表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔界の姫と用心棒  作者: 松竹梅
28/60

第二十八話

 意識は朦朧とし、視界は真っ暗で何も見えない。ここまで何も見えないのは初めてかもしれない。子供のころに目隠しをした時もこんなに暗くはなかった。

 どこか遠くから大きな音が聞こえてくる。おそらく左側から音がするのだろうが、自信は無い。なぜか右側からは一切の音がしないのだ。

 体はドロドロに溶けたかのように重く、指先の感覚がない右手はうまく動かない上に、左腕に至っては前腕の感覚全くない。このままベッドの上で大人しく寝ていたいという欲求に駆られたが、欠片ほどの理性が外に行けと囁く。音の聞こえる方へ行かねば後悔すると語りかける。

 ならば行こう。行かねばならない。すぐに立ち上がろうとしたが、うまく体が動かないのでベッドから転がり落ちてしまう。どちらが上でどちらが下なのかが全くわからない。平衡感覚がつかめずに文字通りの意味で『畳の上の水練』とばかりにのたうち回っていると、何か固く、重たいものにぶつかったようで、それが背中に倒れてきた。背中にのしかかった拍子に肺の中の空気がすべて押し出されたことから、かなりの重量があることが分かる。

 正直なところそれをどけることも億劫だったが、このままでは動くこともできない。仕方なくぎこちない動きで体を揺らし、背中からそれを床に落とす。柔らかいカーペットの上であるにも関わらず、それはゴトンという重たい音を立てた。気になって右手でそれを探ると、どうやらそれは身の丈ほどある金属の塊で、しかも端には革を巻かれた握りもある。

 これ幸いとそれを杖がわりにして立ち上がる。上半身とは違い、意外とスムーズに脚は動いてくれた。そして音のする方に向かって歩く。二、三歩も歩かないうちに杖が壁に当たる。仕方がないので壁に体を預けて壁沿いに歩く。目が見えないせいで壁に空いた大穴に気づくことなく、そのまま壁に寄り掛かったまま進んだことで、その穴から外に放り出される。

 妙に心地の良い浮遊感を味わいながら、意識に掛かった霞が徐々に晴れて来た。地面に激突して再度気絶する寸前、彼の頭をよぎったのはフードを被った剣士の歪んだ笑顔と自分に突き立った美しい剣だった。



 ヨシフが振り下ろした剣は、またもやサーリャの行使する闇魔法によって防がれる。今回はこれまでとは異なり、細い触手のような形状ではなく、魔獣を包むように半球状に展開していた。先ほどまでの戦いの経験から力技でこの黒い何かを破壊することが不可能であることを理解しているヨシフは殺すべき優先順位を切り替える。


 「まずは貴女から殺さねばならないようですねぇ。」

 「私は…簡…単に…殺…される…わけには、いかない!」


 顔色は悪く、顎から汗の珠がしたたり落ちるほど消耗している様子から、サーリャの魔力が枯渇しつつあることにヨシフは目ざとく気づいている。また、サーリャが戦いなれていないことはこれまでの攻防から明らかだ。その証拠にヨシフが彼女の魔法を容易く避けられる間合いを保っているにも関わらず、攻撃を仕掛けてくる。

 黒い触手の太さや形状を自在に変えられることは確かに驚きであるし、剣のような切れ味を持ちながら鞭のようにしなる変幻自在の攻撃は脅威となり得る。一撃でも当たれば今の防具では易々と切り裂かれるに違いない。だが、いくら強力であってもフェイントも何もない単調な攻撃を回避することは何も難しいことはない。結果としてサーリャが一方的に残り少ない魔力を浪費し続けることになっていた。


 「…そろそろ魔力も尽きたようですね。いやはや、手こずらせてくれましたねぇ。」


 サーリャは一矢報いることすらもできずにその場に崩れ落ちるように座り込んだ。魔力を完全に使い果たしたせいで蒼白となった肌が彼女が虫の息であることを如実に物語っている。ルガールを護っていた壁もいつの間にか消えていた。

 サーリャがもはや口を動かす気力すら残っていないと確信したヨシフは剣先を彼女に向ける。赤や青を通り越して白く輝くほどの高温の火球を作り出すと、それを無造作に放つ。火球の威力を生物に対して使うにはいささか以上に強力すぎる程にしたのは彼らへの慈悲だ。ヨシフは加虐趣味や騎士道精神など持ち合わせてはいないが、代わりに強者への敬意は失っていない。彼我の実力差がこれほどあったにも関わらず、ここまで食い下がったサーリャにせめて苦痛無き死を与えようというのだ。


 「あの若者もそうでしたが、異なる出会いであれば友誼を結べたかもしれないのですが…。心から残念です。さようなら。」


 サーリャは迫りくる小さな太陽をよけることも防ぐこともできない。彼女の心境を一言で言えば無念だ。故郷のために何も為しえぬままここで野垂れ死ぬことを容認できるはずがない。だが、現実に全身に全く力が入らず、呼吸するのがやっとの状態だ。火球が着弾するまでの時間がやけに長く感じられる。逃れられぬ死への恐怖に耐え切れず、サーリャは目を固く閉じた。



 鼓膜を震わせる音が響いたことで意識が覚醒する。建物から地面に落ちたことは覚えていたが、どういうわけか平衡感覚は正常に戻っており、聞こえなかった右耳の聴力も回復している。左腕の感覚がないのはそのままだが、右手は普通に動かせるようになった。視界は完全な暗闇から一転して様々な光が明滅し、歪んだ何かが絶えず見えている。不快に感じて目を閉じようとしたがうまく瞼が動かなかった。

 それまで使っていた杖を地面に突き刺して、自分の足だけで立ち上がる。それができるまでに回復していることが不思議であり安心した。すると、少し離れた場所から声が聞こえた。そちらを振り向くと目が焼けてしまいそうなほどの極彩色の光の塊が飛んでいるではないか。そしてその進路には誰かが座っている。それが誰かはよく見えないが、その人物は助けなければならない気がする。彼は光の前に飛び出し、力任せにやたらと重たい杖を振るった。



 サーリャのすぐそばで一陣の風が吹いた。しかし、そんな些細なことは今まさに死にかけている彼女にとってどうでもよかった。受け入れがたい死の恐怖に耐えるだけで精一杯だったのだから。

 しかし、死はいつまでもやってこない。ただ待ち続ける恐怖に耐えかねたサーリャはそっと目を見開く。そこには白い火球は無く、黒い大剣を振り下ろした一人の男が立っているだけだった。サーリャはその男の名を知っている。そしてその男がそこに立っていることはありえないことも知っている。だからこそ、彼の名前を呼ばずにはいられなかった。


 「ケント…さん?」




 最初、ヨシフは誰かが飛び出してきたことに気が付いていたが、今更加勢が来ても遅すぎると内心嘲笑っていた。自分が放った魔法は物理的な防御は不可能に近く、魔法による防御であってもヴォルフ並みの才能と技量がなければ防ぎきれないからだ。サーリャを庇ったところで彼女が消滅する時間が一秒ほど遅れるだけのはずだった。

 しかし、予想に反して火球の方が忽然と姿を消し、消し炭となったサーリャの残骸があるべき場所には漆黒の大剣をぶら下げた男が立っている。どうやって魔法を防いだのかを考えるより先に、ヨシフはそれが先ほど焼き殺したはずの男、ケント・シュヴァルツであることに狼狽えた。無数の人間を焼き殺してきた彼が火加減を誤るはずはなく、生きているはずがないからだ。

 さらに衝撃的だったのは、ケントの姿だ。彼の顔面や上半身の皮膚は焼け爛れて皮膚の下の筋肉や骨がむき出しで、一部に至っては炭化している。焼いてから斬り落とした左腕は失われているままだ。

 だが、水晶体が膨張して破裂したはずの眼球は、瞼がなくむき出しの状態であるものの再生しているし、左腕と共に切断された右手の指は生え変わって剣をしっかりと握っている。なにより衝撃的なのは左腕の断面から骨と筋肉がゆっくりと、だが確実に膨張していることだ。

 ヨシフは彼を以ってしても冷静でいられないほどに恐怖した。聖国の汚れ仕事の中には見せしめとして生きたまま人を焼き殺すことが幾度もあったが、その役は聖騎士で最も炎魔法に秀でた彼が行ってきた。炎の温度を調整し、地獄の苦しみを味わわせる命令も請け負ってきた。そうやって殺めた者達の怨念がケントの瞼のない瞳に宿っているような錯覚に陥ったからのだ。



 ヨシフが硬直している間、ケントはようやく完全に回復した視力と思考で今の状態を再確認する。どうやらギリギリ間に合ったものの、ここで眼前の敵を倒さねばならないらしい。自分がどうして助かった、そして何故今もこうして傷が見る見るうちに治っているのかはわからないが、とりあえず自分は剣を握って立つことができる。これなら戦える。柄を握る力を強くした矢先、ケントのズボンの裾をそっとつかむ手があった。誰の手かは言うまでもない。


 「よかった…。」

 「…。」


 ここでサーリャに気の利いたセリフでも掛ければ格好が付くと思ったが、まだ貫かれた声帯の修復はできていないようで、声が出ない。どうやら自分には吟遊詩人の語る勇者の真似事は向いていないらしい。


 「ですが、戦わねばなりません。」


 ケントは背を向けたまま深く頷く。その通りであると。


 「無理をしないで、戦わないで下さい…と言えない自分が悔しい。ケントさんには迷惑ばかりおかけしていますね。」


 ケントは首を横に振る。迷惑だとは思っていないと。


 「今の私にできることは、貴方の勝利を祈ることだけです。情けないです…。」


 ケントは先ほどよりも力強く首を振る。その祈りこそが自分を奮い立たせてくれるのだと。


 「……。いいえ、私が貴方に掛けるべき言葉は、泣き言ではありませんよね。ケントさん!」


 サーリャは息を大きく吸い込み、力を振り絞って声を出す。


 「あんな奴、やっつけて!」


 弾かれるようにケントは大剣を振り上げると真正面からヨシフに突撃した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ