第8話 静かな午後の再会
図書館の朝は、春の光に包まれて静かだった。
木の床に足を踏み入れると、かすかにきしむ音が心地よく響く。
書架に並ぶ古い本の香りと、紙の匂いが漂う中、リリアーナは貸出帳の整理をしていた。
心の片隅に、ふと思い出されるのは一週間前のこと。
休日にミーナとクララと街へ出かけた日――
賑やかなカフェの一角で、なぜか視線を感じたような気がした。
気のせいだと流したが、あの感覚はどこか心に残っていた。
「……こんにちは」
静かな空間に、低く落ち着いた声が響く。
顔を上げると、銀灰色の髪に蒼い瞳を持つ青年が立っていた。
堂々とした立ち姿で、どこか周囲とは異なる気品を漂わせている。
リリアーナは思わず一瞬息を飲む。
まだ彼の正確な身分も名前も知らない。
ただ、何か高貴な家の血筋を感じさせる雰囲気があることだけはわかった。
「また、図書館にいらしたんですね」
自然な声で声をかける。
レオニスは軽く頷き、柔らかな口元の笑みを浮かべた。
「ええ。ここの静けさが、どうも心地よくてね。」
リリアーナは軽く礼をして、本棚の間へと歩く。
仕事中は、感情を見せすぎないことが信条だ。
けれども、視界の端にいるレオニスの存在は、いつもとは違う気持ちを胸に忍ばせる。
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レオニスの心中は複雑だった。
――自分は騎士団長である。
公爵家の三男という立場もある。
彼女に近づきたいと思っても、簡単に声をかけたり距離を詰めたりすることはできない。
それが礼儀であり、立場を守るための制約だ。
だが、胸の奥底で芽生える小さな熱は、どうにも抑えられなかった。
彼女が本を手にしているその姿――真剣な表情、指先でページをめくる仕草――
すべてが、彼の心に鮮やかに刻まれる。
「……前よりも、あなたと話すのが楽しみになっている自分に気づいたよ」
そうぼそっと呟くレオニス
衝動を必死で押さえつつ、彼は静かに距離を保つ。
近づくことは許されない――
しかし、見ているだけでも満足するほど器用ではないのだ。
そのとき、扉が開き、明るい声が響く。
「リリアーナ!今日は図書館まで来ちゃった!」
振り返ると、ミーナとクララが笑顔で入ってきた。
金髪のポニーテールを揺らすミーナは、無邪気な笑みでリリアーナに駆け寄る。
「ねえ、クララ、見て!リリアーナが働いてる!」
クララは眼鏡を押し上げながら落ち着いた微笑を浮かべる。
「真面目ね。私ならサボっちゃいそう」
リリアーナは少し照れながらも、笑って応える。
「今日は仕事中ですからね。甘くは見ないでください。」
ミーナはくすくす笑い、クララもにっこり頷いた。
「でも、こうして話せるのも楽しいね!」
二人が談笑している間も、レオニスは少し離れた位置から静かに眺める。
(……こうして見ているだけしかできない)
胸の奥でざわつく気持ちを抑えつつ、彼は静かに立ち続ける。
それでも、リリアーナが楽しそうに笑っているのを見ているだけで、心が温かくなる。
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ミーナとクララが帰ると、再び図書館は静寂に包まれる。
リリアーナは窓の外を見ながら、胸の奥に残る温かさを感じた。
誰の視線かはわからない――しかし、なぜか心が落ち着く。
レオニスもまた、遠くから彼女を見守りながら、心の中でつぶやいた。
――まだ簡単には干渉できない。
だけど、この静かな時間を少しでも共有できるだけで十分だ。
二人はまだ言葉にできない思いを胸に秘め、図書館の午後はゆっくりと過ぎていった。
 




