンはヴォルフの真意を読み取ろうと彼の顔をまじまじと見つめる。完全な無表情と瞳に宿る強い意志から、ヴォルフの決定を覆すことは無理だと悟った。
「それであんたはこれからどうするんや。国に帰るとしても急がなあかんのとちゃうか?」
「はい。ですが、その前にゴバの民と交渉してからにします。それが僕にできる最大限の彼への友情ですから。」
チャンは深いため息をつきながらも、ヴォルフの提案に乗ることにした。
「ほならワイはゴバの民のために食料やら必要な武器やらを用意すりゃええんやな?」
「お願いします。」
「了解や。ほんならすぐに準備を始めなあかん。ほな、ヴォルフはん。ご縁があったらまたお会いしまひょ。」
それだけ言ってチャンはその席を後にした。二人だけになったことを計ったようにサーリャの影からルガールがその姿を見せ、机の上に飛び乗って鼻先をヴォルフの眼前に近づけた。
「本気か。本気であいつを見捨てていくつもりか。」
「そうだよ。僕には僕の義務がある。」
出会ったばかりの時はルガールに怯えていたはずのヴォルフが、今では至近距離から睨みつけても全く動じることは無い。ルガールへの苦手意識を克服したというよりも、それだけ彼の意志が固いのだろう。ルガールは諦めたように床に降りた。入れ替わるようにヴォルフは立ち上がり、サーリャに深々と頭を下げた。
「すみません。僕はこれ以上旅に同行できなくなりました。」
「…構いません。短い間でしたが、私こそお世話になりました。ありがとうございます。」
サーリャは椅子に座ったままではあったが、彼と同じく頭を下げて謝辞を述べた。ヴォルフからすればいっそのこと罵倒して欲しかった。そうすれば事実上友人を見捨てて帰る自分をこれ以上責める必要がなくなると思ったからだ。だが、サーリャは感謝した。それが感情を無理に押し殺して出したものだとしても、感謝されたことそのものがヴォルフの心に深く突き刺さった。
「それでは、失礼します。」
ヴォルフはこれ以上サーリャを見ていられなくなって、逃げるようにチャンの屋敷から出ていった。




