不器用な想い
この時期の風は体の奥から熱の部分だけを奪い去るように十分冷たい。
さすがに厚手のコートを着る気にはならなかったので制服を着ると、ジャケットにマフラーを巻いておくことにした。
あたしの家から彼の家までは歩いて十五分ほどかかる。
息を吐いても白くなることない。冬に比べるとまだ冷えていない時期なのだろう。それでも暑い季節を過ごしたばかりの体には十分堪えていた。
お店の中には電気が点いていた。その前に長身の男性の姿があった。彼はあたしと目が合うと、軽く手をあげた。
「どこに行くんですか?」
「N公園」
「N公園?」
大きい公園で、障害物もないことからマラソンコースとして活用している人も少なくない。
あたしがその話を聞いたのは功からだった。それを教えてくれた功も毎朝のようにジョギングをしていると聞いたことがある。
彼の口からその名前が出てきたことに戸惑いながらも、理由を問いかけることもできない。
彼を見たが明るい顔をしている。
悪い人ではないと思うが、何を考えているのかよく分からない。
功だったらすぐ顔に出るから分かりやすいのにと思わなくもない。
辺りを明るい光がつつみかけていた。
公園の街灯は存在感だけを漂わせ、光はともっていない。
もう電気が消えた後なのだろう。
大きな池の周りを断続的に人が駆け抜ける。
ランニングウェアを着ている人もいれば、シャツにジャージという軽装で走っている人もいる。その中で短パンにシャツを着た背丈の高い男性の姿を見つけた。
あたしは何となく彼の影に隠れて、深呼吸をした。
功の姿が遠ざかっていく。
走っているのであたしたちに気付く可能性は低いが、それでもなんとなしにほっとしてしまっていた。
「ここで何があるんですか?」
彼は携帯を見ると、辺りを見渡していた。
彼の大きな手がある一点に向かう。そこには木があった。だが、その影に一人の少女の姿を見つけた。
あたしは思わず彼女を凝視する。
「最近、その武田功さんがジョギングをしているって聞いたからってたまにこうやって見に来ているんだってさ」
「功のことを?」
好きな人のことを好きといえなくて遠くから見るというのは少女漫画にでもよくありがちなシチュエーションなのかもしれない。それが誰もが目を奪われるほどの美少女といえば聞こえはいい。
だが、なんともいえない違和感がある。
彼は苦笑いを浮べていた。
たぶん、あたしと同じことを彼も考えていたのだろう。
「あれってどう見ても不審者に見えますよね」
その言葉が彼の笑いのツボを刺激したのか分からないが、余計に笑い出してしまっていた。
「不審者か。確かにね。声をかけられないなら行かなきゃいいと思うんだけどさ。顔見知りなんだし」
それどころか彼女なのだから、普通に話しかければいいと思う。
だが、彼女は木の影に潜むようにして功を見ていた。
「あの人と何を話せばいいのか分からないって言っていたんだよ」
「美枝が?」
彼はうなずく。
「武田さんといる時に変なことを言って、おかしな人だと思われたらどうしようって心配になるらしい。そう思うと何も言えなくなるんだってさ」
そんな言葉はいつもの彼女から予想もしない言葉だった。
いつもつんつんしていて、功がいようがいまいが冷めた態度を取っているようで、功の一方通行のように見えなくもない関係だった。
「功はそういうことは言いませんよ」
「だろうな。あんたを見ていたらなんとなくそう思った。でも、憧れの人から告白されて、付き合ったわけだから、やっぱりああなるんじゃないか?」
「憧れの人って、美枝が功に?」
そんな話を聞いたことがなかった。もちろん、美枝と話をしたこともないので、知っているわけでもない。功が一方的に好きになり告白をしてつきあうようになったのではないかと思っていたからだ。
「そう。あいつがこの高校に入ったのって、彼に一目ぼれしたからなだ」
「一目ぼれ?」
思わず彼の顔を見た。その人は苦笑いを浮かべていた。
「中三の秋になって、俺の両親が転勤で遠くに行くようになって、姉夫婦の家に同居するようになったんだよ。あいつは姉とも仲がよかったし、時々お店にも遊びに来ていたんだよ。その日にたまたま雨が降っていて、お店まで送ってくれた人が武田さんだったと聞いた」
二人の関係が始まったのはあたしが知っている高校時代からではなかった。
あたしが彼女を知る前にそんなことがあったのだ。
恐らく、功はそのときのことを覚えていて、新入生の中に彼女を見つけ、気にしていたのだろう。
そう考えると全て合点が行く。
お互いを気にしていた二人はいつの間にか両想いになっていて、最初から付け入る隙なんてどこにもなかったのだ。
「危ないから話しかけられないなら、見に来るのをやめろって言っているんだけど、どうも聞き分けが悪くてさ。強情だから」
そう苦笑いを浮べている彼の態度を見ていると、思わず噴き出してしまっていた。
彼の苦笑いの意味は分かる。兄弟とは違う、幼馴染だから感じる気持ちだと思う。友達よりも踏み込めるからこそ、思わず言いたくなる。
「美枝がダメなら武田功さんにでも頼もうと思ったんだけど、あいつは怒るだろうしさ」
そして、あたしには美枝の気持ちも良く分かる。
彼女を今までで一番近く感じていた。
そして、あたしにできる唯一のことが頭を過ぎる。
あたしは自然と笑っていた。
「あたしから功に言ってみるよ」
「そうしてくれるなら助かるけど素直に言って怒らすと面倒だと思うよ。俺が言ったとばれたら、あいつに何を言われるか」
「大丈夫」
功の彼女でありながら、素っ気無い態度を取っている美枝のことが好きじゃなかった。
功が好きでたまらないあたしには理解しがたい子だった。
だが、全て誤解だったのだ。
そして、そこまで不器用な彼女を愛らしくさえ思えていた。
功の気持ちが一方通行でなくてよかった。
その気持ちがたとえ、あたしに向かなくても。
今はそう心から思える。
「何て言う気?」
「分からない。それとなく彼女を誘えばと言ってみるよ」
今まで抱えていた気持ちがすっと軽くなる。
その理由もすぐにわかる。
「今から美枝が家に来るけど、あんたはどうする? 一緒に来るなら朝食を準備するよ」
甘い誘いに曖昧に微笑んだ。
少し前に、朝、美枝と彼が一緒にいたのはこうしたことが原因だったんだろう。
「一度家に帰るよ。さすがに学校に行くのは早すぎる」
息を切らし、また功が目の前を通り過ぎる。
彼はあたしにとって初恋の人だった。
でも、それ以上に幼馴染だった。