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SAYONARA  作者: 沢村茜
6/9

彼の提案

 茶色を基調とした外壁に、店の中を見通せるほどの大きなガラスが全面に張られていた。店内にはまばらに客が連在している。

 この前、あたしたちに注文を聞いた女性が店の中を往来していた。あたしがこの店の前に立った十分ほどの間にも、何人かの客が行き来している。繁盛しているのだろう。


 二人の関係をはっきりさせるために消去法で選んだのは彼に聞くという選択肢だ。

 美枝に聞く勇気はあたしにはない。

 あたしがお店の前にいる理由は、彼の姿がまだ見えないことだ。

 さすがにお姉さんにそのことを聞くために店内に入るのには躊躇いがあった。


 足元に影が届き、思わず振り向いた。

 すると、愛想良い笑顔を浮かべた男性が立っていた。

 彼の視線があたしの足元まで届き、思わず足を後退させた。

「店内でできそうな話?」

 あたしは思わず首を横に振る。そこで我に返った。

「顔に書いてあるよ」

 彼はついてこいというと、店と店の間にある隙間に消えていこうとした。

「ちょっと待って」

 呼び留める声に足を止めることなく、彼は歩き続けた。迷った結果、彼の後を追うことに決めた。


 彼の足が止まったのはその店と同じ軒下にある扉の前だった。古い建物だったが、細部に手入れがされているのか古いという印象はない。彼がノブを回すと、扉が開く。


「入る? 中は静かだからそこで話を聞くよ」

「でも、お姉さんの家なんですよね」

「俺も住んでいるし、大丈夫だよ」

 家の中に入ると、黒の革靴を脱ぐ。彼はあたしの答えを聞く前に家の中に入ってしまった。


 玄関先は靴箱と、数足の靴があるだけで殺風景なものだった。目の前には玄関と垂直に交わるような廊下がある。お洒落な雰囲気のお店とはかけ離れた地味な造りだった。

「実家がお店をされているんですか?」

「居候をしているだけ。ここは姉貴の旦那さんの家」

「そうなんだ。その高校ってK高校?」

 そう思ったのは彼の制服からだった。


「そう」

「意外と頭いいんだ」

「意外とは余計」

 思わず口を押さえる。

 彼はそんなあたしの言葉を気にしていないのか、顔色一つ変えずに目の前の障子をあける。

 彼の後姿を見て、先ほどとは違う勇気を言葉にする。


「さっき失礼なことを言ってごめんなさい」

 彼は肩をすくめると笑っていた。

「気にしなくていいよ。この前のテストは赤点取ったし、偉そうなこと言えないんだけどね」


 初めて話をしたときと、同じ雰囲気を感じる。

 優しくて、穏やかな感じ。

 やっぱり美枝が優しい笑顔を浮かべていた気持ちが分かってしまう。

 彼の性格は、見た目の派手な顔立ちとは一線を駕していた。

「何かケーキを食べる?」

「え?」

 驚きの声をあげて冷静になる。彼の家とはいえ、同じ敷地内に入ってきたのだ。

 何かを注文しないといけないのだろう。


「じゃあ、この前と同じものを」

「同じものは無理だけど、適当に持ってくるよ」

 そう言うと彼は部屋の奥に消えていく。

 それがお店とは逆方向だということは分かった。

 彼がお店から家に入っていったのを考えると、お店とはつながっているのだろう。


 あたしは一息つき、何気なくあたりを見渡す。あたしがいるのは部屋の中央のローテーブルのそばだ。右手にはテレビが置いてあり、左手には緑のランプをともしたパソコンが置いてあった。


 功以外の男の人の家に入ったのは初めてだった。美枝の友達ということを抜きにしても、不安や恐怖心などは感じない。それだけの雰囲気を彼が放っていたからだ。


 フローリングの床がきしみ、お盆を持った彼が紅茶の芳ばしい香りと共に再び現れた。それをテーブルの上に置く。

 彼が運んできてくれたのは生クリームがたっぷり入ったロールケーキと、四角形のチョコレートケーキだった。チョコレートケーキの外郭はチョコで固められ、その上には生クリームがのせてある。

 さっきまで考えていたこともわすれ、思わず目の前のケーキに目を奪われる。


「好きなだけ食べて。希望があればお店のケーキも持ってくるよ」

 あたしはフォークでケーキを切ると、口に運んだ。

「おいしい」

 思わずそんな言葉が漏れる。見た目からは口の中がとろけてしまいそうな甘さを想像していたが、チョコレートの苦みが強く全体の甘さを抑えていた。


「この前もおもったけど、すごい良い笑顔で食べるよね」

 見られていたことに気恥ずかしさを覚えて、思わず目をそらす。

「ごめんなさい」

「褒めているんだけどね」

 続きを食べようとフォークを入れたとき、頬杖をついた彼はそっとつぶやいた。


「それ、俺が作ったんだ」

 その言葉を聞き、手を止める。

「そうなんですか」

 あたしはその売り物にでもなりそうなケーキを驚きながらみていた。


「だからここがまずいとか、こうしたらいいとかあったら教えて欲しい」

 そう言われると逆に困っていた。舌に自信があるわけでもなく、人の料理をあれこれ指摘できる自信もない。

「おいしいと思いますけど、細かいことはよく分からなくて。ごめんなさい」


「謝らなくていいよ。俺のほうもごめん。姉に駄目だしされて、何がダメなのかさっぱりなんだよな」

「おいしいのに」

「売り物にはならないってことだと思うよ」

 あたしはその言葉を不思議に思いながらもケーキを食べ進める。あっさりと平らげてしまった。

「おいしかったです。本当に」


 考えてもダメな理由がさっぱりわからない。

 甘くなった口をほぐすために紅茶を口に含む。

「俺のケーキを食べてくれたお礼に、口直しに店のケーキでも持ってくるよ。この前のと同じので良い? おごるよ」

 おごるというのは良い響きだが、正直お腹がいっぱいだ。それに彼のケーキもあたしには満足な味だ。

 それを伝えると、彼は嬉しそうに笑う。

 あたしは気恥ずかしいような、くすぐったいような気持ちになっていた。


「やっと普通に笑ってくれた」

 その言葉に引き寄せられるように声の主を見た。

 まるで美枝に見せるような優しい笑顔を浮かべていた。

「ずっと怖い顔をして俺を睨んでいたから気になってたんだよね」

「怖い顔なんて」

「この前なんか今の比ではなかったよな」


「でも、あれは由紀子のほうが」

 あなたにきついことを言おうとしていたのではないかと思って口をつぐんだ。

 友達の名前を比較の対象にするのが間違っている。

「あの一緒にいた子か。あの子はあんたが怖い顔をしていたから、あわてていたよな。ああやって俺にきついことをいったのはあんたに余計なことを言わせないためだったんだろうな」


「そんなつもりは」

 だが、ありえないことではない。人のことをよく考えてくれる由紀子がいつもとは違うきつい言葉を彼に言っていたのは確かだった。

 彼女を庇っていたはずなのに庇われていたことに気づき、自己嫌悪に陥る。

 情けない。


「本題から離れても仕方ないから、単刀直入に聞くけど、美枝のことだよな」

「何で分かるの?」

「この前、話したのがそれだけだし、俺とあんたは話したこともないからな。あいつ、何か失礼なことでも言った?」

 それだけ美枝のことを心配しているということだけは分かった。

 頭の中で言葉を探し、問いかけた。


「少し前にあなたと美枝が一緒にいるのを見ました。あまりに親しそうだったから、付き合っているのかなと思うくらいだった」

 聞きたかった言葉がすんなりと滑り落ちてくる。

「幼馴染だから仲はいいよ。それだけだと思うけど。もしかして俺のことが好きなわけ?」

「違います」


 顔が赤くなるのを実感しながら、何度も首を横に振る。

「冗談だって。何を勘ぐってるのか分からないけど、俺と美枝は幼馴染。それ以上でもそれ以下でもない」

 そのとき、彼の手があたしの手をつかむ。思わず胸が高鳴っていた。

「で、あんたは誰で目的は何?」

「誰って」

「名前じゃなくてどういう状況で、何を勘ぐっているのか聞きたいんだけど。そうやってもやもやしていてもどうしょうもないだろう。言ってくれたら俺の知っていることは話すよ」


 彼の言うことは正論だった。返す言葉もない。

「美枝には言わないでくれるなら」

「言うなっていうなら黙っておく」

 その言葉を聞き、覚悟を決めた。

「美枝の彼氏の幼馴染」

「あ、そういえば」


 彼はまだあたしの手をつかんでいる。そして、覗き込むようにあたしの顔を見る。

「野田柚月」

 彼の口からあたしの名前が滑るように出てきていた。

 驚きながら彼を見つめる。

「どうして知っているの?」

「美枝から聞いたことある。彼氏の名前は武田功だっけ」

 そこで彼は言葉を噤む。そして何かを納得したようにうなずいていた。

「その武田功のことが好きなんだ」


 違うと否定したかったのに、凍りついたように言葉が出てこない。

「美枝と別れてほしくてあれこれ調べていたとか?」

 二人が付き合わなければいいと思ったことはあるし、嫉妬もしていた。

 だが、一番の理由はそうじゃない。

「あたしはただ功をきちんと見てほしかった。他の人と一緒にデートをしたりしないでほしかった。功のこと好きじゃないならこれ以上彼を振り回さないでほしい」


「事情が呑み込めないけど、あいつが誰かほかの男と一緒にいたってこと?」

 彼は眉根を寄せ、難しい顔をする。

「あなたと。昨日一緒に買い物をしたりとか、一緒にお店に入ったりとか。朝も一緒にいたよね」

 自分で言った言葉に嫌気が刺す。あたしにはそんな権利もないのだ。

 つかまれていた手が離れ、ほっと胸を撫で下ろす。

 だが、整った顔にのぞきこまれ、思わず後ずさりした。


「見かけによらずすごいバカなんだな」

「バカ?」

 反射的に彼を見る。

 彼は呆れたような笑顔を浮べていた。

「美枝はその功ってやつのことがすごく好きみたいだから大丈夫だよ」

「どうしてそんなことが分かるんですか?」

「見ていれば分かる。それにあいつの誕生日になったら分かるよ。次の次の日曜だっけ?」

「誕生日って、プレゼントを選んでいたの?」


「合っているような間違っているような。でも、あっているとは思うよ」

 釈然としない言い方だ。なら、どうしてプレゼントが売っているような店ではなく、普通の食料品を買っていたのだろう。

 そんなあたしの頬を彼は軽くつねった。

「俺を信じてみなよ。生真面目で不器用で、自分の気持ちを素直に出すこともできない。あいつはそんなやつなんだ」

「でも、あなたといるときは楽しそうに笑っていた。功と一緒のときは笑顔も見せないのに」

 彼は少しだけあきれたように笑う。


「それは俺は気を遣わなくていい相手だからだよ。だいたい好き嫌いが激しいあいつが、好きでもない男と登下校を一緒にするわけがない」

 だが、あたしには彼の言葉を素直に受け入れることができなかった。

 だってあたしは美枝のことを功が好きになってからしか知らないのだ。

「明日の六時に待ち合わせしよう。俺の家か、あんたの家のどっちかで。教えてくれれば迎えに行くよ」


 朝方の六時というとまだ太陽の昇っていない暗い時間だった。一人で歩くことにも、知らない人に家を教えるのにも抵抗があった。

「ここに来ます。でも、どうしてですか?」

「説明するより実際見たほうが早いよ。これ以上余計なことを勘繰られなくて済む」

 不思議と、彼があたしを陥れようとしているとは思わなかった。

 あたしは彼の提案を受け入れ、翌朝彼と待ち合わせることになった。


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