第一話
「決着!誰がこんな結末を予想したであろうか!?飛び入り参加の若者が!歴戦の戦士を相手になんとなんと三連勝だ!」
闘技場の中央には血の海に沈んでいる男と、その骸を見下ろす黒髪の大柄な青年が立っているのみだ。青年の勝利を告げると同時に、闘技場全体が観客の声に揺れたのは気のせいではないだろう。確実だと思っていた賭けを外した者は怒号を上げ、逆に大穴を当てた者たちは狂喜乱舞する。純粋に青年の技量に感心する者や、単純に目の前で行われた殺し合いという残酷なショーに酔いしれている者もいた。
「三連勝を成し遂げた者には我らが闘技場の英雄と戦う資格が与えられる!若き勇者よ!無敗の王者に挑戦するか!?」
青年は顔に付いた返り血を拭いながら、悩むそぶりも見せずにコクリと頷く。当然だ。彼はその王者を倒すためにこんな胸糞の悪い見世物に甘んじているのだから。
だが、彼が頷いた瞬間、会場は先ほどとは比較にならないほどに湧きあがった。ここ数か月の間、その選択をした愚か者は一人もいなかったからだ。
「若き戦士よ!その覚悟、しかと受け取った!その選択は自信の表れか、はたまたただの蛮勇か!さぁ、善神よご照覧あれ!勇敢なる者たちに祝福を!」
「見たこともない神様なんぞに祝福されて勝てるとは思えんがなぁ…。」
青年は聖職者に聞かれたなら異端審問にかけられてもおかしくないことをつぶやきながら、客席の一点を見上げる。そこに座っている小太りの男がニヤニヤと笑っていることが気に食わなかったのか、少年は乱暴に剣を振り回して血糊を払った。
次にその反対側の客席の最前列を見る。そこには髭面の厳つい男と彼の無二の親友、そして少年が想いを寄せる少女が心配げにこちらを見ていた。
「ま、無様な姿だけはさらさないようにしねぇとな。」
青年が気合を入れ直すと同時に、向かい側の門が開いて対戦相手が入場してきた。相手の身長は二メートルほど。褐色の肌の下に鋼鉄のような筋肉の鎧をまとったの偉丈夫だ。体重は目算で百二十キログラムはあるだろうか。男は頭に魔獣の頭蓋骨を被り、肩に異様な雰囲気を纏った真っ黒な大剣を担いでいた。
普通の人間ならばその姿を見るだけで萎縮してしまいそうな相手にも、青年は全く動じない。むしろ不敵な笑みを浮かべながら自分の持つ剣を構え、頭の中で戦術を組み立てていく。
いつの間にか静まり返った場内に、進行を執り行う神官の大音声が響き渡った。
「始め!」
二人の雄は同時に地面を蹴り、相手に向かって突撃した。
「ふぁぁ…。もう昼か…。寝すぎた…。」
青年は寝ぼけ眼をこすりながら、ベッドの上で体を伸ばす。覚醒しきれずにぼんやりと霞がかった意識のままベッドから降りる。土間においてある水瓶のふたを開け、柄杓で掬った水を一気に飲みほしたところでやっと頭が平常運転を開始する。
「あ、やべぇ。今日はヘルマン先生のところに薪を持っていく約束だった。怒られるかもなぁ。」
思い出すとともに憂鬱な気分になったものの、依頼を無下にするわけにもいかない。水瓶の隣に置いてあった薪の束を背負うと、気怠そうな足取りで丘を降りて行った。
西大陸随一の王国、ゴルドアードラー王国の西端に位置するブラオスローザ伯爵領のアルト村という小さな村にも教会は存在する。そこには牧師が常駐しており、村の子供たちに手習いを教えていた。
「我らが父なる善神様によって創造された五つの大陸は最初は一つだったと言われています。では、五つに分かれたのはなぜでしょうか?」
眼鏡をかけた初老の男性は、目の前に集まった十数人の幼い子供たちに質問する。知らない子の方が多いので手を挙げるのは数人だけであったが、その中で最も早かった少年に答えを促す。
「邪神によって砕かれました!」
「はい。その通りです。その後、善神様は邪神をここから遙か彼方にある魔大陸に封じられました。彼らは今も光と闇の世界をそれぞれ支配しておられます。皆さんは善神様に愛されるように毎日善行を積むのですよ。」
「「はーい!」」
子供たちは皆、無邪気に返事を返しているが、牧師の言っている創世神話など信じていない子も多いだろう。だが、それでいいのだとヘルマン牧師は思っている。子供たちに最低限の知識を与えること、そして彼らが健やかに、そして真っ直ぐ育ってくれるように導くのが教師を務める自分の役割だ。ならば、子供たちが善行を進んで行うことを当然と考えられるように育ってくれればいい。単に多くの知識を詰め込まれた人間ではなく、積極的に良い行動をとる人間に育てること。それが彼の教育の目的なのだ。ヘルマンは教育者としては優秀だったが、宣教師の才能は皆無だった。
「すいませーん。ヘルマン先生。薪、持ってきましたよっと。」
授業中だとは知らなかったのだろう。一人の青年がズカズカと教会に入ってきた。青年の容姿は西大陸では珍しい黒髪に、三白眼の大男だ。精悍な顔立ちであるにも関わらず、その目つきの悪さのせいで悪人に見られてしまう何とも損な造形をしている。彼の名前はケント・シュヴァルツ。村はずれの丘の上で一人暮らしながら狩人兼木こりとして生計を立てている。
「あ!ケントだ!」
「ケント兄ちゃん、遊ぼうよ!」
子供たちがケントの闖入に気付いた瞬間、ヘルマンは顔をしかめて額に手を当て、ケントは申し訳なさそうな顔をした。ケントは自分でもわからないが、大人には恐れられるにもかかわらず子供によく懐かれる。彼が入ってきたせいで授業は進まなくなることは明白だ。
「おいおい!お前ら!ヘルマン先生の有り難いお話を聞け!じゃないと怒られるぞ?」
「「え~?」」
多くの子供たちが不満そうな眼をこちらに向けている。せっかく遊んでもらえると思ったのに、お預けを食らったのだからしょうがないだろう。一方で、先ほどまで頭を抱えていたはずのヘルマンがやけに優しい笑みをこちらに投げかけている。嫌な予感がしたケントは、子供たちを振り切って退散しようとしたが、ヘルマンが機先を制した。
「ケント。なんなら君も授業に参加していきなさい。狩人の仕事に学はいらないと言っていたけれど、子供たちよりも物の道理がわからないというのでは困るだろう?」
「先生!こいつらと比べてもらっちゃ困るぞ!?そこまで落ちぶれてねぇよ!」
とっさに言い返したこの言葉をこそ、ヘルマンは待っていたのだ。
「ふむ。ならば今日の授業は君にも手伝ってもらうよ、ケント。さあ皆。今日はケントも勉強を教えてくれるよ。」
「ちょ…!」
「「わーい!」」
ヘルマンの一言で断ることのできない雰囲気になってしまったケントは、渋々授業に付き合うことになった。
「じゃあ次の授業は魔法についてだね。昨日の復習をしようか。まず、魔法とは何かをケントに説明してもらおうか。」
ヘルマンの逆サイドに教師として座らされていたケントは、一度咳払いをしてから立ち上がる。そして子供にもわかる言葉を選びながら説明を始めた。
「あー、魔法ってのは体の中にある魔力を使って起こすもんだ。お前たちの中にももう使える奴らもいるだろ?大体十歳くらいから使えるようになるな。
んで、普通に使える魔法は一人に付き一種類だ。そいつを『先天魔法』って言う。例えば風を起こすことができる奴は、風を起こすことしかできない。色々工夫はできるけどな。
…こんなもんでいいですか?」
「結構。では皆さん、質問はないかね?」
子供たちは先ほどとは異なり、我先にと手を挙げる。ケントは最前列に座っているこの中でも最年少と思われる少年を指さした。
「じゃあ、魔術師様がいろんな魔法を使えるのはなんで?」
魔法は身近なもので当たり前に使えるものだが、普通は一種類しか使えない。だが、現に世の中には『魔術師』と呼ばれる職業がある。彼らは何種類もの魔法を自在に操ることができるのだ。それは先ほどのケントによる解説とは正反対と言えるだろう。
「どう説明したもんかね。ええと、魔法ってのは料理みたいなもんなんだってさ。俺達みたいな普通の人は一種類のレシピしか持ってない。けど、魔術師ってのは他のレシピを知ってるんだ。
じゃあ、レシピさえ知ってりゃ俺達でも魔術師になれるのかって話になるけど、魔法はそんな単純な技能じゃない。知り合いの魔術師にそのレシピ…魔導式って奴を見せてもらったことがある。何が書いてあるのか全く分からんぞ、あれは。書いてある文字自体が俺達が普段使ってるものと違うんだからな。
だから、どうしても魔術師になりたいんだったら死ぬ気で勉強しろよ?」
「うわあ。僕には無理だなぁ。」
質問した少年が心の底からの落胆して肩を落としている様子が何とも愛らしく、その日の授業は笑い声と共に終わりを告げた。