第四十三話
後方で負傷者の治療や各種物資の搬送を手伝っていたジズーワンは、強力な魔法の兆候を感じた直後に城門から聞こえてきた破砕音に胸騒ぎを覚え、たまらずそちらに急行した。本当は義勇軍に参加したかったのだが、守備隊長であるハンセンに断られた悔しさもあったのだろう。
そこに広がっていた光景はまさに地獄だった。守備隊や義勇兵の魔術師は、今も城壁に魔法を掛けている一人を除いて戦える状態ではなかった。死んでしまった者はどうしようもないが、怪我で済んだ者を放置するわけにはいかない。
ジズーワンは他の大人たちに混ざって救助のために瓦礫の山の中を注意深く撤去していく。金髪の魔術師によって城門が何とか保っているとはいえ、鈍器を叩き付ける音がすぐそこから聞こえてくるのは非常に恐ろしい。救助する者達も命懸けだ。大小様々な瓦礫が崩れないように慎重にどけていくと、その下に見知った顔を見つけた。
「ハンセンさん!」
詰め所の破壊にはその場で指揮していたハンセンも当然巻き込まれていた。頭から滝のように血を流すハンセンに、ジズーワンは大きな声で叫ぶように呼び掛ける。
「ハンセンさん!ハンセンさん!」
「…聞こ……え…ている…さ。ふふ。情けな……い…ところを、見られ…たもんだ……な。」
「誰か来てくれ!生存者だ!」
ハンセンは安心させるために強気に笑って見せたが、それがただの強がりであることは誰の目にも明らかだった。ジズーワンは普段の彼を知っている者が驚くほどに大きな声で助けを請うた。
「離れて!見せてください!」
一足早く駆け付けたのは昨日ケントと共に店にやってきた女性だった。彼女はハンセンのそばに座ると瓦礫の隙間に手を入れて、何かの魔法を使った。それがどんな魔法だったのかジズーワンにはわからなかったが、一瞬だけ彼女の瞳が黒から紅色に変わったのは気のせいではないだろう。
「貴女は…?」
「ひどい…!急いで治癒しないと!」
そこでふと城門を叩く音がしなくなり、代わりに亜人たちの悲鳴と怒声が聞こえてきた。何があったのかはわからないが、今がチャンスだ。その間も、女性は何かの魔法を使っている。脂汗を浮かべながら周りが見えなくなるほど集中している彼女の邪魔をしないように、ジズーワンはハンセンにのしかかる瓦礫の撤去を迅速かつ慎重に進めた。
最後の瓦礫を退けてハンセンの潰された左足を見た時、ジズーワンはなんとか平静を保つことができた。瓦礫に付着した大量の血液で事前に覚悟ができていたこともあったが、なによりも治療に当たっていた女性の魔法によってハンセンの止血が終わっていたおかげだろう。他の大人がハンセンを担架に乗せた時、ジズーワンは詰め所を破壊した魔法の発動を再び感じた。しかし、今回は何も破壊されなかった。それどころか城門に当たったのはただのそよ風であった。
「新手だ!」
「数は!?」
「千…くらいか?どうすれば!?」
「落ち着け!俺たちは城壁を守るので精一杯だ!シュヴァルツ殿にお任せしろ!」
「しかし部隊長!あいつらはミノタウルスですよ!?いくら何でも無茶だ!」
ミノタウルス。城壁の上から聞こえてきた会話に含まれる一つの単語にジズーワンは敏感に反応した。彼は城門に掛けてある梯子を上って外に目を凝らすと、ちょうどケントがミノタウルスの軍団に向かって突撃するところだった。
「ミノタウルス!」
ジズーワンは感情のままに腰に下げた二本の短剣を抜き、城壁から飛び降りる。落ちれば怪我では済まない高さから飛び降りても無傷であったのは、彼がすでに魔法による身体強化を使えるからに他ならない。強化された脚力で、怒りに駆られた少年は無謀としか言えない戦いに身を投じた。
ミノタウルスに半包囲される形になったケントは油断なく剣を構えたまま敵と睨みあっていた。先ほどまでと異なり、敵は冷静にこちらの隙を窺っているのだ。仲間が抵抗もできずに殺されたのだから、不用意に動くことができないのは当然だ。しかし、それはケントにとっても同じことが言える。一対多の戦闘では敵の数に依る慢心や油断を利用しなければすぐに袋叩きにされて死に至る。彼は自分が危険な存在であることをすでに明かしてしまっている。だからこそ敵は止まらざるを得ないし、ケントは冷静になってしまった敵に攻撃できない。
(ルガールがいれば違うんだが…)
今はサーリャの護衛をしている相棒のことを考える。一人と一匹のコンビネーションがあればやり方はいくらでもあるのだが、いない者のことをあてにしてもしょうがない。それに、考えようによってはこの状況はケントにとって有利でもある。ここで敵を足止めするだけでも、この戦争に負けないためには十分だとケントは考えていたからだ。
ミノタウルスの姿を見た時、ケントは昨日、ヴォルフから聞かされた話を思い出した。かの一族は南大陸の亜人たちの多くを支配下に置いていると聞く。ということはおそらく捨て駒にされた第二はの攻城兵たちは被支配層の亜人たちだ。使い潰すような兵の運用はまさに彼らがミノタウルスにとって奴隷に過ぎないからに違いない。そして彼らが支配に甘んじているのは死んだ仲間たちが動く死体となったことに無関係ではあるまい。身内の尊厳を踏みにじられたことに激怒した者達もいただろうが、それと同じだけ逆らえば自分もああなるのは嫌だと恐れが先に立った者達もいただろう。恐怖によって支配される者達にとって支配を享受する理由は偏に相手の力故だ。その絶対的強者でなければならない支配者がたった一人に足止めされるという事実は、被支配者に不信感を与える。それは士気の低下につながり、場合によっては反乱の元になる。狙ったわけではないにしろ、この状況はケントにとっても望むところだった。
しかし、敵も馬鹿ではない。後ろに控えていたとりわけ大柄な個体がケントの前に立ちはだかった。彼が動き出すときに自然と他の個体が道を開けたこととその武器が他と一線を画すことから、この一団のリーダーだとケントは直観した。
「ソコヲ、ドケ。」
リーダーのミノタウルスがカタコトではあるが人間の言葉を話したことにケントは意外感を禁じ得なかった。亜人の多くはその一族や部族単位で言語を有する。そして社交的な種族でない限り、彼らは他の言語を学ぼうとはしない。他の種族は敵であり、場合によっては食料なのだから。
「お前がリーダーか?」
「ソウダ。私ハ、ンジャ。戦士ノ長ダ。」
「戦士の…ね。ってことは族長は別にいるんだな。」
「ソノトオリダ。」
意外、と言っては失礼だが、ケントはミノタウロスが想像以上に知的であることを初めて知った。それを考慮した上で、彼はンジャと名乗った戦士を観察する。平均して二メートル半のミノタウルスだが、彼の背丈は三メートル近くあった。ミノタウルス達は動物の皮を腰巻のように身に着けているが、彼のものだけ柄が違う。また、持っている武器も特殊なものだ。一見するとただの石斧だが、石にしては金属的な輝きが見て取れる。ケントは知らなかったが、これは魔法の触媒になるアダマンタイトの原石をそのまま石斧に加工したいわば魔法武器の一種だった。
「オ喋リハコノクライニシヨウ。ドケ。サモナクバ、殺ス。」
「どけないな。後ろには守らにゃならん奴がいる。」
「交渉決裂カ。ナラバ、私ガ相手ヲシヨウ。」
「あんた、一番強いだろう?いいのか?俺なんかに構っても。」
「フフフ。貴様コソ、強イノダロウ?ワカルゾ。私以外デハ、相手ガ務マラン。」
ケントとンジャの間の空気が震える。いや、実際にはそんなことは無いのだが、周囲のミノタウルス達にはそう感じられた。本来ならばケントの脇を抜けて城門を攻撃するべきであるのに、前に出ることができない。ンジャは強い。それも規格外に強い。彼らはそのことを知っている。知っているからこそ、彼と同格の戦士の黙って通してくれるとは到底思えない。理屈で考えればンジャの相手をしながら進軍を妨害することは不可能だ。だが、理屈でなく本能がケントのそばを素通りすることを拒んでいた。
「グググググググググググ!?」
唐突にミノタウロス達の最後尾から断末魔の叫びが聞こえてきた。その声が合図であったかのように、ケントとンジャが激突する。ミノタウルス達はこの隙に城門へ向かわねばならなかったが、背後を無視できない状況にあった。なぜなら、黒焦げになった仲間を足蹴にした人間の少年が憎悪に満ちた瞳でこちらを睨みつけているのだから。




