第三十二話
港というものが沿岸部にしか作れない以上、王都の港は必然的に王都の外周部である軍事区画の内部にあった。船着き場は三ヵ所あり、それぞれ軍艦と商船、個人所有の船舶用に分けられている。軍艦が停泊している港は言わずもがな、他の二カ所の警備も非常に厳重である。具体的に言えば王国十万の常備軍の内五千の一般兵士と千の魔法騎士が常時配備されているのだ。この戦力は周辺諸国の精鋭部隊に匹敵する。もし一般人に扮して王都に奇襲を仕掛けたとしても港を突破することすらできないだろう。
「いい天気だ。船出日和ってやつだな。」
「はい。潮風が心地よいです。」
ケントとサーリャ、彼女の影に潜むルガールはケントの船の甲板に立っていた。ここにヴォルフがいないのはややこしい手続きをケントが彼に押し付けたからだ。
「それにしても、食料や水はすでに積んであるとは。あの親父もなかなか粋なことをしてくれるぜ。」
「それだけケントさんに期待してくれているのですよ。」
「期待?」
何気ない世間話のつもりだったにも関わらず、サーリャの意外な返答にケントは不思議そうに首をひねる。サーリャはケントの彼には珍しい動作を見てこらえきれずにクスクスとかわいらしく笑った。
「わかりませんか?自覚がないようですが、ケントさんは王都の有名人なんですよ?しかも王国で最強の戦士という称号を持つ英雄です。そんな人物が大陸間を行き来できるほどの船を欲しがっている。なら他の大陸に行って何を為すのか興味を持って当然でしょう?」
「英雄って…あー、期待ってそういうことか…。でも俺は騒ぎを起こすために旅に出るわけじゃないし目立つのも嫌いなんだがな。それに万が一騒ぎを起こしたとしても、それが俺だとわかるもんかね?」
「ふふ。わかりますよ。」
サーリャは胸を張って自信ありげに腕を組む。ケントは彼女が断言する理由が本当にわからなかった。
「降参だ。教えてくれるか?」
「簡単なことです。ケントさんと同じことができる人物はいないから、ですよ。」
「買いかぶりすぎだ。」
「百歩譲って同じことができる人物がいたとしても、ケントさんはあの大剣があるでしょう?あれが貴方が戦った証拠になるんですよ。」
ケントは自分の手に入れた剣の悪い意味での宣伝効果にそこでようやく気が付いた。武器の質は戦士の格を表すとも言われる。強者であればあるほど戦場で功績を上げながら生き残る確率が上昇し、その報酬で強力な武器を手に入れる機会が増えるからだ。
そのことをケントが今まで忘れていたのも無理はない。これまでの彼は武器の手入れを入念にすることはあっても武器自体に頓着は無く、あくまで道具として割り切っていた。必要となれば腰に差している新調した剣もなかなかの業物だが、必要とあらば投擲武器として投げ捨てるだろう。それほどに彼はその人物の持つ武器が戦士としての身分証明書の代わりになることを意識していなかったのだ。
とはいえ、普通ならば意識しないこと自体ありえないようなことをケントが見落としていたのには理由がある。彼は新調した剣と数本の投げナイフのみを身に着けていたが、肝心の大剣はどこにも持っていなかったのだ。
「ならサーリャに預けるって選択肢は間違っていないな。武器に頼らにゃならん戦いはそもそも避けるべきだし、あんな重いもんを常に身に着けるのは疲れるしな。」
「軟弱者が。自分の武器くらい自分で管理せんか。」
ルガールの不愉快そうな声が床のあたりから聞こえてくる。彼からすれば自分の一族の主筋にあたる人物を荷物持ちにしていることに不快感を禁じ得ないのだろう。
「そういってもあれは持ち運びするには重すぎる。その点、サーリャの闇の中なら重量や大きさに関係なく保存することができるっていうんだから頼むだろ、普通。」
「ルガールさんのお心遣いには感謝します。ですけど、このことは私が提案したのですからお気になさらずとも結構ですよ。」
「うむ…お嬢がよいのならばそれでいいのだが…。」
ルガールは渋々であることを隠そうともせずに引き下がる。相棒の意外な頭の固さにケントは苦笑を浮かべながら、港を見回す。すると、こちらを窺う視線が多数あることに気が付いた。そしてそれが無理もないことを彼は知っていた。
周囲のほとんどの船はケントのものよりも一回り小さい。それはケントたちの船が外洋に出て大陸間航行という長期の航海に臨むためであり、個人の船舶としてはケントの船は少しばかり大きすぎるのだ。彼らの船よりも大きい船がないでもないが、それは例外なく金の使い道に困った貴族が作らせた船だった。
また、その船形も異なる。魔法による推力機関を内蔵したケントの船には他とは違ってマストが一本しかない。さらにそのマストは折りたたまれて今は立っていなかった。あからさまに他と違う船に、港にいる船乗りや水兵、海兵そして魔法騎士までも興味津々であった。
「やっぱりこの船は目立つな。」
「まあね。でも、これからはこういう船も増えていくさ。」
ケントの独り言に答えたのは梯子を上ってきたばかりのヴォルフだった。ケントがやるべきだった手続きを代わりに終えてきたのだろう。
「それで出港はいつになる?」
「今からでも可能だよ。」
「じゃあ早速、行くとしますか。」
「え?」
「それは無理だろ。」
二人の掛け合いに動揺して思わず声を出してしまったのは彼を船まで案内した水兵達だった。
「その理由は?」
「は、はい。今からこの時間帯は凪で風がありません。最低でも二時間はこの状態が続きます。ですので出港はそれ以降でないと船が前に進みませんよ?」
「その通り。でもこの船は大丈夫なんだ。」
水兵たちは不思議そうな表情を変えることはなかった。確かに、凪の状態でも動く種類の船はあるし、帆船を動かす方法もある。見たところマストを倒すことができる特殊な船のようだが、帆船である以上、風がなければ動くこともできないし風に逆らって進むことはできない。にも関わらず、彼らは今船を動かすことができると確信している。それが不思議でならなかったのだ。
「まあ百聞は一見に如かず、とも言うし、早速僕は準備するよ。」
そう言ってヴォルフは船の甲板から後部に移動し、そこに鎮座する舵を握る。そして舵輪に魔力を流し込むと船の基底部に設置されたスクリューが回転して海水をかき回し、前進する推力へと転換する。彼らの乗った船はゆっくりと、しかし確実に前に進んでいく。彼らの本当の旅が始まろうとしていた。
「それにしても、あの水兵たちには気の毒なことをしたな。片方は腰抜かして倒れてたじゃないか。」
航海を始めてから数時間後、ケントたちの船は昼食のために錨を降ろして洋上に浮かんでいた。船底にある調理室でケントが腕を振るった料理に三人と一匹は舌鼓を打つ。
「そりゃあそうさ。王国でもこの魔力機関の搭載を検討している船は軍艦、それも沿岸守備隊直属の高速艦だけなんだから。でも、さっきも言ったと思うけどこういう船が十年後にはスタンダードになっていくと思う。それどころかこの船にあるようなマストが張られた船はいつか海の上から消えていくと思うよ。」
「この船…いえ、魔力機関にはそれほどの価値があるということでしょうか?」
少々興奮気味に確信をもって断言するヴォルフにサーリャは素直に質問する。
「そうです。帆船には様々なデメリットがあります。何かわかりますか?」
「ええと…確か風がなければ動けないことと風に逆らって進むことができないこと、でしたっけ?」
ヴォルフはスプーンを一度置いて背筋を正した。これがヴォルフの話が長くなるサインであることを知っているケントは渋々彼の話を聞く態勢に入る。本人は否定するかもしれないが、ヴォルフは解説するのが好きなのだ。たちの悪いことに彼が熱心に解説することはためになることばかりであり、聞き流すにはもったいない内容であることが多い。さらにはその場にいる相手に突然話題を振ることが多々あるせいで興味がなくとも聞いていなければ面倒なことになるのだ。
「正確に言えば帆船は帆の開きを調節することで風上に向かって上ることが可能です。これを『切り上がる』という言い方をするのですが、帆の形や船の性能にもよりますがこの切り上がり角度には必ず限界があるのです。つまり、帆船には進めない方向があるということです。魔法機関による船が優れているのは風に関係なく自由自在に移動できるという点が一つ目。じゃあケントは何か思いつく利点があるかい?」
「さぁ?皆目見当がつかんね。」
「そうかい?二つ目に帆船はその性質上、方向転換が自由にならない場合があるんですよ。例えば、北から風が吹いているとします。我々の乗っている船が北東に向かって風上に切り上がっている時、舵を北西に切るとどうなるでしょう?」
ヴォルフの質問に二人は答えられない。どうなるか、と言われてもすぐには想像が付かないのだ。数秒の思考の後、サーリャが自信なさげに答えた。
「船が一度北を向いてしまう…ということは完全に風上に向かってしまうのでは?」
「正解!そうなると帆は推進力を与えるどころか抵抗になって止まってしまうのです。ですから、船乗りは『上手回し』か『下手回し』という方法で進行方向を変えるのです。」
「なるほどな。魔法機関ならそのなんたら回しをしなくてもいいって寸法だな?」
「そう。欠点がないわけではありませんが、それでも風向きの束縛から逃れるということは船の大いなる進化と言えるんです!」
興奮気味に熱弁するヴォルフにサーリャは圧倒されて何も言うことができない。冷静に見えるヴォルフのそこそこの頻度で起こす暴走が、ケントは嫌いではなかった。話が終わったとばかりにケントは昼食を再開する。南大陸まで約一ヶ月の航海はまだ始まったばかりだった。




