人生の中の一瞬の時間
あたしは学校に行くと、功を探す。
親から何をしに出かけたのかと小言を言われながらご飯を食べ終え学校に着いた。いつもよりギリギリの時間だ。
功は自分の席に座り、あくびをかみ殺している。
彼の机にあたしの影が映る。
「今朝、N公園で功を見たよ」
「気づかなかった。声をかけてくれれば良かったのに」
「悪いかなと思ってさ」
「いまさらそんなことを気にしなくてもいいと思うけど」
彼の言葉に笑う。
「ずっとジョギングしているんだよね」
「まあね。少しでも体力つけたいし」
「朝から晩まで部活で、大学大丈夫なの?」
あたしの言葉に功は顔を引きつらせる。
少し前に、彼は近くの私立大学を志望校にしていた。
「頑張るよ」
力なく頷いた彼にあたしは顔を綻ばせた。
「朝のジョギングに北村さんも誘ってみたら?」
「え?」
功はあからさまに変な顔をする。
「興味あったりするんじゃないかなって思ってさ。休みの日だけでも」
「そうかな。美枝は運動がからっきしダメだから、そういうことには興味がなさそうな気がするし、あいつの家って遠いから、無理に誘うのも悪いよ」
彼氏としては当然の台詞かもしれない。
だが、彼女にしてみれば寂しい言葉かもしれない。
「だめもとでさ。功だって一緒に過ごせたら嬉しいでしょう」
その言葉に彼の顔が赤く染まる。
本当に顔によく出ると思う。
「まあ、聞いてみるだけなら」
功はためらいながらもあたしの話を受け入れていた。
翌朝、功があたしのところにやってきた。少しだけ頬を赤く染め、困ったような嬉しそうな笑顔を浮かべている。
「美枝に聞いてみたんだけどさ。一緒に走るのはできないって言っていたよ。でも」
そこで功は言葉を切った。功は頬を軽くかいていた。
「たまに一緒にいるだけならいいって言っていたんだよね」
「何でわかるんだよ。というか、美枝に余計に気を遣わせたんじゃないかって思うんだけど」
「いいんじゃない。嫌なら来ないでしょう。きっと彼女は嫌なら嫌だと言うよ」
「そうかな」
「そうだよ」
あたしがそう強い調子で言うと、彼は納得したようにうなずく。
「一つ聞いていい?」
「何?」
「功は美枝のどんなところが好きなの?」
功の顔が赤くなる。
あたしはそんな彼を見て、笑っていた。
ずっと気になっていて聞けなかった事だった。
知らないでいることが好きな気持ちの逃げ場になると思っていた。
だが、もうそうやって後ろ向きで生きるのはやめようと思ったのだ。
理由をあげたらいくつかある。だが、何かは考えない。そんな言い訳も必要ないと分かったからだ。
「いいよ。恥ずかしいから」
「知りたい」
押し問答の末、先に根をあげた功がしぶしぶ答えた。
「すごく不器用な子だからだと思う」
今までのあたしならその言葉を信じられなかったかもしれない。だが、あの早朝の日の彼女の姿を思い描けば、違うとも言い切れなかった。
彼女の幼馴染も似たような事を言っていた。
「だから、一番の理解者になりたいと思った。少しでも彼女のことを知りたいと思ったし、理解したいと思った」
「理解者になれそう?」
「分かんないけど、なれるように頑張るよ」
そう言うと功はいつもみたいな子供っぽい笑みを浮かべている。
彼らしいという言葉がぴったりだった。
「北村さんと知り合ったのっていつ?」
彼は少し驚いたのか、目を見開く。そして、口元をほころばせると、首を横に振っていた。
「あいつは覚えていないと思うけど、昨年の冬に一度だけ会ったことがあったんだ。傘を持っていないのか、駅の軒下にいて、手に何度も息を吐きながら、外を眺めていた。どのニュースでも傘を忘れないようにと言っていたのに傘を持ってきていなくて変な子だなと思ったんだ。というかそこまで言う必要はないかな」
彼は頭をかくと、髪の毛を乱していた。
「聞かせてよ。聞きたい」
彼ははにかみながらあたしにそのときの状況を大雑把に、そして時折細やかに伝えていく。
そんな時間は十七年生きてきてほんの一時間にも満たない僅かな時間でしかない。
一生にしたらもっと短い時間だ。
だが、二人にとってはあまりに大きな出会いで、彼女の人生をほんの少し変えてしまった。
もしあのとき、功が彼女を見つけなかったら。
たらればでいくらでも可能性を探れる。
だが、今目の前にあるものがあたしたちの現実だった。
それを曲げることも、覆す必要もない。
「美枝の一番の理解者になれたらいいね」
「おう」
功はもう開き直ったのかそう返事をする。
だから受け入れようと決意した。
ちくりと痛む胸がまだすぐには彼らの幸せを望めない事を教えてくれていた。だが、いつかという願いを込めて心の中でそっとつぶやいた。
”SAYONARA”、と。