第三話
「う…ここは?」
少女が目を開けて真っ先に目に入ったのは、見たことのない家の天井だった。そして何故か少し硬いベッドの上に横たわっている。自分の置かれた状況がよくわからないものの、自分の服が乱れた様子は無いことを確かめてホッとする。
「お?起きたか?」
少女は声の聞こえた方を向く。そこにはいい匂いのする鍋をかき混ぜている青年、ケントが立っていた。
「ちょっと待ってな。今丁度できたところなんだ。」
ケントは鍋から皿へと出来立てのシチューを流し込んでいく。自分が狩った鹿肉と村でもらった野菜や牛乳をふんだんに用いたごちそうだ。ケントはシチューの入った皿をテーブルに向かい合うように二つ並べ、中央にはまだ中身が残っている鍋とパンの入ったバケットを手際よく配膳する。
「とりあえず、晩飯にしようや。…もしかして腹は減ってないのか?」
「い、いえ…!」
返答しようとした矢先にぐぅぅ、というかわいらしい音を立ててしまった少女は羞恥心からか顔を真っ赤にして伏せてしまった。ケントは初々しい少女をいじりたい気持ちを抑えて助け船を出す。
「さ、腹も減ってるみたいだし、早く食べよう。冷めたらせっかくのごちそうが台無しだ。」
「は、はい!いただきます!」
二人は黙々と夕食を食べていた。黙々と、とあるように二人の間に会話は無い。その原因は少女にあった。彼女は食べ方自体は上品なのだが、口に食べ物を運ぶ速度がべらぼうに速い。ありていに言えば大食いであり、ケントはその食いっぷりに唖然としていたのだ。
とはいえ、何か話さないことには何もわからない。目の前に並べられた食事以外の何も見えていないらしい少女にケントは話しかけた。
「君、うちの前でぶっ倒れてたんだが、何があったんだ?」
「ふぇ?ふぁい、ふぁたしふぁ…。」
「とりあえず、口にあるものを飲み込んでから答えてくれ。」
少女は水の入ったグラスを一気に煽って口の中のものを喉の奥に流し込むと、先ほど同様に赤面しながらおずおずと答える。
「す、すみません!私ったらなんてはしたないことを…!こんなにおいしい料理なんて食べたことが無くて、夢中で…!」
「自分の料理が褒められるのは悪い気はしないな。ま、その前に事情を色々説明してもらおうか。まずは自己紹介から。俺はケント・シュヴァルツ。ケントと呼んでくれ。俺はこの山小屋に住んでる狩人で、君がうちの前に気絶して倒れていたから運び込んだんだ。」
少女は先ほどまで赤面していたのが嘘のように姿勢を正した。真っ赤なルビーを思わせる紅の瞳がケントの眼を真っ直ぐに見つめる。ケントがその美しさに釘付けになりかけたかと思うと、少女は深々と頭を下げた。
「私の身を保護してくださって、どうもありがとうございました。私の名前はサーリャ・スウェルシュ・アーグヴォルドと申します。サーリャとお呼びください。」
少女、サーリャは下げていた頭を上げて自らの名を名乗った。姓と名の両方ともケントには聞き覚えは無かったが、それは単に彼女がこの国の出身ではないということだろう。サーリャは一拍おいてから話を続ける。どうやらここからが本題の様だ。
「私はある方を探すためにこの地へと参りました。どうか私にお力添え下さいませんでしょうか…?」
「いいぞ。俺にできることなら。」
ケントが不自然なほど素早く即答したのは、少女が何か頼んでくるであろうと予想していたからである。サーリャが訳ありなのはあの状況を見れば一目瞭然だ。ならば彼女と親しくなるには彼女の願いをかなえてやるのが一番だろう。
「助けていただいたのがケントさんのようなお優しい方でよかったです。」
「あ、そ、そうだな。ははは…。」
ケントのことを微塵も疑っていないことがよくわかる無垢な笑顔を浮かべて喜んでいるサーリャに比べて、ある程度の下心を持って接している自分がとんでもなく汚れた人間に思えたケントは言葉を濁すしかない。
「ではまずお聞きしたいのですが、ここは西大陸のブラオスローザ伯爵領、アルト村近郊で間違いないでしょうか?」
幸運にもと言っていいのだろうか、ケントの自己嫌悪に気が付かなかったサーリャはそんな妙なことを聞いてきた。自分がどこにいるのかをまず確認した、と言うことはここに至るまでの道のりを知らない、あるいは覚えていないということになる。
「ああ。そうだ。でも、どうやってここに来たんだ?魔法か何かか?」
「はい。その通りです。私の家に伝わる『転移門』と呼ばれる指定した場所に対象を瞬間移動させる魔道具を使ってきました。
次の質問です。ここに私の父の友人であるお方がいらっしゃるはずなのです。本名は存じ上げませんが、私の故郷では『錆の騎士』と呼ばれていた方です。たいそう強いお方でいらっしゃるらしいのですが…どうかされましたか?」
ケントの眉がピクリを動いた。錆の騎士という名前は聞いたことが無い。だが、『錆』という二つ名がつく以上、金属を錆びつかせる魔法か特殊な魔道具を使うのだろう。魔法には四属性と呼ばれる火、水、風、地のようにわかりやすいものだけではない。もちろん、先天魔法は四属性が最も多いが、それ以外の魔法も多く存在する。そして金属を錆付かせる先天魔法『腐食』の使い手にケントは心当たりがあった。
「その人物を、俺は知っている。でも、悪いが君が会うことはできない。」
「…どうしてでしょうか?」
サーリャは嫌な予感がした。先ほどまで明るく振る舞っていたケントの顔に暗い影が落ちたような気がしたからだ。それでも確かめないわけにはいかない。サーリャはケントの言葉を待った。
「その騎士の名はグスタフ。グスタフ・シュヴァルツ。俺の爺さんで、去年死んじまった。」
食事を済ませた二人は山小屋の裏庭にあるグスタフの墓の前に立っていた。墓前で膝を折って呆然と祖父の墓を見つめているサーリャの表情は、その姿を後ろから見守っているケントにはわからない。だが、少なくとも落胆しているのは明らかだった。彼女の目的が何であれ、危険を犯してまで探していた相手がすでに亡くなっているのだから当然だろう。
「サーリャ。」
「なんでしょうか?」
サーリャは墓を見つめたまま振り向かなかったが、ケントは気にせずに続ける。
「君は爺さんをどうして探していたんだ?爺さんの強さを知っているのは解る。爺さんは長いこと旅を続けていたらしいから、君の故郷にも立ち寄ったことがあったんだろう。けど、その爺さんの腕前を借りて君は一体何をしようと思っていた?何が目的だ?」
サーリャはしばらく何も答えなかった。無言の時間は数秒だったのか、はたまた数分だったのか。決して長い時間ではなかったはずだが、ケントにはその空白の時間は永遠にも思われた。
「私の目的…ですか…。私の目的は…。」
サーリャはゆっくりと振り返る。月明かりの弱い光に照らされた彼女の姿はこの世のものとは思えないほどに美しい。だが、彼女の紅く輝く瞳は彼女を儚げには演出しない。サーリャから立ち上る妖艶な魔性の美にケントは心を奪われていた。
「父を、殺すことです。」
そう言って彼女は微笑んだ。