第四十一話
ヴォルフが看破した情報は速やかに全軍に通達された。死体の軍団というのはむしろおぞましさを増幅させたが、機敏に動くことができないと知れば話は別だ。敵が前衛を文字通り捨て駒として運用するつもりであることが解ったのだ。数にものを言わせて城門を突破し、その対処に追われているところを後方に控える本隊が急襲する、というのが敵の戦術だと結論付けられた。敵の戦略を直前とはいえ事前に知ることができたのは行幸だ。
この死体の兵士の対抗策するために、守備隊長は部隊の再編成を行った。敵の狙いが物量で道をこじ開けることが狙いであるならば、それの対応に特化すればよい。そのために、彼は城門の上の詰め所は参戦している魔術師のみを配置した。動く死体に弓矢は効果が薄く、確実に死体を破壊するためには魔法が必要だからだ。城門に押し寄せる死体の波は魔術師に任せ、残りの兵士たちは後方からやってくる亜人の本隊に矢の雨を降らせる。それが作戦の大まかな内容だ。
敵兵が魔法の射程距離に入るまで残り一時間。ゆっくりとした速度で進軍してくる大軍を待つことは、皆の精神を確実にすり減らしていく。十分な訓練を積んできた兵士たちにとっても、腕に覚えのある屈強な義勇兵たちにとっても、頑丈な城門があるとはいえおよそ十倍の兵力差が気にならないわけがない。敵の狙いを看破し、勝つために最善の陣を敷いていることが理屈の上でわかっていても兵士にのしかかるストレスは計り知れないものがあった。
「まずいな。このままじゃ戦う前に心が折れる。」
ケントは祖父の教えを思い出していた。士気は戦争において必要不可欠な要素の一つであり、士気の低下はすなわち敗北につながりかねないのだという。その時は話半分に聞いていたが、今、それを実感していた。一人が抱く恐怖や焦燥が、他の一人に負の感情を抱かせる。その連鎖によって巨大化した負の感情が、自分たちを覆いつくしつつあるのだ。この状態でさらに一時間待つことなど不可能だろう。
ケントがどうにもできずに途方に暮れていると、なにやら芳しい香りが漂ってきた。それまで絶望に打ちひしがれたかのようにうつむいていた連中が顔を上げていることからも、気のせいではないのだろう。
「出前だよ~!」
淀んだ空気を振り払うような陽気で明るい女の声だった。数十人の女たちが盆の上に様々な料理を載せて差し入れに来てくれたのだ。兵士たちは戸惑いつつも、押し付けられるように配給される料理を受け取っておずおずと食べ始める。
「美味いなぁ。」
「ああ。美味い。こんなに美味い飯は初めてかもしれん。」
「はは!それは言い過ぎだろう。」
それまではこのまま戦う前に衰弱死してしまうかと思われた兵士たちが、冗談を言い合う程に回復しているではないか。暖かい料理を食べるだけで士気が戻りつつあった。ケントは料理の中に何か入っているのではないかと勘ぐったが、一口食べてそれが違うことを悟った。彼は再生魔法を習得した際、毒は自動的に解毒してしまう体質になっている。彼の魔法が働かなかったということはこれは本当にただ単なる料理ということだ。聖白教の教義に『魔法は善神が与えた奇跡の業である』という記述がある。しかしケントは無数の魔法よりもこの料理がもたらしたものこそ奇跡なのではないか、と漠然と感じていた。
城門のすぐ下で、暖かい料理を差し入れを提案した男、チャンは兵士の士気が戻ったことを確認できて満足げに笑っていた。彼の部下と共に差し入れの調達を手伝ったサーリャはどうしても気になって聞いてみた。
「チャンさん。あの料理は特別なものではありませんよね?」
「せやね。普通に作ってもろうただけやで。」
「なのにあそこまで士気が回復するものなのでしょうか?」
サーリャの疑問にチャンは苦笑でもって応えた。
「サーリャはん。ワイは一代でここまでのし上がった商人や。修羅場をくぐったんもこの間が初めてっちゅうわけやない。せやからわかるんですわ。人間ちゅう生き物は複雑なようで案外単純なんですな。どれほど追い詰められても、あったかい飯を食えばそれなりに落ち着くんですわ。」
チャンはサーリャに話しかけているはずだが、遠い目でどこか別の場所を見ている。自分が極限まで追い込まれた時のことを思い出しているのだろうか。
「ところでサーリャはんはこれからどうするんでっか?ワイは店に戻って大人しゅうしとくつもりなんやけど。」
チャンは戦闘要員でない自分がこれ以上ここにいても邪魔にしかならないことを理解している。彼は言外に一緒に来ないかとサーリャを誘っていた。この誘いに対してサーリャは微笑を浮かべながら首を横に振って断った。
「私はここに残って怪我人の治療に加わります。治癒魔法は得意なので。」
「気ぃつけや。必ず、三人で、戻ってくるんやで。」
「当然です。」
去っていくチャンの背中を見送った後、サーリャは城門のそばに仮設された野戦病院の中に入っていく。彼女の影の中でルガールは万が一の時にいつでも戦えるように身構えている。敵の軍勢が魔法の射程に入るまで残り十分。人々はギリギリまで準備を整えるべく奔走していた。
それまで広がって進軍していた敵の軍勢は、予想通りその全軍が城門に進路を変えていた。魔法の射程に入ると同時に城門上の詰め所を直接指揮する守備隊長・ハンセンが命令を下す。
「撃てぇぃ!」
号令と共に打ち合わせ通りに魔術師たちが魔法を行使する。まず守備隊が保管していた錬金術で作られた揮発性の高い油を風の魔法によって広範囲に拡散し、油の霧を作り出す。その霧が掛かっている範囲に十分な敵が入った時、そこに火球を打ち込んで大爆発を起こした。これを油がなくなるまで繰り返すのが作戦の第一段階だ。
腐りかけた死体は当然、生身の肉体よりも脆く、この爆発に巻き込まれた死体の兵士はことごとく爆散していった。ひたすら前進することしかプログラムされていないのか、彼らは爆風の中に自ら入っていく。なまじ城門に狙いを絞って進軍したせいで爆散した死体に足を取られて転倒する敵が続出した。それがドミノ倒しのように連続して起こり、敵の進軍が鈍る。ただでさえ遅い速度がさらに落ちたおかげで爆発の範囲をさらに絞り込んで効率よく敵兵を吹き飛ばすことができた。
「ケチらずにどんどん投げ入れろ!油の在庫はあとどのくらいだ!?」
「あと二箱です!」
「よし!各員、作戦の第二段階にいつでも移行できるように備えろ!」
「了解!」
目算で敵前衛の約六割はすでに焼き払ったものの、依然として敵の進軍は止まらない。敵は死兵を使い潰す腹積もりなのだろう。こちらの迎撃手段を可能な限り消耗させることが狙いで間違いない。だが、それはこちらも織り込み済みのこと。守備隊長は作戦の第二段階への移行を指示した。
魔術師たちは後方から随時送られてくる質量体を投石器のように射出した。この質量体は二時間前から港の者達が総動員してかき集めた不要物を魔法で圧縮して作られたものだ。魔法によって地面をめくり上げた方が手っ取り早いが、それでは魔力を余計に消費してしまう。こちらは後方に控えた敵の本隊との戦闘のために温存せねばならないのだから、少しでも節約する必要があるのだ。
射出されたゴミの塊はその速度に耐え切れずに空中で分解する。分解したといっても不要になった家具や木箱、樽などの破片が高速で飛び交うのだ。当たれば無事で済むはずはなく、油と炎魔法による爆発に匹敵する効果を生み出している。毎日無数の取引が行われて大量のゴミが出る街だったからこそ可能な戦法だ。
結局、敵軍の前衛を務めた死体の軍団はその一兵たりとも城壁に触れることはできなかった。魔術師たちも十分に余力を残しているし、弓矢に至っては消耗は一切無い。ここまでは人間たちの完勝といってもいいだろう。肉の壁を失った亜人たちにもはや勝ちの芽はないはずだ。
だが、それでも亜人たちはあきらめていないようだった。後方に控えていた本隊がおもむろに動き出す。今度の敵の進軍速度は速い。今度は生きた兵士たちなのだろう。守備隊長が新たに号令を掛ける。
「弓隊、迎撃!城壁にとりつかせるな!」
待ってましたとばかりに城壁に待機していた兵士たちは一斉に射かける。死体の兵士であればハリネズミのようになりながら前に進むことができるが、生身の兵士ではそうはいかない。現に矢の雨を浴びせられた亜人たちは一人、また一人と斃れていく。
しかも、地面に大量に転がった死兵の残骸と爆発の名残の炎、そして撒き菱のように散乱するゴミに阻まれて城壁に近づけば近づくほどその進軍速度は遅くなる。死体相手に無駄撃ちしなかったことが功を奏したらしく、敵の三割以上が骸と化しても矢の本数は八割以上残っている。
それでも矢の雨を突破して城壁にたどり着く敵兵も当然存在する。生きているということは知恵も回るのだ。どうにか突破できた者達は城壁をよじ登る者や盾を上にかざして城門前に密集する者に分かれた。城壁にはあらかじめ錬金術で精製した滑りのある液体を流してあるので、弓兵たちはまともに上ることもできずに城壁にへばり付いた敵に落ち着いて対処する。一方で城門前に集まった者達の先頭はトロールなどの大柄で馬鹿力の亜人ばかりだった。彼らは城門を破らんと棍棒や石斧を叩き付けている。
敵の作戦がうまくいって魔術師たちが消耗していれば、城門に硬化魔法を掛ける余裕などなかったに違いない。しかし、その余裕のある魔術師たちは魔法によって硬化した木製の城門は、亜人の攻撃にビクともしなかった。トロールたちは自分に与えられた役割を果たすために何度も何度も打ち付けるが、一向に傷一つつけることはできない。しかし、盾を構えて密集している限り死ぬことは無いと思ったのか、トロールたちはあきらめずに城門を殴り続けている。
トロールは一般に知能があまり高くないので気が付いていなかったのだが、彼らの持つ粗悪な盾では矢を防ぐことができても魔法を防ぐことはできない。城門の真上から降り注いだのは矢ではなく無数の魔法だった。石の礫が、風の刃が、水の槍が、炎の玉が亜人たちに降り注ぐ。貧相な木の盾では防ぎきれずに壊滅的な打撃を受ける。
勝敗は決した。誰もがそう考えていた。実質的に継戦能力を失った亜人たちはこれ以上戦うことは不可能なはずだ。だが、それでも彼らは戦うことを止めようとしない。まるで退路を断たれているかのように半狂乱になりながら城壁にとりつき、城門を叩く。彼らの鬼気迫る戦い方の動機が分からない人間たちは困惑しつつも城壁と中の同胞を守るために戦うことを止めるわけにはいかず、皆が皆彼らから見て真下から斜め下を見て戦っていた。それが間違いであることにだれも気が付いていなかった。
ケントもまた、諦めることなく城壁を上ろうとする亜人たちの対処に追われていた。大半がすでに討ち取ったといっても元々の数が違うのだから油断はできない。現に下から亜人が投げた槍や礫によって負傷者が何人も出ている。死者も出ているに違いない。周りを見る余裕が無く、下に気を取られていたケントの脇を突如として突風が吹き荒れ、それとほぼ同時に城門上の詰め所が吹き飛んだ。




