世界樹の花嫁 ~プラント・ワールド~ 7
ディナー・タイム~前菜~
羽生高校特殊能力格闘大会の優勝者が決まった。
二年男子、トクザ。
今年は天蓋高校同様、波乱に満ちあふれていた。
昨年の優勝者は一回戦で姿を消し、その優勝者に勝った男も次の試合で簡単に負けた。武闘派が集い、能力に磨きをかけたツワモノたちの戦いは熾烈を極めた。桁外れのレベル。参加者のひとりひとりが充分優勝を狙えるモノたちばかりだったのだ。
そんな、混沌に支配された大会で、台頭を表したのがトクザだった。
彼の能力は『設置爆弾』
触れた場所に見えない爆弾を設置し、触れた者を爆破する。
力を抑えていたため爆死する者はいないが、それでもダメージを受けた相手は、吹き飛ばされて場外で動けなくなったり、意識を失ったり、とさまざまだった。
驚かされるのは、天蓋高校と違って、ギブアップした選手がひとりもいなかったということ。戦意の――執念の強さがうかがえる。そして、優勝トロフィーがトクザに渡されるときには、出場選手全員が顔を出したということだった。
総合体育館は大歓声に包まれ、あるいは羨望、誹謗の中、トクザがまさにトロフィーを受け取ろうとした、その瞬間だった。
大きな音を立てて、体育館の東側の壁が破壊された。
その穴から現れたのはフードで全身を隠した長身の人物。
観客、そして、出場者たち全員の視線がそこへ注がれた。
フードの人物は、体育館内の人々を吟味でもするかのように、ゆっくりと顔を左から右へと動かした。と、そのとき、出場者のひとりが動いた。「なんやねん、われ?」と息巻く男子生徒。フードの男の襟首を締め上げようと腕を伸ばした瞬間だった。音もなく切断される右腕。最初、何が起こったのかわからず、肘から先のない腕を見つめていた生徒は、遅れて痛みが襲ったのか、しばらくしてから絶叫を上げた。
怒りに燃える体育館内。しかし、トクザが腕を上げて一歩前に進み出た。
「わいだけで充分や。これは試合やない。全力で行くで」
言葉が終わると同時にフードの人物の足元が突然爆発した。その規模から、無事ではすまないとわかる。心配した先生たちが三人、安否を気遣い煙の中へ走りよった。今度は、先生たちの首と身体が、永遠の別れを告げた。
静寂に包まれる体育館。やがてモウモウと立ち込めていた煙が引いた。
そこに現れたのは無傷の男。そのマントは爆発で弾け飛び、姿を露にしていた。
彼は、人間ではなかった。
『怪物』
誰もがそう認識した。
人間の形を取ってはいるものの、その眼はガラスで出来ているかのように硬質で、口にはいくつもの小さな牙が並んでいる。髪もなく、耳もない。身体は全身、緑色の鎧を着ているようだった。鎧はライトの灯りを乱反射させ、七色の不思議な色を放射している。そして、『怪物』の両肩から、異様にするどい刃物のようなモノが二本、幾重にも折りたたまれている。特撮に出てくる怪人のようだが、その質感には現実味が加味されていて、それが作り物でないことを物語っている。
言葉を発せずに呆然とする一同に、『怪物』は指をクイクイと曲げ、かかってこいという合図をした。それを口火に、トクザをはじめ、大会参加者全員、そして、観客たちが踊りかかった。本能がそうさせたのか、細胞のひとつひとつが、『怪物』を排除しなければならないと指令を出しているかのようだった。
体育館に集まっていた者の数、三百人強。
数分後、血の海の中、『怪物』だけが立っていた。
ひとりの男がニューヨークに降り立った。
その不気味な容姿に、さすがのニューヨークの人々も足を止め、好奇の視線を投げかける。ひとりの若者が突然現れた男にぶつかって悪態をついた。それでも飽き足らず、若者は男に詰め寄った。
ひとりの女がフランスのパリにあるエッフェル塔の頂上に降り立った。
女は喧騒ににぎわう下界をゆっくりと見渡した。
それから数時間後、世界はパニックに見舞われることになる。
世界は動き出す。時間は、加速する。
天蓋高校特殊能力格闘大会、決勝戦の後、破滅へのカウントダウンが始まる。
第八章 バロックと乙女
1 憧れ――憧れ
観客の大歓声に迎えられ、ショウは控え室ではなく二階席に移動した。
ホッとした表情のミル、嬉しそうなキアラ、無表情のラナ、彼らの隣にショウは腰を下ろした。その瞬間、キアラが立ち上がり絶賛した。
「やっぱりお前はすごいよ。まさか、あのマオラを倒すなんて。あの戦法をよく思いついたな」
しかし、浮かない顔のショウ。
「試合には勝ったけど、勝負はまだついちゃいないからね。彼女を倒そうと考えたら、キアラの能力じゃないと」
「どういう意味だ?」
「たとえば、地面の大部分を鋭利な刃物やとがった針に変える。それで攻撃するともちろんダメージは変換される。だけど、それでいいんだ。反射されたダメージは地面に返る。そして、地面は破壊される。するとどうなると思う? 先ほど、『地面の大部分』と云ったよね。そこが肝心。破壊された地面は大きな穴に変わる。マオラはその穴の中に真ッ逆さま、というわけだよ」
呆然とするミルとキアラ。その『間』に、ショウは少しだけ照れた。
「かっこいい、ショウ」
「さすがだよ、ショウ」
ショウの顔が真っ赤になった。キアラにならどんなに褒められても何とも思わないが、さすがにミルに面と向かって褒められるとはずかしさが先にたってしまう。
そこで、今まで黙っていたラナが、淡々とした調子で云った。
「始まるわ、次の試合」
☆
マサムは自分では気づいていないが、どうやら髪の毛フェチである。そのことにいち早く気づいたのはチヨナだった。
中学時代から成績優秀、つねにトップの座に君臨しつづけているマサム。
知こそすべてだと考えていたチヨナがマサムに興味を示すのは至極当然といえた。
マサムに憧れ、マサムをライバル視し、そして、マサムに惚れた。
学力主義の両親に育てられ、幼い頃こそ反発したものの、次第に洗脳され、いつしかチヨナ自身が知識こそが最強の武器だと思うようになっていた。マサムがいなければ万年二位に甘んじることはなかっただろう。連日、両親に成績のことで激怒されたのだが、相手がマサムだから自分を許せた。彼にならトップの座を譲ってもいい。それならば、これからも、彼を追い続ける理由が出来る。
マサムのすぐ後ろには私がいる。
鏡を見ると、いつも落胆させられた。ボサボサの汚い髪の毛。
勉学に明け暮れ、美を見つめるヒマすらなかった。
高校一年のときに出会った、まぶしすぎる女性アサ。そして、マサムが知らず知らずアサの髪に見とれているのを見て愕然とした……途方にくれた……。
そして、数ヵ月後、あの世界樹が降ってきたのだった。
☆
七太郎の父親は、酔っ払うとよく母を殴った。
その常軌を逸した暴力は母親と七太郎を恐怖のどん底に叩き落した。暴力が七太郎自身に及ぶことはなかったのだが、原型をとどめないほど破壊されていく家具や母親の容姿を見ているだけで、自分が殴られているような錯覚を起こしたのだ。
しらふのときは笑顔を絶やさない父親だった。そのため、世間体もいい。
飲んだときとのギャップは、朝と夜、陰と陽、天と地ほども違う。
そのギャップが、夜の到来をさらに恐れさせたのである。
ある日、異常なほど殴られた母親が苦しそうに悶えていた。ヒュッヒュッと息を小さく吐き、とても苦しそうだった。そんな母親を見ていると、七太郎まで苦しくなってきた。
酸素が足りない。
肺いっぱいに空気を吸い込むが満たされない。
手足がしびれ、あたりが暗くなる。
ふと父親に視線を移すと、お酒をグイグイと飲み、テレビを見ながら大笑いしている。
その瞬間、七太郎の内で何かがはじけた。父親の笑顔を見ながら、すべての常識が反転した。
気づくと、七太郎は横たわる母親を蹴っていた。するとどうだろう。今まで水中に沈んでいたような感覚がなくなり、とてもすがすがしい気持ちになった。
こんなに酸素が美味しいとは思わなかった――。
母親の呼吸が小さくなっていく。その分が、自分へとまわってくる。
そして気づいた。
いくら暴力を振るわれても、母親は父親に媚びへつらった。そんな父親に、少なからず憧れの念が、自分の心の深奥にあったのだ、ということを。
2 判明
チヨナの髪が四方に爆発した。それは言葉の比喩で、爆発したように一気に伸びたのである。人間の髪の毛の数は約十万~十五万本ある。それらが一気に膨張し、押し寄せてくるのだ。まるで闇が迫ってくる感覚だ。
しかし七太郎は動じない。むしろ余裕すらうかがえる。
闇が七太郎の身体を飲み込もうとした瞬間、彼は能力を発動させた。
「数瞬で決めてやる――バロック」
能力を発動させるが、七太郎は髪の渦に呑まれた。が、眉をしかめたのはチヨナ。攻撃を仕掛けたのにもかかわらず、彼女は大きく跳躍して、元いた場所から離れた。
「な、何、今のは?」
すかさず髪を戻すチヨナ。自由になった七太郎は不適な笑みを浮かべる。
「へえ。髪の毛に感覚があるんだ?」
「ええ、あるわよ。だから、見えない何かが私に迫ってくるのを感じたの」
「さて問題です。その『迫ってきたモノ』の正体は何でしょう?」
それには答えず、チヨナはアナウンス室を見上げた。
彼は今、どんな表情をしているのだろう?
そして、何を視ているのだろうか?
☆
マサムは自分の能力を発動させるために意識を集中させていた。
隣のアナウンサーが試合の実況を声高々に張り上げているが、一切、耳に入ってこない。
そして、ある映像が浮かんだ。
チヨナの勝利。
未来の映像はいつまでも見続けることは出来ない。それは一瞬のひらめきのように、シャボン玉が短い時間を飛ぶように、長くは持たない。
その一瞬で、身体的損傷、疲弊度など、すべての状況を把握しなくてはならない。
マサムの視た映像は、身体中に傷を負っているが、倒れふした七太郎を見おろしながら腕を上げているチヨナの姿だった。審判がチヨナ側に腕を上げているので、勝者がチヨナであるのは間違いない。
まずはホッと胸をなでおろした。
次の問題は、彼女の傷の状態だった。
顔面蒼白、裂傷の数々、乱れた息、はたしてあのまま準決勝に進めるのだろうか。
未来が視えるといっても、経過が視えるわけではない。『結果』しか知ることができないのだ。自分の能力の欠陥に気づいてはいるが、マサムには結果を信じることしか出来ない。その『結果』からいろいろと仮説を立てて、みんなにアドバイスを与えるのだ。
そして今、チヨナにどんな策を与えてやるべきか。
いろいろ思案した結果、マサムはただチヨナに、微笑で頷くだけしか出来なかった。
☆
「ショウ、あいつの能力の正体わかったか?」
戦いの間に、キアラがそうショウに問いかけた。
ショウは迷わず首を横に振った。
「ある程度の憶測は出来るけど、確信はもてない」
「お前でもわからないか」
「でも、チヨナは強い。この試合で七太郎は全力を尽くさなくてはならなくなる。そうすると、おのずと正体をつかめると思うよ」
それに、キアラは異を唱えることは出来なかった。
ショウとキアラの会話には一切関知せず、ミルとラナは意味不明の言葉を発していた。二人の会話は、試合に集中しているショウとキアラには届かない。
「ラナ。あなたはこの妙な不安を感じない?」
「ええ、私も感じていたところよ」
「何だろうね?」
「わからないわ。おそらく、この試合の勝者が、キアラを危険にさらすからじゃないかしら」
「そうかしら」
「そうよ。だって、ふたりとも恐ろしい能力の持ち主なのだから」
「確かにね。でもキアラなら心配ないわ」
二人の会話はここで終わった。しかし、さらに追求し、未来のことに眼を向けていれば、惨劇はもっと『浅く』なっていたかもしれない。
☆
その見えない何かが、先の戦いでヒロヨシを破った原因だとチヨナは理解した。
そして、正体に気づかない限り、うかつに触れるわけにはいかない。触れた瞬間、ヒロヨシのように突然倒れ、意味不明の言葉を発し、敗北を迎えるだろう。
チヨナは髪の毛を数千本、自分の身体のまわりに漂わせた。
「へえ、そうやって俺の能力が来てもわかるようにしているんだ。いわゆるバリケードって訳だ」
チヨナは何も答えない。
「でも、こんなのはどうかな? つらぬけ、バロック!」
その瞬間、チヨナは髪の毛の一本一本に意識を集中させた。『何か』が髪に触れたらすかさず行動に移せるように。だが、七太郎の能力は幾重にも張り巡らされた髪をすり抜け、チヨナの左肩に接触した。その刹那、チヨナの肩は何か突起物につらぬかれたように穴がうがたれた。ケチャップがチューブの口から飛び出すように、チヨナの傷から赤い液体が飛び出る。
「どうしたんですか先輩? さあ、こんなもんじゃないですよ。次から次に、今の(・)能力を繰り出しますよ。無理しないで、早くギブアップしたらどうですか?」
チヨナは腕、腿、腹部と、同じような傷を負っていく。
たまらず髪の毛を総動員させて壁を作った。するとどうだろう、壁の一部がヤリで突かれたように陥没した。
「じゃあ、次はこう行きますよ。バロック!」
突然、突風が吹いた。
チヨナの身体は吹き飛び、体育館の壁に激突した。
顔をしかめながら、チヨナは小さくつぶやいた。
「気……いいえ、違うわね。もう少しで……」
☆
「気かな? いや、もっと単純な…………」
ショウのつぶやきにキアラは眉をしかめた。
「単純な? じゃあ、空気じゃないのか」
瞬間、ショウは眼を見開き、キアラを凝視した。
「それだ!」
3 シンデレラの涙
仲のいいマサムとアサ。そんな彼らを見ていると、チヨナは自分のみすぼらしさを恨んだ。しかし、美を意識し、どんなに着飾っても、アサという天性の素質に敵うはずもなかった。そしていつしか、美しくない自分を悲劇のヒロインとして認識して行き、自覚し、負の美学にとりつかれていった。退廃的思考を美と思うようになった。
ただひとつだけアサに勝るもの、それは知識。
必要以上に頭に詰め込んだこの知識が、七太郎の能力の正体に気づく力となった。
チヨナは髪の束を前に伸ばして床に突き刺した。それを思いっきり縮めると肉体がすばやく前へ跳躍した。その勢いを利用してリングに戻り、髪の毛を無数の針にして七太郎に攻撃を仕掛ける。
七太郎は両腕を払い、チヨナの攻撃を回避する。不思議なのは、髪の毛は七太郎の腕の数センチ離れた位置で払われているということ。
「今度はこっちから行きますよ」
七太郎の顔がイビツにゆがむ。明らかに戦いを楽しんでいる。
突然、チヨナの髪の毛が切断されていった。ついで、肉体に裂傷が走る。苦痛に顔をゆがめるチヨナ。
「さあ、これが最後です。バイバイ、先輩」
その言葉を最後に、チヨナの顔色が変わった。言葉を発せず、口をパクパクさせる。それはまるで水中でもがいている様子に酷似していた。膝を折るチヨナ。
七太郎は腕を高らかに上げた。くるりと回り、観客に勝利を宣言する。
満面の笑みをたたえたその顔はしかし、突然、苦痛にゆがめられた。
ゆっくりと振り返る七太郎。
ゆっくりと立ち上がるチヨナ。
「何をした?」
七太郎の問いに、チヨナは上目遣いに、
「私の髪の毛は太さも自在に変えられる。今、たった二本だけ、蜘蛛の糸のように細くしてあるの。首を触ってごらん?」
云われるままに七太郎は自分の首に手をまわす。すると、頚動脈がある位置に、とても細い髪の毛が突き刺されていた。
「何故、俺の能力がきかない?」
チヨナは、ふふ、と笑って、
「簡単なこと。あなたの能力は『酸素』を自在に操るというモノ。空気もしょせん物質。あなたは酸素を針に変えたり、のこぎりのような鋭利なモノに変えたり、気圧を変え突風を作り出した。そして最後には、私の頭部の周囲の酸素を減らした。そうやってヒロヨシを酸欠にして倒したのね。でも、残念だったわ。私はあなたの能力に気づいた。そして、髪の毛を、酸素を供給できる管にして、酸欠を防いだ。知識の勝利」
七太郎は雄叫びを上げた。
負けるわけにはいかなかった。
負けるということは、かつての母親のように、勝者に『媚びへつらう』ということ。
もうあの場所に戻りたくない。
酸素を奪われる恐怖。
もう二度とゴメンだった。
七太郎は酸素のカッター、針などを次々と繰り出した。その都度、チヨナの身体に傷をつけていく。が、次第に意識が薄れていく。酸素が足りなくなっていく。
七太郎はついに真空を作り出した。
それは人体の完全なる破壊を意味する。触れた瞬間、チヨナの肉体は弾けとぶ。これは試合だ。だから遠慮していた。しかし、もう試合なんてどうでもよくなっていた。今までに何人をもそうやって消し去ってきたのだ。ここにもうひとり増えるだけ。あとからどうにでもなる。世界中を敵にまわしても問題ない。
試合には負けるが、そして、公衆の面前で殺人を犯すが、そんなことはどうでもいい。
世界中を敵にまわしても。
『勝者、チヨナ!』
血液が脳へ送られず、意識を失って倒れふしている七太郎の身体に、覆いかぶさるようにしてチヨナが倒れたのは、勝利宣言を受けた直後だった。
☆
七太郎の傍らに、顔を蒼白にした母親が座していた。
意識を取り戻した七太郎は、母親に何も語らず、ただ白い天井を見上げていた。ふと、左腕に激痛を感じ、そこに視線を移すと、太い針が突き刺さっていた。忌々しいその針を取り外そうとしたとき、母親が口を開いた。
「試合中の七太郎の顔、お父さんと同じ顔をしていたわ。それを見ていたらとっても怖くなってね。あなたが、父親と同じ行動を取るようになってから、お父さんは優しくなったのよ。気づかなかったでしょ。昔の優しい七太郎に戻って頂戴。そうして、三人で幸せに暮らしましょう?」
七太郎は顔を背けて、唇を噛み締めた。
☆
七太郎が入院している同じ病院の一室。
全身のほとんどを包帯にくるまれたチヨナの部屋に、その男は這入ってきた。
「やあ、無事のようだね。なによりだ」
花束を持ったマサムだった。
マサムの顔を見た瞬間、チヨナの眼に熱いものが込み上げてきた。それを悟られないように顔を背ける。マサムにだけは弱い部分を見られるわけにはいかない。それだけは、決して。
マサムは椅子を寄せ、チヨナの隣に腰かけた。
「髪の毛をごっそり切られたね」
涙をこらえながら、チヨナは無理に笑顔を浮かべた。
「大丈夫ですよ。ホラ」
そう云って、髪の毛を伸ばして元に戻した。
「おお、さすがだね。よかった。チヨナくんの髪の毛は本当に美しいから。世界一、じゃないかな」
その瞬間、チヨナの眼から、涙が一気にあふれ出した。
4 加速――破滅
『え~、ここでニュースが入りました。先の試合で勝利したチヨナ選手ですが、負傷により準決勝に出ることが出来なくなりました。そして敗者である七太郎選手も試合続行不可能ということで、キアラ選手の不戦勝となり、Bブロックの優勝者はキアラ選手で確定いたしました』
歓声を鎮めて、アナウンサーは続けた。
『キアラ選手と当たるのははたして誰か? 前回優勝者ショウ選手か、それとも不気味なダークホース、ノリムネ選手か。それではもう間もなくAブロックの決勝が始まります』
☆
タツアは小高い丘にある公園のベンチに腰をおろし、遠くに見える世界樹を眺めていた。
隣には無表情に世界樹を見つめるルチの姿。
タツアは視線を変えずルチに質問した。
「すべてを教えてくれ。そうでもしないと、この心のシコリが消えそうもない。もし消え去ったのならば、俺は次のステップに進めるような気がするんだ」
それにルチは大きな息をひとつ吐き、静かに語りだした。
「いいわ。すべて教えてあげる。そのかわり、これを知ったからにはもう後戻りは出来ないわよ。それでもいい?」
「ああ、覚悟は出来ている」
☆
スケヨシは取り壊しが決まった廃工場でひとり、腕を硬化させて壁を破壊し続けていた。
頭にあるのは貪欲なまでの強さへの憧れ。
後輩にバカにされ、なめられ、女にも雑魚扱いされた。
とにかく悔しくて情けなくて仕方がなかった。
ふと、ショウの云った言葉が脳裏をよぎった。
「先輩の能力はなかなかすばらしいモノですよ。絶対に折れないし壊れない鋼鉄化した腕。使い方を考えれば先輩は強くなります。もっと、ココを使ってください」
もちろん、『ココ』の部分は頭を指差していた。
それを思い出すと、スケヨシの怒りはさらに増加した。
そして、怒りの爆発が、スケヨシにさらなる能力を開花させた。
☆
病室を抜け出したカノコは、半ば崩壊した学校の屋上へ飛んだ。
あちらこちらが変形しているが、なんとか貯水タンクの役割を果たしている塊の側で、今の自分と同じようなタンクだな、などと考えながら、雲のまばらな青空を見上げていた。
タツアに破れ、試合に参加できなかったのだが、不思議とくやしさはない。むしろ、達成感のほうが勝っているだろう。全力を尽くし、やり遂げたという達成感。
チヨナが戦闘不能になった今、生徒会の使命は絶たれた。
圧倒的な力を見せつけ、治安の維持に努める。もう、それは叶わぬ夢。
いっそのことショウを説得して生徒会に入れたほうがいいんじゃないか、とさえ考えたが、興味を持ってくれないだろうな、とその考えを振り払った。
心が落ち着き、カノコは病室に戻った。
そこにはアサがいた。
「おかえりなさい、早かったのね。ところで、今マサムがチヨナの病室に来ているらしいわ。たまには全員で集まらない?」
と、アサは片目をつぶってみせた。
やれやれ、といった感じの表情を浮かべたカノコだったが、まんざら、イヤでもなさそうだった。
5 そして、侵入
生徒会の決定事項――学園の治安を守る。
今や、生徒会会長のマサムですら諦めたことを、イヨコはただ無心に実行していた。
三年校舎、三階の男子トイレの前。
大会に参加せず、一目をはばかり、陰湿な行動に出る輩は後を絶たない。こういう連中を野放しにするわけにはいかない。むしろ、こういう連中の方が、悪質な行動を起こすことが多々見受けられるのだ。
お手洗いに向かう途中、偶然にもイヨコはいじめの現場を目撃してしまった。不良グループが一般学生を引きずり、男子トイレに消えていく現場を。
ショウに恥をかかされ、任務を失敗し、腹の底が煮えたぎっていたイヨコが、その現場に向かうのは当然すぎるくらい当然だった。
普段はマサムが事件の未来を視、それを止めるためにイヨコが狩り出されていたのだが――悪質な事件に限られるのだが――マサムは今、試合のことでいっぱいだ。なので指令はない。イヨコの独断だった。
その行動に彼女は迷いがなかった。
それが、破滅を招くとも知らずに。
☆
世界樹の湖はとても清涼なのだが、何故か小魚や昆虫の類は存在しない。人工的――人工ではないのだが――な湖であるため小動物が存在しないのは不思議ではない。しかし、それでも、生命力の強い、繁殖力の強い生物は、何処にでも、何処からか移動してきて、姿を現すものなのだが、この湖に関しては不思議としか云いようがないのである。
平日の午後ということもあって、湖に人の姿はなかった。
それ幸いにと、アリアはひとり、湖の中に足を踏み入れたのだ。
三月の水はまだ冷たかった。
ひんやりとした感触が素足にからみついてくる。
元は公園だったので、湖底はなめらかだった。
指の隙間からやわらかな土が昇ってくる。
世界樹の根元は小高い土が盛り上がっており、ちょっとした休憩場所のようになっている。そこへ向かい、陸に上がって、巨木を見上げた。
なんて巨大なのだろう。
あまりにもうそ臭く、あまりにも幼稚で、あまりにも荘厳。突然、我が物顔で地球に根差してしまった世界樹。
正体はまったくの謎。自衛隊や科学者たちはさじを投げたのか、ほとんど姿を見せなくなっている。ちらりと聞いた噂だと、どう調べても地球上の植物群となんら変わらないとか。
アリアは特に謎の究明などには興味がなかった。
世界樹が与える特殊能力においてもしかり。
アリアの脳の中は、ショウで満たされていたからだ。
アリアは一度、世界樹に祈りをささげ、腰を下ろし、水を口に入れた。
………………………………
何かが変化した、という感覚はない。
初めて能力を授かったときも変わった様子がなかったので、別に驚きはしなかった。
しかし、いっぱい水を飲んだからといって強くなる保証はない。それでもすがるしかないのだ。始まりの水を飲むしかないのだ。
アリアは再び両手で皿をつくって水を口に運んだ。
瞳を閉じ、その冷たい感覚を味わう。喉をゆっくり降りていく感覚が心地よい。
眼を開けたとき、目の前に見知らぬ人間が音もなく立っていた。
黒いフードを全身にはおり、頭部も隠れている。
がっしりとした体格から、男だと推測される。
彼は大きく反り返り、世界樹を見上げている。見上げたまま、動かない。
まるで自分の存在に気づいていないかのような様子に、いたたまれなくなったアリアは静かに声をかけた。
「あの、あなたも、世界樹の恩恵を賜りに来たのですか?」
その言葉でアリアの存在に気づいたかのように、少しだけハッしたそぶりを見せ、その男は顔をゆっくりと下げた。
つづく




