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世界樹の花嫁 ~プラント・ワールド~ 5

   第五章 暴走メテオ


     1 燃え上がる(不)可能性


 選手控え室の扉のひとつひとつに名札がかけられていて、誰がどの部屋に待機しているのかがわかる仕組みだった。敗者の名札は即座に撤去され、部屋は綺麗に整頓される。すなわち、敗者はすぐ荷物をまとめ出て行かなければならない。

 そんな元選手の控え室の一室で、何かしら物音がしたあと、突然扉がはじかれた。鉄で出来ている扉は丸くひしゃげ、反対側の壁に勢いよくぶつかった。

 ガランガランという音を立てて、扉が床に転がる。

 奇妙なのはそれだけではない。扉は内側から外側に大きくひしゃげているのだが、その凹んだ内側部分に、べっとりと赤黒い血がこびりついていたのだ。

 しばらくは廊下に、曲がった扉だけが転がっていたが、そのドアのない部屋からひとりの人物がゆっくりと姿を現した。上半身は裸で、肩で大きく息をしている。

 深閑とした廊下で、その人物は突然、壁をも振動させる雄叫びをあげた。と、そのとき、斜め向かいにあるヒロヨシと名札のかかった扉が開かれた。中からは当の本人が怪訝そうな顔色で出てきた。浅黒い顔を怒りで震わせている。

 ヒロヨシは荷物を置き、異常極まりない裸の人物を睨みつけた。

「いったいそんなところで何をしている? 今俺は機嫌が悪い。痛い目にあいたくなければ、その暑っ苦しい身体を俺の眼のとどかないところに隠せ」

 云いながら、ヒロヨシは右腕を鞭に変えた。

「まあ、そうですかごめんなさい、と云っても、逃がすつもりはないけどな」

「それはこっちのセリフだ」

 そう云って裸の男の口はしが大きくつりあがる。相手のやる気にヒロヨシも『面白い』と呼応し、音速を超える鞭を繰り出した。一直線に伸び、鞭が相手をとらえた、が、微動だにしない。鞭が効かない相手は何人かいた。だからヒロヨシは驚かない。そこで今度は鞭の先をハンマーに変えた。じゃっかんスピードは落ちるが、それでも、常人では反応しきれないほどの速さをたもつ。

 その先端が相手をとらえた。瞬間、ゴギンというある種何かが折れる音が廊下をひびかせる。しかし、ヒロヨシは追撃をやめない。二発目をくりだす。が、相手に届こうとしたそのときだった。足元に広がる異変。地面が揺れたような感覚が全身をつたい、ヒロヨシは顔を下へ向けた。錯覚などではなかった。自分のまわりのコンクリートの床だけが、ぼこぼこと崩れながら盛り上がってきた。前方へ逃れようと姿勢を低くするが、眼の前には裸の人物が立っている。鈍い音を響かせたのに、ダメージはないようだ。そこで機転をきかせ、後方へ飛びのくが、何かにぶつかった。振り返るヒロヨシ。

「壁?」と、もらすヒロヨシだったが、さらに驚くべき現象が起こった。

 蛍光灯が次々と割れた。何事かと見上げると、天井がコナゴナになりながらおりてきたのだ。落ちてきたのではない……おりてきたのだ。このままではコンクリートに挟まれる形となる。後方には壁、道は前にしかない。ヤツのいる、前方へ。

 ヒロヨシは右手を剣に変えていた。振り上げながら裸の人物に飛び掛かる。

 この一振りで活路を見出せれば体勢を立て直せる。小さく息を吐き、ヒロヨシは相手の肩に剣を振り下ろす。が、男の身体が硬直でもしているのか、剣は乾いた音とともにはじかれた。

 

 そこで、ヒロヨシの記憶が飛んだ。

 最後に見た光景は、視線の片隅に残る、迫り来る壁だけであった。


     ☆


『もう一度おさらいしましょう。準々決勝に勝ち進んだのは、Aブロックからアサ、ノリムネ、カノコ、マオラ。Bブロックはキアラ、スリカ、チヨナ、七太郎となっております。なお、準々決勝からは一試合ずつ行います。最初にAブロックの第一試合、続いてBブロックの第一試合、そして、A、Bブロックの第二試合の順で闘われます。ハイ、説明終わり。まどろっこしいルールはこれでおしまい。それでは、準々決勝第一試合、アサ対ノリムネの開始だ! 最初に現れたのはノリムネ選手。相変わらずの無表情。やる気があるのかないのかさっぱりわからないが、マサムが恐怖した男だ。何かが起こるぞ! おっと、続いて俺たちの女神、アサ様の登場だ。なんて神々しいお姿なんだ。ボン、キュッ、ボン。おお、もういっかい、ボン、キュッ、ボン! エンジェル~!……え~オホン……それでは、準々決勝第一試合、スタートです』


     ☆


 マサムはアサと書かれた名札の扉を、不安げな表情でドンドンと叩いた。しばらくして、中からアサが顔を出した。

「ちょっといいですか?」

 アサは何かを察知したらしく、快くとはいかないが、マサムを招き入れた。

 ソファに腰をおろすとマサムはさっそく本題に入った。

「僕が来たのは他でもありません。アサくんに忠告をしに来たのです。試合の結果が視えたわけではない。それは期待しないでください。そうではなく、ノリムネの能力を視ての忠告です」

 アサはなんだか神の啓示を受けているような感覚になった。しかし、そうではないことは長年の経験で知っている。

 彼とは中学一年からの腐れ縁だったからだ。

「私も彼の能力は見たわ。なんとなく予測はついたんだけど、くわしく教えてくれる?」

 マサムは大きく頷いた。


     ☆


「今、揺れなかったか?」

 わずかな振動に気づいたのはショウだった。ショウの言葉に眼を見合わせる三人。

 キアラは不思議そうな表情で、

「いや、気づかなかったが」

「お前は試合が控えているんだ。ここで待っていてくれ。ちょっと見てくる」

 ショウに続いてミルも腰を上げる。それを見て、

「ミルはここにいたほうがいい」

 だが、ミルは首を横に大きく振った。

「ワタシはもうショウから離れないと決めたの」

「えっ! とても嬉しいことを云っているけど、どういう意味?」

 ドギマギしながらもショウはほころぶ顔を隠せない。それとは対称的にミルは真剣な表情で云う。

「ショウが一年の校舎にひとりで行ったとき、ワタシは後悔していたの。もしもいっしょに行っていれば、あそこまで危険な眼にはあわなかったかもしれない。ひとりで行かせたワタシの責任。だから、これからは、ショウをひとりにはしないと決めたの」

 ショウは少しだけ考えて、真っ直ぐミルの眼を見つめ返した。もうその顔に、ゆるぎはなかった。

「嬉しい言葉なんだけど、能力者同士の戦いに巻き込まれるのは危険だ。ボクでも君を守れるような相手なら問題ないんだけど、勝つのが精一杯の相手だっているんだ。だから、危険は避けたほうがいい」

「つべこべ云ってないで行くわよ。ワタシには相手の能力の強さや、危険を察知する感があるの。さっきのラナといっしょ。だからショウについて行って、危険を避けさせるんだから。いい? わかった?」

 突然の剣幕に、ショウだけではなく、キアラまでもが眼を丸くした。それにはただ、頷くしかなかった。何故か関係のないキアラまで頷いていた。


 従順……①素直で人に逆らわないようす ②内心、怯えているようす


     ☆


 アサとノリムネが対峙した。アサは余裕の表情で、ノリムネはやる気のない顔。

 アサは妖艶な笑みを浮かべノリムネに詰め寄った。

「あなたの能力は第一試合で見せてもらったわ。でも、私の能力は謎のままでしょ。どっちが優勢かわかる? 悪いことは云わない。死にたくなければ棄権しなさい」

 それにノリムネは言葉を発するのもおっくうそうに答えた。

「能力を見た、見てないなんてどうでもいいんですよ。アサ先輩がどんな能力だろうと、俺には通用しませんから」

「ふう、まあ、そう云うとは思っていたわ」


 マサムはアサの肩をつかんですごい剣幕だった。その様子にアサは言葉を失った。

「ノリムネの能力は何処か異常だ。絶対に油断するな。これは大会なんだ。命の危険を感じたらすぐに離脱しろ」

 温厚なマサムの言葉とは思えない口調だった。

「わかったわ。準決勝のことなんか考えないで、全力で行くわよ。そして、無理はしない」

「その意気です。ショウ以上の相手だと思ってやってください」

 落ち着きを取り戻したマサムはいつもの口調に戻っていた。

「これであなたの腕は大丈夫でしょう……」

 不思議そうな顔をしているアサに、マサムは付け加えた。

「視たのですよ。あなたの腕が切断されるところを」


 アサはどう攻めたものか考えあぐねていた。それというのも、先の闘いでノリムネの能力を見たといっても、それは一瞬の出来事だったから、はっきりと見た、と断言はできないのだ。影のようなものが出てきて、それが攻撃を繰り出した。ただそれだけ。マサムが云うにはその影に気をつけろとのことだったが、まずは間近で影そのものを見てみないことにはどうにもできない。それには全力で挑まねばならないだろう。今まで、マサムとカノコ以外には見せたことのない能力の全貌。ムミとの闘いでも片鱗しか出さなかったチカラ。

「一回戦の相手ムミにも云ったんだけど、私の能力は手加減ということが出来ない性質なの。だから今のうちよ、棄権するのわ」

「くっくっく。いいことじゃないですか。もともと強大な能力が必要だから俺たちに与えられたチカラなんだから」

 アサは眉を細めて、

「それってどういう意味。まさか、人間に能力が芽生えた原因を知っているの?」

 しゃべりすぎた、といった顔をしたノリムネは、自ら前に出た。

「今はおしゃべりの時間じゃない。さっさと始めましょう先輩」

「あなたには試合後、訊かなくちゃならないことがありそうね」

「身体の治療でそれどころじゃないと思いますけどね。来い、タナトス!」

 その直後、ノリムネの前に黒い影が現れた。それは黒いフードで全身を覆い、右手には錆びついた大きな鎌が握られている。。顔は骸骨で、眼は暗い空洞となっている。そう、絵画などで眼にしたことのある死に神そのものだった。

「見えるわ。そいつに気をつければいいのね――シンリ」

 次はアサの能力の発現だった。彼女の左右に別のアサが現れる。アサの能力は分身。しかし、突如姿を現した二人のアサは、何処か普通じゃない。ただの分裂ではない。理由を、具体的に説明は出来ない。その不審感は観客の静けさを見れば明らかだ。ただの分身ではない何かを含んでいるアサの能力。


     2 むなしき上昇気流


 物音ひとつしない暗い廊下――もう少しすれば準々決勝が始まり、遠くからの歓声で少しは寂しさを紛らわせられるだろうが、今はショウとミルの息遣いしか響いてこない。

 二人の眼に、崩れた一画が飛び込んできた。廊下の一部分だけが崩壊しており、それが、自然災害でないことを物語っている。

 ふと、ミルの注意が扉のない部屋へ向いた。ショウをそこへ入るように促す。

 個室は窓がないため、灯りをつけていないと暗闇となる。ショウは懐中電灯で部屋を照らした。ベッドやテレビ、冷蔵庫といった備え付けがすべて破壊されている。壁もあちらこちらが崩れていてそれをゆっくり左から照らしていくと、ある場所でピタリと止まった。

壁に血痕が残った場所、懐中電灯を下へ移動させると、わき腹から血を流している清掃員の男性が壁を背に寄りかかっていた。

 ミルが彼の元へ駆け寄る。

「死んではいない。意識を失っているだけだわ。でも、早く医者を呼ばなきゃ」

「わかったよ。でも、ひとつだけ訊きたいことがあるんだ。それは、ここが誰の部屋だったのか、そして、誰がやったのか、だ」


     ☆


『いよいよ始まりましたね、アサ対ノリムネの闘い。それではここでマサムさんにこの闘いの結果を予想してもらいましょう』

 バトンを渡されたマサムはひとつ咳払いをした。

『非常に難しい質問です。同じ生徒会としてアサ選手、と云いたいところですが、ノリムネ選手の強さは異様です。アサ選手の能力を知っているのは全校生徒の中でおそらく私とカノコくんだけでしょう。これだけは云っておきます。アサ選手の能力も恐ろしいものです。が、それでも、この闘いを予測することは不可能です。それほど能力は拮抗していると云えましょう』

 アナウンサーは眼を丸くしてマサムに詰め寄った。

『アサ様の能力を知っているのですか? それはいったいどんな』

『はははは。ここで云うことは出来ませんよ。でも、この闘いできっと全貌を知ることになるでしょう』

『なるほど、それでは試合に集中することにしましょう。おっと、そうこうしているうちに動きがありました。先に動いたのはノリムネ選手だ!』

 アナウンサーの実況でアナウンス室に眼を向けていた観客も、リングに視線を戻した。しかしマサムだけは、あらぬ方向に眼を向けていた。

「危険だ、カノコくん!」

 実況に身が入っているアナウンサーに、マサムの独り言は耳に届かなかった。


     ☆


 カノコは屋上にある貯水タンクの上にひとり腰掛けていた。その視線は遠くを見つめ、何かを見ているというわけではなさそうだった。サラサラの髪が強い風で左右に揺れている。ダテ眼鏡をはずし、それを遠くに投げた。

「きっと優勝して、父親を見返してやる……」

「兄のことを考えていたのですか?」

 振り返るとそこにはマサムが立っていた。口元には微笑が浮かんでいる。

 カノコはマサムに上がって来いと手招きしたが、一瞬考えて、右腕をジャンプさせた。マサムの眼の前にカノコの腕が現れ、その腕がマサムの身体に触れた瞬間、マサムの身体はタンクの上に移動していた。

 カノコの隣に腰をおろし、マサムは驚きの声を上げた。

「まさかここまで能力がアップしているとは思いませんでした。よくぞここまで頑張りましたね」

 答えないカノコにマサムは続けた。

「あなたはずっと兄と比べられていましたね。それをコンプレックスにここまで強くなったわけですか」

「その話しはもうしないでくれ」

 そう云ったカノコの顔はトテモ悲しげだったが、それでもマサムは続けた。

「私から云わせれば、あなたと兄の知力、洞察力などはほとんど同じです。でも、あなたの両親の一方的な――」

「やめてくれ!」

 そこでマサムは口を閉ざした。代わりにカノコが続ける。

「そんなことはわかっている。両親は、いや、父親は兄貴が好きなだけだ。俺のことなんか眼中にない。俺がどんなに頑張っても、兄貴を追い抜いても、父親には届かない。そんなことはわかっているんだ」

「その悔しい気持ちがあなたを強大にしたのですね。生徒会にとってトテモ良いことです。いや、私にとっても。いつかきっと、報われる日がくるでしょう」

「気休めはよしてくれ。それよりも、いったい何しにここに来たんだ?」

 マサムは、まあいいでしょう、と肩をすくめ、

「カノコくんを探した理由は他でもありません。あなたの対戦相手、マオラについてです」

「そのことか。大丈夫心配ない。ここに来る途中、チヨナと会ってね。彼女からいろいろとアドバイスをもらったから」

「ほう、なら大丈夫でしょうね。あなたの試合はまだ視る事ができないから心配でしてね。でも、それを訊いて安心しました」

「そんなことより、俺とアサが準決勝で闘うことを心配しておけよ」

「はははは。どっちを応援すればいいんでしょうね――ん?」

 突然、マサムの顔色が変わった。それは今までの経験上、未来を視たときの症状であることをカノコは知っていた。マサムはカノコの視線を汲み取って慌てて言葉を発した。

「少しアサさんのところへ行ってきます。試合結果を視たというわけではないのですが」

「送ろうか?」

「いや、大丈夫ですよ。歩くことは好きなので」

 マサムを下までは飛ばした。礼を見送り、カノコは再び過去に思考をめぐらせた。つねに比較され続けた人生。親に対する怒り、兄に対する逆恨み、無関係を装う母親、そのすべてから逃げ出したいと思ったことがどれほどあったろうか。

 カノコには異常をきたすほどの心の病などなかった。身体的欠陥もなかった。しかし、今ある現状からは逃れられるかもしれない、いや、行動を起こすことで、何かのきっかけになるかもしれない、と湖に行ったのである。


     ☆


「医者を待つより、湖の水につけるほうが早いんじゃないか? カノコ先輩にお願いすれば数秒で済むし」

 血まみれの清掃員からはとても話を訊き出せる状態ではなかった。出血が止まらず、助けるには急を要する。男を肩に担ぎながらショウはそう云った。

 だが、ミルがショウの言葉を否定する。

「ショウは何か勘違いをしている」

「勘違い?」

「世界樹の湖は病を治す。もしかしてそれを信じているの?」

「え? そうじゃないのか。だってヒロヨシの腕も治ったし、ボクの血の病気も治った。それだけじゃない。キアラの潔癖症も治ったし」

 ミルはショウの言葉に頷き、そして付け加えた。

「勘違いするのも無理はないわね。いい? 水は病を治すのではない。想いの強さを叶えるの」

「まさかそんな。ということは、病気は関係ない? 誰でも能力を得られる可能性があるの?」

「誰でもってわけではないわ。想いが弱い者は、能力を得られない。病気を治したい、ケガを治したい、それにこうありたいという想い……情念……その強さによって願いはかなえられる」

 ミルのまなざしは、決して嘘をついているようには見えなかった。


     ☆


「何だ。まだ用でもあるのか?」

 人の気配にカノコは背後を振り返った。しかし、そこに立っていたのはマサムではなかった。上半身が裸の男。

 カノコの眼の色が変わった。すっくと立ち上がり、殺気をおしげもなく放つ。

「その感じ、やる気か? 殺人鬼タツア」

 一連の騒動の犯人はタツアであった。彼の眼は怒りとも焦りともとれる一種異様な空気をはらんでいた。


     ☆


 ノリムネの能力……精神力によって死に神をつくりだすことが出来る。死に神は影のように実体がないが、その手に触れられると魂を抜き取られ、振り下ろす鎌は実際に身体を切断させる。死に神はノリムネの半径三メートルほどしか離れられず、それ以上行くと消滅してしまう。鎌のリーチは別である。


 死に神がアサに飛び掛かる。殺すことは出来ないため鎌を逆手に持っている。アサは距離を取り攻撃をかわす。そして、彼女の能力が発動する。もうひとりのアサがノリムネの背後に現れた。ノリムネはその存在に気づき、前方へ飛びのく。

「どうしたの、パニックを起こしているように見えるけど?」

「俺は余裕を理由に隙は見せない。先輩の能力は何処か変だ。だから必要以上に警戒しているだけですよ」

「いい判断ね。たしかに私の能力はただの分身じゃない。でも、その秘密を知った瞬間、あなたは死に至る。そう、ムミみたいにね」

「あいつは死んでいないはずじゃ?」

「本当にそう思っているの、ノリムネくん?」

「まあ、いいです。俺には関係ない」

「あなたも彼女のようになるのよ」

 お互いに笑顔を見せるアサとノリムネ。不気味という以外なにものでもない。異様な二人。観客たちは空気を察し、固唾をのむ。

 ノリムネの左に分身したアサが移動した。それに気づき、ノリムネは死に神を送る。しかし、分身のアサはすぐに消え、今度は右手に沸いて出た。アサは右拳を下から振り上げる。ノリムネはそれをボディーに食らい大きくのけぞる。

「死に神の姿が見えれば恐れることはないわね。それとね、私の分身は何百体と出せるわけじゃない。だから心配しないで。教えてあげるわ。全部で三体。でも――」

 ノリムネは口から血を吐き出した。お腹をさするが、致命傷のような傷を負っていない。しばらくすれば治ると見込み、彼は死に神を繰り出した。が、ことごとく空を切る。

 左から、右からとかわるがわる声がする。

「私の能力は――」

「性格には――」

「分身ではないの」

 ノリムネは背中にひざをもらう。片足をつき、振り返るとそこには三人のアサが並んで立っていた。

「私の能力は分裂。一体一体がそれぞれ実体を持っている。まあ、それだけじゃないけどね」

 ノリムネはゆっくり立ち上がると、口はしをいびつに吊り上げた。ぞっとするようなその笑顔は、優位に立っていたアサの立場を、元の位置まで引きずり戻す効果を持っていた。やはりマサムの不安は的中している、とあらためてアサは背筋を凍らせた。

「あのムミとかいう女を倒したときみたいに、今の攻撃で勝負をかけていれば負けていたかもしれない。だけど、警戒からですか? それともいたぶるのが目的だったのか。どちらなのかはわからないが、先輩は能力を見せすぎた。おかげで謎が解けましたよ。もう、先輩に勝ち目はありません」

 ノリムネの言葉には、確信というものがありありとふくまれていた。


     ☆


 清掃員を保健の先生に託すと、ミルに導かれるままショウは三年校舎の階段をのぼった。何処に行くのか尋ねると、屋上から何か嫌な気が感じられると云った。ショウは、ミルが危険を察知する能力があるということを信じ、ただ黙って後をついていった。屋上へと続く扉へたどり着いた。するとドアの前に、ミルと瓜二つの少女、ルチがひとり立っていた。何をしているのか。緊張をともなった彼女の顔からは嫌なコトしか連想されない。

「そこを通してくれない?」

 少しだけ臆病風に吹かれていたショウに代わって、ミルはどうどうとした態度で云った。

 ルチはやんわりとだが、決して譲らないといった調子で答えた。

「ごめんね。それだけは出来ないの」

 その答えを聞いて、ミルは眉をキッと寄せた。

「ルチは急ぎすぎている。そんなことじゃ、きっと――」

 そこでミルは、ハッとして口をつぐんだ。

《きっと》の先にはどんな言葉が続いていたのだろうか。ショウは気になったが、今はそのことには触れないことにした。


 配慮……①気を配ること ②時にはとても大切なこと


 臆したミルに助け舟を出すようにしてショウが云った。

「じゃあ、言葉を変えよう。いったい、屋上では何が行われているんだ?」

 数瞬考えたのち、ルチは正直に答えた。

「戦いよ」

 その瞬間、足元に振動が伝わった。控え室にいたときわずかに感じられた感覚と同一の振動。そこでショウが動いた。

「ルチさん、どいてくれないなら、力づくでも通してもらうよ」

「その必要はない」

 突然、屋上へとつながる扉が開かれた。

 そこに立っていた人物とは――。


     ☆


「私に勝ち目がないですって?」

「そうですよ。謎は解けました。分身――いや、分裂した肉体はそれぞれ《質》が違う」

 アサの顔から緊張と疑いの色が消え、代わりに恐れのような影が現れた。

「あなたまさか……」

「そう、全部わかりました。身体は三つ。ひとつは普通の肉体。ひとつは精神の肉体。ひとつは魂の肉体。精神の身体は超人的なチカラを持っている。それから魂の身体は人間(ひと)の魂を持って行くのですね。ムミを襲った攻撃は、魂のほうの身体が行った。そして、今まで俺を攻撃していたのは精神のほう。だから、肉体的苦痛を与えるだけにとどまった。ここまで云えば、俺が勝てるというのは、空論ではないとおわかりですね」

 アサの額から、ひと筋の汗が流れ落ちた。

「すべてあなたの云うとおりよ。でも――」

 アサの言葉をノリムネが制した。

「弱点である普通の肉体、それを見極めるのは簡単です。それは、死に神の眼を借りればいいだけのこと。死に神の眼は俺たちとは違う次元を見ている。人間の魂、精神、運命、死期。アサ先輩、あなたがどんな策を労しようと、すべてお見通しですよ。でも心配しないで下さい。今は殺し合いじゃない。試合です。腕くらいを落とす程度でかんべんしてあげますよ」

『あなたの腕が切断されるのを……』

 アサの脳裏にマサムの言葉がよぎった。

 マサムの能力は確定ではない、仮定なのだ。人の未来はいくつも枝分かれしている。しかし、マサムが視るのはその内の一番強い未来。太い道。すなわち、意識せずに行動すればかならずおとずれる未来。だけど、今の自分は違う。腕に危険が迫っていることを知っている。その、『知っている』ということは、運命を避けることが可能なのである。だけどもし、意識して避けようとしてもおとずれる未来があるのならば。

不安が増す。

 アサはちらりとアナウンス室に視線を走らせた。ノリムネの言葉を信じ、ここは棄権したほうがいいのか、それとも奥の手を使ってでも闘えばいいのか、マサムに助け舟を求めた。

 マサムの右手がピクリと動いた。何か指示を出すのかもしれない。その一挙手一投足を見逃すまいと、顔を二階に向けた。それがいけなかった。一瞬の隙をついてノリムネが動いた。

「俺と対峙していて、隙を見せるなんて……ジャッジ!」

 死に神が前方に飛び出した。

 顔を元に戻したときにはすでに死に神の顔が間近にあった。頭蓋骨の細かいヒビまではっきりと見える。

 アサの奥の手とは、三つの肉体を消すことなく瞬時に変換させることであった。普通の肉体を一瞬で精神の肉体と入れ替える。それを瞬きの間に行える。ノリムネが分裂の正体に気づき、弱い肉体を攻撃することが出来るのをほのめかしても、何も恐れることはなかったのだが、死に神の話を聞いて考えが変わった。精神の肉体はどんな攻撃も受けつけない。すべてをはね返す。だが、残りのふたつは……。瞬時の切り替えを行っても死に神に見破られてしまう。これが試合でなければ問題ないのだが、白線でくぎられたこの狭いリングの中ではすぐに追いつかれてしまう。だけどヤルしかない。このままでは腕を失ってしまう。アサは決意をかためるとすぐに行動した。勝機はノリムネが本気を出していない今しかない。

 ノリムネの背後に魂の方の分裂体を移動させる。

 死に神の移動は早いといっても二、三メートルの距離を一秒。その時間があればじゅうぶん間に合う。自分の変換の方が早い。アサには勝算があった。

 ノリムネは自身を守るため死に神を戻した。一秒――アサの予測どおり。死に神はそのまま魂の分身を攻撃する……が、アサの分身の姿が笑みを浮かべたまま消える。

 アサの最大の強さはその速さにある。光の点滅のように、部屋の電気がついたり消えたりのように、分身を消したり出したりできる。そして、三つある質の違う身体を瞬時に変えられる。精神の身体を魂の身体に。そのスピードがアサの強さだった。

 ノリムネは殺さないように、アサの弱点である普通の肉体は狙わない。彼が攻撃を繰り出した瞬間、切り替えればいい。そうすれば手を止める。もう精神の肉体での攻撃はやめる。いたぶるのはやめる。次は魂のほう。そうして、ムミと同様、ノリムネの魂のみを破壊する――。

「――もう飽きた」

 その言葉でアサの背筋に氷の塊が突き立った。ノリムネの眼が感情をなくし、言葉にも人間らしさが感じられなかった。何かが変質したのを、アサは察知した。その瞬間――。

「参りました」

 アサの口から出た突然の言葉には、悔しさと、諦めと、申し訳なさがふくまれていた。


     ☆


 こうなることはわかっていた。アサの敗北はすでに知っていた。

 五分後の未来を知ったところでどうにもならない運命だった。

 いろいろ模索した。どんなアドバイスを送れば回避できるのか、どのタイミングで合図を送れば運命を変えられるのか、そのどれもがひとつの未来を指していた。

 アサの敗北。

 一度に視ることの出来る未来には限界がある。たった五分ではたかがしれている。自分の能力は無力だ。誰も救えない。

 無力な人間で無意味な能力。

 考えを改めなければならない。

能力の意味を深く理解しないといけない。

 透視という能力を過信しすぎていたために、アサと……それから、《カノコ》が、敗北したのだから。




   デザート・タイム


 東の天蓋高校、西の羽生(はにゅう)高校、この二校は武闘派が集まることで有名な学校である。

 そんな羽生高校の隣には広大な公園が広がっており、中央あたりに黒く濁った小さな池が横たわっている。池の中には小魚、水生昆虫、スイレン科のハスやコウホネ、ヒツジグサといった水草が生い茂っている。小動物にとってはまさしく楽園だった。

 そんな池のほとりに、かなりの巨体を持った緑色のカマキリが一匹いて、池の中に潜んでいる生物を狙っていた。ヤゴ、オタマジャクシ、ドジョウ、グッピー、アメンボ、獲物はなんでもいい。

 東から西へと車の荷台に紛れ込み、長い旅を経たカマキリはトテモ空腹だった。

 カマを折りたたみ、戦闘態勢を取り、獲物が水面に上がってくるのを今か今かと待ち構えていた。とそのとき、陽光をさえぎる黒い影があった。

 不審に思ったカマキリは視線を頭上に向けた。すると、自分を見おろすように腰をかがめている人間がいた。いや、人間のような背格好をした生物が、自分をジッと見つめている。全身をフードで包む異形の生物。

 そいつが自分を捕まえようと手を伸ばした。

 食事の邪魔をされたカマキリは怒った。

 ターゲットをその指に変え、自慢のカマを放った。

 ガギッという鈍い音が響き渡り、カマが生物の指を捕らえた。カマキリはそのまま生物の指に食らいついた。今までに味わったことのない奇妙な味だったが、空腹に狂ったカマキリはひたすら食べ続けた。

 指を食われている生物が、ググッとくぐもった声で笑った。苦悶の声ではなく間違いなく笑ったのだ。何故笑っているのかわからない。しかし、カマキリはその不思議さにかまうことなく夢中で指を食べ続けた。食べて、食べて、生き残り、子孫を残すために。

 おもむろに背中をつかまれ、持ち上げられた。

 手足をばたつかせるが、弱点をつかれているのでどうすることも出来ない。

 生物は眼の位置まで持ってきて、まじまじと観察した。しばらくして、満足したのか、カマキリを池のほとりにゆっくりと置いた。

 行動の意味はさっぱりわからない。

 だがそのことは考えず、カマキリはまだまだ満たされない空腹を満足させるため、再び池の中にターゲットを向けた。

 そして、人型の生物は腰を上げ、ゆっくりと羽生高校へ向けて歩を進めた。グッグッという低い笑い声を響かせながら。


                                           つづく

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