世界樹の花嫁 ~プラント・ワールド~ 4
第四章 ぶるぶる
1 消えた可能性――あるいは……
マオラは暗い控え室でひとり、頭を抱えながらうずくまっていた。彼女が何をしているのか、それは、今の彼女を見ても、何も、誰もわからない。試合に対する不安か、それとも祈りか。
口からは何かぶつぶつと呟きがもれている。そして、彼女の右手には、ところどころ色の剥げ落ちた救急車のミニカーが、トテモ力強く握られていた。
☆
『Aブロックからはマオラちゃん対シブ選手。いずれも初出場。能力の噂を耳にしているのはマオラちゃんのみ、話によると彼女の能力はダメージの変換。自分に受けた傷を相手に変換する。すなわち、彼女への攻撃は自分への攻撃となるのだ。どう対処するのだシブ選手。Bブロックからは七太郎対ヒロヨシ。ヒロヨシは前大会ベスト八にまで進みました。右腕を何にでも変えられる能力が、どこまで進化しているのか。そして対するは一年の間で最強をサヨリと二分していた七太郎。如何なる能力なのか。もう間もなく始まります』
選手控え室に戻ってきたキアラとミル、そして、キアラに抱えられたショウ。
出迎えたラナはショウをベッドに寝かし、ぬれたタオルを用意した。
ミルはベッドの側に椅子を用意して、ショウの手を握った。彼女の方が病人に見えるほど蒼ざめている。
「ショウくんは大丈夫なの?」
心配そうなラナにキアラはいつもの感じで答えた。
「心配ないよ。よくある貧血だから。しばらく寝てれば元気になる。それよりも第三試合はどうなったんだ?」
「勝者はカノコとチヨナ、順当な勝ちね。くわしい能力は――」
☆
『決勝トーナメント一回戦もいよいよ最終試合。それでは各選手の入場です』
マオラとシブ、七太郎とヒロヨシが向かい合う。
『それでは、第四試合、スタートです!』
シブは記憶力が極端に低かった。生まれたときからそうではなく、記憶力の悪さは後天的なものだ。その原因というのは彼が五歳のときの事件がきっかけだった。彼の両親はともにスーパーマーケットで働いており、社内恋愛の末結婚した。最初の数年は仲良く過ごしていたが、次第に険悪な雰囲気になっていった。原因は父親の浮気なのだが、母親の夫に対する愛情は常軌を逸していた。いわゆる凶愛、ストーカーじみた感覚に近かった。異常というしかないその行動は、シブの知らないところで行われていた。夫を寝室に監禁し、叫べないように舌を切り落とし、さるぐつわを巻いていた。それだけでは収まらず、逃げないように手足を切断してしまったのである。だが、素人がそういう状態まで持っていって、無事ですむはずがなかった。徐々に弱っていく夫。輸血を試みるも、正しく静脈に刺さっているのかわからない。食事も取らない。どうすれば元気になるのかわからない。
ある日、まだ幼かったシブは、家で独り忍者ごっこをしていて、たまたま両親の寝室に入ってしまった。八方ふさがりで冷静さを欠いていた母親の不注意で、カギをかけ忘れていたのだ。そこで眼にした異様な光景。しかしその光景が幼いシブには犯罪へとつながらず、父親は遊んでいるのだと勘違いする。そこに戻ってきた母親。その顔は、悪夢でしか見たことのないような、本でしか眼にしたことのないような、想像を絶するほど恐ろしい顔だった。
「このことは忘れなさい!」
有無を云わせない剣幕だった。何よりも母親の顔の変わりようを信じられなかった。これほど恐ろしいものがあろうか。記憶を消したいものがあろうか。
「シブは何も見なかった。寝室には誰もいない。お父さんは仕事に行っている。いい、わかった? わかったわね!」
シブはぶるぶると震えながらうなずいた。
それからしばらくして、ある夜、シブはトイレに起きた。ゴソゴソ物音のする玄関を覗いてみると、そこには血まみれになっている母親の姿があった。その足元には肉の塊が転がっている。それが何なのかシブにはわからなかった。しかし、シブの存在に気づいた母親は、鬼と化した。
「あんたは~!」
シブの元へ走ってくる母親……いや、化け物…………。化け物はシブの身体を鋭く掴み、吐き気を催す息と赤い液体をシブに吐き散らした。
「いいわね。あんたは何も見ていない。今夜はずっと眠っていた。お父さんも私もぐっすりと眠っていた。いいわね。いいわね!」
翌日からシブはいつもの明るい男の子になっていた。優しい母親。いつも忙しくて家を空けている父親。シブは平和な家庭に、トテモ満足していた。
シブは中学に入学してから、自分の異変にウスウス疑問を持ち始めた。少しでも困難や悩みにぶつかったり、嫌なことに直面すると、記憶がすっぽり抜け落ちてしまうのだ。それは自分では気づかなかったのだが、友人に、お前ちょっとおかしいぞ、と指摘されて、それから意識するようになった。
疑問を持ち続けて、イロイロと検証して、そして、はっきりと自覚した。
俺は記憶の障害を持っている。
世界樹の湖は病を治す。その噂に、飛びつかないはずがなかった。
☆
ヒロヨシの右腕が棘の生えた鞭に変化した。骨折をし、自分のものではなくなっていた右腕が、今では想像を超える超人的能力を身につけたのだ。以前までは、もっとスピードを、もっと精密なコントロールをと考えていたが、自分が望む以上のチカラを授かったのだ。その、スポーツを凌駕する能力が、ヒロヨシの意識を変化させた。野球にかける気持ちを萎えさせた。
力で他人を支配できる可能性。
店長という役職は数十人の部下を支配する、社長は何百人という部下をころがす、会長は。ヒロヨシはその欲望にかられた。上を目指すという野望に。
その渇望がヒロヨシを大会に駆り立てたのである。
次こそは優勝を、そして、本当に目指している場所へ。
相手は一年生の七太郎という男。短く刈り上げた髪に細い眼、少しヤンチャな感じがするこの男がどんな能力を持っているのかはわからない。しかし、自分の持つ渇きが、こんな若造に負けるはずがない。敗北するわけにはいかない。
ヒロヨシは鞭を繰り出した。鞭という武器は音速を超える。その攻撃は音があとから耳に届くほど早い。眼で追うのは不可能。避けられる人間は存在しない。ヒロヨシは度重なるケンカでそれを実証した。もちろん、その中には能力者もいた。それらの誰もが鞭に反応できず敗北していった。軌道の見える剣や根ではない、最強の武器は鞭なのである。触れた瞬間肉をそぎ、鋼の棘は骨をも砕く。
右手が変化した鞭は意のままに動かせるため、モーションはない。よって相手は、いつ、どのタイミングで、鞭が襲ってくるのか見えない。回避不可能。
ヒロヨシは七太郎の左腕を粉砕するつもりだった。そこに遠慮はなかった。
鞭は大きく弧を描き対戦相手の左腕に伸びでいく。ヒロヨシのイメージでは血飛沫を上げて肉体から吹き飛ばされる左腕が見えた。だがそれがどうだ、ヒロヨシの繰り出した鞭は空を切るだけで何も起こらない。思わず七太郎の顔を見る。彼はうすらわらいを浮かべたまま動いていない。だまされるな。この気分を害する笑顔の裏で、何か能力を使ったのに違いない。そうでなければ自分の攻撃を避けられるはずがないからだ。いったい何をした。動作はなかった。何かをしたようには見えない。それなら、それなら! 彼の姿がボヤケて見えるのはどういうことだ? まるで蜃気楼の幻影を見ているような感覚。七太郎の姿が現実味を帯びていない。右へ左へぐにゃりぐにゃりと揺れている。
何もしていないと思っていたが、やはり能力を使っていた。正体はわからないが、的を絞らせないようにしているのに違いない。
それならば、と、ヒロヨシは鞭を分裂させた。三本や四本にではない。それこそ数えきれないくらいの量に。
数百本に増えた鞭が、放射状に繰り出される。線でくぎられたリングを埋め尽くす鞭。
これならば、外ならまだしも、この会場にいるかぎり、いかなる相手でも避けられるはずがない。
『勝者、七太郎!』
え? 今、ジャッジは何を云った? え? え?
待て。俺の鞭はついにヤツを捕らえたじゃないか。見てみろ。俺の鞭の先を。妙に光り輝いているヤツを。え? え? 何故、七太郎は光り輝いているんだ。いや、わかったぞ。ヤツの能力は光の屈折。そうやってターゲットをしぼらせないのだ。しかし、俺は捕まえた。ジャッジ、見ろジャッジ。なのに何故俺が負けたのだ? 意味がわからない。俺は光り輝く七太郎を捕らえたのだ。見ろ、光り輝くアイツを。光っていて細いヤツを。固くて丸いヤツを。
アア、なんだ、俺は仰向けに倒れているんだ。そして、アア、俺は天井にある電灯を捕らえていたのか。ははハハ。
☆
ショウはうずく頭を抑えながら、ようやく眼を覚ました。すると眼の前には愛しいミルの美顔が飛び込んできた。ドギマギしながらも平静をとりつくろった。
「やあ、また会えるなんて光栄だよ。太陽に照らされた君の笑顔は何て美しいんだ」
自分でも何を云っているのかさっぱりわからない。
「体調は大丈夫なの?」
心配そうな表情のミル。だが、ショウはケラケラと笑った。
「すこぶる元気。今すぐ空に飛べるくらい元気。パピューンとね」
混乱……①入り乱れて秩序がなくなること ②訳がわからなくなること ③眼を見開き、キ
ョロキョロと辺りを見回し、支離滅裂なことを口走ること
「意味がわからないんだけど。でも、大丈夫ならいいわ。いや、大丈夫? 最後の《大丈夫》という質問は体調のことではなくて変なことを云う頭のことを指して――」
ショウも自分で何を云っているんだ、とさらに笑ってしまった。それを見て、ミルもいっしょになって笑った。
夫婦漫才のあと、ラナとキアラは大きなため息をついた。
「もういいかな? それよりもショウ、残りは第一試合の最後の二人となったぞ。一方の勝者は七太郎。はっきり云って、どんな能力かぜんぜんわからん」
「具体的に云ってくれ」と、ショウの表情がいつものそれに戻った。
やれやれ、といった感じでキアラは折りたたみ椅子を広げて腰をおろした。ラナは全員分のお茶を用意している。ずっとショウの顔を見ていたため、ミルも試合内容を知らない。そして、キアラは七太郎の勝ち方を、こと細かに説明して訊かせた。
「…………」
ショウはしばらく黙り込んでしまった。そんなことは珍しく、キアラはその様子に固唾をのんだ。今までショウは、少しでも見たり聞いたりすると、相手の能力を即座に見抜いたからである。それなのに七太郎の能力についてはどうだ。いろいろと考えているのが顔色でわかる。
「わからん」
考えた末に出た答え。キアラはフウッと息を吐き出した。ショウは言葉を付け加えた。
「いろんな憶測は立てられるけど、まだ何とも云えないな」
そこでテレビから歓声が上がった。全員の視線が一点に集中する。
「こちらも決着がつきそうだな」
キアラの言葉に大きく頷く三人だった。
2 彼らを止めるには……
シブの能力とは、相手の記憶を消すことだった。
たとえばパソコンの記憶を消すと、それがただの鉄の塊だと思う、信号の意味を忘れさせると赤でも歩き出す、といった感じだ。
能力の発動は、視線の交差。数秒間、相手と視線を交わすだけで意のままにコントロールできる。闘っている記憶を消せば、相手は今何をやっているのかわからず、家に帰ろうとしたり、隙を見せる。地雷の記憶を消すと、平気で踏みつける。熱湯に手をつっこむ。包丁に噛み付く。すべての記憶を消せば、人格を破壊できるのだ。
しかし、相手が悪かった。
マオラの能力はダメージの変換。すなわち、いかなる攻撃もはね返す。恐るべきは、特殊能力もしかり、ということだった。
シブが繰り出した能力は現状の記憶の消去。それがそのまま自分に返ってきたのだ。
あちらこちらを放浪しだしたシブ。不思議な行動を見るかのようなまなざしで見つめる観客たちと審判。マオラはそこで、
「もう二十五秒たちましたよ」
それは、にっこりとして、かわいらしい表情から出た言葉だった。
『勝者、マオラ選手!』
☆
アナウンス室にいるマサムと、キアラの個室いるショウとが、このとき偶然にも、同じ
言葉を発した。
『マオラの能力について深く考慮しないと、優勝は彼女が持っていく』
つづく




