第十話
翌日、野盗たちの持っていた武器や嗜好品などをお互いに満足のいく金額で伯爵と取引した後、ケントとサーリャは山小屋の前でヴォルフを待っていた。旅の足として使う馬車は彼が用意することになっているからだ。
「私、馬車と言うものに乗ったことが無いので楽しみです!」
「へぇ。じゃあ、向こうだとどんなものに乗って移動してたんだ?」
「ほとんどは配下の悪魔が御者を務める飛竜の背中に乗っていました。風が吹き付けて髪が乱れるのであまり好きではないのですが…あ!見えてきましたよ!」
想像以上の返答に絶句するケントなど気にすることなく、丘の下から上がってくるヴォルフの馬車を目にしてサーリャが子供の様にはしゃいでいる。その姿だけ見ていると、少し世間知らずのお嬢様にしか見えない。
(魔族のお姫様…ねぇ。とてもそうは見えんなぁ。)
ケントはしげしげとサーリャの全身を眺める。第一印象としては絶世の美女。濡れたような黒髪と白磁の如き肌、痩せ過ぎでも太り過ぎでもない抜群のプロポーション。やって来た時のドレスはあまりにも目立ちすぎるということで町娘から買い取った一般的な平民の服を着ていてもその美貌に曇りは無い。
ただ一つ、普通の人間と異なる点といえばルビーのように紅い瞳だろう。今は闇魔法で作った極薄のカラーコンタクトのような被膜によって瞳の色は黒く見せているが、その妖艶な魅力に惹かれていたケントからすると少し残念だった。
(それにしても、魔族ってのは色々いるんだろうな…見てみたいようなそうでないような。まあ、旅の間に聞くこともあるだろう。)
そんなことを考えているとヴォルフの乗っているであろう大型の馬車がすぐそこに来ていた。馬車の黒塗りの車体は装飾を最小限に抑えてはいるものの、その精緻な細工には気品を感じさせるものがある。十人近く乗ることができるであろう大きな車体を牽く馬はヴォルフの創りだした馬型の自動人形だ。
馬型に限らず、自動人形は貴族たちの間で流行っている最先端の魔法道具だ。ゴーレムとの違いは魔道式を刻印されたパーツを組み合わせて作られたという点だ。性能が個人の魔法の技量に依存するゴーレムとは異なり、自動人形は魔力さえ込めれば誰でも同じように扱えるのが魅力だ。
馬型の自動人形は疲れることや訓練、御者を雇う必要が無い上に馬力は普通の馬の数倍。一頭当たりの値段は平民ならば一生遊んで暮らせるほどの金額がかかるものの、持っていること自体がステータスとなっているし、馬の性能や装飾品は一目で自らの裕福さをアピールできることから多くの貴族たちは見栄を張るために輪をかけて馬型自動人形に金を費やすことになる。そしてその自動人形を発明したのが他でもないヴォルフだった。
御者いない馬車がケントたちの前にひとりでに止まると、ヴォルフがドアを開けて出てきた。二人に屈託のない笑顔を浮かべ、わざとらしくポーズを決める。
「それでは皆さん、ご乗車下さい。」
「ふむ。なかなか大きいな。」
予想外の相手の声が聞こえたサーリャとヴォルフは声のしたほうを振り向くとケントが立っているだけだった。ケントが困ったように肩を竦めると、深緑色のマント‐昨晩の騎士団員が身に着けていたもので、サイズが合っていたのでそっくりそのままケントが使うことにした装身具の一つ‐の影から巨大な狼の頭が生えてきた。最初からそこに潜伏していたのだろう。
「お、驚かさないでください!」
「お嬢、驚かせてしまったのなら申し訳ない。」
「どうしてルガールがここに?」
「ついて来るんだとさ。辞めさせようとしても無駄だぞ。こいつ、頑固だからな。」
「よろしく頼む。」
ルガールは返答を聞くことなく頭をケントの影の中へと戻してしまう。三人は顔を見合わせると誰ともなく笑ってしまった。予想外のことが起こったが、これが三人と一頭の旅の始まりであった。
一行の旅は順調だった。西大陸の中でも一際強大な国力を持つゴルドアードラー王国は主要道路すべてにおいて石畳を敷設しているので、馬車での旅は快適の一言に尽きる。ブラオスローザ領のように国境線に位置する地域であっても、周辺諸国に比べればはるかに治安がいい王国では野盗に襲われることもほとんどない。
とはいっても、王国の西端から東端まで横断するのはさすがに時間がかかる。その間、ヴォルフは魔大陸のことを、サーリャは五大陸の情報をお互いに交換することになった。
五大陸は中央大陸とその東西南北に位置する四つの大陸の総称だ。西大陸は大陸の約半分を統治するゴルドアードラー王国といくつかの小国が存在しており、大陸の統一は王国の悲願である。また、内陸の大森林はエルフ族が支配している。すべての人間の国家が聖白教を国教としていることも特徴だ。
東大陸は『鳳帝国』という国家によって統一された、五大陸でも中央大陸に次いで争いの少ない大陸だ。皇帝とその一族、そして皇帝に忠誠を誓う四十の部族によって大昔から国内は完全に掌握されている。また、聖白教の信者がほとんどおらず、その影響が最も薄い大陸でもある。ゴルドアードラー王国と同盟関係にあり、貿易協定も結んでいるのでケントたちからすれば海の向こうの隣人だと言える。
北大陸は人が住むには過酷な極寒の地であり、一年中雪が降り続けている。他の大陸に比べれば規模は小さい都市国家がいくつか存在している。大陸全土が寒い上に土地も貧しいので、市民たちは専ら漁業や他国との交易を生活の糧としている。過酷な状況で生まれ育った北大陸の人間は平均的に体格が良く、他の大陸で傭兵として戦う優秀な戦士を数多く輩出している。また、西大陸と同じく聖白教会の信徒が多いことも特徴だろう。
南大陸は北大陸とは正反対に常夏の気候と肥沃な大地を持つ楽園の如き大陸だ。だが、そこに国家と言えるものは存在しない。あるのは王国と帝国の合同事業として要塞のように防御を固めた、両国の交易の中心でもある港町くらいのものなのだ。というのも、南大陸に住んでいるのはほとんどが亜人なのだ。亜人は人より知能では劣る上に魔法を使える個体がほとんどいないものの、身体能力や生命力では人間をはるかに超越している。彼らと対等に渡り合う戦闘民族がいるらしいが、何の備えも無い普通の人間の住める大陸でないのは確かだろう。
そして中央大陸は聖国という宗教国家によって統治される。名前の通り権力を握るのは聖白教会であり、総本山である大聖堂もここにある。大陸の大きさは他の大陸の半分程度しかないものの、世界中の信者たちによって支えられるこの国は五大陸でもっとも強大な国家だ。その強さの源は三つある。教会を通して西大陸と北大陸の様々な国の政治に介入する政治力、『ユニコーン』や『グリフォン』などの精強な聖騎士団の軍事力、そして中央大陸でしか採掘できない聖銀と呼ばれる金属の独占だ。聖銀は魔法の触媒としては文句なしの最高級品であり、杖や武器にも使用されるために需要は高い。それを独占している恩恵によって聖国は他の追随を許さない財力を持っているのだ。
一方の魔大陸は人の世界に比べれば非常に単純だ。サーリャの父でもある魔王が絶対者として君臨し、それに次ぐ実力を持つ魔族たちが国政を支えている。初代魔王が大陸全土を統一した後、魔大陸には他の指導者による国家が生まれたことは無いことから国名という概念は無い。
魔大陸には魔王に勝るとも劣らない実力を持つ四つの魔族が存在し、その族長たちとの合議制によって国は運営されている。その魔族とは竜、粘体、不死、鬼であり、魔王は悪魔の長らしい。合議制であるがゆえに政策の決定に時間がかかるが、公平な国家運営が可能となるとサーリャは言う。王都が目の前まで迫った時にこの話題が持ち上がったのだが、第二王子の側近であり公爵家の人間であるヴォルフにはその政治体制は異常としか言えないものだった。
「合議制という国家体制を聞いたことがないからわからないけれど、だからと言ってそんなにうまくいくのかな?普通ならそれでも派閥争いが起こると思うんだけれど…。」
サーリャは不思議そうに首を傾げる。その仕草は幼い子供の様で非常にかわいらしかったが、ヴォルフからすればそれが理解できないし恐ろしくもあった。
「派閥…というと、徒党を組むということでしょうか?近親種同士が特に親しくすることは確かにありますが、それで何をするということはありません。」
「ということは、利権や権力の奪い合いが起こらないということですか?」
「?リケン、とはなんでしょう?」
ヴォルフは絶句してしまう。今サーリャは何と言ったのか。利権という言葉の意味が解らない、ということは彼女は利権とは縁が無いということになる。魔王の娘である彼女が利権と縁が無いということは、魔大陸にはその概念が無いということになる。
「え、ええと、たとえば権力を握っていれば色々と便宜を図ってくれたり逆に便宜を図ってあげればお金や物をもらったりできるようになるでしょう?そのために派閥を作ってより強い権力を求めたり、敵対派閥を貶める工作をしたりするものなんだけれど…。」
「ああ!なるほど、そういうことですか!簡単に言えば物欲や権力欲が引き金となって強者同士の争いが起こらないのか、ということですね!あいにくですが、それはあり得ません。
何よりも我々は力を持つものに敬意を払わねばならないという掟が有ります。そして我々の祖にして最強の魔族であった初代魔王の言葉は、魔族にとっては絶対の法則です。そしてその遺言に『すべての種族は互いを尊重し、和を以って国を治めよ』と言うものがあります。それは魔族全体の共通認識であり、それを覆すためには初代魔王以上の力を持つことを証明しなければなりません。そんなことは不可能でしょう?ですから、リケン、というものと我々は無縁なのです。」
ヴォルフは考える。王が強権を振うわけでもなく、利権や派閥間の抗争にも無縁の国家。人間よりも優れた身体能力と魔力を持つと言われる魔族たちが、ある種の理想ともいえる国家体制を敷いている。その事実が恐ろしかった。もし、彼らが五大陸へと侵攻するとなれば人類の敗北は確実、最悪絶滅する可能性も大いにある。中央大陸や周辺諸国と小競り合いをしている場合ではない。ヴォルフはそう確信していた。
ヴォルフが真剣に悩んでいる傍らで、ケントは二人の話をいつものように黙って聞いていた。祖父が旅したという魔大陸に興味があったからだ。聞けば聞くほど新しい疑問が湧きだしてくる。だが、ケントはそれをいちいち尋ねたりはしない。実際に行ってこの目で見るまでの楽しみにしておくつもりなのだ。
「お!そろそろ王都が見えて来たな。俺も来たのは久々だな。」
「おお。あれが王都か。我が森の数倍の広さだな。」
「うわぁ!伯爵様の御屋敷もご立派でしたが、王城は格段に美しいですね!」
馬車の窓から外を見ると、王都がうっすらと見えてきた。王都は海に面した港町であり、ゴルドアードラー王国の政治と経済の中心地だ。純白の王城は日の光を浴びてそれ自体が光を発しているかのように輝いてみえる。まさしく西大陸における最強の王国を象徴する城と言えるだろう。
「さてと。ここまでの旅は順調に進んでるな。これからもそうであることを願いたいもんだ。」
ケントの独り言は物思いにふけっているヴォルフの耳にも、王都を見るために窓に張り付いたルガールとサーリャの耳にも入ることは無かった。




