3. 『私を助けて』
この世界は魔王はいるけど勇者と呼べるものはいない。
だからなのか超人的な力を有する魔王の統べる魔族の侵攻に、人類は段々と領地を侵されていっていた。事実デモニールが面しているフィアランドの最西端は、その侵攻により荒れ地と化している。
さらに魔族は徐々に力を増しているようで、このままでは為す術なく領地を占領されていくばっかりで、帝国の騎士内でも、ギルドの冒険者内でも、魔族に対抗するための人材育成に力を入れている。
最近ではグランスウォールの開拓に力を入れ、そこを新たな拠点にしてはどうかという議論も帝国の貴族内で広がっている。
確かにあそこはフィアランドとデモニールの北に位置し、容易に侵入出来ないという点からして防衛することにおいてはこれ以上ないほどに理想的な立地だ。
調査隊は連絡が途絶えたなど、凄腕の冒険者も帰ってこないなどの不吉な噂はあるが、本格的な調査に乗り出すのもありなのではないか。
そう、以前の私は思っていた。
この地に来て、ここグランスウォールの本当の恐ろしさを目の当たりにするまでは……。
◆ ◆ ◆
ギルド長よりグランスウォール遠征の許可を得た私は、早速それなりに丈夫な船を購入してその外壁のすぐ傍まで来ていた。
同行人はいない。
元々許可を得れたのは私だけだし、態々こんな危険に付き合うようなモノ好きもいないから当然だろう。
けど、慣れない船の運転は疲れた。
海に住む魔物も襲撃してくるから何度も操縦室と甲板を行き来するし、結果丈夫な船を選んだつもりでももうボロボロだ。
非戦闘員である運転手を守るためではあるんだろうけど、操縦機は屋外につけてほしかった……。操縦に魔物撃退で非常に面倒くさかった。
「まぁそれはそれとして、近くで見るとやっぱり高いなー……」
雲を突き抜けるほどの高さの外壁を見て、私は思わずげんなりとする。今からこの外壁を登らないといけないのだ。それだけでも憂鬱な気分になる。
グランスウォール……その周りは果てしなく高い外壁に包まれており、海岸や浜辺などはなく普通は上陸するのも困難な大陸だ。
侵入するには魔力で動き、遥か上空へも航空出来るよう特別な加工をした飛空船のみであり、逆に言えばそこまでしないと侵入することさえ出来ない自然の要塞だった。
「これは誰もこの大陸を調べようなんて思わないはずだわ」
試しに壁に向かって魔法を叩き込んでみたがかなり硬く、傷一つもつけられない。これはきっと何百人も集まって放つ戦略的魔法でも壊せないのではないだろうか?
そうなると本当にこの果てしなく高い壁を乗り越えるしか大陸に侵入する手段はなく、飛空船を買うほどのお金もコネもない私は自力でこの壁を登らなければいけない。
まぁそのために創った魔法だし仕方がないんだろうけど、この高さを登るのは多少どころか物凄く面倒。
それでも行くしかない私は新しく作り出した空中を飛ぶことの出来るオリジナル魔法を使って、全力で高い壁を登り始める。
流石に船ごと浮遊させるほどの無茶は出来ないので、帰りは船なしかぁと心の奥底で愚痴をこぼしながら。
登り始めて約1時間。……元居た世界でいう自動車並みのスピードで進んだというのにこの時間。正直予想以上に壁は高かった。
途中酸欠で空中だというのに倒れそうになったが、何とか加圧に耐えられる障壁を張って酸素を同じく魔法で供給させることで難を逃れる。
こんな高さまで一気に登ったことがなかったからすっかり忘れてたけど、酸素が薄くなるんだった。以後気を付けよう。
そんな理由から私は魔力の浪費を抑えるためにも、外壁の上から速攻で島の内部へと一気に侵入した。
その時、三つほど疑問に思ったことがある。
一つは外壁がとてつもなく分厚かったこと。最低でも100mはあるほどの厚さで、外壁を壊すという手段はまず無理だと判断した。
二つ目……これが一番の疑問だったけれど、外壁の天辺がまるで誰かの手で作られたように真ッ平らだったこと。とても自然的に出来たように見えなかった。
そして三つ目、外壁から飛び降りて落下している最中に不思議なものを見た。魔力で強化した視界でもうっすらと見える程度だったけど、現在進行形で燃え広がる火の森と、その隣には雪積もる氷山。
色味としては赤と白でめでたいけれど、その中に映る魔物のような影に、私は一抹の不安を感じていた。
◆ ◆ ◆
後にして思えば、この時すぐさま引き返せば良かったのだけど、慢心していた私は不安を押しのけてその地に降り立つ。
島への侵入に成功した私を待っていたのは鬱蒼と茂る森林。日の光も差し込まず、薄暗くて道も完備されていない獣道だった。
「人の手が入らないとここまで大きくなるんだ……木って」
前世の記憶を含めてもこれまでの人生の中で初めて見る壮大な景色に私は開いた口が塞がらない。
時間的にはちょうど昼頃で太陽は真上にあるというのに、上空は立派過ぎるほどに育った大樹の枝に阻まれて陽光は全く届かず、まるで夜のような暗さに包まれていた。
そんな不思議な光景を前に、私は先ほど感じた不安をすっかり忘れて、木のほかにも自分の身長ぐらいの大きさもある木の実やキノコを見て意気揚々と森の中を探索していた。
そうして森を歩いていると、私はこの大陸に来て初めて自分以外の生物と対面する。
「あ、あれってドングリスかな?」
いつもドングリばっかり食べていることからその名前がつき、前世で知るリスと大差なくこの世界でも愛玩動物として定評のあるドングリス。
そのドングリスは今、大樹を背もたれにして大好物のドングリを一生懸命に忙しなく食している。
何もかもが巨大なこの森でドングリだけは通常サイズなのかと少し疑問を感じるが、見知っている動物を見つけて安心した私は、その愛くるしさに自然に笑みがこぼれる。
しかし、次に見たのは信じられない光景だった。
ドビュンッ!!
「え……?」
あまりの可愛らしいしぐさに警戒を緩めて近づこうとした私に、ドングリスは食べていたドングリを投げつける。
それはまさに「それ以上近づくな」とでも言うように私の足元へと放たれた。
だけどそれ以上に驚くべきことは、そのドングリが投げつけられたであろうその場所に、黒く焦げた跡と煙が立ち上っていることだ。
一体どれほどの威力で投げればこんなことが可能なのだろうか?
「(え……? ドングリスってこんな凶暴な動物だったっけ?)」
ドングリの落下地点を見て思わず私は固まってしまう。
ハッとして再びドングリスの居た方向を見送ると、そこに先ほどのドングリスの姿は既にない。
『グルルルル……』
代わりにあったのは、漆黒の身体に大きな翼を生やし、赤よりも鮮やかな紅い瞳でこちらを見る巨大なドラゴンの姿だった。
「っ……!!」
思いもよらない存在の出現に、私は慌てて戦闘態勢に入る。
ドラゴンというのは子供でもない限り、最低でも魔物ランクB以上には入る強力な魔物。何度もドラゴンを討伐したことのある私だけど、なおも油断ならない相手だ。
「(黒いドラゴン……何だか強そうなイメージだけど、瞳の色からして炎属性?)」
魔物の見た目は魔物の戦い方、属性によってそれぞれ特徴が出る。
特にドラゴンのように魔力を有する魔物は肌の色だったり目の色だったりで属性が分かりやすい。
だけど初めて戦う黒いドラゴンを前に、私は目の前の敵に対する戦い方を頭の中で一気に展開する。
「(とにかく弱点を調べよう。雷撃は効くかな……?)」
バチチチィィ!!
指先から閃光が迸る。
それは一瞬、力を溜めるように私の周りを帯電した後に、再び私の手元へと集束した。
「"煌く雷光"!!」
ランクで表せばCランク相当の魔法だけど、魔法式の出力部分を弄って威力だけでいえばBランクに匹敵するオリジナルの雷撃魔法。
もちろんこれでもドラゴン相手にはあまり効き目は見込めないけれど、魔力の集結しやすい眼に当てればドラゴンであろうと大抵怯む。弱点属性だったらそれはより顕著に表れる。
この魔法の良いところは、溜めるまでに一瞬のラグタイムはあるものの、それが終われば文字通り雷と同じ速さで撃ち出すことが出来るため防がれにくい点だ。
『ガアァァァ!!!』
バチンッ!!……
だがそんな希望もドラゴンの咆哮によって打ち消された雷光のように、儚く崩れ去った……。
「な……!?」
別に雷光が打ち消されたことはまだ予想の範囲内だ。また新しく、今度は複数展開するか打ち消す間もないくらいに連続で撃ち出すか対策を練ればいい。
しかしそれ以上に私は絶望的な光景を前にして、既に戦う意思を失っていた。
「こんなの…勝てるわけない……。何よ、そのでたらめな魔力は……」
魔力が見えるからこそ分かってしまう決定的な実力差。
先ほどの咆哮で放たれたドラゴンの魔力の前では、私の魔力なんてとてもちっぽけな存在だった。
『グルルルル……』
ドラゴンが唸る。
その瞬間、恐怖によって縛られていた私の意識は、同じ恐怖によって覚醒した。
――あれを喰らってはいけない……!!
そう直感した後、私はすぐさま身を翻し、現在使える中で最大の防御魔法を背後へといくつも展開しながらドラゴンから距離を取った。
その行動とドラゴンの口から炎が放たれるのと………私の身体が防御魔法ごと吹き飛ぶのはほぼ同時の出来事だった。
◇ ◇ ◇
「はぁ……はぁ……!!」
巨大な大木の陰に隠れて、私は辺りを徘徊する"存在"に意識を集中させる。
「(……近くに生き物の反応はない。だけどそう遠くない場所に反応が四つ……いや、一つになったか)」
私がこの大陸に来たのは確か昼頃だったか……あれから一体どれほどの時間が経ったのだろうか。空も窺えないこの場所では夜なのかさえ分からない。
だからといってこの大木を登り空を拝もうとすれば、一瞬であの世逝きだ。
この大陸に来てそれなりの時間を過ごしたと思う私は、ドラゴンの他にも常識外れの力を振るう魔物から何度も逃げ続け、身も心も既にボロボロだった。
「(はは……せめて外壁の方向が分かればなぁ。もう、泣きそう……)」
いや、もう泣いてるかも。
頬に微かに感じる血ではない感覚に、私はより一層惨めに思えてその感覚がなくなることはなかった。
あのドラゴンのブレスに吹き飛ばされた私は、周りにある木々の枝に体のあちこちを打ちながらも、生存本能が発する警報に従いながらがむしゃらに逃げている内に方向を見失ってしまった。
頭からは血を流し、手足は枝で擦った裂傷だらけ、それでも私は生きようと必死に出口である外壁を目指して歩く。
けど方角を見失った私に、それは意味のある行動なのだろうか?
もしかしたら逆方向に進んでおりどんどん大陸の中央部へと進んでいっているのではないか?
その時、外壁から地面に落ちる時に見えた光景を思い出す。
火山が噴火でもしたような燃え盛る大地、すべてが真っ白だった雪の氷山。きっとあそこにはここ以上の化け物がいっぱいいる。
そう考えたら私はガチガチと鳴り出す歯を抑えきれなかった。
ここはまだ優しい方なのだと思うと、進む足を止めてしまいそうになる。けどそれじゃどのみち、さっきみたいなドラゴンに殺されてしまう。
外の学者どもは大陸を囲む外壁の所為で調査が出来ないと愚痴をこぼしているけど、それは違う。
この外壁があるおかげで、ここにいる化け物を抑え込んでいるんだ。もしここにいる化け物たちがこの大陸の外にも餌があることに気付いたら……っ!!?
ガチガチガチガチっ
私は寒気のする想像に自らの腕で自分を抱きしめる。
今は駄目だ。今だけは。だから歯の震え、止まって!
そう落ち着かせるように何度も、何度も私は自分に言い続ける。だけど歯の震えは一向に収まる気配がなく、それがさらに私に焦燥感を与えて悪循環を生み出していた。
だから私は、目の前にいる存在に気付かなかった。
『キュイッ!!』
バシュッ!!
「え……?」
可愛らしい声、そして謎の違和感に私はようやく前方へと意識を移す。
そこにいたのはこの大陸に来て初めて会ったのと同個体かは分からないが、他の魔物よりも一際小さいドングリスだった。
「っ!!?」
次に襲ってきた激痛に視線を動かす。
下へと視線を向けてみると、煙が上がり血を噴き出している自分のお腹が映った。
油断した……そう思ったがもう遅い。
いつの間にかこちらも同個体か分からないけど、あの黒いドラゴンもすぐ傍まで来ていた。
頭の中で警鐘がうるさすぎるほどに鳴り響く。
腹部に負った怪我からして逃げ切るのも難しい。かといって倒すことなど万全の状態であっても出来ない。
咄嗟に私は、無意味であると思いつつも防御魔法を全力で展開する。
『ガアァァァ!!!』
吹き飛ばされる身体。案の定防御魔法は大して役に立たず、ドラゴンの吐き出した炎で体のあちこちが焼き付かされる。
大木に正面から衝突して吹き飛ばされた体はようやく止まるも、立ち上がる力ももうない。
呆然と足音を響かせて近寄ってくる"死"を前に、後悔だけが心を埋める。
――死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!!
けれど体は動かない。私は行方不明となった者と同じように、ここで死ぬんだ。
そう思うと留めても仕方ないといったように涙と嗚咽が溢れ出した。
だけどやっぱり死にたくない。私はやり直すって決めたのに……なのに!
目の前のドラゴンは今度こそ私を焼き尽くそうとまたその口を大きく開く。
その光景を前に私は必死に叫んでいた。
「いや、いやだ。死にたくない死にた、ぐない。誰か助けで、私を助けて」
私は惨めに叫び続ける。
これが最後の言葉になるかもしれない。だけど私は縋り付くように力を振り絞って叫んだ。
「誰か助けて!!」
その言葉が響き渡るのと、ドラゴンの口から炎が吐き出されるのはほぼ同時だった。
私の声に耳を劈く轟音に掻き消される。けれど私にその轟音の正体が襲い掛かることはなかった。
いつまでたっても来ない衝撃に、私は思わず瞑った目を恐る恐る開く。
「?!」
そこには予想していなかった光景が広がっていた。
辺りは案の定に焼け野原となっているが、私の居る所だけが無傷の大地が広がっているのだ。
そして何より先ほどまではいなかった存在が"一人"、私の視界に映る。
火に照らされた銀色の髪は見る者を映しそうなほどに輝いていて、一瞬振り返った時に見えた蒼い瞳は見た者の心を映し出すかのように透き通っていた。
そんな風に目の前に現れた少年を観察していると、ドラゴンは咆哮を放とうと息を吸い込んでいた。
「ダメ!! 逃げて!!」
咄嗟に私はそう叫ぶも間に合わず、既にドラゴンの咆哮は放たれていた。
想像を絶する威力を誇るドラゴンの咆哮…・しかしそれをチラリと見て少年は、まるで虫を払うかのように腕を軽く払う。
たったそれだけの行為。だというのに辺りを吹き飛ばす咆哮は、少年とその後ろにいる私を避けるように放たれた。
「な、なんで……?」
思わずそんな疑問が口からこぼれ出る。
あれほどの威力を放っていたドラゴンの咆哮がまるでそよ風だ。私は呆然とその光景を見ることしか出来なかった。
対してドラゴンの方は自分の咆哮が部分的にとはいえ掻き消されたことに怒り心頭だ。
羽を大きくばたつかせ、周りにある木々を力任せに薙ぎ払う。ドラゴンの足が力強く地面に叩きつけられるたびに、辺りには小さな地震が起こっていた。
だがそれも少年が小さく呟いた一言によって収まる。
「[…煩い]」
なんて言ったのかは分からない。前世含めても聞いたことのない言語だった。
けれどその意味は嫌でも理解した。言葉や頭ではなく、雰囲気や心によって。
きっとドラゴンも感じ取ったのだろう。……否、寧ろ人の言語を理解するほどの知能を持っていないから、その言葉の意味をより敏感に感じ取ったはずだ。
直接言われていない私でも喩えようのない恐怖が身体を支配する。ドラゴンに襲われた時とはまた違う、別の恐怖。
だけどドラゴンはまだ戦おうというのか、固まっていた身体を無理やり動かすように声を上げ、また咆哮を上げようとする。
それを見た少年は意を決したようにドラゴンを見据えて、再び一言だけ呟いた。
またなんて言ったのかは分からない。だけどそんなことを気にする余裕、私にはなかった。
その一言が放たれると同時に少年から放たれる悍ましいほどの魔力。それは優にあのドラゴンを超えている。
見るだけで恐怖すら与えるその魔力は、一瞬のうちにドラゴンを包み込み、何をしたのかは分からないけど、ドラゴンは咆哮を上げることもなく地面へと埋まっていく。
「[さてと……]」
信じられない光景に茫然としていると、少年は自分の方へと意識を向け、こちらへと近づいてくる。
そこでまた私はとんでもない光景を目の当たりにした。
「(魔力が……まったく無い?!)」
先ほどは恐怖すら感じるほどに禍々しい魔力が全く視えなかった。
魔力はあるはずなのに視ることが出来ない……今までそんなことはなかった。未知の感覚を前に私は警戒を露わにする。
でも、あのドラゴンを一瞬で屠った相手だ。何をしたのかすらも分からなかった。
格が違いすぎる。きっと私が何をしても結果は変わらない。
次第に抵抗するのも馬鹿らしくなってきた。
相手の少年はどうも私を害する気はないようだし、それなら態々私の方から敵対意識を持つ必要もない。
あぁ、気が抜けたら一気に眠くなってきたなぁ。
お腹の感覚ももうとっくになくなってるし……血を、流しすぎたかな。人ってどんくらい血を流したら死ぬんだっけ?
ボーっとした意識の中そんなことを考えてると、少年が私のお腹辺りに手をかざし始めた。そして感じる先ほどは視れなかった魔力。
それは私の身体を包んでいき、私は突如感じ始めたお腹の痛みに意識を覚醒させる。
「っ……!?」
覚醒した意識は治癒していくお腹へと向けられ、それと同時にまた、信じられない光景を目の当たりにする。
みるみる塞がっていく傷口。そしてそれだけじゃなく、私が着ていた服の傷までもが"元通り"に戻っていくのだ。破けた服まで元に戻す魔法なんて見たことも聞いたこともない。
さらに言えば先ほどドラゴンを倒した時も思ったけど、彼の魔法は魔力が視えるのに魔法式がまったく視えない。
魔法は魔法式に基づいて顕現される現象。……それを彼の魔法は根源から覆している。
こんなところにいることといい、一体彼は何者なのか?
「あ、ありがとう」
とりあえずは私の命は彼に握られていると言っていい。機嫌を損ねない為にも、恐らく言葉は通じないだろうが治療をしてくれたことに対するお礼の言葉を上げた。
しかし彼は言葉の意味が分かっているのか微笑みを返してきた。……と思ったら何やら私の顔を見ながら百面相をし始めた。
何やら思案顔を作ったかと思えば困った表情に変わり、何やら難しい顔を作ったかと思えば今度は申し訳なさそうな表情をこちらに向けてくる。
そして申し訳ない表情をしたままこちらへ手を向けて彼は言った。
「[と、いうわけで。ごめんね?]」
その言葉の意味は分からない。理解する暇さえなく、私の視界はいつの間にか天高く聳える外壁で埋め尽くされていた。
「…………え?」
何やらいろいろと思うところはあったが、それからはとにかくこの大陸から脱出することを最優先に行動した。
外壁を超えても海がある。
その海を超えるためにそこら辺にある有り余る木々でイカダを作る。
いつあの化け物たちが襲ってくるか分からない。出来るだけ早くイカダを作って、出来るだけ早くこの大陸から脱出するんだ。
イカダを完成させた私はイカダごと空中浮遊の魔法を使って浮かび上がる。
ここが一番危険な作業。決して下にいる化け物たちに気付かれないよう精一杯の速度で外壁を駆け上がった。
ようやく見えた空には眩しい太陽が地平線より顔を出していた。
夕日ではない。間違いなく朝日だ。そうなると私は一晩をこの化け物の大陸で過ごしたわけだ。
体はまだダルさを訴えていて、意識を保ってないと直ぐにでも倒れてしまいそうだが、外壁を超えてもまだ海超えが残っている。
私に安息の時間はまだ訪れそうになかった。
◇ ◇ ◇
その日の深夜。
私は体力も魔力もスカスカ。道すがらにいた魔物ともまともに戦えず傷だらけで満身創痍な体で生まれ故郷へと帰ってきた。
そう。帰ってきたんだ。
借金をしてでも両親のために買った小さな一軒家のドアを叩く。
間髪入れずにドアが開いて、今にも泣きそう……いや、今現在泣いている両親がボロボロの私を見て抱き付いて私の帰宅を祝ってくれた。
その後はもう大変だった。
両親からはもう何年ぶりになるか分からないほどのお怒りで、泥のように眠っていた私が起きてまずしたことは、両親により怒りの説教だった。
まだ本調子ではない体のダルさに引きずられつつも、私は甘んじてその説教を受ける。
それほどの心配をかけたんだ。説教を受けえるくらいはしてやらないとパパとママにかわいそうだもの。
その後ギルドへ行ってこれまたそれなりに親しかった受付嬢からのお説教。それもほどほどにしてギルド長への報告を行った。
それからはまだ若いからと後伸ばしにされた弟子育成をギルド長より命じられる。
Aランクになった冒険者には最低一人、弟子の育成が義務付けられるのだ。
それは冒険者としての質を上げるためであり、Aランク冒険者は弟子を一人前にすることで報奨金も渡される。ギルドも有望な冒険者が生まれ互いに利を被るというわけだ。
私の場合まだ十五歳という前例に無い若さでのAランク入りだったため、せめて大人になってからだと言われていたのだが今回の無茶でそれを取消された。
というのも弟子を受け持った冒険者は弟子の育成を第一に考えるように申し付けられるので、急ぎでの指定依頼でもない限り高ランクの依頼を受けられなくなるのだ。
つまりは"しばらく養生していろ"というギルド長からの御達しである。
私も昨日の今日でとても無茶をする気にはなれず、素直にその指示に従って、適当な弟子を見繕い、しばらくは弟子とのコンビで依頼を受ける。
そんな日々を過ごしていたが、それから一年。
私は再びあの化け物だらけの大陸で遭遇した少年と、再会した。