花葬屋・花壱
花。
世界を彩る植物。
今、この世界で“花”と呼ばれるものは少なくなってしまった。生まれてから花を見ないうちに死んでしまったという事もザラではない。
それだけ、花は貴重なものなのだ。
だからこそ、人は花を求め、見たいと思ってしまう。あの美しく懸命に咲き、絵の具の様に世界に色を与える、花を。
そして、この世界にはそんな人の願いを叶える事が出来る者がいた。
『花壱。あなたの力は優しくて綺麗よ』
自分の命が尽きかかっているのをこの人は知っている。
『この力を善い事に使うのですよ』
そして、僕の右手からそっと、手袋を外していく。
その掌を自分の頬に寄せていく。
やめて。
『花壱。残り少ないこの命。あなたの為に咲きたいの』
止めて欲しかったのに、手に力が入らなかった。握っている手首からその人の熱が伝わってくるからだ。止めて欲しいのに、止めてしまったら、きっと悲しむと思った。
そして、僕の掌は、肌の温もりを感じた。
『花壱』
その温もりが、あったはずの人の温かさが、だんだんに無くなっていく。
無くなってしまう、そう思った最期の瞬間。その人は優しく、温かく、美しく、笑っていた。
『――母さん!!』
残されたのは僕と、真っ白いベッドの上に、晴れ渡った時の空の様な青い勿忘草一輪だけだった。
花壱は重い瞼を開けた。太陽が燦々と輝き、寝ていた花壱にはその日差しがあまりにも眩しすぎた。木の根に寄りかかり、木陰だったその場所で腰を据えて休息をとっていたのだが、日が昇るにつれて、陰ではなくなっていた。
花壱は陰を求めて移動し、まだ半分寝ぼけている目で遠くを見つめた。
――ワスレナグサ。
花言葉……真実の恋、真実の愛、そして――
「『私を忘れないで』、か……」
心配しなくても忘れる気なんてさらさらなかったし、そもそも忘れられるわけない、と心の中でちょっと反抗してみる花壱。
そして、己の掌を見つめる。
その、両の手にはしっかりと白い手袋がはめられていた。
そろそろ目が覚めて来たので立ち上がった。
服についていた、土などをさっと落として日の当たる場所へと歩みを進めた。
だが、しばらく歩いてから気がついたのだが、どうにも体に力が入らない。そういえば、ここ3日間何も食べてなかったと、花壱はぼうっとした頭で考えた。さすがに、3日間何も食べないでいるのは応えると実感した。
後悔しつつ、何か食べ物はないかとフラフラしながら辺りを見ると、目に映ったのは太陽の光を受け、さらに赤く輝くトマトだった。トマトは無数にあり、赤く熟れた実が眩しい。ひとつひとつが大きく、立派に育っていた。
目の前に現れたトマトの楽園に、花壱の空腹はさらに加速する。
花壱は宝石を見つけた冒険者の様にその宝に駆け寄り、手にした。軽く拭いてから一口食べようと大きく口を開ける。
だが、花壱の体力は、トマトにかじりつく前に全て尽きてしまったのであった。
薄れゆく意識の中、手から零れ落ちるトマトから目が離せない。ああ、もう一歩だったのに、と悔しい気持ちが溢れてくる。
――駆け寄るものではなかった。
反省しながら花壱の意識はどこかへ飛んで行ってしまった。
「ねえ、じいちゃん」
「なんだい?」
「人が死んでる」
「……」
少女の言っている意味が分からなかった。そんな筈ないと思った。
しかし、少女が指さす方を恐る恐る見ると、そこには倒れている1人の青年の姿があった。
老人は瞬きをしたり、目を擦ったりしたが、その姿は一向に消えなかった。
そこでようやく、現実に起こっていることなのだと分かることができた。
その間に少女は青年に近づいていた。
大地の色の髪の毛に、その髪にも少し新緑の葉みたいな色も混ざっている。全身黒に包まれているが、首から下げている小さな麻袋が何となく不思議だった。
左右に揺らしてみる、が、反応が全くない。
「死んでますかー? 答えてくださーい」
「ハ、ハナ!?」
「じいちゃん、やっぱり、死んでるよ」
少女があまりにも自由すぎるため老人も慌ててその青年に近づいてみた。よく見ると、特に目立った外傷はなく、脈も息もあったので、ほっとする。
「死んではいないようだよ。でも、行き倒れか何かだろう、家に運ぶぞ」
「はーい」
そのまま、花壱は荷車に乗せられ、トマト畑の持主である老人の家へと運ばれるのであった。
本日2度目の目覚めは全く悪くなかった。
柔らかい布団の上で目が覚め、あの眩しい日差しも目をさしてこない。おまけに、いい香りが届いてくる。
起き上がって、様子を見ると木製の家にいるようで、どこかの村人にでも拾われたのだろうと思った。案外、運はあるようだと思う花壱だった。
少し体が軽いことに気がつき、見ると黒いコートは畳んで枕元に置いてあった。その上には麻袋もちゃんと置いてある。手袋がはめたままなのを確認し、安堵した。
「あ、起きてる」
戸の陰からひょっこり顔を出したのは10歳にも満たないと思われる少女だった。
かぼちゃ色の様な髪を2つに結んでいて、好奇心に満ちた黄色い瞳を持っていた。
少女は恐れることなく花壱にまっすぐ向かってきた。その、あまりの恐怖心のなさに花壱が臆してしまうほどだった。
「ここは、ハナのお家! 今ね、じいちゃんが昼ご飯作ってるよ! もしかして、旅人さん!? どうして倒れていたの? おなかすいてるの? ねえ、この村の前はどこに行っていたの?」
ポンポンと繰り出される質問に、疲労と空腹により起きていることだけでいっぱいいっぱいの花壱は全力で聞き流す事しかできなかった。そうでもしないとまた意識が飛んでしまいそうだ。
「これ、ハナ。さっきまで倒れていた人なのだから、無理をさせてはいけないよ」
ここで、家の奥から救世主が現れた。
老人の手にはいい香りを漂わせているものがあった。空っぽだった花壱の腹はその匂いに反応して低くうなった。
老人はその音を聞き、笑みを浮かべた。
「お食べなさいな」
目の前に差し出されたのは美味しそうな粥だった。白い、柔らかそうな米の上には先ほど見たトマトより大分小さいそれと似たものが乗っていた。小さきトマトも湯剥きがされ、白い粥に彩りを添えている。ネギも散らしてあって、白に赤に緑に……花壱は嬉しくなり、熱い事も予期せず、頬張った。
「熱くないの……?」
少女が言っているように、この粥は熱い。
しかし、腹を空かせた花壱にはもはやその熱など微々たるものだった。
「ご馳走様でした」
「いい食べっぷりじゃった」
生き返った花壱を見て嬉しそうに、老人は膳を下げた。
調子に乗っておかわりまでしたので花壱は満足だった。
「お兄さん、お名前何? あたしね、ハナ」
少女は花壱が元気になったのを見計らって話しかけてきた。食べている時は黙って見守っていたので、ずっと我慢していたのだろう。
「……僕は花壱」
「ハナイチ?」
名前を聞くとぱあっと顔を輝かせる、ハナ。
「おそろいだね!! ハナとハナイチ!」
花壱には何故そんなに喜んでいるのかいまいち理解する事が出来ない。
困惑していると、膳を下げた老人が戻ってきた。
そして、はしゃぐハナを座らせ、自分も布団の横に腰を下ろした。
「花壱くん、と言ったね。君は旅人かい?」
「……はい、似たようなものです」
「お若いのに偉い事だ」
「いえ」
「だが、無理はいかんな」
褒められたかと思いちょっと嬉しい感じがしていたが、その言葉でちょっと反省しなければと浮かれていた自分を責める。
「……すいません」
「いや、いい。だから、少しここに滞在しないかね?」
いきなりの老人の提案にポカンと阿呆な顔をしてしまう。
「あ、いや、それは……」
「もう少し落ち着いた方がいい」
それに、と老人はニヤリと裏がありそうな笑みを浮かべた。
その表情に鳥肌が立つ。何か、何か企んでいるに違いない。
「男手が欲しかったんじゃ」
がははは、と笑う老人に呆れつつも、1日3食、しかも、布団で寝る事が出来るとなれば働くくらいどうってことないだろう、と花壱は思う。
「では、お言葉に甘えて、お世話になります」
「わしはユウゼンだ。よろしく頼むぞ」
それから、花壱の居候農作生活は始まった。
ユウゼンの畑はトマトが大半を占めていて、今がまさに収穫時期だという。
大量のトマトを作り、それを売って生計を立てていると言ったところだ。
そのため、毎年ユウゼンとハナ2人だけで大量のトマトを収穫していた。老人と少女の2人だけでは毎年大変だろう……。
しかし、今年は思わぬところで花壱という働き手を見つけた。
若い男がいるのといないのとではだいぶ違って、楽でいい、とユウゼンは嬉しそうに話していた。
「そういえばさ、ハナイチはいっつも手袋しているよね。ご飯の時ぐらい外しなよ」
今日の作業も終えて、3人で夕食を食べていると隣のハナが花壱の手袋を指さしていた。
「それは、出来ない」
「なんで?」
花壱は己の手をじっと見つめた。
「ハナ、明日も早いから食べてしまいなさい」
「は~い」
ハナは言われた通りに夕飯を早く食べ終え、早々に寝てしまったようだった。
素直でいいのだが、たまに、質問攻めにしてくるのが難点である。
「何かあるのかね?」
縁側で麦茶を飲んでいたところ、後ろからユウゼンが話しかけてきた。
質問の内容は、先ほどの事だろう。
「ユウゼンさんは、花を見たことがありますか?」
花壱が話し出したので、ユウゼンも同じように隣に腰かけた。
「あるよ。あれは、3年前だった――」
隣にいるユウゼンをちらりと伺うと夜空に光る星をまじまじと見ていた。
花壱もユウゼンと同じように星空を見上げた。
――あれは、3年前だった。国境付近で大きな戦があったのを知っているかい?
そうそう、その戦だ。
国を侵略し合おうなどと、つまらぬ事で戦いを始め、挙句の果てには互いに多くの犠牲者を出して終わった戦。まあ、戦自体がつまらぬ事ではあるがな。
わしはこの年だったために、この村でひっそりと暮らして行けた。しかし、わしの息子はそうはいかなかった。徴兵令であっという間に戦争に駆り出された。
息子の妻も、看護師であったが故に一緒に戦地へ行ってしまったよ。残ったのは孫のハナとわしだけだった。
1年間続いた戦も、お互いの被害と何ら変わりない戦況に終わらざるを得なかった。
3年前にようやく終わったというからわしはハナと息子たちを迎えに行った。ハナが早く会いたいと言っておったしな。
戦地に行って驚いたよ。
そこに広がっていたのは辺り一面に咲く、白い雛菊だったのだから。
ハナは覚えていないと思うがね。
その光景を見て、きれいと思う前に、悲しいとなぜか思ったよ。
そのあと、生き残っている者に聞くと、ハナの両親は戦死したと言った。
それに、不思議なことにその戦場で亡くなった者の遺体は発見出来なかったと言われたのだ。戦場にあった、遺体は全て花になってしまったようだと言っていた。
「――それがわしの見た花だよ」
「……よく、花の名前をご存知ですね」
「若い頃、よく花の図鑑を読んでいたからな。……憧れだったのだよ、花は」
ユウゼンは相当読み込んでいたのだろう。それだけ、花は人を魅了し、人を癒す力を持っている。
「お主の手袋と花、関係があるのかね?」
「僕のこの手は、触れた人を花にしてしまいます」
ユウゼンは信じられないと言わんばかりに瞳を大きくした。
花壱だって、いまだにこの力が信じられない時がある。それでも、今まで何人も花にしてきた。それが、この力を証明している。
「この力が判明したのは俺が幼い時です。最初の1人は祖父でした」
「そんな、力が……」
「僕も家族も驚きました。病床の祖父の手に触れた途端一輪の花に変わったのです」
「それから、手袋を?」
「……はい。不用意にこの力を使ってはいけないので」
ユウゼンはその後しばらく何も言わなかった。簡単に信じられる話ではない。
花壱もしばらく考える。この力は残りの寿命の分だけ花を咲かせる。しかし、死者も1日間だけ花を咲かせる事が出来るのだ。
寿命が尽きるとその花も枯れて無くなってしまう。
そして、極稀にその花の種を残していく。
「にわかには信じられんが、君が嘘を吐くとは思えない」
それだけ言ってもらえただけで花壱は十分だったので、自分もそろそろ寝ようと空になったコップもち、その場から去ろうとした。
「ひとつ、聞きたいことがある」
「何でしょう?」
「3年前、君はあの場所にいたかい?」
「ハナイチ、また来てね」
涙を堪えているのか、顔がどうも可愛くない。しかし、そんな姿は可愛らしいので頭をぽんぽんと撫でる。
そして、花壱は首から下げている麻袋からごそごそと何かを取り出した。
「ハナ、これは、花の種だ」
「は、な?」
自分と同じ名前のものの種と言われたので、ハナは混乱しているようだった。必死に考えているようだったが、どうも答えが見つからないようだ。
「詳しい事はユウゼンさんに聞いて」
花壱はその種をハナの手に握らせる。
「分かった。大事に育てるね」
「大事にして」
花壱はハナの後ろに立つ、ユウゼンに目を向ける。
なんだかんだで2週間もお世話になったのでしっかりとお辞儀をする。
花壱はハナの鳴き声を後ろで聞きながらまた、別の場所に旅立っていった。
ユウゼンはその後姿を見ながらあの時の事を思い出していた。
『3年前、君はあの場所にいたかい?』
『……はい、それが役目なので』
青年は青い、空の様な色の瞳を向けて言った。
『役目?』
『花にすることで人を弔う、花葬屋ですから』
「ねえ! じいちゃん!! 咲いたよ! ハナイチがくれた花!」
「本当かい?どれどれ――」
鉢植えに、小さな白い雛菊の花が咲いていた。
――ヒナギク。
花言葉……平和。
〈完〉
最後まで読んでいただきありがとうございます。
書いていて好きな作品でした。
気が向いたらこの話の続きを書くかもしれないです。
花が無いなら野菜の花はどうなるんだ
と思ったりもしたのですが、そこはご都合主義です。
では、他の作品でお会い出来ることを願っております。
2014/9 秋桜 空