32話 静かな距離の中で
図書館の扉を押し開けると、いつもの静寂がリリアーナを迎えた。
窓から差し込む陽光が、埃をまとった空気を柔らかく照らしている。
彼女は机の前で、静かに書物の整理をしていた。亜麻色の髪をまとめつつ、今日も一冊一冊に目を通している。
その背後に、軽やかで確かな足音が近づいてきた。
振り向くと、銀灰色の髪と蒼い瞳を持つレオニス――公爵家の三男、騎士団長が立っていた。
「……リリアーナ」
その低く落ち着いた声に、思わず胸が跳ねる。
リリアーナは瞬きし、手にしていた書物をぎゅっと握りしめる。呼び捨ての名前に、心の奥で小さな波紋が広がった。
「レオニス様……」
咄嗟に口をついた敬称に、内心で小さく動揺する。
「今日は……少し、君の様子を見に来た」
蒼い瞳は静かに彼女を見つめている。
「噂のことを確認したくて、じゃない」
そう続ける声には、優しさと決意が混じっていた。
リリアーナは軽く息をつき、目を伏せる。
「そ、それなら……ありがとうございます。でも、私は大丈夫です」
平静を装う彼女の声はわずかに震え、心臓の鼓動が耳元で響く。
レオニスは少しだけ肩をすくめる。
「わかっている。でも……君が困っているなら、そばに居る理由は作らせてほしい」
そう言って、机の隣にゆっくりと歩み寄る。距離は自然に、しかし確実に縮まる。
リリアーナは息をのむ。
「……えっと、今日も図書館は静かですね」
「そうだな……君がここで落ち着いているのを見ると、安心する」
レオニスの言葉には、自分を守りたいという意志が滲んでいた。
「ただ、安心しているだけじゃない……もっと、君の近くで守りたいと思っている」
リリアーナの頬が微かに赤くなる。心の奥で、胸が高鳴る。
「……そんな……」
言葉にならない戸惑いと、嬉しさが入り混じる。
「君が迷わず本に向かえるように、そっと支えたい」
レオニスは視線を逸らさず、彼女の作業を邪魔せずに横に立つ。
その距離は、まだほんの数歩分だが、リリアーナには十分に近い。
「……ありがとうございます」
声に出して感謝を告げるリリアーナ。その瞳は少しだけ揺れていた。
レオニスは頷き、さらに一歩だけ近づく。
「今日、この場所で君と過ごせる時間を大切にしたい」
その言葉に、図書館の空気が柔らかく揺れるようだった。
リリアーナは手元の書物に視線を落とす。胸の奥で、心臓が抑えきれないほど高鳴っているのを感じながら、彼を見上げることができないでいた。
「君の仕事に干渉するつもりはない」
レオニスは慎重に言葉を選びながら、彼女の気持ちを尊重する。
「ただ、そばに居たいだけだ」
それは押し付けではなく、静かな決意。
リリアーナは心の奥で、彼の言葉を受け止め、少しずつ心の距離が縮まるのを感じていた。
図書館の静けさの中で、二人は言葉少なに互いを意識しながら、少しずつ距離を詰めていく。




