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世界樹の花嫁 ~プラント・ワールド~ 3

   第三章 首吊り涙


     1 錯覚――哀れな希望


 スリカは何不自由なく日常生活を送っていた。家は決して裕福ではないが、仲のいい両親もいて、ときどきケンカもするが大好きな弟もいる。成績は中の上、ルックスも普通、友達にも恵まれている。

 しかし、毎日の変わらない日常に不満はあった。もともと感受性がゆたかだったスリカは、マンガや映画のような人生――美しい運命や劇的な人生に翻弄されるような――に憧れていたのだ。その想いは、失恋をきっかけに常軌を逸していき、次第に精神に異常をきたしていった。

 両親に連れられ、世界樹の湖にはいったのは、無意に暴れ、弟に暴力を振るい、イヨイヨ手に負えなくなってきたときだった。

 世界樹の水は精神の病をも治す。

 湖から上がったスリカの顔には、トテモ穏やかな笑顔が浮かんでいた。


     ☆


 リングで対峙するスリカとサヨリ。

 サヨリはやる気がなさそうに元気がない。それとは対称的にスリカは周りに笑顔を振りまいている。

「ねえ、サヨリさん。あなたは何故大会に出場したの?」

「あなたには関係のないことだわ」

 サヨリはそっけなく答えると、

「さっさと始めましょう」と、続けた。

 スリカはあきれたように両手を広げて見せた。

「まあ、いいわ。強がっていられるのも今のうちだしね。始めようか」


『ここで、アナウンス室に特別ゲストがやってまいりました。暖かく迎えましょう。ゲストはこの方です』

 拍手に迎え入れられたのは、マサムであった。二階の中央にガラスに覆われた一室があり、そこに生徒会長が低い姿勢ではいってきた。

『これから、生徒会長が推薦した生徒スリカが闘うのですが、その前に、彼女を推薦したいきさつを伺いたいと思います』

 マサムはうなずき、噛み締めるように言葉を発した。

『彼女は生徒会に立候補しました。今までの自分を変えるには、まず環境を変えなくてはならないと云っていました。我々生徒会の目的は、少なくなったとはいえ、まだまだケンカが絶えないこの状況を、何とか変えようというのがそうです。その考えを彼女も根本的に持っていたので、僕は彼女の生徒会入りを了解しようと思いました。しかし、理想だけではどうにもならないのが現状なのです。能力者は強力です。そこで、今回の大会に出て、実力を外部に、他の生徒たちに見せ付けなければならなかったのです』

『それは、時には武力によって制圧も致し方ない、という意味ですか?』

『いえ、そういうわけではありません。しかし、圧倒的な武力の本質というのは実行することではなく、見せ付けることによって、本当の意味での多大な効果を得るのです』

『なるほど、手も足も出ないという恐怖心ですね。わかりました。では、スリカ選手はそれに足る能力者だと?』

『まだまだ未熟ですが、それでもなお、優勝を狙える可能性を持った能力者です』

『おっと、そろそろ試合が始まろうとしています。マサムさんには引き続き、インタビューを行います。それではトーナメント第二試合、アリア対ノリムネ。スリカ対サヨリ。スタート!』

 その瞬間、マサムの顔色が変わった。何か未来を視たのだろう。ということは、いずれかの試合は、もしくは二試合とも、五分以内に決着がつくということだった。


     ☆


 アリアは決勝トーナメントをなめていた、いや、格闘大会自体に余裕感を持っていた。自分の能力ならなかなかの成績を残せるかもしれない、いや、もしかしたら友達の云うとおり、優勝も狙えるかもしれない。そう思っていた矢先に、ノリムネというどうすることも出来ない、圧倒的な力の差を持った強敵が現れたのだ。向き合っただけで、勝てないとわかる。対峙しただけで敗北を予感する大きな力の差。しかしアリアは、逃げ出したい衝動をおさえ、一縷(いちる)の望みにかけることにした。ショウに振り向いてもらえるように。

 愛の力は実力を超えることを、信じて…………。


 アリアの能力――相手に特殊な植物の種を植え付ける。その植物は相手の能力を吸収し成長していく。能力を吸収された者は普通の人よりも運動力が落ち、最終的には身体が木に変化してしまう。ただし、そうなるまでに四、五分ほど時間がかかる。


 ノリムネは面倒くさそうに片足に体重を預けて立っている。試合開始が告げられると、やっとか、といった感じで前に出た。

「ちょっと待って……」

 その瞬間、やる気のなさそうなノリムネの顔色が豹変し、彼の眼の前で小さな何かがはじけた。驚いた表情を浮かべるアリアとは対称的に、ノリムネは口元に笑みを浮かべていた。彼女を見つめたまま、ノリムネは感心したように云った。

「そうやって相手の油断を誘い、何かをしようとしたな。今飛ばしたのは何だ?」

 種であった。アリアの能力は種を植え付けられなければ始まらない。そのため、相手を油断させるしかなかったのだが、ノリムネには届かなかった。

「その表情、今飛ばした何かを俺につけられなければ何も出来ないのか」

 図星だった。しかし、アリアは負けじと言葉を発した。

「五ミリくらいの物体よ。でも、飛ばせるのは一個だけじゃない。全部よけられるかしら」

 ノリムネは返事を返すかわりに上空を見上げた。

「無駄だよ。何者も、俺に触れることすら出来ない」

 頭の上で小さな種がいくつもいくつもはじけた。何故はじけたのか、アリアには見えなかった。ノリムネの能力の片鱗すらつかめない。

「今度はこっちから行くぞ。死にたくなければ場外へ逃げておけ」

「いやよ。私は逃げない。もっともっと頑張って、見てもらわなくちゃならないの」

 アリアの視線が客席に注がれた。しかし、何処を探しても目的の人を見つけられない。先ほど二階の隅にいたのに、そこにはいない。客席すべてを見渡してみても見当たらない。勇気がわいてこない。失望感が胸を支配する。悲しみがあふれる。

「ショウくん……何処へ行ったの?」

「ショウ? あはは。悲劇のヒロイン気取りか? それともまた油断を誘っているのか? 現実を逃避しているようだが、俺は遠慮しない。終わりだ」

 アリアとノリムネの間に妙な黒い影が一瞬浮かんだ。その瞬間、アリアは前のめりになって倒れふした。

「まあ、殺しはしない。しばらく眠っていてもらう」

 大歓声がおこるが、ノリムネが出現させた影を見たものは少ない。ある程度の素質や感のするどさがないと見えない影であった。そのため、観客のほとんどは、何故彼が勝利したのか、わからなかった。


     ☆


 二階のアナウンス室でマサムはノリムネの闘いを見て蒼白となっていた。

『どうしたんですか、マサムさん?』

 マサムの顔色を不審に思ったアナウンサーがそれとなく尋ねた。

『い、いや、あのノリムネの能力は……」

『やはり何か行動を起こしたのですね。私には見えませんでした』

『見えなかった? なるほど、そういうことですか、私は考えを改めなければならないかもしれません』

『というと?』

『私は今回、優勝するのはカノコ、アサ、キアラ、タツア、スリカのいずれかだと思っていました。しかし、今の闘いを見て、真の優勝候補はこのノリムネだと悟ったのです』

 アナウンサーはここで居住まいをただした。

『それほど、ノリムネの能力はすごいと?』

 マサムは大きく頷いて見せた。

『彼は今、奇妙な影を出現させました。人の形を成してはいましたが、普通のそれではありませんでした。何というか、そう、もしも魔界という場所があるのならば、そこの住人を呼び寄せた、といったほうがしっくりきます』

『それでは、ずばり、優勝は誰が持っていくのでしょうか?』

『…………』

 ここでマサムは言葉を詰まらせた。しばらくして、悩みを含んだまま答えを返した。

『はっきりとは云えませんが、おそらくノリムネとキアラ、それからスリカが優勝するかもしれません』

 アナウンサーは驚きを隠せなかった。眼を大きく開き、興奮気味に云った。

『生徒会のカノコとアサは優勝できないとでも云うんですか?』

『そういうわけではありません。あの二人も能力をアップさせています。運と疲れ、機転の利かせ方で勝敗は変わってきますからね』

 アナウンサーはここで少しだけ落ち着きを取り戻し、

『それでは、頭一つ出ているのが、キアラとノリムネとスリカですが、それもまだ確定ではないということですね?』

『そういうことです。それほど、今回の大会は拮抗(きっこう)しているということです』

『わかりました! つまりは《一試合一試合を見逃すな》ということですね。聞いたかみんな! 今行われているスリカ対サヨリの試合を見逃すな。この二人の勝者が優勝する可能性もある。優勝候補はキアラとノリムネだけじゃない。出場者の全員が優勝候補なんだ。おおっと! 何者かが乱入しているぞ!』


     ☆


 スリカは右手の親指を小さく噛み切り、滴る血を地面に垂らした。そのまま呪文のような言葉を発する。

「古より呪われしこの血を浄化せよ。世界に混沌たる秩序を――カオス」

 その瞬間、床に落ちたスリカの血から煙が上がった。

 煙が晴れると、そこには小さな黒いねずみが一匹姿を現した。

 サヨリだけではなく、客席の視線もねずみに集中する。一見普通に見えるねずみだが、何か特殊な能力を持っているのかもしれない。何をするのか、何が起こるのか……。しかし、みんなの期待を裏切るかのように、それとも視線に照れたのか、ねずみはちょこちょこと体育館から逃げ出してしまった。

「今の何?」

 サヨリの質問に無表情で答えるスリカ。

「ただのねずみですよ」

「は?」

「云ったでしょ。ただのねずみなの」

「あなたの能力はねずみを呼び出すこと? まさか、これで終わり?」

「…………はい」

 スリカと同じくらい静まる場内。

 サヨリはあきれたような表情で、

「まあいいわ。もう終わりにしましょう」

 サヨリは、眼鏡をはずそうと、右手を目元に持ってきた。アナウンス室でギクリとするマサムが視線の片隅に映った。

 しかし、この眼鏡をはずすと、もっと驚くようなことが起こる。それを見た瞬間、マサムはもっともっと変な顔を見せてくれるだろう。サヨリにはそれがたまらなくおかしかった。その思考が表面に出て、彼女の顔はいびつにゆがんだ。

「見せてあげるわ。邪悪にとらわれし私の能力を――ワッサン」

 眼鏡をはずそうとしたその瞬間、場外から侵入者が現れた。蒼白な顔をした痩せこけた男子生徒で、彼はうつろな眼であたりをギョロギョロと見回している。屈強な警備員が三人、彼を取りおさえようと駆け寄った。だが、細い身体の何処に怪力が隠れていたのか、近づいてきた三人の警備員を軽々と放り投げたのだ。そして、倒れふした警備員の一人に眼をとめると、そのまま覆いかぶさるように飛び掛かった。

「やめなさい!」

 そのときだった。サヨリの罵声が飛ぶ。誰に向けられた言葉なのか。しかし、場は変わらない。騒然としたままだった。

「やめなさいと云っているのよ!」

 彼女の視線は痩せこけた侵入者に向けられている。侵入者が顔を上げる、すると口元にはベッタリと赤黒い血がこびりついていた。悲鳴がこだまする館内。いったい何が起こっているのか。それをあさ笑うかのように侵入者の赤い眼がサヨリをとらえる。

「私の云うことがきけないというの?」

 侵入者はにやりとする。喉の奥から番犬のような唸り声がひびく。そのまま今度はターゲットをサヨリに変え、彼女に飛び掛かった。ものすごいスピードだった。サヨリは侵入者にとらえられ、身体を体育館の壁まで持っていかれた。壁を背に、男の顔を見上げると口の中から鋭い牙が二本飛び出ているのが見えた。その二本がサヨリに狙いを定める。

「私を怒らせたわね」

 サヨリは臆する様子もなく、むしろ、怒りが絶頂に達したように感じる。

 その迫力に、ビクッとのけぞる侵入者。その瞬間、場内のいたるところから生徒たち、または一般人が十数人、サヨリの周りに音もなく降り立った。彼らは痩せこけた男をつまみ上げ、そのまま彼を場外へと連れ去っていってしまった。それは一瞬の出来事で、観客たちはただただ呆然と眺めているだけだった。

 そのとき、場内アナウンスが大きく流れた。


『勝者、スリカ! 準々決勝進出』


 複雑な歓声が起こるなか、サヨリがそれに負けないくらい大きな声で異議を申し立てた。

「ちょっと待ってよ。場外にいたのはまだ数秒足らずじゃないの」

 観客の中にも、サヨリの言葉に、そうだそうだと云う者も存在した。腑におちない決着。興奮をおあずけにされたやるせなさ。

 それらを鎮めるため、審判がマイクを手にした。

「お答えしましょう。サヨリ選手は大会条例の違反をしました。大会は一対一で行わなくてはならない。大会は能力以外の武器を使ってはならない。この二つの違反が発覚したため、サヨリ選手を敗北とみなします」

 サヨリはあきらめるどころか、さらに怒りをあらわにした。額に赤い血管が浮き出て、驚いたことに、眼から赤い涙が流れている。

「私は能力以外使っていない!」

「あの者たちは能力で出現させたとでも?」

「それは――」

「あの中には見知った顔もありました。三年のアツシくん、マリくん、それにヒロムラくん。明らかに第三者が加入しました。よって、あなたは失格となったのです」

 サヨリはもう何も云わなかった。だが、握られた拳が怒りを物語っている。

 踵を返しながら彼女は、小さな言葉でつぶやいた。

「……学校なんか……もう、どうなっても知らない。つぶしてやる」


     ☆


 サヨリが姿を消したあと、アナウンス室にいるマサムの顔色が変わった。突然、失礼、と席を立ち、携帯電話で誰かに連絡を取った。

「あの、大丈夫ですか?」

「ええ、問題ありません。どうぞ、実況を続けてください」

「……わかりました」

 マサムの顔色は青く変わり果てていた。しかし時間は止まってはくれない。観客が次を待っている。選手たちも出番を待っている。アナウンサーはモヒカン頭を手鏡で確認すると、ヨシッ、と気合を入れなおした。

『さあ、お待ちかね。次はAブロックBブロックともに、生徒会委員が出場。Aブロックはカノコ対ニコ。Bブロックはスケヨシ対チヨナ。いずれも激戦必死。さあ、いよいよスタート!』

 こうして、スリカとサヨリの能力は謎を謎として残したまま、幕を閉じた。


     2 頭脳――あるいは救い


 ショウがキアラの控え室の扉をノックすると、中から絶世の美女が姿を現した。

 ドギマギとしてしまうショウ。そんなショウを見て、彼女は笑顔を浮かべながら中へ招き入れた。

「遠慮しなくていいのよ。どうぞ、入って」

「き、君は、たしか……」

 やっとのことで喉から言葉が出た。

「一応、初めまして、かな。ラナよ、これからもよろしく」

「一瞬、ミルが出てきたのかと思ってしまったよ」

 声もミルとそっくりだった。ミルと出会っていなければ、心を奪われてしまうくらいの美女だ。ラナのほうが、少しだけ現実味があるというか、ミルとは違うしっかりとした何かを持っているように感じる。

 中に入るとキアラは軽くストレッチをしていた。ショウと眼が合うと、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。

「ショウ! お前のおかげでリラックスして闘えたよ。ありがとう」

「ボクがアドバイスをしなくても君が勝っていたさ。だけど、驚いたよ。まさか、自分の身体をも変化させられるようになってたなんて」

 ショウはソファに腰かけながらチラリとラナを見た。彼女はショウのためにコーヒーを淹れているところだった。

 ショウは顔を完全にラナへと向け、キアラに小声で云った。

「彼女がそうかい?」

 一応、ミルから聞いてはいたが、そう尋ねた。

「ああ、俺たち、付き合うことにしたよ」

「そうか、そうだよな。あんなに綺麗だもんな。もう三日で別れるなんてことはするなよ」

 キアラは満面とはいかないまでも、穏やかな笑顔で笑った。

「それはないよ。それは……」

 ここでラナが、どうしたの? といった表情で振り向いた。と、ここで、個室にこしらえられている二十四インチの液晶テレビが大歓声を上げた。三人の視線がテレビに向けられる。ボリュームを上げるキアラ。そして、モニターには、カノコとニコ、スケヨシとチヨナの姿が映し出された。

「そろそろ始まるな」

 テレビに向かってつぶやくキアラ。キアラはモニターから眼をそらさずに、

「誰と誰が勝つと思う?」

「カノコ先輩だろうね」

 それに、キアラは大きく賛同した。

「そうだろうな。俺もそう思うよ」

 ショウも頷いた。

「カノコ先輩の能力がどれほど大きくなっているか、というよりも、何処まで精細になっているかが気になるかな。ボクが思うに、まだまだ伸びる要素を持っている。それについてはキアラと同じ状況だね」

 キアラは、それを云うなよ、といった苦い顔を浮かべた。ショウが続ける。

「Bブロックのスケヨシ先輩とチヨナでは圧倒的大差で、チヨナの能力を知らないにしても、彼女が勝つね」

 キアラはどうしてだい? と尋ねた。

「スケヨシ先輩は、ここが足りないからね」


 足りない……①不足している ②頭の働きが悪い ③つのる欲望


 と云って、ショウは自分のこめかみを指差して見せた。キアラは大声で笑った。

「スケヨシ先輩の能力は防御専門だよ。上位に行ける方法もあるんだけどね」

 キアラはその言葉に驚き、眼を丸くした。その方法を問いただそうとしたときだった。突然、ラナがうめき声を上げた。どうしたのかと二人が顔を向けると、ラナは、額に大粒の汗を浮かべながら、苦しそうに云った。

「この学校に、危険、が迫っている。早く……早く何とかしないと……」

 そこでラナは、床に膝をついた。


     ☆


 運動場の奥は小さな森になっている。小さいとはいえ、鬱蒼(うっそう)と生い茂った木にさえぎられていて、初めての者が侵入すると迷子になる可能性もある。現に、毎年、新入生から数人の遭難者が出ていた。その小さな森の中央あたりに、独りの女生徒と三人の男子生徒がいた。普通でないことは見ればわかる。それというのも、三人の男子生徒は苦しそうに地面に倒れていたからだ。その三人をさげすむようなまなざしで見下ろす女生徒。とそのとき、彼女の携帯電話が鳴った。

「イヨコですか? 君に至急の指令があります」

「どんな?」

 女生徒の声は抑揚のない静かなものだった。たった今、三人の男子を叩きのめしたものの声ではない。

「ある生徒を再起不能にしてほしい」

「わかりました」

「それから――」

 電話の相手は焦燥(しょうそう)を隠さずに、

「油断はしないで下さい。とても、恐ろしい相手ですよ」

 イヨコと呼ばれた女生徒はそのセリフに口元を小さく緩めた。

「危険な任務が、私の仕事ですから」

「もうひとつあります。現場にショウが現れますが、決して、ケンカをしないように」


     ☆


 ショウはひとり、誰もいない校内を歩いていた。その理由とは、ラナの云っていた脅威を拭い去るため。迫り来る脅威とは、ひとりの女生徒が引き起こすという。誰が災厄を起こすのかはわからない。だが、一年の校舎に行けば向こうからやってくるそうである。それを信じてショウは一年の校舎へとやってきたのだった。

 生徒や先生たちのほとんどは大会の観戦に行っている。静かすぎるくらい静かだった。本当にこの学校が危機にさらされているのかと、階段をのぼりながら疑いを持ち始めているときだった。階段の上に男がひとり立っていた。ショウを近づかせないように、威圧的な殺気を放っている。

 ただならぬ雰囲気にショウは歩を止めた。

「一年かい?」

 何も答えない。

「悪いけど、そこを通してくれないかな?」

 それでも答えない。

 あきらめたショウは、そのまま歩を進めた。すると、上にいた男子が突然、咆哮を上げた。あまりの声の大きさにショウはビクッと身体をふるわせた。

「び、びっくりさせるなよ。そんなに怒ることないだろ」

 男が、大きく跳躍し、ショウへと飛び掛かった。眼の前まで来たとき、ショウは見た。大きく広げられた口の中に、ぬめぬめと光る鋭い牙が伸びているのを。二本の牙がショウの首筋を狙っている。

「サクリファイス!」

 ショウの右肩から赤黒い拳が伸び、男のアゴをとらえる。男は首をねじ曲げながら横の壁に身体をぶつけた。うめき声を上げながら男が再び襲いかかろうとしたが、次は左肩から伸びた赤黒い拳が顔面をとらえ、ついには動かなくなった。

 不思議なショウの能力。スケヨシを退けたときとは違うものを出した。いったいどんなチカラなのか……。

 ショウが顔を上に向けると、そこには男女入り混じった数人の生徒が立っていた。皆一様に牙を光らせている。

「まさか、吸血鬼? やれやれ、ラナの云ったことは本当だったようだ」


     ☆


 チヨナ。第一回天蓋特大不参加。成績、S。ルックス、B。戦闘力、A。


『決勝トーナメント一回戦第三試合、スタートです!』

 号令と同時にスケヨシがチヨナへ踊り掛かった。チヨナはダテ眼鏡をはずし、髪を下ろしている。彼女は顔色ひとつ変えず、動こうとしない。スケヨシは鋼鉄に変わった右腕を大きく振り下ろす。狙うは左肩。手を抜いているとはいえ、骨折くらいはさせるつもりだった。鋼鉄がチヨナの身体に触れる瞬間、チヨナは小さくつぶやいた。

「アントリガン……」

 その刹那、チヨナの髪の毛がざわざわとざわめき、四方へ爆発したように伸び出した。

 スケヨシの全身は剛毛に絡みとられ、腕は彼女の数センチ手前でピタリと止まった。しかし、チヨナの攻撃はそれではとどまらず、何十本もの髪の毛の先端が鎌首をもたげ、まるで蛇のような形状を取り、スケヨシの眼を狙った。

「失明したくなければギブアップしなさい」

 チヨナは淡々とした様子で云った。

 スケヨシの身体は唇だけは動けるように開放されていた。しかしまぶたは固定され、瞬きすら許されない。眼球の数ミリのところに針となった髪の毛が狙いを定めている。成すすべのないスケヨシ。何とか絡み付いている髪の毛を解こうとするが、ぐいぐいと身体に食い込んでくる。おそらく、全身を切断することなど、造作もないであろうチヨナの能力。だが、気の強いスケヨシ。許しを請うどころか、さらに挑発した。

「ギブアップだと? するわけないだろがボケ。これで勝ったつもりか? やってみろ」

 チヨナはさも面倒くさそうに、

「これだから雑魚は」

 蛇となった髪の毛が後ろへ引いた。突き刺す姿勢だ。とそのとき、チヨナはチラリとアナウンス室を見た。偉大なる主マサムがこちらを見ていた。マサムがチヨナを見つめながら、小さく首を横に振った。

 かしこまりました……と、うなずき、鎌首を収めた。

「どうした? 突き刺すんじゃないのか。怖気づいたのかよ、このブス」

「はあ、あきれた人ね。生徒会長に感謝しなさい」

「んだと――」

 首に巻きついている髪の毛の締め付けが増した。スケヨシの頭の血管がパンパンに膨らむ。しばらくはスケヨシも我慢していたが、やがて膝からガクンと崩れ落ちた。髪の毛が離れたあと、審判が駆け寄ると、

『勝者、チヨナ』

 と、大々的に告げた。


     ☆


 数が圧倒的に多かった。それに恐れ、痛み、疲れというものを知らない。倒しても、倒しても、次から次へと襲ってくる。やがてショウにも疲労の色が見え始めた。

 場所は二階へと移り変わっているが、それもいけなかったのかもしれない。広々とした廊下は身を隠すのにうってつけの場所だった。隣の教室の窓をやぶって襲ってくるもの、外の壁を伝い窓から侵入してくるもの、さまざまだった。それにショウは手加減をしていた。相手を殺してしまわないように。そのため、意識――人間のそれとは違うが――を取り戻した吸血鬼は再び襲い掛かってくる。

「どれくらいいるんだ?」

 廊下の奥に視線をめぐらせると、顔色の悪い連中が扉や階段からゾロゾロと溢れ出し、全力で走ってくる。中には見知った顔もあった。何度かその人物の名を呼んだが反応はない。

 ふと、それこそ何故だかわからないが、ショウは外側の窓へ眼をやった。虫の知らせとでもいうのだろうか、そのとき、一条の光が廊下に差し込んできた。その光が吸血鬼のひとりを照らす。その瞬間、吸血鬼は絶叫とともに蒸発して消えてしまった。

「天下のショウともあろう男が、いったい何をもたもたしているのかしら?」

 声は後ろからした。振り返ると、見たことのない女性が立っていた。腰まであるパーマのかかった髪に、大きな瞳、それに真っ赤な唇。背は百五十くらいと小柄だが、彼女の放つ気が、それを感じさせない。

「今のは君が?」

「そうよ。私は三年のイヨコ。詳しい紹介なんて今はいらないでしょ」

 イヨコへも吸血鬼が襲い掛かる。しかし、その吸血鬼たちは次々と外から差し込む光に照らされ消滅していく。そこでショウは、

「まさか、殺しているのか? やめろ」

「あなたは知らないようね。世界樹が落ち、私たちは驚異的なチカラを手に入れた。能力者同士の戦いは普通のケンカとは違う。人を簡単に殺せるの。逆上した人たちが、本当に殺しをしていないと思う? 事故が起こらないと思っているの? そんなはずがないでしょ。公になったのはタツアの場合だけ。ニュースを見てごらんなさい。行方不明者はどんどん増加している。それは、これからも増え続ける」

 ショウは苦い顔を隠せなかった。

「だからといってボクたちも殺しをしていいことにはならない」

 それを聞いてイヨコは妖しく笑った。

「それは気のもちようね。いくら自分たちが意識しても、殺しはなくならない。なぜなら、殺してしまっても、決して捕まらないのだから」

「捕まらないから人を殺してもいいというのか?」

「罪に問われないと、犯罪はこれからもあり続ける」

「良心が痛むだろ!」

「良心を凌駕する罰と快楽」

 ショウは怒りを押し殺し、その憤怒を吸血鬼たちに向けた。

「お前とは話しにならない。今は共闘するが、決して許さない」

「共闘? むしろ、あなたなんかいらないわよ」

「うるさい!」

 再び振り向いたショウは、イヨコに向かって赤い球を投げた。その赤い球はイヨコの眼の前で巨大になり、彼女を包み込む。球体の中に入り込む形になったイヨコは、必死に出ようともがいた。殴ろうとも引っぱろうとも、伸びるだけ。それはまるでゴム状の球体だった。

「ボクがここを抑える、誰も殺さずに。お前は手を出すな」


     3 唯一の可能性


「あなたと私の情熱を奏でましょう。気持ちを秘密に変えユグドラシルへと導きましょう」

『出た! ニコの意味のわからない呪文。このまま最後まで唱えさせるのかカノコ選手』

「希望と刹那の隣り合わせが狂おしく狂おう」

『カノコ選手、まだ動かない。なめているのか、それとも動けないのか』

「赤と青、そして黄にとらわれし魂よ」

『いや、おかしいぞ、去年、ニコ選手の能力は呪文を唱え終わったときに発動されていた。しかし、もしかしたら、チカラがアップしていて、その呪文を訊いただけで、能力が発動されているのかもしれない。そのためにカノコ選手は動けないんじゃないのか? もしもそうなら、この試合、行われているのではなく、もう終わっているのか!』

「精神よ、浄化されたし……マーム」

『呪文が終わった! 何が起こる。どうなるカノコ選手』


「そう、終わっている」――カノコは誰にもきこえないほど小さくつぶやいた。


『どうしたことだ、カノコ選手の右腕がない。いや、そうじゃない。カノコ選手は自分の右腕だけをニコ選手のところへ飛ばしている。腕がニコ選手のアゴをとらえている! 脳を揺さぶられたニコ選手、脳震盪を起こし、そのまま転倒だ~!』


     ☆


 扉を蹴り開けると、教室の中央に君臨するものがいた。

 吸血鬼たちが脇に控え、椅子に座する女王。女王とは、サヨリであった。

「君が、元凶か」

 サヨリは妖しい微笑みを浮かべたまま両手を広げた。

「ようこそ、ショウ先輩。楽園の世界へ」

「何が狙いだ?」

「この腐った学校を滅ぼすのよ。私の支配下へと置く」

「バカげた考えだ」

「そのバカげた物語の中に、ショウ先輩も組み込まれているのよ」

 サヨリは眼鏡をはずした。すると突然、ショウの身体が硬直したように動かなくなった。

「眼を見てしまったわね。もう先輩は私のシモベ。そして――」

 サヨリがゆっくりとショウへと近づく。なやましげに開いた口もとには、もう見慣れている鋭い牙が伸びていた。

「私の能力、ワッサンは強力催眠と吸血」

 耳元で優しく囁く。

血友病(けつゆうびょう)って知ってるかしら? 血液が固まりにくくなる病気よ。ちょっとした怪我が命取りになる。関節内出血なんて想像を絶する痛みを伴うの。だから私は幼いころから、吸血鬼に憧れていた。相手の血を、欲した。その想いは度を越え、ついには人の血を本当に飲んでしまったのよ。もちろん、吸血鬼になんてなれやしない。それでも諦められなかったの。何処かの本で読んだことあるかしら。トランシルバニアに吸血鬼のミイラがあるって。もちろん旅行に行ったわ。そして、そっと、その牙を私の腕につき立てたの。でも、何も起こらなかった。それでも吸血鬼になる夢を諦めきれなかったの。そんなとき、世界樹の噂を耳にした。今では夢を実現できたわ。こんなにすばらしいことってある? このすばらしい気持ちを、大会で踏みにじられた。私は許さない。天蓋高校を絶対に許さない。私の部下たちがここにいるだけで終わりだと思う? いいえ、まだまだいるのよ。何処に行っているかわかる?」

 ここでサヨリは、うっとりするようなまなざしになった。十五、六歳の少女が持つ妖艶さではない。

「学校中に散らばり、次々と仲間を増やしているの。すぐに支配は終わる。でも、それを見る前に、先輩には吸血鬼になってもらうわ」

 サヨリの生暖かい息が首筋にかかった。ショウの身体は相変わらず指一本動かせない。それに、能力を発動させることも出来ない。

「私ね、先輩に憧れていたの。だからこの学校を選んだの。きっと先輩を、私のしもべにするって――」

 首に鋭い痛みが走った。ずぶずぶと牙が入ってくる感覚。痛みのあと、すぐに甘美な心地よさが胸の奥から込みあがってくる。と、牙とは別の何かが、体内に侵入してくる感覚があった。眼の前が赤くなっていく。世界が赤い色に染められていく。

 ショウの意識は、抗う術もなく、深遠の中に落ちていった。






 赤い闇の中に………………。



 光、が見える。

 光を目指して進もうとするが、まるでドロの中をもがいているかのように、前に、進まない。光が手招きをしているような気がする。急がなければ。あせる気持ち。行かなければ。能力をどう使えば、このドロの中を進むことが出来るのだろうか。考えがまとまらない。あまりにも幻惑的なドロの大気……脱出……不可能……。


「ショウ!」



 ショウの意識が現実世界に戻ってきたとき、彼の大きな牙は、ミルの首筋に突き立てられようとしていた。慌てて彼女の身体を突き放す。大きな息を吐き、あたりを見回すと、ミルを助け起こそうとするキアラの姿もあった。

「大丈夫か、ショウ?」とキアラが云う。

「あなたのことが心配で来てみたの」

「ボ、ボクから離れろ」

 再び赤い闇の中へ戻ろうとする意識を必死につなぎとめる。心の鎖を強固なものにしようと試みる。

「無駄よ。血の呪いは断ち切れない」

 サヨリの言葉にショウは反応した。

「血?」

「今助けてやる。待っていろよ」とキアラが前に出る。

「試合が控えているのにここに来たのか? 相変わらずお人よしだな」

「お互いさまだよ」

「でも、大丈夫だよ。助けはいらない」

 立ち上がるショウを不審に見つめるサヨリ。怒りと驚きが合わさったまなざしで、

「何故、大丈夫なの? すごい精神力ね」

 ショウは必死に微笑をつくった。

「君の能力は通用しない」

額には大粒の汗が浮かんでいる。それが強がりだと誰が見ても明らかだった。

「救いの女神が来たんでね。かっこ悪いとこ、見せられないだろ」

「ショウ――」

 不安そうに見守るミルを横目に、

「大丈夫だよ、ミル。もう、大丈夫。ありがとう、救ってくれて」

「その女は何なの? まさか恋人。許さないわよ。ショウ先輩は、私のものなんだから」

「君の能力は邪悪すぎる。他人を巻き込みすぎる。許すわけにはいかないのは、こっちだ」

 サクリファイス!

 ショウの口から紫色の液体が吐き出された。その液体がサヨリの首に触れた、瞬間、液体の一部分が天井へ一直線に糸のように伸び、サヨリの身体を持ち上げた。首をつられたような形になるサヨリ。振りほどこうと指の爪が鋭く伸びる。しかし、鋼の爪を持ってしてもびくともしない。じわりじわりと苦しみだすサヨリ。ここで彼女は、

「あんたたち何をやっているの、早く私を助けなさい」

 サヨリの下僕である吸血鬼たちは、その怒号で我に返り、牙をむき出しにした。しかし、ショウは動こうとしない。

「どうしたのショウ先輩。あなたも後ろの二人を殺しなさい。ものすごい精神力だけど、私の言葉は無視できないはずよ。あの二人を殺しなさい!」

 それにショウは、悲しく答えた。その悲しさの正体はサヨリにも、まわりにいる誰にもわからない。だがひとりだけ、そう、ミルにはわかっているような感じだった。

「もう君の仲間ではないんだよ。ボクの体内にある君の毒は外に出した」

 ショウの視線が他の吸血鬼たちに向いた。彼らは跳躍して襲い掛かってくる。ショウは両腕から巨大な赤黒い棒を出した。

 ショウとキアラが迎え撃つ姿勢をとったとき、外から他の吸血鬼たちがなだれ込んできた。それに驚くキアラ。

「まだいるのか?」

「そうだよ。サヨリの家来はこの学校にウジャウジャといる。いや、もしかしたら、すでに、この街全体に蔓延しているのかもしれない」

「ならば、その全員やってやるさ」

 キアラの言葉に同意するショウ。

「うん、やってやるよ。ここで食い止めなければならない」

 ショウとキアラが迎え撃とうと身構えたとき、不思議なことが起こった。外からやってきた吸血鬼たちが、中にいた吸血鬼たちを襲い始めたのだ。理解不能な裏切り、サヨリの表情を見ればそれがわかる。いったい何が起こっているのか、彼女にも理解不能。

 吸血鬼同士の戦い……人間の争いとは違う異様な光景。牙を突き立てあい、鋭い爪で引っ掻きあう。獣の戦いそのものだった。それを尻目に、ショウはサヨリを真っ直ぐに見つめた。

「もう、その能力を使うのをやめるか?」

 サヨリはイビツに笑った。

「バカ、じゃないの。これが私の夢だったのよ。他人を支配して、世界を支配して、女王になる。そして、私の隣、には、ショウ先輩が……」

「最後にこれだけは云っておく。ボクは、君と同じ病だったんだよ。さようなら、サヨリ」

 ショウは右腕の棒を(つるぎ)に変えた。それをゆっくりサヨリの胸に突き立てた。

 ショウの頬をつたう熱い水。意識が遠のく瞬間、ショウの脳裏にイヨコの言葉がよぎった。

『良心を凌駕する罰と快楽』

 ショウは暗闇の中へ落ちていった……落ちていった……。


 能力が悪いのか、ありあまるチカラを使う人間が悪いのか。

 人間(ひと)は、これから何処へ向かうのだろうか。


 罪……①法律・道徳・教義に反した行い ②思いやりがない ③心の中に巣食う魔物


 罰……①罪や過ちに対するこらしめ ②逃れられない制裁


     ☆


 吸血鬼たちはみんな正気に戻った。主であるサヨリが死に、支配から開放されたのだ。彼らは吸血鬼になっている間の記憶がなかった。先の争いで死んだ吸血鬼もいる。記憶がないのは唯一の救いだろう。

 キアラは死んだものたちを石に変えていた。そのため、人間に戻った生徒たちはパニックを起こさずに帰路につくことができた。

 ミルは元吸血鬼たちが出て行くまでの間、ずっとショウを膝の上に寝かせていた。彼女は何かを考えているような表情で、ショウの頭を撫でている。そんなミルにキアラは尋ねた。

「君たちは何故、俺たちを強くしようとしているんだ? その先に何があるのか教えてほしい」

 しばらくミルは考えていたが、やがて意を決したように、キアラに云った。

「いいわ、教えてあげる。そのかわり、ショウにはまだ黙っていてほしいの」


 赤黒い球体の一部が、眼もくらむばかりの光に当てられて溶けた。

 人ひとりがやっと通れるくらいの穴から出てきたのはイヨコ。その顔には怒りが浮かんでいる。口からはボソボソと言葉がもれる。

 すみませんすみませんすみません…………。

 任務の失敗。それと敗北。暗殺者にとって失敗は死を意味する。必要とされなくなる。

 イヨコは赤い唇を血がにじむほど噛み締めた。

「許さない許さない許さない、ショウ!」


 ショウの能力――体内を巡る血液を武器に変えられる。血を体外に出しそれをコントロール出来るが、血中にある赤血球や白血球が肉体を離れ死んでしまうと、操ることが出来なくなる。また、一度飛ばした血液をまた体内に戻すことは出来ない。そのため、剣や棒など身体に密着させ、肉体とつなげられるタイプは問題ないが、矢など、身体から離してしまう攻撃は、体内の血液を欠乏させることになる。


     ☆


 スリカと書かれた選手控え室――そこに、一匹のねずみが入ってきた。

 スリカはその存在に気づくと、優しく声をかけた。

「ありがとう。あなたのおかげで世界は救われたわ。ふふふ」

 その瞬間、ねずみの身体は煙とともに消えていった。




  ● ランチ・タイム


 ミカオの能力は少し変わっていた。

 どう変わっているのかというと、相手の強さがわかる――能力。それは身体からあふれ出る色で識別され、明るい色の人間は攻撃的で、赤に近いほど、強さも増す。逆に暗い色は温厚な正確で、黒に近いほど弱いのである。

 始めは同じ高校に通う生徒を相手にケンカを売り、どの色には勝てない、どの色なら勝てるといったことを検証していった。

 ミカオは自分の能力を、最大限に活用していた。

 街を徘徊し黒に近い人間を探す。ターゲットが決まると追跡を開始する。人通りが少なくなると行動を起こす。始める前から勝敗は確定している。今までの経験でわかるのだ。


この日、ミカオは中年のサラリーマンを狙っていた。髪の毛が薄くなり始めているし、腹も出てきている。色は紺色。まあ色が見えなくても弱そうなのだが。しかし、この色は要注意だ。紺色の人間は発想が個性的で油断ならない。どんな奇策を用いて逃げおおせるか、もしくは、自分の有利な場所へいつの間にか誘導させてしまう。腕力では恐れることはないが、その知能は侮れない。細心の注意をはらいつつ、ミカオは追跡を続けた。

 時刻は午後八時。あたりは薄暗くなっている。やがて、人気のない小さな公園が見えてきた。日中は親と子でにぎわっているのだろうが、もちろん今は誰もいない。

 ミカオは追跡する足を速めた。サラリーマンが公園を通り過ぎようとした瞬間、ミカオは彼の(えり)元を掴んだ。

「おっさん、ちょっといいかな」

「な、何だね、君は?」

 サラリーマンは抜け目のないまなざしをしていた。ミカオはそれを想定していた。なぜならば、彼の色は紺色だから。

「ちょっとだけつきあってくれるかな」

「何を云っているんだ。まったくの赤の他人ではないか」

「だから? でもこうやって会話を交わしたから、もう知り合いだよね」

「バ、バカバカしい」

「バカバカしくてもいいの。ちょっとでいいからさ、いっしょに来てくれる?」

 ミカオはそう云ってサラリーマンを公園の奥のほうへと連れて行こうとした。そのとき、「これはこれは、課長」と、サラリーマンはミカオの後方に視線を向けてそう云った、が、ミカオは背後を振り返らなかった。動ずることなくサラリーマンを引っ張っていく。

「ちょ、ちょっと待って……」

 やはりか、とミカオは思った。

 課長なんていない。それはこのサラリーマンの策略。振り向いた瞬間、隙をついて逃げる算段(さんだん)だったのだ。

 公園内にある公衆トイレには幸い誰もいなかった。必死に抵抗するサラリーマンを時折小突きながら、ミカオたちは中へ入っていった。

 何か策を労しようとしている眼つきが気に入らなかったので、ミカオはここで一発、腹におみまいした。それが功を奏したのか、サラリーマンの紺色が紫色に変わった。

「じゃあ、知り合いになったよしみで貧乏学生にお小遣いをくれないかな」

 ふとサラリーマンの眼の中のキラメキが強くなった。それには思わずミカオも振り向いてしまった。

「お願いします。恐喝されているのです。助けてください」

 嘘ではなく、今度は本当にいた。

 一メートル九十はあろうかという大男が、音もなくトイレの入り口に立っていたのだ。外灯の逆光に、なおかつ全身をフードで覆い隠しているため、どんなヤツかわからない。すかさず、ミカオは能力を発動させる。

 そのとき眼にした大男の色――それは、今までに見たことのないものだった。

 無色――。

 あり得ないことだった。

 人は誰しも、かならず、色を持っている。特徴のない人間でも白に近づくだけで、無色というのは存在し得ない。

 呆然と立ち尽くしているミカオの横をサラリーマンがすり抜ける。

 ありがとうございます、ありがとうございます、と頭を下げながらサラリーマンが大男の横をも抜けようとしたときだった。

 突然、サラリーマンの頭は大男に捕らえられ、そのまま、宙に浮くような形になった。

 悲鳴を上げながら足をばたつかせるサラリーマン。

 パキパキという枯れ枝を踏み潰すような音が、ミカオの鼓膜を揺らす。

 ミカオは自分が失禁しているのに気づかなかった。

 なぜならば、マントの陰から覗く大男の両の眼が赤黒く光かがやき、ミカオの心に、絶望の二文字を浮かび上がらせていたからだった。


                                        つづく

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