第三十三話
航海は順調に進み、船は南大陸周辺の近海まで来ていた。決して楽とは言えない船内生活に皆は慣れるまで時間がかかったものの、航海自体は順調に進んでいた。ケントはマストの見張り台から周囲を見渡すと地平線上にポツポツと小さな島がいくつも見える。
「ヴォルフ。いくつかの小島が見えたぞ。」
「ああ、ゴバ諸島だね。そろそろ見えてくると思っていたよ。」
ケントは舵を握るヴォルフのもとまで海図を持っていく。ヴォルフは備え付けの机の上にそれを広げると南大陸の北西部にあるゴバ諸島と書かれた部分を指さした。
「ゴバ諸島は大小さまざまな規模の島があって、大きい島には人も暮らしているらしいよ。肉眼で島を確認できたということは、そろそろ彼らの領海、いや、彼らの国に入ったといっていいだろうね。」
「国…か。物資は十分あるが、立ち寄るのか?」
「いや、その必要はないよ。ゴバの商人は他国の船を確認すると向こうから商売に来てくれるんだ。しかも高品質な物資を適正価格よりも安価に提供してくれる。ゴバ諸島でしか取れない果物とかも売ってくれるから欲しかったら買ってもいいかもね。」
「果物か…。値段と相談だな。」
ケントは海図から海へと目を向ける。視界を遮るもののない海上に船は一隻も見えない。
「向こうから、か。けどそいつらが商人かどうか、ゴバ諸島の住人かどうか見た目でわかんのか?そりゃあこの辺の生まれならアイツみたいに肌の色が少し俺たちよりも濃いだろうが、逆に言えばそれくらいしか見分ける方法は無いんじゃないか?それとも変わった民族衣装を着ているとかか?」
「そうじゃない。彼らは一目見ただけでわかるのさ。僕も初めて見た時は驚いたけどね。まあ、それは見てのお楽しみということで。」
ヴォルフの含みのある言い方にケントは首をひねるばかりであったが、そろそろ昼食の準備をする時間であることを思い出して船内に戻った。チャートルームの扉を開けると、ちょうどサーリャが海図など航海に必要となる道具の一式を片付けているところだった。
「よう。もうすぐ昼飯だ。リクエストはあるか?作れるものだったら作るぞ。」
「あ、ケントさん。もうそんな時間でしたね。」
そういいながらも彼女は片付ける手を休めなかった。そもそも彼女がこんな時間まで寝ていたのには理由がある。それは、昨夜の当直が彼女だったからだ。最初、夜の見張りはケントとルガールだけでやるつもりだった。彼らは夜通し起き続けることには慣れているし、魔法がなくとも夜目が利くからうってつけというわけだ。そこで待ったをかけたのが他でもないサーリャだったのだ。彼女曰く、自分の旅に付き合わせているのだから自分もできることをやると主張した。
男達の意見は割れた。ケントの意見は本人がやりたいというのだからやらせてみて辛いのならばやらなくともよいという限定的な賛成、ルガールの意見は高貴な家柄のサーリャにそんなことをさせるわけにはいかないという徹底した反対、最後に残ったヴォルフは無理にやらなくてもいいという消極的な反対だった。もっとも、最後の一人はここで彼女が当直をすることになれば当然自分もやらねばならなくなる、というのが本音のようだったが。
結局、ルガールとヴォルフが彼女を説得することはできず、彼女も見張りに立つことになった。そしてそれは今でも続いており、同時にヴォルフも四日に一度は徹夜を余儀なくされている。
「あ、甲板に出れば地平線にだが島が見えるぞ。南大陸の近海まで来たってことらしい。」
「え!そうなんですか!見に行きます!行きましょう、ルガールさん!」
「…お嬢。勘弁してくれ。」
好奇心を露わにするサーリャに引き換え、ルガールは大儀そうにチャートルームの床で寝そべっていた。どうやら南大陸付近の暑さはルガールにとって耐えがたいものであるらしい。元々深い森の奥で暮らしていた上に真っ黒な体毛が熱をため込んでしまうのだろう。
「そうですか…残念です。では、行ってきます!」
「行ってらっしゃい。ルガールも無理はするなよ。飯はどうする?食えそうか?」
「ああ。いただこう。だが、なるべく食べやすいものを頼む。」
ケントは手をひらひらと振って了解の合図を送ると船底の調理室へと向かっていった。ルガールは遠くなっていくケントの階段を降りる足音を聞きながらこれからこの暑さとしばらく付き合わねばならないことを考えてげんなりとしていた。
「ああ…これから暑くなる一方だというのか…。このままでは生きながら蒸し焼きになってしまう…。」
ため息と共につぶやいた、彼らしくもない大げさな弱音を聞くものは誰もいなかった。
ケントは慣れた手つきで三人と一匹分の昼食を作っていた。豪華とは言えないものの、できる限り美味な食事を提供するために彼は最大限の努力をしている。船旅に使える食料はなるべく保存が効くことを重視しているせいであまり味が良くないだけでなく、種類も少ないせいでそのまま食べるのではすぐに飽きてしまう。食事のバラエティーが少ないことは多大なストレスとなるので、唯一まともな料理ができるケントが必死で料理しているのだ。だからこそ、本来贅沢品の果物の購入を値段によっては検討しようという気になったのだ。
「よし。及第点かな。」
スープを味見したケントは満足げだった。祖父が存命だったころから食事を作るのはケントの役割であった。だが、祖父は味音痴、というよりは食べられるのなら味は関係ないという人物であったせいでケントは自分の舌に合えばそれでよかった。だが、他人に料理をふるまわねばならなくなったおかげで皆が満足できる料理を作るための努力を怠らなくなった。その結果、彼はこの三週間ほどで料理の腕前をメキメキと上達させていた。
「ん?なんだ?停まったのか?」
ケントはすべての料理を作り終え、あとは皿に盛りつけるだけという段になって船が止まっていることに気が付いた。ヴォルフは日中はなるべく長く航海し、夜は停泊すると言っていた。逆に言えば昼間に船が止まるということは何か問題が起きたということだ。
かまどの火を消し、包丁などを手早く片付けるとケントは急いで甲板まで走った。甲板ではヴォルフとサーリャが並んで右舷方向を観察している。ケントは二人のもとに駆け寄った。
「何があったんだ?船が止まったようだが。」
「あそこを見てくれ。」
ケントは指さされた方向を注意深く眺めると海上に何かがいるのが見えた。徐々に近づいてくるそれが船であることに彼はすぐに気が付く。
「敵か?」
「いや、彼らがゴバ諸島の住民、ゴバの民さ。彼らの船は見えるかい?」
「ああ。船というよりも筏…に見えるな。あまり大きくはないな。一艘に五人くらいしか乗ってない。それに、あの船にも帆がないぞ?どうやって動いてんだ?見たところ櫂もついてないみたいだが…?」
「本当ですね。そのゴバの民も魔法機関を持っているのですか?」
「いや、違う。海の中に…何かいるな?」
「流石は狩人。夜目だけじゃなくで単純な視力もいいんだね。」
ケントは知っているくせにもったいぶるのが好きな友人に非難のまなざしを送る。時々ならばまだしも毎度毎度焦らされるのもうっとおしい。ヴォルフは肩をすくめると海中に潜む何かを指さした。
「彼らはイルカを友として活動するんだ。普通なら内海でしか運用できない筏をイルカたちに引っ張ってもらうことで沖にまで出ることができる。それにこの船と同じで風に頼らないから海の上を自由に航行することができるんだよ。」
「イルカねぇ。実物を見るのは初めてだ。」
「イルカ…とは何でしょうか?」
サーリャは二人の話についていけていないようであった。おそらくイルカを見たことがないというよりもイルカという動物を知らないのだろう。
「俺も見るのは初めてだ。確か魚の中ではかなり賢くて、人間の言葉をある程度理解できるんだよな?」
「正確には魚類じゃなくて哺乳類なんだけど、大体合ってるよ。お、そろそろ声が届く距離に来るね。歓迎しようじゃないか。」
海からはみ出たイルカの背びれが肉眼で見える距離までゴバの民の船は近くまで来ている。物資の売買だけでなく南大陸の情勢を知ることができる絶好のチャンスをヴォルフが逃すはずはない。ケントはそこまで理解して舷側から梯子を降ろす準備に取り掛かるのだった。




