世界樹の花嫁 ~プラント・ワールド~ 15
3 飼育
「俺はラナを引っ張って逃げたんだ。振り返らず、ただただ恐怖に追われ、全力で逃げた」
そこまで云うとキアラは、伏せた眼を上げようともせず、小刻みに震えだした。
自責の念にかられているのか、恐怖の沼につかっているのか、路地にいるキアラの姿はおぼろげで、ショウには判断がつかなかった。
「あなたたち人間は、なかなかの素質を持っている。前にいた惑星の人たちと同等か、もしかしたら、それ以上の素質」
淡々と語りだしたのはラナだった。
ショウとミルはキアラの隣に腰を下ろしているラナに注視した。
「云いかえれば、前の人たちも強かったということ。それでも『捕食者』たちに対して、手も足も出なかった。私たちが相手にしようとしているのはそんな化け物たち。数々の星を食らい尽くし、滅ぼし、次の餌を求めて旅をする。永い永い旅の中、ついにご馳走と出会った。それが、世界樹が遺伝子を作り変えた生物。DNAに調味料を足し、調理し、絶品となったお料理。彼らは追いかけた。彼らは世界樹という調理師は逃がさない。そして、ご馳走も、逃がさない」
抑揚のない語り口調は、テレビのナレーション、童話を聞かせる母親のようで、日常的な会話とは大きくかけ離れていた。それが逆に云い様のない不安感を煽り、心を寒々とさせたのだった。
部屋の中を重い沈黙が漂う。
ここでショウはミルを抱いて、窓から外へと降り立った。そのまま誰にともなくショウは疑問を口にした。
「じゃあ、何故彼らはボクたちを殺すんだろう」
「彼らは根っからの戦闘狂。殺しはいわば遊戯。昆虫の世界はとても純粋なもの。食うか食われるか。でも彼らは昆虫からさらに進化し、楽しみというものを見出した。その結果が、他の生き物に対してはいい迷惑だったのよ」
再びさまよう沈黙の空気。
「出て行ってくれ。今すぐ地球から」キアラはうつむいたままそう云った。「世界樹がなくなれば俺たちのことなど見向きもしないんじゃないか?」
「そうかもしれないし、それでも、殺戮はやめないかもしれない」
真剣なまなざしで答えるショウ。
「おそらく、世界樹がなくなっても、これから先まだまだ殺戮は続くだろうね。それをだまって見ているわけにはいかない。止めなければ」
「お前はあいつらの強さを知らないからそう云えるんだ。国を滅ぼすほどの強さなんだぞ」
「キアラ」ショウは口元に微笑を浮かべたまま彼の眼を見据えた。「ボクもお前も、国なんて簡単に滅ぼせるんだよ」
ミルはその言葉に笑みがこぼれ、ラナは感嘆の表情を浮かべた。
「このままいいようにさせてたまるか。人間はこんなもんじゃない。それを見せよう」
「まったく……わかったよ。お前には勝てないな」
キアラは立ち上がり、力強い笑みをショウに放った。
☆
世界樹の恩恵を受けて能力を授かった者は、わずかながら海外にもいた。
小国の小さな噂をききつけ、半信半疑ながらも湖の水につかった者たち。
そんな彼らが、『クワガタ』『蝶』に相対した。だが、時間稼ぎにこそなったが、誰一人として止めることは出来なかった。
電撃使いの『クワガタ』
風使いの『蝶』
この二匹の強さは異常だった。
『クワガタ』はそのまま南下し、南米に狙いを定めた。
『蝶』は東、ついにロシアへ。
世界崩壊へのカウントダウンは着々と進んでいる。
結界使いの『サソリ』は次の獲物を探し、そして、刃物使いの『カマキリ』は、次のターゲットと接触した。
4 ごはんを食べる
ナサオシは大空を舞い、まだ接触していないマオラの元へと急いでいた。すべての攻撃を反射する彼女の能力。化け物との戦いで、きっと役にたつ。
夜の空はとても静かだった。こうやって空を飛んでいると、本当に世界が危機に瀕しているのかと疑わしくなってしまう。
ささやかな安らぎに身をひたしていたナサオシの前方に、通常では考えられない異物が浮いていることに気づいた。
化け物か? そう身を固くしたナサオシだったが、異物に近づくにつれてホッと安心した。
異物の正体は七太郎だったのだ。左腕に見知らぬ美少女を抱いていて、左の空間を凝視している。何をしているのか問い詰めようとしたが、ナサオシの存在に気づいた七太郎に静止させられた。
「それ以上近づくな、ナサオシ。ヤツがいる」
ヤツという意味がよくわからなかったのだが、ナサオシが眼をこらすと、七太郎の前方に緑色の物体がわずかに見えた。その物体がグングン近づいてくる。やがてそれが、『カマキリ』だと認識できたとき、七太郎はさらに罵声をあびせた。
「ここはまかせろと云っているんだ。もたもたするなバカ。逃げろ」
一年の後輩にここまで云われて腹を立てることなど脳裏にはなかった。ただただ恐ろしさ、恐怖感、生存本能の叫びだけがナサオシの中にあった。早くここから去らなければ、ただそれだけだった。しかし、心の叫びとは裏腹に、逃げることが出来なかった。心の何処かで逃げてもいずれつかまる、ここで倒さなければけっきょくは殺される、そういう想いが渦巻いていたのだ。
七太郎の補佐にまわれば、『カマキリ』を倒せるかもしれない。
そのとき七太郎が叫んだ。いよいよ接触したのだ。
「地球は人間のものだ! きさまらを後悔させてやる、バロック!」
七太郎と『カマキリ』の間に空気の渦が発生した。
次の瞬間――。
七太郎の首が飛んでいた。
何が起こったのかナサオシには見えなかった。それが『カマキリ』と自分の力の差だと認識すると、戦おうなどとは思わなかった。とにかく逃げるしかないと考えた。
浮力を失った七太郎の身体が落ちていく。そして、彼が抱いていた美少女も、小さな悲鳴を上げながら落ちていく。
『カマキリ』の視線がナサオシへと注がれた。それを感じたナサオシは萎縮した。
今すぐ逃げなければ……。
だが……。
「助けて」
美少女の声でナサオシは動いていた。逃げるつもりだったのに少女を追いかけている。何故このような行動に出たのか自分でもわからない。地面が見る間に迫ってくる。それでもナサオシはスピードをゆるめない。むしろ、上げた。
地面への衝突まであと四、五メートル。
そこでナサオシは少女をキャッチした。
地面に鼻先をかすめて二人は再び上昇した。
後方を振り返るナサオシ。案の定、『カマキリ』は追跡していた。
ヤツの射程距離がわからない以上、近づかれるわけにはいかない。
ナサオシはスピードを上げた。
風を切る音が轟音となって鼓膜を刺激する。
『カマキリ』はなおも追いすがってくる。
さらにスピードを上げる。
それでも振り切れない。
やがて、音のとどく速さをナサオシは超えた。この辺りから呼吸もままならなくなる。長時間は持続できない。
すがるような思いで『カマキリ』を見る。
ヤツも音速の壁を越えていた。
絶望が心を支配したそのとき、
「私の名はルチ。強くなりたい? ナサオシ」
ナサオシは夢中で返事を返した。
「ああ、もちろんだ。強くなれるならどんなことでもする」
魔女のような妖しい微笑みを浮かべ、ルチはナサオシに唇を重ねた。
☆
宇宙空間を漂うひとつの黒い物体。
その存在に気づいているものは誰一人いない。
諦め、絶望、恐怖、地獄を運んでくる黒い物体は、ただただ真っ直ぐ、地球を目指していた。
☆
空を見上げたショウの眼に飛び込んできたのは、まるで動画サイトで見たようなUFO映像を彷彿とさせる飛行物体だった。
ふたつ。それらはジグザグに飛び交い、おそろしいほどの早さで飛んでいる。
「何かがいる。ちょっと見てくるよ」
ショウはそう云って、血で作った翼を広げ、返事を待たず上昇した。謎の飛行物体の正体はすぐに判明した。
美少女を抱えたナサオシと『捕食者』。
『捕食者』を初めて目の当たりにし、ショウは全身の毛がくり立つのを感じていた。これまでにも恐怖を感じたことはある。タツア、ノリムネ、サヨリ、マオラ、他にもたくさんいる。しかし、その恐怖をはるかに凌駕した、心臓をわしづかみにされたような恐怖をはらんでいた。
『捕食者』から放たれるただならぬ気を前に、ショウは動くことが出来なかった。
ナサオシとルチが地上に降り立ったとき、
「ショウ! 助けてくれ!」
その言葉が自分に向けられていることを、ショウは理解するのに少し時間がかかってしまった。
「七太郎がやられた! どうやって殺されたのか、何がどうなっているのかぜんぜんわからない。突然、首が飛んだんだ。頼む、助けてくれ!」
「ナサオシ先輩は下がっていてください。あとはボクがやります」
そう云ってショウも地上に降りた。
おそらく、自分を頼ってここまで必死に逃げてきたのだ。それを無碍にはできない。仲間の障害を取り除かなければならない。
ショウは一度、あたりに視線をめぐらせた。キアラとラナ、そして、ミルの心配そうな顔が浮かんでいる。ショウはそれらを笑顔に変えてみせる、と決意した。
そこに、『カマキリ』が姿を現したのだ。
右手にはかつて七太郎であっただろう胴体がぶら下がっている。
それを『カマキリ』は、自分の口へと持ち上げたのである。
ミルとラナの悲鳴が上がる。
キアラがミルたちを遠ざける。
ナサオシはルチを引き連れ上空に逃げた。
そして、ショウは――。
5 無
分析……①複合したものを、成分・要素に分けて調べること ②物質の成分の種類や量を調べること ③その本質を見抜き自分のフィルターを通して調べ上げること
分析……それが、ショウの得意分野だった。
ショウは『カマキリ』の体躯を見て、まず、両肩についている刃のようなモノに注意をはらった。それは日本刀の刃の部分だけを幾重にも重ねたようなもので、昔の玩具、マジックハンドを連想させた。先ほどナサオシが云った、「突然、首が飛んだんだ」、これはおそらくあの刃のせいだろう。
この推理が間違っていれば負ける。
しかしショウは、笑っていた。無意識が呼んだ心の奥底からの笑み。
再びショウは過去に云われたことを思い出していた。
「本当は戦いが好きなんじゃないのか?」キアラが云った言葉。
ショウはそうかもしれない、と思った。
『カマキリ』と対峙して脳は逃げろと叫んでいる。やめろと止めている。しかし、魂は喜んでいる。
ショウは足を前に一歩進めた。それも笑顔をたたえながらである。
「ショウ、気をつけろ」
キアラの忠告はしかしショウにとどかない。
ショウの眼には史上最大の天敵しか映っていない。戦いの先には痛みと恐怖が待っているだろう、しかし、喜びもある。まるでジェットコースターの初めの坂をゆっくり上っているときの感覚に近い、とショウは思った。戦いの先には何が待ち受けているのか。ショウはそれを知りたかった。
外灯の灯りを反射して、『カマキリ』の肩がキラリときらめいた。
次の瞬間、ショウは吹き飛ばされていた。
息をのむキアラたち。だがショウは何事もなかったかのように立ち上がった。
「カマキリの鎌か。はっきり云って、見えないな」
「大丈夫か? ショウ」
キアラの問いにショウはさわやかな顔で答えた。
「キアラのマネをしたんだよ。自分のまわりに血液で作った固い膜を張り巡らせてね」
それを聞いてキアラは決勝戦で自分が取った行動を思い出した。
『カマキリ』は喜んでいるような、驚いたような、楽しみを見出したかのような、そんなあやふやな色を、ガラス玉のような眼から放った。
ショウは全身でそれを感じ取った。無意識のうちに笑顔がもれる。と、ショウは上体をそらした。背後にあるブロック塀が崩れる。ショウはとまらない。かがんだり、背後に飛び退いたり、とその都度、何かしらが崩れ落ちる。
不思議なのはショウのまわりで破壊されるのは、同時にいくつもあるということだった。『カマキリ』の鎌は二枚。すなわち、二ヶ所同時というのはわかるのだが、三ヶ所も四ヶ所も同時に崩れるのは説明が出来ないのである。
その謎はしかし、ショウにとっては謎でも何でもなかった。
瞬時に分析は完了した。相手の謎を自分の心の中に取り入れ、フィルターを通してみたとき、ショウは何が起こっているのかすべてを理解した。
『カマキリ』の余裕が、徐々に剥がれ落ちていく。それは戦いを見守っているキアラたちにも認識できたほどに。
何故、見えもしない鎌の攻撃がショウにあたらないのか。『カマキリ』もそうだが、キアラたちにもわからない。
誰も何が起こっているのか理解できないまま、『カマキリ』の片方の鎌が弾けとんだ。肩口から血飛沫を上げながら、ガランガランと地面を転がる。
「ヒロヨシが使った鞭を真似ただけだよ。鎌よりも鞭が速い。ただそれだけ。そして一応、先のほうだけを鋭利な刃には変えたけどね」
淡々と話すショウだったが、それを聞いたキアラたちは驚愕した。
だが、誰よりも驚いているのは当の『カマキリ』であった。落ちた鎌とショウを何度も何度も見返している。
「こいつは高速で動かす鎌を利用して真空の風を作り出していた。何ヶ所も同時に破壊していたのはそのせいだよ」
「何故お前はそれを避けられるんだ?」
キアラの質問は、他の誰もが抱いていたものだった。
その質問の間に『カマキリ』の残った鎌も切断される。
「見えないなら、感じればいい。ボクは透明なほど薄くて細い血の網をあたり一面に設置した。切れた感覚、切れた場所、切れていく角度、それらを感じただけなんだ。だから、鎌の軌道を読めた。刃と化した風も怖くなかった。それだけだよ」
それだけ、という言葉はここではふさわしくない、とキアラは思った。
ショウだからこそ、成しえたのである。
キアラはゆっくりとラナたちに眼を向けた。
ラナ、ミル、ナサオシ、ルチ、誰もが眼を見開いている。誰もが言葉を失っている。
みんなの驚きをよそに、ショウは血液で刀を作り出した。その剣を肩に抱えたまま『カマキリ』の元へと歩み寄る。
「これまでに何人殺してきたかわからないけど、殺される気持ちを知るがいい」
ショウは刀を頭上に持ち上げた。
『カマキリ』は逃げようと翼を広げた。
天高くかかげられた刀は……しかし振り下ろされなかった。
空へと舞う『カマキリ』。
「何をやっているんだ。逃げられるぞ!」
「ショウ!」
キアラとミルの檄が飛ぶ、が、ショウは全身に汗を浮かべたまま動かない。
『カマキリ』の身体が四、五メートルほど浮いたときだった。
「ナサオシ先輩、俺を抱えて飛んでくれ。ここで逃がすわけにはいかない!」
ナサオシはすぐさま行動に出た。低空飛行でキアラの身体を受け止めると、両肩から血を噴き出している『カマキリ』へと追いすがった。
「これであと三匹だ。ヴェガ!」
☆
『カマキリ』の断末魔は、ちょうど犬笛のように人の耳には届かないが、しっかりと他の仲間に伝わった。日本のちょうど裏側のブラジルまで耳元で囁くかのように伝わった。極寒の地ロシアにも怒りの炎が届いた。
そして、同じ日本では、悲鳴は絶叫となって『サソリ』の鼓膜をゆるがした。
☆
眉を寄せ、あたかも自分が心を痛めているかのように、ミルはショウを抱きしめた。
『人を殺した』という罪は、こんなにもショウの心を傷つけていたのか。
どうすればショウの心をなぐさめてやれるのか。
どうやって癒せばいいのか。
何もわからない。
もしもワタシが人間だったのならば、方法がわかるのだろうか、彼を介抱してあげられるのだろうか。
「ショウの選択は間違っていなかった。だから、罰を受ける必要はないのよ」
ミルは愛する人に何もしてやれない自分を、心から責めた。
つづく




