3
それは、昼過ぎのことだった。
いつものように、一番安い麦酒をちびちびと舐めながら、店の隅でぼんやり過ごしていた俺の視界に場違いな人影が映り込んだ。
この「ドラゴンモドキの泊まり木」は、精一杯好意的に言って、ボンクラどものたまり場だ。安さと量が売りのマッシュポテトと水を混ぜた薄い安酒を求めて、その日暮らしのボンクラどもがやってくる。
ボンクラどものことを「冒険者」と呼ぶやつらもいるが、賭けてもいいが、あいつらの腰に差した肉切り包丁は錆びついて抜けなくなっちまっている。他の人にはできない依頼をこなしたり、人に仇なす怪物を討伐したり、戦争に傭兵として参加したり、未踏のダンジョンへ財宝と名誉を求めるのが冒険者の仕事なのだが、こいつらときたら商隊の馬車で寝転がるだけの楽な護衛仕事ばかりやるような、ボンクラなのだ。
そして、そんなボンクラの一人が、ワントー・カズマこと、俺というわけだが。
酒場の扉がぎぃと音を立てて開いた。
入ってきたのは、ワンピース型の服を着た、痩せて小さい女の子だ。つまりは幼女だ。
気がついたボンクラどもは、興味深げに、そして無遠慮にその幼女のことをジロジロみている。幼女は不安そうに俺たちボンクラの顔を伺いながら、小走りにカウンターに立つハンナの元へ向かった。
「なんだいお嬢ちゃん、飲み物が欲しいのかい?」
「それならここよりも、向かいのジェントルマン・ジョンの店のほうがいいや」
「ちげぇねえ」
ぎゃははと笑い声が起きた。
「ウルサイよあんたら! うちの店が嫌ならとっと出て行っておくれ!」
「冗談だよハンナ、愛してるぜかーちゃん」
「だれがかーちゃんだ!」
幼女はすっかり怯えてプルプルと震えている。見ていられないな。俺は立ち上がった。
「ドラゴンモドキの泊まり木へようこそお嬢ちゃん」
俺は左手を幼女の目の前にかざした。
「?」
首を傾げた幼女に笑いかけると、俺はグッと左の拳を握りこみ、薬指の内側に収納されていた、小さな琥珀色のべっこう飴を取り出し、幼女に渡した。
「どうぞ」
「わあ!」
うん、怯えていた表情も柔らかくなった。
「なんだ、お前、そっちもいけるのか」
今呟いたやつは、あとでぶん殴ろう。
「あの! ここに強い人がいるって聞いたんです」
「強い人?」
幼女のことはハンナに任せて俺は近くのテーブルに座り、二人の会話を眺めていた。
「はい、お願いしたいことがあって。あの! お金も持ってきたんです」
そう言うと幼女はポケットからジャラジャラと一掴みの銀貨をカウンターに置いた。
「三十四枚ね……」
荷物運びを一日続けて銀貨二十枚程度だ。簡単な仕事なら三十四枚でも人を雇えると思うが……。
「どんなことを頼みたいの?」
「あの! あたし、東の村に住んでいるんです」
東の村というとヤズラ山の麓の村か。商隊のルートの途中で結構栄えていたはずだ。
「そこに、すごく強い盗賊たちがやってきて、たくさん人を殺して、自分がこの村で一番えらい人だって言い出したんです」
「村に駐屯している兵士たちはどうしたの?」
「みんな殺されました」
冒険者どもが息を呑んだ。とても銀貨三十四枚の仕事ではない。こちらも徒党を組んで戦うべき、大仕事だ。
「それで……昨日、お姉ちゃんがやつらに連れて行かれたの」
「……お父さんとお母さんは?」
「殺された……」
幼女は辛そうにそう言った。
「こ、このお金は、お母さんが残してくれた形見の髪飾りを売ったものなんです……あの! どうかこれでお姉ちゃんを助けて下さい!」
「形見の髪飾りで三十四枚か……」
おそらく悪どい商人に騙されたのだろう、本来なら三百枚くらいにはなったはずだ。しかしどのみち三百枚でも相場からすれば到底受けられない危険な仕事だ。
「…………」
冒険者どもは、ボンクラだが悪人ではない。皆、気の毒そうに幼女のことを見ていた。だがそれでも、この幼女のことを心から案じている彼らにとっても、これは到底受けられない危険な仕事だった。
「……そうだね、張り紙を書くよ、他の酒場にも伝えておくから、お嬢ちゃんはここで少し休んでいきな」
「ありがとうございます、でもダメなんです。すぐに村に戻らないと。弟が待っているんです」
「盗賊のいる村に戻るのかい? 弟も連れてくれば良かったじゃないか」
「……その……故郷なんです」
ハンナは困ったように俺を見た。だが、助けてやってくれとは言わない。ハンナは小さい頃から冒険者を見てきたが、それでもハンナは酒場の主人であり冒険者ではないのだ。自分の判断より俺たちの判断の方が優先であることをよくわきまえている。
だからハンナは俺の方に視線を向けることしかしない。
「その盗賊ってのはどんなやつらだ」
そう尋ねた俺に、幼女は一生懸命に拙い言葉で自分の知っていることを伝えようと喋った。依頼人の情報を正しく引き出すのも冒険者の仕事だ。
「あ、あの! あと盗賊の一番偉い人は、異能者なんです」
幼女が最後に言った言葉は、俺にこの依頼を受けさせる十分な理由になっていた。
異能者。異能を持つ者。つまりは十年前にこの世界につれてこられた俺達の事だ。
例えば、もし銃や大砲や科学を持った人間が、弓や槍や信仰しか持たない世界にやってきたらどうするか?
中には平和的に暮らすとか、世界の技術を引き上げるとかいうやつもいるかもしれない。だけど、銃や大砲や科学で脅し、赤子の手をひねって好き放題するやつもきっといるだろう。
俺のかつてのクラスメイトは、そういう生き方を選んだ奴も、少なからずいたのだった。
「分かった、俺が引き受ける。やるだけやってみよう」
俺は腰のガンベルトに俺の世界の水準からすると骨董品な、この世界の水準からすると未来的なリボルバー拳銃を差し込んだ。
金属の薬莢を使わない、弾丸、火薬、雷管を入れ、蝋でフタをするパーカッション式と呼ばれる拳銃だ。
「銃ですか?」
幼女は不思議そうに言った。たしかにこの世界では飛ぶ斬撃を使える剣士も珍しくないし、強力な魔法だってある。銃では弓の装填速度には叶わないし、魔力だか気だかを込めて、岩をも砕く矢を放つやつもいる。
「俺は無能でね、こういう武器しか扱えないんだ」
俺がそう言うと、幼女は不安そうな顔をした。
「それじゃあハンナ、行ってくる」
「気をつけて、ツケ払うまで死ぬんじゃないよ」
「そうだな、借金は返さないとな」
俺は笑うと、幼女と一緒に馬に乗り、村を目指して東へと進んだ。