私がお護りますッ!
「よう!妖弧、調子はどうだい?」
身の丈160強、しかし横にも大きい三つ目の坊主。三つ目入道が声を掛けてきた。
「もちろん!絶好調よ!」
〝妖弧〝と呼ばれた赤い浴衣を来た女の子は腰に手を当てシニカルな笑みを浮かべ答えた。
こちらの身の丈は150とちょっとと言ったところか。
人間の歳にすると15才くらいだ。
長く美しい黒髪を後ろで雑に結い、花魁を思わせる出で立ちだ。
しかし、女性としてはまだまだ控えめな体系なので色香を武器には出来ないだろう。
「なんか今、侮辱された気がしたわ…」
おっと、失敬。
妖弧と呼ばれるだけにその身体からは特徴的な物が生えている。
狐の耳と尻尾である。
フカフカと膨らんだ狐の尻尾は艶やかで見る者を惹き付けるものがあった。
妖弧自身も尻尾には自信があり、髪を梳くよりも尻尾を梳くことに余念がなかった。
「ガハハハ!そうかそうか、それなら今日こそは入魂箪に〝念〝を入れられるといいな」
三つ目入道は見た目に見合う豪快さで笑った。
「うっ、うるさいわね!さっさと寄こしなさいよ!」
顔を真っ赤にしながら手を差し出す。
「おうよ!頑張ってな」
そう言うと、三つ目入道は手の平に納まる小さな瓢箪を妖弧に差し出した。
「ふんっ!今に見てなさいよ、ビックリさせてやるんだから」
心配しなくても周囲の妖怪達は妖弧にはいつもビックリさせられている。
「なんですってッ!?」
い、いや、良い意味でですよ?
「なにを独りでブツブツ言ってるんだ?」
妖弧は辺りをキョロキョロ見渡した後「ハテ?」と首を傾げる。
「なんでもないわよ!」
フンッと鼻息を漏らし妖弧は小さな瓢箪、『入魂箪』を受け取った。
この小さな瓢箪、入魂箪は〝人間の念〝を封じ込める事が出来る。
この妖怪の村では力の弱い妖怪達が集まり、それぞれが少しずつ念を集め助け合っている。
この念が妖怪たちの原動力の源になるからだ。
魑魅魍魎、妖怪、怪異、幽界の者は人間の信仰心や念といったモノで具現化される。
〝そこに存在する〝という想いがその存在を生み出すのだ。
他にも動物念というものがあり、強い念を抱いた動物が天命を終えるとその動物霊か人の姿に化ける妖の何れかに化ける。
何故、人の姿を取るかというとその動物が人間と深い係わり合いになったが故に強い念を抱く様になるからである。
命の糧として他の動物に喰い殺されるのがこの自然界の掟、食物連鎖の世界だ。
相手が人間でも動物達は通常食用として狩られるのだが、稀に瀕死の動物を助けたり愛情を掛け可愛がる気宇な人間が現れる時がある。
そんな人間に強い念を抱いてしまった動物霊や動物念が人型に化けたりもする。
妖弧もどちらかと言うと後者に近い妖ではあるが、人間に殺された九尾弧さま(九尾の狐さまの敬称)の末裔は人間とは敵対関係となっていている。
妖弧のお姉様方も例外ではなく、滅多な事では人間の前に姿を現したりはしない。
〝落ちこぼれ〝の妖弧だけが人間の所へ念を集めるべく出掛けて行くのだ。
嗚呼、可愛そうな妖弧。ドンマイ妖弧。おや?今日は機嫌が悪いのかな?いつにも無く物に八つ当たりをしている。
おっと危ないッ!灯篭のお化けが飛んで来た!
妖弧、物だけならともかく、妖怪村の仲間を投げてはいけませんよ!
妖怪村の門を潜ると人間界の森の中に設置された小さな祠に出た。
妖怪村は幽界の狭間にあり、それぞれの妖怪が人間界への出入り口を自由に指定する事が出来る。
妖弧は人里から遠く離れた山奥にひっそりとある小さな農村を仕事場にしていた。
この祠は妖弧がこの農村で仕事を始めるようになってから人間共が作った祠だった。
祠があるのは農村が一望出来る山道の中間に設置され、農村の村人共が定期的に綺麗にしてくれているの様で綺麗に保たれていた。
目印に丁度良いので、妖弧はこの祠をゲートの繋ぎ目に指定していたのだ。
祠に祭られているのは狐を模した木の像だった。
もちろん、対象となっているのは妖弧だ。
「さ~~~ってと、たんまりと人間共を驚かせて入魂箪に念を一杯にするぞ~!」
両手の拳を振り上げ妖弧は気合を入れて叫んだ。
「むむッ!」
妖弧が狐耳をピクピク動かし耳をすませると、さっそく人間の気配がして来た。
足音から推測するに相手は2人。足取りから推測するに老人が農具を担いで登って来るようだ。
「ふっふっふ♪」
妖弧は身を低くし、そそくさと山道の脇にある茂みに身を隠した。
ふたつの足音は妖弧の存在にまったく気が付かず、変わらない足取りでどんどん近づいて来た。
(くっくっく~♪せいぜい驚いて腰を抜かすと良いわ~)
妖弧は人間が驚きひれ伏す姿を想像して声を殺して笑った。
そして、足音は妖弧のすぐ傍まで近づいて来た。
妖弧は心の中でカウントダウンを始める。
(3・2・1…)
絶好のタイミングで妖弧は両手を振り上げ飛び出した。
「がおぉーーーーーーーーーーーーーッ!!」
突然の妖弧の出現にふたつの足音が止まる。
「ありゃま!お狐さまッ丁度良かっただ!」
ふたつの足音の主は軽く驚くも、その表情はすぐに笑顔に変わった。
「丁度、お狐さまに会いに祠まで来たんだえ~」
妖弧は両手を振り上げた格好のまま固まって二人の老人を見た。
「あっ、吉田のお爺ちゃんとお婆ちゃん。どうしたの?」
妖弧はものすごく見知った顔ぶれに素で返事をしてしまう。
「うん~実はのう…」
どうやら吉田夫妻の畑が夜な夜な動物に荒らされるようで困ってるようだ。
「うん、わかった。じゃあ~今夜その犯人にお灸を据えてあげるわ」
「本当かえ!いやぁ助かりますじゃッありがたや~!ありがたや~!」
老夫婦は凄く喜び妖弧に手を合わせて祈った。
「いやいや~それほどでもないよ~!」
妖弧は真っ赤に照れながら自慢の尻尾と手の平をパタパタと振る。
「そうじゃ、お狐さまや!昨日出稼ぎに行っていた次男坊が里帰りした際にきな粉を持ち帰ったんで、きな粉餅を作ったんですえ。どうぞ食べてくんなされ」
そう言ってお婆ちゃんがきな粉餅が入った包みを差し出した。
「わおーーー!甘いの大好きッ!吉田のお婆ちゃん大好きーッ!」
妖弧の瞳がハート型になり、きな粉餅の包みに飛びついた。
「はう~~~~ッ!美味しいぃ~~~~♪」
妖弧は目尻をとろ~んとさせ、きな粉餅に舌鼓を打った。
吉田の老夫婦はその姿をすごく嬉しそうに眺めていた。
それから、長女が子供を産んで初孫が見れたとか長男が田村さん所の娘さんと良い雰囲気だとか世間話をして帰って行った。
「お爺ちゃん、お婆ちゃんバイバーーイ!気をつけてねーー!」
妖弧は思いっきり腕をブンブンと振って老夫婦を見送った。
満足気な表情を浮かべ祠へと振り返った妖弧はその場で突っ伏した。
「またやってしまったぁああああああああああぁ……」
そう…妖弧が念を集められない原因はこれにあったのだ。
すっかり農村民と顔なじみになってしまい、今では妖弧の存在を知らない農民は居なかったのだ。
事の発端はなんだっただろうか?
そう、森に迷って泣いている童を背負って必死に親を探した事だった。
それから農民から農村の厄介事の相談を持ちかけられるようになって、解決してあげてる内にいつの間にか祠を建てられ祭られ慕われ始めていたのだ。
妖弧は祠の屋根に腰掛け、ふぅとため息をついた。
妖弧は妖怪の原動力になる念を十分に人間から貰っていた。
念は何も人間の恐怖でなくても良いのだ。
負の念でなくてもこうして善の念で力は得られるのだが、それでは妖怪の村の皆に貢献出来ない。
善の念はあくまでその個となる妖怪が対象になる為だからだ。
〝落ちこぼれ〝のレッテルを貼られた妖弧は一族の中に居づらくなり、とうとう御家を飛び出した。
未到の地で途方に暮れている妖弧に声を掛けてくれたのが三つ目入道だった。
それから妖怪村へ受け入れて貰い、中々人間の念を集められない妖弧でも優しく接してくれる妖怪村の皆の為にも頑張りたい。
妖弧は未だ一度も念を入れられた事のない入魂箪を握り締めた。
「私、この仕事向いてないのかなぁ…」
ついつい弱音を吐いてしまう。
しかし、すぐに妖怪村の皆の顔が浮かんでくる。
「駄目だ駄目だ!私は偉大な大妖怪、九尾弧さまの末裔!弱気な妖弧なんてらしくないわ!」
拳を握り締め、祠の屋根の上ですっくと立ち上がる。
妖弧がハッと気付いた時には辺りはすっかり暗くなっていた。
「いけない!吉田さんとこの畑に見回りに行かなくちゃ!」
妖弧は約束を思い出し、律儀に人間との約束を守るために行動を起こそうとする。
ピョンと祠から飛び降りると異様な匂いが妖弧の鼻先をかすめる。
「これは…人間?」
妖弧が注意深く耳をすませると、たしかに草むらの向こうで人間の気配がしている。
しかし、なにか不自然だ。
すっかり日が暮れ真っ暗な森の中、月明かりで多少見えるとはいえ人間は明かりを持っていない。
「はて、帰りが遅くなって明かりを都合してなかった農民の誰かかな?」
首を傾げるも、これはチャンスと思い妖弧はコソコソと気配に近づく。
(こんな暗い山道で明かりも無い所で突然飛び出したら流石に驚くわよね♪)
身を低くし、徐々に気配の元へと近づく。
そして、気配の背後の草むらへと到達した妖弧は込み上げてくる笑いを必死に押さえスタンバイした。
気配は地面に座っている様で動く気配はない。
油断している今がチャンスだ。
妖弧は身構え、呼吸を整えてから一気に草むらから飛び出した。
「がおぉーーーーーーーーーーーーー……」
飛び出した妖弧は絶句した。
そこにはうつ伏せに横たわる女性と、その傍らに座り込んだ年の頃7才くらいの男の子が座っていた。
すぐに妖弧の鼻をついた鉄っぽい匂い…血の匂いが香る。
振り上げた両腕を静かに下ろすと、妖弧は横たわる女性へと近づいた。
女性の瞳孔は開いたままで、息をしていない。
すでに息絶えていた。
「どうして…こんな事に…」
呆然とする妖弧はふと月明かり以外の明かりが山を照らしている事に気が付いた。
ゆっくりと山道へと歩み寄ると、そこからは農村が一望出来た。
妖弧が見慣れた農村が真っ赤に真っ赤に燃えていた。
全てが炎に包まれていたのだ。
家も、畑も、全てが真っ赤に燃えていた。
「そうか…」
何のことは無い。
現在、この人間界は戦乱の真っ只中だ。
どうしてこの農村だけが平和だなんて思いこんでしまったのだろうか。
いつ武士の魔の手が迫って来てもおかしくなかったはずだ。
チリンと鈴の音が背後から聞こえて来た。
横たわる女性の髪に飾られていた鈴を男の子が解き取ったのだ。
男の子は動かない女性の手を握ったまま、その顔を無言で、無表情のまま見つめていた。
聞かなくても分かる。横たわる女性はこの男の子の母親だ。
山の麓からいくつかの明かりが登って来るのが分かった。
恐らく農村を襲った武士達が森へ逃げた農民を探して入って来たのだろう。
このままここにいればこの男の子はいずれ武士に見つかって殺されてしまう運命だ。
妖弧は静かに男の子へと歩み寄った。
鈴を握り締めた手で母の手を無言で握り締める男の子の頭をそっと撫でた。
そして、意を決して妖弧は口を開く。
「私と一緒に…来るか?」
男の子は虚ろな瞳のまま妖弧の顔を覗き込んだ後、静かに頷いた。
「そうか、よし!」
妖弧は再び男の子の頭を撫でるとそのまま抱き上げ祠へと走った。
走るリズムに合わせ、男の子の持つ鈴の音がチリン、チリンと鳴り響いた。
男の子は無言のまま、遠ざかる母親を最後までずっと、ずっと、見つめていた。
◇ ◇ ◇