第三十話
ケントが闘技場のチャンピオンを倒してから一週間が経過した。ケントは次代のチャンピオンとなる権利を放棄したので、今、闘技場の主は空席だ。その空位を埋めるチャンピオン決定の大規模トーナメントの開催が決定しており、行われる時にはまた世界中から猛者たちが集まってくるだろう。
一躍有名人となったケント本人はというと、意外に王都を満喫していた。街に繰り出すたびに多くの視線が自分に集まってくることには未だに慣れないが、それ以上に西大陸の文化の最先端である王都は彼の好奇心をくすぐる娯楽にあふれていた。実際、約束通りにサーリャとデートした時も彼女を口説くことを忘れて二人ではしゃいでしまった。
一方で、王都の最奥である貴族区画の空気は非常に重たい。名門であるアーヴィング家への夜襲は当然のことながら大問題となった。捕らえた下手人は厳しい尋問を受けたが、雇い主について話す前に変死したことで首謀者を探る手がかりがなくなった。それをきっかけに問題は次第に拗れていく。
二人の王子と王都にいる大貴族での会議が行われたのだが、会議では最初のうちはこの事件は王国への挑戦に他ならず、首謀者を炙りだして然るべき制裁を加えるべきだという論調で一致していた。だが、ルーシャン候がこれはあくまでアーヴィング家への襲撃であり、必ずしも王国への攻撃とは言えない。それゆえに国家を挙げて取り掛かる議題ではないと言い出したのだ。当然、その発言は多くの者から非難されたが、第一王子と枢機卿が同調したことで話がややこしくなった。
第一王子の派閥において重要なポストに就いているルーシャン候の発言を無視できない貴族は多く、彼の派閥にいる者達はすぐに同調せざるを得ない。ルーシャン候はそんなそぶりは全く見せなかったが、事件の主犯である以上、真相の究明をされるわけにはいかない。第二王子の派閥に属する貴族や知識人は激怒したが、当のアーヴィング公爵がそれを諫めた。結果としてアーヴィング家襲撃事件に対する結論は王国又は公爵家に対して敵対行動を辞さない勢力が王国内に存在し、その勢力に関する調査は行うものの、公にはしないことに決まった。
この事件についてアーヴィング家が犯人の追及を大々的に行うことに消極的なのは理由がある。それは襲撃者が聖騎士だったからに他ならない。大々的に調査するならば聖騎士についても公表せねばならず、聖銀の剣という物的証拠がある以上、国際問題になることは明白だ。しかし、今のところ聖国と敵対関係になることは王国にとって何の利益も生み出さない。経済や文化の問題はもちろんのこと、海を挟んだ隣国である聖国との関係は王国の国防にとって戦略的に重要だからだ。
また、手に入れた聖銀をアーヴィング家で有効活用するためにもことを公にできなかった。聖国としても自分たちが刺客を送り込んだことを認めるわけにはいかないので聖銀について何も言えないことを見越してのことだった。第二王子エルンストと協議して下した結論だったが、結果的にこの事件はルーシャン候の発言によって宮廷内の派閥対立をより深いものにした。よって今の王城は普段以上にピリピリした空気に支配されている。
アーヴィング家の練武場で、ケントは黙々と黒い大剣を振っていた。一振り毎にブツブツと独り言をつぶやくケントの訓練は、はたから見れば不気味としか言いようがなかったが、一週間も経った今は使用人も慣れたようでこちらをわざわざ盗み見るようなことはしなくなった。
ケントは構えを解いて深呼吸して息を整える。もともと大剣の重さや重心に慣れるための訓練であり、汗を滴らせるほど激しい動きはしないのだが、それでも額にはじっとりとした汗が滲むほどには体を動かしていた。
「ケントさん、お疲れ様です。でも、あまり無理をなさらないでくださいね。」
練武場の端に座って本を読んでいたサーリャが、少し困ったような笑顔を浮かべながらタオルを持って来る。ケントは素直にそれを受け取ると、顔の汗をぬぐった。
「無理なことはしてないさ。傷は治ってるんだし。」
「でも心配です。無理はしないでくださいね?」
「わかったよ。約束する。」
少し強い口調のサーリャに気圧されるようにケントは首を縦に振る。あれから彼女はケントの体調を必要以上に気にするようになった。男としてのケントは心配してもらえるのは光栄だが、護衛としては複雑な心境だ。彼女の父を殺すその時までケントも死ぬつもりは無いが、護衛である以上、自分たちが危機に瀕した場合はケントがその矢面に立つ。今のサーリャはそれすらも嫌がるような気がするのだ。
(原因はやっぱりアレだよな…)
ケントには思い当たる節があった。それは当然だが先週の聖騎士による襲撃だ。ケントが最初に死にかけたのはサーリャを庇ったからであり、そのことが彼女の心に棘となって刺さっているのだろう。生き残ったとはいえ、目の前で人が焼き殺される情景はトラウマとなって然るべきなのだ。
時間以外に効く薬は無いだろうとケントは割り切ってこれ以上考えないようにする。そして話題を変えるために彼女が先ほどまで読んでいた本のことについて聞くことにした。
「今日は何の本を読んでいたんだ?また治癒魔法か?」
「はい!私、治癒魔法に適性があるみたいなんです!もうヴォルフさんの家にある本の治癒魔法は全部使いこなせるんですよ!」
胸を張ってサーリャは得意げに自慢する。普通の魔術師ならば習得に数年かかるのだから、それは誇るべき成果だ。才能があったのは事実だろうが、きっと相当の努力もしたのだろう。
「それはすごいな!前に言っていた魔大陸に魔法を学問として根付かせる第一歩、ってところか。」
「はい。もっともっといろんな魔法を勉強していつかゴルドアードラー王国に負けない魔法学を魔大陸に花開かせて見せます!魔法といえば、ケントさんの方はどうだったんですか?…その…吸収の…。」
「あー…そのことか。ヴォルフと一緒にいろいろ実験してみたからいろいろわかったよ。聞きたいか?」
サーリャはおずおずとうなづいた。遠慮がちなのはなんとなく聞いてはいけないことのような気がしているからなのだろう。もちろんそんなことは無いのだが。
「軽い説明と詳しい説明、どっちがいい?」
「詳しく聞かせてください。」
「わかった。俺の吸収魔法は今まで魔法に必要な魔力を吸い上げて自分の魔力に還元してるってことは…ヴォルフから聞いてるはずだよな?専門的なことは知らんが魔力はそれ自体が生命力らしいから、魔法を使うことは生命力を消費することと同義らしい。俺はその魔力を敵から奪い取って生命力を維持することで、半永久的に戦えるほどの無限に近いスタミナを得られることが俺の魔法の真価だと思ってた。
けど、実はそうじゃなかった。俺の魔法は…条件を満たせば他人の先天魔法を奪い取ることができるようだ。実際、チャンピオンの再生魔法を奪い取ったからこそ、この間の事件で死なずに済んだんだ。まあ、左腕が生え変わったって聞いたときは流石に気分が悪くなったが。」
言いながらケントは左腕をサーリャに見せる。あの時の傷跡は全く残っていないが、左腕の前腕の肌の色が一本のラインではっきりと分かれている。元々ケントは狩人兼木こりであり、当然肌は日焼けしている。しかし生え変わった方はまだ日焼けの影響を受けていないために色素が薄いのだ。また、彼の腕に無数にある小さな傷跡もそのラインできれいに先がなくなっている。
「他人の魔法を奪う…その条件とは一体何ですか?」
「簡単なことだ。生きている他人の心臓を握りつぶせばいい。」
サーリャが絶句してしまうのも無理はない。このような恐ろしく野蛮で粗野な方法を平然と聞いていられる方がおかしいのだ。
「魔法を使える生物は、心臓に魔法の『核』みたいなものがあるらしい。それが本質的に何なのかはヴォルフも知らんと言っていたが、正確に言えば心臓にあるその『核』を吸収することでそいつの先天魔法を奪い取れるみたいだ。簡単に言えば俺がヴォルフから魔法を奪ったとしても奪えるのは水の魔法だけで、あいつみたいに無数の魔法を使いこなせるようになるわけじゃないらしい。」
「魔法の核ですか…。でもケントさんの吸収魔法は肌で直接触れ無ければ使えないのですよね?それでは昨日のように炎の魔法が使えるのはなぜでしょうか?」
「…見てたのか?」
サーリャは自分の失言をごまかすためか視線をそらした。ケントは大きなため息をつくと頭をガリガリと掻きながら気にしないことにした。
「見てたならわかると思うけど、俺はどうやらあの聖騎士の魔法も取り込んだらしい。結論から言うと偶然この剣が野郎の心臓まで届いてたからみたいだ。魔法の触媒が使われた武器ってのを使ったことがなかったが、吸収魔法を纏わせた剣は刀身に触れた魔法を体に触れたのと同じように吸収できるみたいだな。今までは体で当たりに行かないと魔法を消せなかったのに、これからはこいつで斬ったり防いだりすればどうにかなるのはかなり便利だ。」
「そんなことが…。では、これでケントさんは吸収魔法で攻撃の無力化を、再生魔法で傷の治癒を、そして炎魔法で遠距離攻撃をできるということですね!すごいです!」
サーリャは羨望でキラキラと瞳を輝かせている。まるで目の前の男が完全無欠の戦士だと思っているようだ。だが、その誤りは訂正しておかねばならない。ケントは苦い顔で首を振った。
「そううまくはないんだ。昨日試してわかったんだが、再生魔法は普通の治癒魔法と違って痛みを和らげる効果は無い。だから治るからといって無茶ができるわけでもない。痛いもんは痛いからな。
炎魔法に至ってはほとんど使えないって認識をしておいてほしい。俺の吸収魔法は無意識に発動するタイプの魔法で、常に魔力が俺の体から出さないようにしているらしい。その体質が炎魔法と致命的に相性が悪いんだ。
火球を作ったとする。普通は魔法の発生する位置をコントロールできるから掌から少し浮いた位置に魔法は出現する。けど、俺の場合魔力を外に出さないようにする体質のせいで火球は俺の掌の上にできる。つまり、俺は炎魔法を使うたびに火だるまになるってことだ。あとで再生魔法を使えば治るって言っても自分を傷つける魔法なんざ何の意味も無いから、今後使うことはまずないだろうな。」
「そうですか…。何というか、世の中そんなに甘くないですね。」
「全くその通りだ。」
ケントとサーリャは同時にため息をついたが、二人の動きがあまりにもシンクロしていたことが可笑しくて、どちらからともなく噴き出した。




