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あれから十年が経った。
そう十年だ。俺ももう二十六歳、泡の出る麦茶を飲み、昼間から飲んだくれているダメ人間へと成長してしまった。
魔王は無事に……というほど無事ではなく、何人もの犠牲者が出たが、それでも倒された。
ではなぜ俺はこの世界、リクスガルドにいるのか?
魔王は強大だった。倒すのには長い時間がかかった。能力を得たといっても高校生数十人。世界の半分以上を支配していた、神に等しい大魔王を倒すのは容易なことではなかった。
すべてが終わった時のが二年前。俺たちは八年の間、世界中どころか惑星間や異次元すら飛び回った。
八年。それは決して短い時間ではない。皆、この世界に強い繋がりを持つのに十分な時間が流れたのだ。
結局、元の世界に戻り、あの事故から奇跡の生還を果たしたのは一人だけだった。他はこの世界で結婚どころか子供を産んだり、領主になったり、異次元で天使や悪魔と暮らしたり、月に都市を築いたりしている。
俺は……。
「カズマ!」
酒場の亭主が俺を蹴飛ばした。酔っ払っていた俺は椅子から転げ落ちて、強かに頭をぶつけた。
「何しやがる!」
「もう店じまいだよ! あたしゃ眠いんだ! とっとと出て行っておくれ!」
「なんだよ、俺は客だぞ」
「一番安いビールをちびちび舐めるようにしか飲まない癖に、偉そうなこと言うじゃ無いよ!」
「ったく……わーったよ、出てきゃいいんだろ出てきゃ」
俺はフラフラと立ち上がって出口へと向かう。ぐるぐると視界がまわり、強い衝撃が再び頭を襲った。
「あーもう!」
亭主は唸り声をあげた。俺は目の前に仁王立ちする亭主を見上げながら、頬から伝わるザラザラとした床の感触を感じていた。
「今日もあたしのベッドを使うつもりかい! このロクでなし!」
俺は辺境のブケクロという町で暮らしていた。定職にも就かず、その日その日をなんとか生きている。もっぱらこの「ドラゴンモドキの泊まり木」という、場末の酒場で飲んだくれている。
どこで人生を間違ったのか……今日も俺は亭主のハンナのベッドで一夜を明かすのだった。
「ほら、さっさと起きて仕度手伝っておくれよ」
チュンチュンと小鳥が鳴く気持ちのよい朝だった。だが俺はいつもの二日酔いでワンワンと泣く頭を抑えながら起き上がる酷い朝になる。いつものことだ。
「俺は客だぞ」
「宿代くらいは働いてもバチはあたらないだろう!」
「うぅ、あんまり大きな声出さないでくれ、頭に響く」
「はぁ……顔でも洗ってきな、ついでに井戸から水を汲んできておくれ」
「りょーかい」
酒場から町共有の井戸までは歩いて五分くらいの距離がある。蛇口をひねれば水がでた現代世界が懐かしい。
俺は滑車と桶が設置されている井戸の側まで歩いた。すでに井戸には何人かの人々が水を汲んでいたところだった。
「ようカズマ、今日もハンナと寝たのか、あんな年増とよく寝れるな」
「うるせえロリコン、俺の価値観では二十九歳は余裕でいけるんだよ」
下卑た笑い声が響いた。どこの家でも男は背中を蹴飛ばされて水汲みに行くのが朝の仕事のようだ。ここにいる男どもは、やいのやいのと俺をはやし立てた。
この世界にはポンプなんてものはない、ロープを引っ張り、井戸の中にある水を桶で汲み出さなくてはいけない。
必要な量まで溜めるのはちょっとした重労働だ。自分の番が来るまでには、携帯電話会社の受付並に待たされることになる。暇つぶしの話題は、皆大歓迎なのだ。
ようやく俺の番が回ってきた。俺は、太もものあたりをつねって引っ張る。太ももの一部が引き出しのようにスライドし、中の四次元空間に収納されていた水瓶を十ほど取り出した。
「羨ましいなぁ」
男どもは重い水瓶を持って何往復かしなくてはいけない。俺の能力は水汲みにうってつけなのだった。
最初に一杯は顔を洗い、アルコールでボロボロになった喉を潤すのに使う。最悪だった状況が、ほぼ最悪程度にはマシになった。続けて俺は水瓶に水を入れ、また太ももの中に収納する。
「んじゃ、俺は戻るわ」
「おう、ついでに俺の水も運んでくれていいんだぜ?」
「やなこった」
滑車のカラカラという音を背中で聞きながら、俺は朝の日差しに目を細め、ハンナの元へと戻っていった。
次はジャガイモの皮むきだ。料理はハンナがするが、下ごしらえくらいは俺も手伝える。手を動かしていると、脳みそをかき混ぜていた二日酔い物質が少しづつ消えていくような気がする。
俺の朝は、いつもこんな感じでだらだらと過ごしていた。