第29話 少しずつ距離を
朝の柔らかな光が図書館の大きな窓から差し込む。
静かな空間に、ページをめくる音だけが微かに響いていた。
――今日も静かで、いい時間だ。
そう思った瞬間、背後に何か気配を感じる。
そっと顔を上げると、そこにはレオニスの姿があった。
青い瞳に光が宿り、銀灰に近い薄い髪が朝の光に柔らかく照らされている。
「……リリアーナ」
呼び捨てで呼ばれ、胸の奥が少し跳ねる。
「レオニス様……今日は?」
リリアーナは丁寧な呼び方を崩さずに尋ねる。だが、心の奥底でざわつく感覚を抑えられなかった。
「今日は、少し話を……」
レオニスの声は穏やかだが、どこか緊張が含まれている。
リリアーナは微かに首をかしげるが、言葉を返す。
「ええ、何でしょうか」
レオニスは机の横に軽く立ち止まり、距離を保ちながら視線を合わせる。
「最近、この図書館はどうだ?静かで、落ち着くか?」
「ええ、とても。来館者も少なくて、整理がはかどります」
答えながら、リリアーナの指は本の背表紙に触れ、手際よく整理を続ける。
レオニスはそっと目を細め、彼女の横顔を観察する。
――この空間にいるリリアーナは、誰にも邪魔されない。本当に穏やかで……守りたくなる。
「――そうか」
短い返事だが、重みがある。レオニスは何かを言いかけて、言葉を飲み込む。
縁談のこと、身分差、未来のこと。口に出せば彼女を縛ることになる。
だが、この静かなひとときに触れずにはいられなかった。
「本の整理は順調ですか?」
「ええ、少しずつですが。レオニス様も、本に興味があるのですか?」
「……いや、君の手際を見ていたくて」
わずかに照れくさそうに言いながらも、レオニスの目には真剣さが滲む。
沈黙が一瞬訪れる。図書館の奥から微かなページめくりの音だけが響く。
リリアーナは心の中で思う。――また会えた、嬉しい。でも、まだ距離は遠い。
レオニスはその気持ちを察しながら、あえて近づきすぎず、そっと視線を合わせる。
「……また、来てくれますか?」
リリアーナは静かに聞いた
「……ああ」
短く、しかし確かな返事。互いの心に届くやわらかな意思表示だった。
レオニスは静かに立ち去る。
その背中を見送りながら、リリアーナの胸は少し高鳴る。
――少しずつ、確かに距離が縮まっている。
けれどまだ、誰も踏み込んではいけない線が存在する。
窓の外では風が木の葉を揺らし、柔らかな光が館内に注ぎ続ける。
その静けさが、二人の距離をそっと保ちつつ、少しずつ心を近づけていた。
 




