世界樹の花嫁 ~プラント・ワールド~ 11
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ウワアアアアアアアアアッという叫び声が世界樹の周りにこだました。悲鳴の主はマサム。突然の叫び声にアサとカノコが足を止めた。
「ダメです。このままではあいつに殺される」
そのあいつとは『ムカデ』。
アサとカノコが『ムカデ』へと視線を戻すと、ちょうど両腕を広げているところだった。
「今からあいつはバラバラになります。『ムカデ』の身体は小さな虫の集合体。水中から襲われる。みんな水から離れてください」
それを聞いて、アリアは足元に種をまき、成長する木につかまって遠くへ逃れた。カノコはアサとマサムを連れてジャンプし、タツアはルチといっしょに岩に乗って飛んだ。
その刹那、『ムカデ』の身体が分裂する。
湖のほとりに姿を現すマサムたち。その後すぐ、マサムはカノコの肩をつかんだ。
「虫を一匹一匹遠くに飛ばそうとしているんですね? でもやめておいたほうが懸命です。なぜならば、カノコくんが虫に触れた瞬間、そこから毒が注入されるからです」
カノコはマサムを睨みつけた。じゃあ、どうすればいいんだ? と問う前に、
「ここは私にまかせてください。『答え』を見つけるまで、死なずに、時間をかせいでください」
『ムカデ』の姿は何処にも見えない。分裂し、水中を移動している。
「グダグダ云っているんじゃねえ。小さくなったということは、ちからも弱くなったかもしれない。俺が終わらせる」
タツアだった。彼はルチを岩から降ろし、自らは岩に乗って湖の中央まで浮遊して行った。
「岩の雨でもくらえ、ディープ・インパクト!」
まさしく岩の雨だった。野球のボールくらいの岩が豪雨となって降り注いだ。
隙間なく、際限なく、岩の弾丸が降り注ぐ。
「つぶれろ、つぶれろ!」
タツアの顔がつりあがる。破壊の衝動を具現化した能力――ディープ・インパクト。
ドドドドドド! という地響きのような轟音が辺りをとどろかせる。
『ムカデ』はたまらず元の塊に戻った。
それを待っていたかのように、アサが叫んだ。
「触らなければいいんでしょ。私の出番ね。シンリ!」
アサは魂の方の肉体を出した。魂体の右こぶしがうなる、が、むなしく空を切った。
『ムカデ』は虫のつながりの構造を変え、頭をパックリふたつに分けたのだ。続いてアサの左こぶし。『ムカデ』は胴に穴を開けてそれを避けた。
異様な回避方法。アサは焦った。
「アサくん、分身をさげてください!」
アサはマサムに云われるまま魂体を消した。それが最良のことだと信じたからだ。
「カノコくん。あなたは直接攻撃を加えないように。ああ、タツアくん、そこから離れて! アリアさんも移動を!」
みんなが寸分の誤差もなく動く。それでもマサムの顔色が晴れることはない。それどころか、眼、鼻、耳から血が流れ出した。
「ダメだ。どんなことをしても『死』から逃れられない……ダメだ……これも……あれも……アサくん、危ない!」
ゴボゴボと血を吐きながらマサムは叫ぶ。
マサムは指示を出したと仮定しての未来を視た。しかし、いずれも再生されるのは敗北の映像。『ムカデ』を倒すことは不可能だと未来自身に暗示されているようなものだった。
タツアの岩はことごとく避けられ、相手に触れられないカノコは惑い、アサの能力も通用せず、アリアもまたしかり。
八方ふさがりの状態だがみんなはマサムを信じて待った。突破口を見つけるのを。
マサムは苦痛にさいなまれた。苦痛といっても痛むのは脳。人間の脳の許容をはるかに超える情報が次から次へと流れこんでくる。放射状に張り巡らされたいくつもの未来。そのひとつひとつがものすごい速さでマサムの脳で通過する。脳は痛覚を持っていないにもかかわらず、マサムは人生初、いや、人類初の痛みに襲われていた。
「まだか? マサム」
「早くして!」
カノコとアサが叫ぶ。
『ムカデ』の上半身が突然、円盤状に平たくなった。そのときマサムが声を荒げた。
「回転して虫を飛ばします。タツアさん、岩で壁を!」
その指示を受け、タツアは『ムカデ』の周りに分厚い円形の岩を作り出して、包囲した。
変身を解く『ムカデ』。
「そのままつぶれろ!」タツアは『ムカデ』を包囲している岩に蓋をするようにして、大きな岩を真上から落とした。しかし、『ムカデ』はバラバラになって包囲網を突破した。水の中に消える虫たち。
そのとき、マサムは動きを止めた。何処か遠くを見るような、信じられない出来事に直面したような、眼を大きく見開き、遠くを見た。
一瞬躊躇して、それから覚悟を決めたように云った。
「倒す方法が視えました」
その言葉を待っていた、とカノコとアサがにやりとした。
「タツアさん、先ほどの岩の雨を!」
云われるまま、タツアは雨を降らせた。
元の固体へと戻る『ムカデ』。
「アサくん、精神体を出して落ちている岩を投げてください!」
強力な投球は、岩を信じられない速度で飛ばした。
『ムカデ』は上半身を縦ふたつに分けてそれをかわした。
「アリアさん、種をありったけ空中にばら撒いてください」
アリアの能力が舞う、マサムはそこで笑みをもらした。
「これでヤツは口を開けません。カノコくん、私を『ムカデ』の眼の前に」
カノコはそんな危険なことをこともなげにやってのけた。それは、マサムを信頼している証だった。マサムが勝てると云ったのだ、未来を視て、何処に疑う余地があろう。
マサムは『ムカデ』の眼と鼻の先に移動した。
近くで見ると茶色い骨格の内側はうすく、やわらかそうだった。うねうねと動く節についた短い足が統率なく自由に暴れている。その異様さ……気持ち悪さ……近くで見るのはまた格別だった。無数の牙が蠢く口、ガラス玉をはめ込んだだけのような眼、節のひとつひとつが同じ形状。それらがいっせいに活性化し、マサムへと攻撃を開始した。
「今です! チヨナさん!」
この言葉に誰もが驚いた。
いつの間にか、病院にいたはずのチヨナが参戦していたのだ。
彼女の髪が『ムカデ』に絡みついた。節――虫の一匹一匹あますことなく絡み付いている。束縛を解こうと虫の触手が伸び、髪の毛の一本一本に食らいつく。それを凝視してマサムが動いた。
「『ムカデ』は相手の能力を見抜くちからを持っています。だからアサくんの魂の分身体に触れなかったし、アリアさんの種にも注意を払っていた。タツアさんの岩を避け、カノコくんの行方をつねに把握していた。そして『ムカデ』が真っ先に殺さなくてはならないと考えていたのが、私です。先を視る能力を持った、私を、脅威に感じたんですね。そこで今までここにいなかったチヨナさんが功を奏したのです。今、虫たちは私を殺そうと口を開いています。ところが、一匹だけ口を閉ざしている虫がいます。何故かと云うと、この虫こそが『ムカデ』の本体だからです。司令塔と云ってもいいでしょう。つまり、この一匹の虫を殺しさえすれば、全体は滅びます」
そう云ってマサムは『ムカデ』の腹部へと腕を伸ばした。そのまま節の一部を引き抜く。
「こいつを殺せば――」マサムは右腕を力いっぱい握った。白い体液を飛び散らせて、虫はつぶれた。「この戦いは終止符を打ちます」
カノコとアサとアリアの三人が、マサムの元へと駆け寄った。勝利を喜び、三人は笑顔だった。しかしそれを、マサムは笑顔で制した。
「アリアさんにお願いがあります。今すぐ私に種を植え付けてください」
アリアはその言葉に困惑した。
「どういう意味ですか?」
「仕方がないのです。私の体内には、『ムカデ』の卵が植えつけられています。私が木になることによって、産卵を防ぐことになるのですから。オスのように見えましたが、実はメスだったのですね」
笑顔を浮かべるマサムは、そのまま続けた。
「心配しないでください。私は木になるだけであって、別に死ぬわけではありません。いつか虫だけを排除する能力を持った人を見つけて、助けてください。それまではここで、木になって、世界樹とともにあなたたちの未来を見守りましょう。ああ、それから、チヨナさんにも種を。何故ならば、彼女は髪の毛から毒を注入されました。私たち二人はここで木となってあなたたちの助けを待ちます。それまでどうか死なないでください。ああ、それからカノコくん。僕の能力が開花しました。五分後の世界などではなく、もっと、さらに遠くを観ることが出来ました。そこでお願いがあるのですが――」
チヨナはマサムを抱いたまま木になった。
マサムは笑顔を浮かべたまま木になった。
二人は絡み合ったまま、ねじれた木になった。
それはまるで水の中に二種類の絵の具をたらしたように混ざり合っていた。
そして、タツアは……苦痛にさいなまれた。
最初は手足の違和感をおぼえ、しだいに顔色を悪くし、震えだした。
「これは何だ、ルチ?」
しかし、ルチは答えない。無表情のままタツアを見つめている。
「何をした?」
タツアは叫んで岩をルチではなく、世界樹へ向けて飛ばした。自分の身体に異変が起こっている。ルチはそのことについては一言も触れない。しかし、落ち着いた様子から、こうなることは事前に知っていたのだろう。
タツアが飛ばした岩は鋭利な刃物のような形状をしていた。スピードが増す。岩がパンという乾いた音をとどろかせた瞬間、世界樹へと接触した。
世界樹に当たった岩はコナゴナに砕けた。最後のちからを振り絞ったタツアの能力は、今まで世界樹に傷ひとつつけられなかった科学者たちを差し置いて、外皮を削ったのであった。
その刹那、ルチの身体に駆け巡る電撃のような衝撃。苦痛にさいなまれ、悲鳴を上げた。
「俺はどうなるんだ? ルチ! 云わなければもう一度攻撃を繰り出すぞ」
ルチは悲しそうな表情を向けるだけで答えない。
やがて、さらなる苦痛がタツアの全身を襲い、その痛みは潮が引くように消え、次の瞬間、快楽へと変わった。タツアは恍惚の表情を浮かべ、身体が高質化し、木へと変化した。
みずみずしい新鮮な樹木。
マザーの子と接した者の末路。
五匹のうちの一匹が死に絶えた。
しかしまだ四つの悪夢が先に控えている。
世界は未曾有の危機にみまわれ、未来を見失う。
チヨナは自分の身体が変形していく中、至福の光に包まれていた。
『こんな姿になってしまったけど、私は今、しあわせです』
つづく




