#3 平凡の定義
「白石さん。別に気にすることないよ。文化祭まで十分時間は有るからさ!何なら、俺、練習に付き合っても良いし」
推薦して事を気にしているのか、責任を感じているのか?優しい意言葉を掛けてくる。でも、やはり歩の配役は間違ってないとそう思っているらしい。
「良いよ。何とか頑張ってみるから……」
学校の校門前で歩が出てくるのを待っていたのか、岡部がひょこっと顔を覗かせてそう言ったのを歩は撥ね退けた。別に恨んでいるわけではないが、付きまとわれるのは面倒だ。
そう感じたからである。
「そう?でももし練習相手が必要だったら気軽に言ってくれよな?俺、付き合うから!」
岡部は拒否されたにもかかわらず、相変わらず笑顔で言い添えてその場を去った。その笑顔が余りに無邪気だったため、歩は戸惑った。何でそこまで自分に好意的でいられるのか謎だったから……でも、安心できない。ただ歩は何事もなく文化祭が終わることだけを願っていた。
その夜、歩は台本を片手に台詞を何度も繰り返して読み上げた。しかし、トチることはなくなっても、どうしてもこの役に心を許すことは出来ず感情が篭らないまま落ち込んでいた。
そんな時、母親が歩の部屋に訪れたのである。
「何やってるの?」
不思議そうに問いかけられて、歩は黙り込んだが、台本をただ差し出しただけだった。
「シンデレラ?……あら、もしかして主役演じることになったの?」
驚きの表情で問いかけられ、歩は首を縦に振って肯定した。
「そう……出来そうなの?」
その言葉に、
「仕方ないよ。決まったものは……」
「仕方ないで役を引き受けるなんて……出来ないなら早々に断るべきよ」
「断るタイミングが無かったのよ……でも、やるからにはちゃんとやりたいって思ってる」
言われなくても分かってると言いたいのだ。
「そう……なら良いわ。頑張りなさい。文化祭よね?ちゃんと見に行ってあげるから……」
母は、それだけ言うと、歩の部屋を出て階段を下りていった。
何だろう?珍しいこともあるもんだとそう思った。歩野性格は知り尽くしているだろうに、珍しく見に来るなんて言っている。未だかつてこんなことは無かった。
途中邪魔は入ったが、夜更け迄練習を繰り返したのである。
「おはよう、白石さん!」
朝からテンションが高い岡部の声に、歩はゲッソリした表情で机の前に座っている岡部に軽く会釈した。
「台詞は覚えたわよ……もうトチったりだけはしないわ」
「昨日だけで覚えたの?さすが見込んだだけのことはあるね!」
岡部は歩の心を知らずに笑っている。何とかこの能天気な笑顔をやめてもらえないだろうか?と思ったが口には出さなかった。
「また放課後練習するよ。あ、そうそうシンデレラが魔法使いに魔法を掛けられての早代わりはドライアイスが噴き出しているその間にすることになったから、その練習も頑張らないとね?」
演出の希望でそう言う事になったらしい事をこと細かく話して聞かせてくる。
「そう。分かったわ」
興味なさ気に一言返事する。それを合図にしてチャイムが鳴った。そして、いつもの授業が始まるのであった。
授業中眠くて仕方が無かった。しかし、ここで眠ってしまってはいつもう一人の私が呼び覚まされるか分からない。そう考えると怖くて眠たい目を擦りながら黒板を眺める。先生の声と黒板に書き込まれる音が反響している。それだけを頼りに歩は授業を受け続けていた。
その日の放課後からの劇の猛特訓や、綿密な打ち合わせは歩にとってハードな日々へと変わっていく。特に小道具や衣装が出来た頃にはその着替えや早代わりまでも事細かく行われるようになっていったのである。
そんな中、歩自身も、クラス全体が纏まりつつあるのを見届けるにあたり、自分の考えを少しずつだが改めるようになって、演技にも熱が篭るようになっていた。こうなってくると、今では主役を歩が演じることに反対する者も居なくなり、岡部の自慢げな発言の中、同等の立場で役を演じる仲間としてみんなを認めるようになっていた。
「あのさ、もっとシンデレラを可哀相に見せるにはこうしたほうが良いんじゃないかな?その方が観客の心を惹き付けられるし?」
次から次へと湧き出てくる案や発言。その中に組み込まれ自ら良いと思ったことをアレンジしつつ役作りは進む。それがいつの間にか楽しくなっている自分に気が付いた頃には、
『ごく平凡な学生生活を心がける』と言う事を忘れきっていた。というより、平凡がどういったものなのかの基準が見えなくなっていたのかも知れないなと歩は思ったのである。