世界樹の花嫁 ~プラント・ワールド~ 21
2 愛
『サソリ』のターゲットはアサひとりだった。他には眼もくれない。それを見てキアラは悟った。捕食者たちは、お互いが戦った相手、見た相手の情報を伝達して送受信することが出来る。だから一番危険な能力を持ったアサを先に始末する作戦に出たのだ。カノコは危険を察知してアサの人間のほうの身体を抱いた。
「遠くへ逃げてください」と云うキアラに対し、「そのつもりだ」と返し、ジャンプ。が、数メートル先でカノコとアサは止まってしまった。
「なんで逃げないのよ?」
マオラの悲痛な叫びにしかしキアラは、
「結界だ。逃げられないんだよ」
眉を寄せ、振り返り、カノコが云う。
「なら、逃げずにあいつを殺せばいいだけだ」
「そうね」と、アサの精神体が魂体を『サソリ』に向けて投げた。なんとも豪快な行動だが、精神体の腕力ならひとつの兵器と化す。触れるだけでいい。それだけで『サソリ』の魂を刈り取ることが出来る。
『サソリ』は動かない。それを見てキアラは考えた。迎え撃つつもりなのか? 捕食者間の情報伝達は存在しないのか? いや、そんなに簡単じゃない。何かを見落としている。とても大事なことに気づいていない。ショウなら何を気にする? ショウなら何所へ注意を払う? そして俺は、かつてこのような経験をしたはずだ。何かがあったはずだ。思い出せ。急げ。
《奥の手は最後まで取っておくものだろ》
ふと、キアラの脳裏にタツアの言葉が浮かんできた。
奥の手。そこから何が連想できる?
まさか。
ラナがキアラの服の裾をギュッと握った。彼女から恐怖が流れてくる。
「アサ先輩。ダメだ! 能力を引っ込めて」
叫ぶが音が届かない。見えない壁に阻まれて、キアラ自身の鼓膜を反響させるだけだった。
アサの魂体が『サソリ』の眼と鼻の先まで接近したとき、右腕を大きく振り上げた。そして、『サソリ』の魂を刈り取るために振り下ろす、が、空気の壁を叩くだけで『サソリ』まで届かない。それが何を意味するのか、そのことに気づいたカノコはジャンプした。しかし、数メートル先で姿を現し、そこで空気の壁にぶつかった。
「どういうこと? 何が起こっているのよ」
膝がガクガクと震えだすマオラ。そのまま崩れ落ちる。
もちろん彼女が何を云ったのか、キアラには聞こえなかったのだが、おおよその予測はつく。隣で小さく震えているラナに、キアラは優しく囁いた。
「罠にかかったんだよ。俺をおとりにして、カノコ先輩たちを集めた。一網打尽にするためにね。何故そんな危険な橋を渡ろうとしたのか、それは、『サソリ』にとって、危険でも何でもなかったから。むしろ、大勢いたほうが手っ取り早いというだけだった。何故なら、『サソリ』は、結界を無数に作り出すことができるから。俺達はもう、捕えられた、ただのエサなんだよ」
☆
『羽化した。新たな脅威がついに産まれた。カブトムシ。頭のてっぺんから太くて長い角が前方に湾曲して伸びている。それから額から短い角が上方に曲がっている。この形状は、図鑑などで見たことがある、そう、あれだ、《ヘラクレスオオカブト》
さっきからキアラたちの姿が深い深海の底に沈んでしまったように見えなくなった。でもそこじぇは今、僕たちのショウが向かっているから大丈夫。心配はいらない。他の戦士たちよ。急いで沖縄の離島、久高島へ。《ヘラクレス》はそこにいる。最北端の岬――神が降り立ったとされる聖地、カベール岬へ』
☆
長方形型の結界に閉じ込められたキアラは、結界それ自体を変えようとするも、何の変化も見られず、途方に暮れた。
カノコ、アサ(こちらは三体)、マオラのそれぞれも同じような結界に封印されている。
『サソリ』は片方のハサミを飛ばし、マオラを捉えた。正確にはマオラではなく、マオラを囲む結界を、そのまま、空高く結界ごとマオラを放り投げた。まるで宇宙ロケットが飛び立つように、マオラは瞬く間に消えて行った。
カノコが以前と同じようにジャンプするがもちろん三メートルほど上空で見えない壁に阻まれる。
マオラは恐ろしいスピードで大気圏を出て、宇宙へ飛び出した瞬間、結界が解かれた。
マイナス二百七十三・五度の絶対零度はすべての物質を一瞬で凍らせる。
マオラは、凍結する瞬間、かつての救急隊員の言葉を思い出し、にこやかに口元をほころばせて、宇宙を漂う唯一の美女となった。
『サソリ』が、アサへと顔を向けた。精神、魂、普通の肉体、眼を向けたのは、もちろん普通の肉体のほうだった。カノコが暴れる。四方へ飛ぶが壁にぶつかるだけで結界から出ることは不可能。こぶしで壁を殴り、何度も何度も殴り、やがて空間を流れ落ちる血の川ができた。
アサが、カノコを見つめる。その視線に気づき、カノコは手を止めた。アサは、諦めともとれる表情を、おだやかに、そして、何処かうれしそうに浮かべて、口を動かした。
先に、マサムの元へ行ってるね――カノコにはそう聞こえた。
「ダメだ。諦めるな! アサ~!」
アサは両手を広げ、天を仰ぎ、宙に浮いた。
何が起こったのか、キアラたちが固唾をのんで見守る中、アサは口を開いた。モゴモゴと動かす。
『勘違いしないでくれ。我々は地球人を救いに来たのだ』
アサの声ではなかった。声を変える変声機を使っているかのような混ざった声。みんなの驚きをよそにアサは続ける。
『君たちはこのままだと《木》になってしまう。それがヤツの狙い』
ヤツとは世界樹だろう、とキアラは瞬時に理解した。そして、今言葉を発しているのは『サソリ』。しっぽが伸びてアサの背に突き刺さっている。そうやって操っているのだ。
『我々はただ、その変化を止めに来たのだ』
カノコとキアラの眼がラナを捉える。
「嘘ではないわ。でも、本当でもない」
「どういうことだ?」
そのときアサの眼がカッと開き、彼女の白眼と化した瞳がギラギラと色を放った。
『はははははははは。ちょっとした恩恵だよ』
恩恵……①めぐみ ②なさけ ③与えられる場所に本当にいると勘違いしている者が多いが、
それは人間のエゴでしかない
『君たちを《木》には変えさせない。何故ならその前に我々の餌食になるからだ。《木》になってしまったら不味くて食えん。はははははは。云いかえれば、それは救いになるのではないのか? 地球人のまま死ねるのだからな。はははは』
「なあ、ラナ。俺はこのままだと本当に木になってしまうのか?」
「…………」
その無言が、肯定しているのだとキアラは悟った。
3 喪失
何故かわからないが、結界が消えた。いったいどうしたんだ? と視線を巡らせると、すぐにその原因がわかった。
長くて細くて赤い棒が、『サソリ』の頭頂部から又を貫き、地面に突き刺さっていたのだ。
しっぽが力なく垂れ下り、アサがドサリと地面に落ちる。
上空を見上げるキアラ。
その視界のなかに飛び込んできた人物が声を張り上げて云った。
「遅くなってすまない」ショウだった。「ボクはこれから行かなくてはならない場所がある。アサ先輩はおそらく死んではいない。だからカノコ先輩、早く病院へ」
それを聞いてカノコの眼から熱い物がこみ上げてきた。
そしてショウは、勝利に浸るでもなく、すぐに空高く消えて行った。
何もない空に響く感謝の言葉。
「ありがとう……ありがとう、ショウ」




