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老人と海 改訳  作者: あいち
2/5

二部

 少年の家は戸締りがされていなかった。老人は戸をあけて、裸足のまま静かにはいっていった。少年はつきあたりの部屋の粗末なベッドで眠りこけている。沈みかけた月の薄明かりのおかげで、老人の眼にもその寝姿がはっきり見える。かれは少年の片足をそっとつかんだ。少年が目を覚ましてふりむくのを待った。そして老人はうなずく。少年はそばにあった椅子からズボンを取り、ベッドに腰かけたままそれをはいた。

 老人は戸口から出ていった。少年はそのあとについていく。まだ眠そうにしている。老人は腕を少年の肩に回していう。「ごめんよ」

「ケ・バ」少年は答えた。「大人ってものはこうでなくちゃ」

 二人は老人の小屋のほうにおりていった。道では裸足の漁師たちが各々おのおのの舟のマストを肩にかついで、暗がりのなかを動きまわっている。

 老人の小屋につくと、少年はかごの巻綱やもり魚鉤やすを手にし、老人は帆を巻いたマストを肩にかついだ。

「コーヒー飲む?」と少年はきいた。

「道具を舟に運んでからにしよう」

 かれらは漁師たちの集まる朝のまり場でコンデンス・ミルクの空罐あきかんからコーヒーを飲んだ。

「お爺さん、よく眠れた?」と少年はたずねた。かれは眠気を完全に克服しきったわけではなかったが、それでもどうやら目が覚めたらしい。

「よく眠れたよ、マノーリン」と老人はいった。「きょうは自信がある」

「ぼくだって。さあ、いわしをとってこなくちゃ、お爺さんの分とぼくの分。新しい餌も持ってくるよ。親方はいつも釣り道具をなにもかも自分で持っていくんだ。だれにも持たせたがらないんだよ」

「おれたちはちがう。お前が五つのときから、おれはいろんなものを持たせてやったからな」

「うん、わかってるよ」と少年はいった。「じゃあ、すぐ帰ってくるからね。コーヒーをもう一杯飲みなよ。ここならぼくたち借りがきくんだから」

 少年は裸足のままくずれた珊瑚礁さんごしょうの上を、餌のしまってある氷室ひむろのほうへ歩いていった。

 老人はコーヒーをゆっくり飲んだ。これが一日分の食事だ。もう長いこと食べるのが面倒になってはいたが、それを飲まなければならないことを、かれは知っていた。昼飯は持っていかないことにしている。小舟のへさきにおいた瓶に水を詰めれば、一日は十分にもつからだ。

 少年が鰯と新聞紙にくるんだ二匹の餌魚とを持って戻ってきた。二人は小砂利のまじった砂を足の裏に感じながら小舟のほうに歩いていった。それから小舟を持ち上げて水のなかへ押し出した。

「うまくいきますように」

「お前のほうもな」老人は応えていった。かれはオールの繋索けいさくを小舟の櫂杭かいぐいにあてがい、それからさっと前かがみになると、オールに受ける水圧をはじきかえすようにして、港から大海めざして暗がりのなかを漕ぎだしていった。ほかの浜からも何隻かの小舟が海に向かって乗りだしていく。月はもうすっかり山のかなたに沈んでしまったので舟の形を見ることはできないが、オールをさばく水音が老人の耳にはっきりきこえてくる。

 ときどき、どこかの舟から話し声もしたが、たいていの舟はじっと押し黙っていた。ただオールの音だけが聞こえてきた。やがて港の出口に達すると、みんなばらばらに散っていった。それぞれが魚の見当をつけた方角にへさきを向ける。老人は、きょうは遠出をしようと考えていた。かれはおかの匂いをあとにして、すがすがしい暁の匂いのたちこめる海洋へと乗りこんでいった。ふと見れば、水中のが輝かしい光を放っている。このあたりは漁師たちに大井戸と呼ばれていた。海の底が七百尋(一尋=六尺、およそ一.八メートルほど)の深さへと急に落ちこむからだ。その傾斜に潮流がぶつかって生じる渦巻きのおかげで、あらゆる種の魚が集まってくる場所でもあった。小海老や餌魚がいるかとおもうと、深い穴のなかに槍烏賊やりいかの一群が見つかったりする。烏賊の群れは夜になると海面に浮かび上がり、居合わせた魚たちの餌食となってしまう。

 老人は暗黒のなかに朝の気配を感じとっていた。飛魚が水を離れるときに出るブルンという音、硬い翼が暗い空を切るヒューっという音、オールを操りながら老人はそうした音をはっきり聞きとっていた。沖に出てしまえば、飛魚たちが一番の友となった。老人はかれらに親しみを感じずにはいられなかった。鳥はかわいそうだ、と老人は思う。とりわけ、小さくてひ弱な、黒いあじさしはかわいそうだ。空を飛び回っては魚を探しているのだが、ほとんど獲物にありつけやしないのだ。鳥ってやつはおれたちより辛い生活をおくっている。泥棒鳥はべつだがな。それにでかくて強いやつもべつだ。けれど、なんだってこの残酷な海に、海燕みたいなひ弱できゃしゃな鳥が造られたんだろう。たしかに海はやさしくて、とてもきれいだ。それでも残酷にだってなれる。いきなりにもそうなっちまうんだ。なのにあの小鳥たちは────哀しい小さな声をたてながら、水をかすめて餌をさがしまわるあの小鳥たちは────あまりにひ弱すぎやしないか。

 海について考えをおよばすとき、老人はいつもラ・マル(ラ:女性名詞につける冠詞)という言葉を思いうかべた。それはこの地方の人々が口にするスペイン語で、愛情をこめた海の呼びかただった。海を愛するものだって、ときには悪意をもって海をののしることもある。そんなときでも、かれらの語り口から女性に対する気遣いと似たものが消え去ってしまうなんてことはなかった。若い漁師たちのなかには、釣網につける浮きのかわりにブイを使ったり、鮫の肝臓をしこたま売りさばいたもうけでモーターボートを買いこんだりする連中がいて、かれらは海をエル・マル(エル:男性名詞につける冠詞)というふうに男性あつかいをしている。海といえば、闘争の相手であり、仕事場であり、あるいは敵でもあると思っている。老人は、いつも海を女性であると考えていた。彼女は大いなる恵みを、ときには与え、ときには出し惜しみさえする存在なのだ。たとえ荒々しくふるまってわざわいをもたらすことがあったとしても、それは彼女みずからにどうこうできることでもない。月が海を支配している、人間の女たちを支配するように。

 老人は休むことなくゆっくりと漕いでいった。自分の力がしっかり伝わる分には、たいした努力もいらない。潮流がときおり渦をつくっているところがあるが、海面は板のようにまっ平らだった。老人は潮の力を三分の一ほど借りた。そろそろ東の空が明るみはじめる。気がつけば、時間のわりにかなり沖まで出てしまっていた。

 おれはここ一週間、深い大井戸のなかを探しまわったが、獲物はなにひとつなかった。きょうはかつおやビンナガが群がっているあたりに網をおろしてみよう。ひょっとすると大物がいるかもしれないからな。老人はそう考えた。

 明るくなる前に、老人はもう餌をおろしてしまっていた。舟の動きは潮の流れにまかせっきりだった。四十尋の深さに餌は沈んでいる。それから、七十五尋、百尋、百二十五尋のところにも垂らしてあった。そのどれにも餌魚が、かぎの心棒の根もとまで縫うようにしっかりとりつけられてある。鉤の突き出た部分は────曲がっているところであったり、針の先までも────あたらしい鰯でいっぱいにおおわれている。鉤で両目を串刺しにされたそれらは、鋼鉄の棒を軸にした半分だけの花輪のような形になっていた。大魚にしてみれば、いい匂いと味のフルコースといった具合だろう。

 新しい小さなまぐろを二匹、少年からもらってあった。いまそれは、二本の綱の先にとりつけられ、おもりのようにいちばん深いところに沈んでいる。ほかの綱には、大きなツムブリと黄色いヒラマサがついていた。前に一度餌に使ったものだがまだ形もくずれていないので、匂いで獲物をおびき寄せるための新鮮な鰯と一緒にぶら下げておいたのだ。どの引き綱も大きな鉛筆ほどの太さで、端を輪っかに結んで生木の枝に掛けてある。魚が餌に食いつけば、枝がぐっと傾くしかけだ。どの綱にもそれぞれ四十尋の巻綱が二本ずつとりつけてあって、それが予備の巻綱にも結びつけられるようになっているので、もし必要があれば、獲物は三百尋をこえる綱だって引っ張りだすこともできる。

 老人は、舷側に突き出ている三本の枝が傾きやしないか、じっと見張っている。それから、それぞれの綱がきちんと張りをもったまま、餌が変に浮いたり沈んだりしないよう気を配りながら、静かに漕いでいった。もう、かなり明るい。じきに太陽が昇るだろう。

 海の上にかすかな夜明けの光が見えはじめる。老人の目にほかの小舟の影がうつった。水面をうように低く伸びながら、なるべく岸辺から離れないようにして、影は潮流のかなたに散らばっている。太陽はだんだんと輝きをましていった。海面にかっと閃光をはしらせたかとおもうと、つぎの瞬間にはたちまちその全貌ぜんぼうを現し、まっ平らな海が老人の目に光を反射してよこす。老人は目に鋭い痛みを感じ、顔をそむけながら舟を漕いだ。かれは水のなかをのぞきこみ、暗い海中にまっすぐ垂れている綱をじっと見つめる。これほど綱をまっすぐに保つなんてことは、だれにもできはしない。なにも見えない暗い流れだって、これなら的確に自分の狙いどおりの場所に餌を漂わせ、そこを泳ぐ魚をつかまえることもできるだろう。たいていの漁師は、餌を潮の流れのままにあそばせて、たっぷり百尋の深さに沈めたつもりで、実は六十尋くらいのところに餌をふらつかせていたりする。

 だが、おれは大丈夫だ。老人はそう思った。ただどうやらおれは運に見はなされたらしい。いや、そんなことわかるものか。きっときょうこそは。とにかく、毎日が新しい日なんだ。運がつくに越したことはないが、おれはなにより手堅くいきたいんだ。運が向いてくれば、それはそれでいいだろうさ。

 太陽が昇ってから二時間たった。東のほうを見ようが、もうさほど目は痛まない。小舟はたった三つしか見えなくなってしまっていた。それもみんな海面すれすれのところにある。はるか遠くの海岸線近くに寄っているのだ。

 明け方の太陽はいつだっておれの目を痛めつけてくる。老人は心に思った。だが、おれの目はまだなんともない。夕方になれば、おれは平気で太陽をまっすぐ見つめることができる。夕方の太陽なんて、いまよりもっと強い光をもっているのにな。それにしても、明け方の太陽ってやつは目にしみる。

 ちょうどそのとき、軍艦鳥が黒色の長い翼に身をゆだねて、かれの額のはるか上の空を、円を描きながら飛んでいるのが目にはいった。鳥は翼をうしろにそらして、勢いよく降下してきたかとおもうと、さっと水面をかすめ、ふたたび円を描くようにして飛び上がっていった。

「やつめ、なにか見つけやがったな」と老人は大声をあげた。「あれはただ探しているだけの恰好じゃない」

 鳥が円を描いているあたりに向かって、まっすぐ、ゆっくりと、舟を漕ぎいれていった。すこしも急ぎはせずに。綱を上下にまっすぐ垂らしたまま、近寄っていく。ただ、いくぶん潮流にさからって漕いでいった。獲物をまちがいなく手に入れたかったし、鳥を目印にして手っ取りばやく片をつけたかったのだ。

 鳥はさらに上空めがけて舞いあがり、ふたたびぐるぐると輪っかをおなじ高さで描きはじめた。翼は動かないままだ。だが突然、まっしぐらに落ちてきた。そのとき老人は、海のなかからさっと飛魚が跳ねあがり死にものぐるいで水面すれすれに走りまわるのを見た。

しいらがいるんだ」老人は叫んだ。「でかい鱰だ」

 かれはオールを引っこめ、へさきにしまってあった細い綱をとりだした。それには鉤素はりすとちょうどいい大きさの鉤針かぎばりがついている。かれはそこに鰯をつけ、すばやく舷側に投げ込むと、その端を船尾のかんに縛りつけた。それからもう一本の綱に餌をつけて、へさきの板の下に巻いたまま置いておいた。老人はふたたび舟を漕ぎはじめる。そして水上を低く舞いつづける長い翼をもった黒鳥の動きを血眼で追っていた。

 老人はじっと見つめている。鳥はふたたび急降下しようとして、さっと翼を傾け、飛魚のあとを追いながら、焦るように荒々しく羽ばたいた。その瞬間に海面がかすかに盛り上がるのを、老人の目は見逃さなかった。大きな鱰の群れが、逃げまどう飛魚どもを追って海面に昇ってきたのだ。鱰は飛魚の下で水を切りながら進んでいる。飛魚は、海面に落ちてしまえばそれでおしまいだ。全速力で泳ぐ鱰が水のなかで待ちうけている。こいつはよっぽどの大群だぞ、と老人は思った。鱰はそのあたりいっぱいにひろがっている。飛魚はまず逃げられないだろう。鳥にしたってむだ骨折りだ。あいつらに飛魚は大きすぎるし、それに速くてつかまえられまい。

 老人は飛魚がなんどもなんども水面から跳ね上がるのを見た。そのたびに繰りかえされる徒労な鳥の上下運動を見た。どうやらあの鱰の大群はおれの鉤から逃げおおせたらしい、と老人は考えていた。なにしろやつらは速い。おまけにどこまで突っ走るかわかったもんじゃない。だが迷子の一匹ぐらいは釣れてもいいだろう。それにおれのねらっているでかい魚は、やつらのそばにいるかもしれない。いや、きっとそのへんにいるにちがいないんだ。

 陸のほうを見ると、雲が山のように立ちはだかっていた。海岸線はひとすじの緑色にしか見えない。そのうしろには薄紫色の丘が並んでいる。このあたりは水がもう真蒼まっさおで、ほとんど紫色に見える。そのなかをじっとのぞきこんでいると、黒みがかった水のしたにまるでふるいにかけられたように留まりながら漂う赤いプランクトンや、太陽からそそぐ光の筋交いが、ぼうっと見えてくる。老人は、綱が水中にまっすぐ垂れさがり見えなくなるあたりを、瞳をこらしてみまもっていた。かれは上機嫌だった。プランクトンが多ければその下にかならず魚がいるはずだ。太陽がこんなに高く昇ってしまったのに光の筋交いが見えるのは天気がいいからだ。陸地の雲のかたちを見てもわかる。しかし、鳥の姿はもう見えない。それどころか海上には、見渡すかぎりなにひとつ見えやしない。ただ舟のすぐそばに、陽にあたって黄ばんだ海藻のかたまりが浮いているのと、妙にこじんまりとした紫色のカツオノエボシが虹のようにきらめきながら漂っているのが見えるだけだった。ゼラチンの浮き袋がぐらりと横腹を見せ、またまっすぐ立ちなおる。黒ずんだ紫色の細い糸のようなものを水中に一ヤードも伸ばしながら、それはまるで泡のように、ふわふわとのんきに漂っていた。

「アグワ・マラ(訳注 スペイン語=毒汁)だ」と老人はつぶやいた。「この淫売女め」

 そしてオールを軽くおさえ、そのまままた水のなかをのぞきこんだ。尾を引いている細糸のあいだを縫って、それとおなじ色をした魚が泳ぎまわっているのが見える。小魚たちはふわふわ漂う浮き袋の下にも群がっていた。この魚は毒に対する免疫をもっているのだ。けれど人間はちがう。例の紫色のねばねばした細糸が網にまとわりつこうものなら、魚をたぐりよせるときに手や腕にみみずばれができる。漆蔦うるしづたの毒とおなじようなものだ。いいや、こいつはもっと効き目が早い。それに傷痕きずあとむちで殴ったようになる。

 泡のように漂い、虹色に輝くさまは目に美しい。だが、こいつらは海のいかさま師なのだ。老人は、大きな海亀がやつらをぱくぱく食ってしまうのを見るたび、胸をすかっとさせられた。海亀たちは餌にきづくと、真正面から近づき、ぱちっと目を閉じて、体をすっかり甲羅のなかに隠してしまってから、ぜんぶひっくるめて糸ごと食ってしまう。老人はとくに浮き袋を食っているのを見るのが好きだった。それからかれは、嵐のあとなんかに打ち上げられた浮き袋を角のように硬くなったかかとで踏みつけては、プスッ、プスッと音をたてながら海岸ちかくを歩くのも好きだった。

 老人は青海亀や玳瑁たいまいを愛した。優雅で速力もあり、くわえて結構な値打ちももっていたからだ。だが大きいばかりで愚鈍な赤海亀にたいしては、どこか親しみをはらんだ軽侮を感じていた。こいつは黄色いよろいをかぶって雌に不器用な言い寄りかたをする。そして目を閉じて、いかにも楽しそうに、カツオノエボシをぱくついたりするのだ。

 老人はいままで海亀とりの舟に乗りこんで幾度も漁に出かけたことがあるが、海亀には獲物をあげるときの期待なんかをいだいたことはなかった。むしろかわいそうだと思っていた。いま乗っている小舟ほどの長さがあり、重さも一トンくらいある巨大なやつもいるが、そんなのにさえ同情を感じていたのだ。だが、たいていの連中は海亀になどすこしも同情を感じていない。というのも、海亀の心臓は完全にさばかれてしまったあとでも数時間は脈をうっているからだ。老人はこう思う。おれの心臓だって似たようなものだ。手も、足も、海亀とちっともちがいはしない。老人は力をつけるために海亀の卵を食う。九月と十月にとる大物のために、五月中毎日のように卵を食った。

 老人はさめの肝油も飲む。漁師たちが釣り道具をしまっておく小屋にドラムかんがあって、そこに貯蔵してあるのを毎日コップに一杯ずつ汲んで飲むのだ。ほしいものはだれでも飲めるようになっているが、漁師たちはたいていその味をきらって飲まない。けれども漁師がいつも早起きしなきゃいけないのにくらべれば、肝油の味なんかなんでもない。おかげでどんな風邪かぜにも流行り病にもやられない。なにより目にいい。

 ふと老人は空を仰ぎ見た。ふたたび鳥が円を描いて浮かんでいる。

「やつめ、魚を見つけたな」かれは声に出していった。もう飛魚は跳ねていない。餌魚らしいものもまったく見えない。しかし老人がじっと海面を見つめていると、小さなまぐろが一匹、空中に踊りあがり、太陽の光を受けて銀色に輝きながら宙がえりして、さかさまに落ちていった。それが消えるやいなや、つぎからつぎへとべつのやつが飛びだしてきて、四方八方に跳ねまわり、あたりの水を引っかきまわし、餌を求めて強く浮かび上がる。円を描き、それから襲いかかる。

 やつらがあんなに速く動きまわりさえしなければ、あのなかに乗り入れてやるんだが、と老人は思う。だが、かれはそのへんの水を白く泡立たせている鮪の大群と、恐怖のすえ海面に追いやられてきた餌魚に襲いかかる鳥とを、じっと見くらべているだけだった。

「鳥のおかげでだいぶ助かる」と老人はつぶやく。そのとき、一巻きして足の下におさえていた船尾の綱が、ぐっと張った。かれはオールを引き、魚の重みを計った。綱を堅く握りしめ、それを手もとにたぐりはじめると、小さな鮪の激しい身震いが手に取るように伝わってくる。たぐるにつれて激しさも増していく。水面ごしに魚の青い背や金色に光る横腹が見える。ぐいと引くと、魚はふなばたをこえて舟のなかに飛びこんできた。そして太陽に照らされながら、後ろ側の船底に横たわる。がっちりとした肉付き、弾丸のような形。大きな目はといえば、なにを見ているかわからない。そのくせ、形のいい、活きのいい尻尾をびちびちふるわせて、舟板に自分の命をたたきつけている。老人は愛情のつもりで、その頭をたたき、足でどけた。魚は舟のすみでまだふるえている。

「ビンナガだ」と老人は大きな声でいった。「こいつは立派な餌になる。十ポンドはかかるだろう」

 老人はいつからか、大声で独り言をいうようになっていた。昔は、ひとりのときよく歌をうたったものだった。スマック船(訳注 魚をいれる水槽のような設備のある漁船)や亀船に乗り込み、寝ずに番をする夜なんかに、たったひとりかじをとりながらときどき歌をうたった。だが、大声でひとりごとをいうようになったのは、あの少年がからのもとから去り、ひとりになってしまってからだろう。老人にもほんとうにそうであるのか、はっきりとは思い出せない。しかし、かれと少年が一緒に漁に出かけていたころは、おたがいに必要なときにだけしか口をきかなかった。話をするのは夜になってからか、あるいは天候が悪くて舟が出せないときだけだった。海の上では、無駄口をきかないことが美徳とされている。老人もそうあるべきだと思い、その徳を守ってきた。それでもかれは、いま、思ったことを大声で何遍なんべんも口にだしていう。べつに迷惑するものもいないからだ。

「もしおれが大声でわめくのをきかれたら、きっと頭がおかしくなったんだと思われるだろうな」かれはそう大声でいった。「だがおれはまともだから平気だ。それに金持ち連中は舟のなかにラジオを持ちこんで、散々やかましくしているじゃないか。野球の放送なんかも流してさ」

 いや、いまは野球のことなど考えている場合ではない、老人は思った。いまはただひとつのことに集中しなければならないのだ。おれの生まれた意味といってもいい、ただひとつのことだけに。あの鮪の大群のまわりには大きな魚がいるかもしれない。おれはまだ食事中の落伍者らくごしゃを一匹釣りあげただけだ。たいていのやつはものすごく速く泳ぎまわって、あちこちに遠走りしている。きょうは水面から見たところ、みんながみんな、北東に向かってすばやく動いているらしい。これは時刻のせいだろうか? それともおれの知らない天候のぐあいでそうなっちまうのだろうか?

 もう緑色の海岸線は見えない。ただ紫色の丘の尾根が雪でも降ったかのように白く連なり、さらにその上には荘厳な雪山のような白雲が盛りあがっている。海水はめっきり暗くなっていて、水中には光のまたたきがそこらに見えた。数えきれないほどのプランクトンの群れも、真上から照りつける日光のせいか、まったく見えない。老人の目に見えるのは、青い水のなかにちらばる光のまたたきと、一マイルの海底に向かってまっすぐ垂れ下がっている綱だけだった。

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