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世界樹の花嫁 ~プラント・ワールド~ 14

     2 恐怖(フィアー)


 ただでさえ感情の乏しいルチの顔が、失恋直後の少女のように生命感を喪失させていた。色のない大きな瞳はただじっと、一点だけを捉えている。

 その先にいるのは病室のベッドに腰をおろし、静かな外を眺めている、七太郎だった。脅威はまだここまで迫ってはいない。『捕食者』のことを話しても信じてはもらえないだろう。しかし、ルチには説得する方法を思いついていた。

 外と同じくらい静かに、赤子を諭すように、ルチは語りかけた。

「七太郎。もっと強くなりたい?」

 彼はその言葉に、大きく反応した。


     ☆


 世界樹の湖の周りには、夜でも観光ができるようにと、等間隔に外灯が並んでいる。それらの宝石のような優しい光に照らされ、世界樹は荘厳といってもいい貫禄を持ってそびえ立っていた。その足元に、二本の茎が渦を巻いてねじれている木と、何処にでもありそうな普通の木があった。

 つい先日まで存在しなかったその二本の木を不思議に思いながら、キアラは、不可解なものを目の当たりにして微動だに出来ないといった感じのラナに尋ねた。

「何かあったのかな?」

「ええ、それは間違いないわ。世界(マザ)()の皮膚が少しケガをしている。あのとき、心の中を走った衝撃の正体は、これだったのね」

 キアラは大会決勝戦のときに見せたショウの異変を思い出していた。結局、彼女が救いの女神だったのだ。

 二人は世界樹へと近づき、その削れた部分を確認した。

 ドボン! という音が響き渡ったのはちょうどそのときだった。

 驚いて振り返ると、湖の中に見慣れない姿の男が立っていた。

 それは人とは呼べない造形をしていた。テレビに出てくる特撮のヒーローがそのまま飛び出してきたようだった。

 肩の上部に乗っている大きなハサミ。長く伸びた尾、その先端には少しだけ湾曲した針。

 まさしく、人間とサソリが融合したような容姿だった。

 キアラはラナを下がらせて、みずから前進した。

「ラナの云っていた『捕食者』か。お手並み拝見だな」

 口元に笑みを浮かべるキアラに、ラナは震える声で云った。

「油断しないでキアラ。こいつらに狙われて、何億……いいえ、それ以上の犠牲者が出ているのよ」

「わかったよ」

 キアラは振り返らずにそう答えた。

『サソリ』は前方に大きくそびえ立っている世界樹を見上げた。

 何を考え、何をたくらんでいるのか、感情の読み取れないガラス球のような眼。しかし『サソリ』は、すぐに興味をなくしたらしく、視線をキアラへと戻した。そのまま、右腕を前に出し、手のひらを上にし、クイックイッと指を曲げた。

 キアラは『サソリ』を指差したまま背後を振り返った。その口はポカンと開けられている。

「挑発よ。相手にしないで」

 ラナの忠告を聞き納得したのかしないのか、それでもキアラの顔には怒りが浮かんでいた。

 ショウを倒したという自信、自分という壁を乗り越えたという自負の念、それらは確実にキアラの気持ちを大きくさせていた。キアラは『サソリ』を最初の一撃で殺す気だった。それだけの材料はまわりに充分すぎるほどそろっている。大会のように遠慮する必要はないのだ。外でこそキアラの能力は開花する。

 しかし、その自信は数分後にはコナゴナにされる。

 キアラはまだ知らない。予想もしていない。

『捕食者』は、想像を絶するということを。

 キアラがゆっくりと、それこそ相手を刺激しないようになめらかに、足元に広がる水に触れようとした。だが、それを止めたのは思いもよらない人物だった。

 ザバン! という音とともに、キアラと『サソリ』から少し離れた場所に、ナサオシ、シブ、スリカの三人が姿を現したのだ。

 呆然と見守るキアラに対し、シブが口を開いた。

「話しはカノコから訊いた。加勢に来たぞ」

 小柄な体型からは想像できない軽い声だった。キアラはシブの声を聞いたのはこれが初めてだと気づいた。マオラとの戦いが一瞬で決着がついたので仕方がない、ともキアラは思った。

「まったく、何でこんな面倒くさいことになったのかしら。でも、愛するキアラ様のために駆けつけるのは愛のため。どうかご考慮くださいね、キアラ様」

 相変わらず意味のわからないスリカ。

「俺は他のメンバーのところへ行ってくる。死ぬなよ」

 それだけを残し、ナサオシは空の彼方へと消えて行った。

 キアラは大きく息をひとつ吐き、

「わかったよ。それじゃあ、世界を救うために頑張ろうか」と、自信を込めて放った言葉。

 その言葉が終わった瞬間、『サソリ』は動いていた。

 水中を音も無く進む尾。

「危ない!」

 叫んだのは充分な警戒心を持って観察していたラナ。彼女は『サソリ』の尾が水中に沈んでいるのに気づいたのだ。しかし、遅かった。水面に顔を出した尾はシブの鼻の先。次の瞬間にはシブは大きく持ち上げられていた。

 腹部に突き刺さる太い尾。先端についている針は体内に深くめりこんでいる。

 シブは白眼をむいた。

 大きく開けられた口からは悲痛な叫び声。

 やがてシブはぐったりとして動かなくなった。全身は紫色に変色し、誰が見ても毒にやられたとわかる。

『サソリ』は物言わぬシブを放り投げた。

「どうしたんだ、早く能力を発動させろ!」

 キアラの罵声にしかし、スリカはシブ以上に顔色を悪くしている。

「違うの。もう発動させてる……でも、『発動しない』の!」

 それが何を意味しているのか、キアラはすぐに理解した。

『サソリ』には弱点が無い!

 その考えに行き着いたとき、キアラは『サソリ』の気を引くために刃に変えた水を飛ばした。円盤のような刃は弧を描き飛んでいく……が、『サソリ』に触れた瞬間、跡形もなく砕け散る。

「古より呪われしこの血を浄化せよ。世界に混沌たる秩序を――カオス!」

 何度も何度も能力を発動させようとするスリカ。だが、何も起こらない。

「ここはまかせろ! お前は助けを呼びに行ってくれ。ショウだ……ショウがいい。急げ」

「待って!」

 再び、ラナだった。

 蒼白になりながら、彼女を見るキアラとスリカ。

「肩についていたハサミが、ない!」

 息をのみ、『サソリ』へと視線を戻す二人。確かに、ない。

 キアラはすぐさま水を鋼鉄の壁にして前方に作りだした。

 ハサミは壁を突き破ったが、わずかに軌道が()れ、キアラの額をかする程度に終わった。スリカはというと、ハサミが彼女の首をものの見事にとらえていた。

『サソリ』はハサミを自分のところに戻し、スリカを引き寄せた。

「キアラ様!」

 スリカは助けを求めるように右腕を出した。大きな涙を浮かべた瞳はキアラをとらえている。

 キアラは声にならない声を上げた。

 スリカの視界が真っ暗になった。

 彼女の頭部が……『サソリ』の口の中へと消えたのだった。

 それを見て、キアラは何故彼らが『捕食者』と呼ばれるのかを、知った。



                                        つづく

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