第28話 決意
レオニスは深呼吸をひとつ、手には何も持たず、静かに館内へと足を踏み入れた。
――今日は逃げない。
館内はいつも通り静かで、本の匂いとページをめくる音だけが淡く響く。窓際の机に座るリリアーナ・ハーヴェイ。亜麻色の髪が光を受けて柔らかく揺れ、手元の本に視線を落としている。
心臓が高鳴る。――まだ会いたい。それだけだった。
レオニスは静かに一歩、また一歩と近づく。机の端に片手を置き、互いの距離を確かめながらも、視線は逸らさない。
「……リリアーナ」
低く、しかし確かな声で呼びかける。
彼女は顔を上げ、一瞬驚いたように瞬きをした後、静かに微笑む。
「レオニス様……」
その瞬間、胸の奥が熱くなる。レオニスはわずかに肩を緩め、息を整える。
「……今日は、少しだけでも、君と話がしたくて来た」
言葉には真剣さが滲んでいる。普段の冷静さとは違う、心からの声だった。
リリアーナは視線を落とし、手元の本に指を沿わせたまま、小さく頷く。
「……わかりました。少しだけ」
彼は迷わず、机の横に座るリリアーナの少し前に立ち、静かに語りかける。
「最近の君の様子を見て、少し心配していた。元気でいてくれれば、いい――そう思っていたけど、やっぱり……心配だ」
リリアーナの頬がわずかに赤くなる。息を整えながらも、静かに答える。
「……ありがとうございます。お気遣い、嬉しいです」
レオニスはその声を胸に刻む。言いたいことはまだ山ほどある。――縁談のことも、君への想いも。
しかし、今は彼女の気持ちを乱すわけにはいかない。だから、少しずつ、言葉を選ぶ。
「……君が、幸せでいてくれること。それだけが、俺にとっての望みだ」
その言葉に、リリアーナはわずかに息を止める。声に出さないけれど、胸の奥で感謝と戸惑いが交錯する。
沈黙が一瞬訪れ、図書館の静けさが二人を包む。
レオニスは拳を軽く握り、視線を外す。心の中で誓った。――次に会うときは、もう少し近づく。今日のように、迷わずに。
「……また、来てもいいか?」
意を決して尋ねる。
リリアーナは小さく頷き、微笑む。
「ええ、いつでも……」
その瞬間、二人の間に、静かだけれど確かな絆が芽生える。まだ完全には伝えられない想いも、少しずつ形を持ち始めた。
レオニスは静かに立ち去る。背中を見せながらも、心の中では次の行動を思い描いていた。今日の一歩は小さくても、確かに前進していた。




