第16話 春の午後と、ふとした気配
春の日差しが図書館の大きな窓から差し込み、机や書架を柔らかく照らしていた。
リリアーナは返却された本を整理しながら、ふと深呼吸をする。
最近は春らしい風が心地よく、庭の花の香りがかすかに漂う。
仕事に集中する時間は、彼のことを考えずに済む、数少ない安らぎのひとときだった。
「リリアーナ、今日は貸出も多いね」
ミーナが笑顔で声をかける。
「そうね、春休みももうすぐだし」
リリアーナは笑顔を返す。
その後、クララも加わり、三人で新しい本の話や最近の出来事を談笑する。
クララは茶色の巻き毛で、明るい声が図書館の静けさに少しだけ響く。
ミーナは黒髪をきちんとまとめ、落ち着いた雰囲気で話に加わる。
会話の最中、ふと窓の外に視線をやると、庭を掃除する職員の向こうに見慣れた銀灰の髪がちらりと光った。
リリアーナの心臓が跳ねる。
彼――レオニスだ。
胸が熱くなる。
しかし、まだ仕事中だ。
リリアーナは慌てて本棚の陰に隠れた。
レオニスは通りすがりに、ふと窓の方を見たような気がする。
その視線が、ほんの一瞬リリアーナに触れたように感じた。
「……!」
息を呑む。声には出さず、胸の中で名前を呼ぶ。
その瞬間、ドアが静かに開く音がして、レオニスが図書館の入り口に立った。
「リリアーナ」
小さく呼ぶ声。
仕事中のリリアーナは驚きで体が固まる。
彼の瞳は真剣で、でもどこか柔らかく光っていた。
リリアーナは慌てて歩み寄り、手元の本を抱えたまま会釈する。
「……レオニス様……」
声にならないような小さな声で答えると、彼はにっこりと微笑んだ。
「今日、少しだけ顔を見に来たんだ」
その一言で、リリアーナの胸はぐっと熱くなる。
短い、ほんのわずかな接触だった。
でも、図書館の静けさの中で二人の存在が交わった瞬間、
心の中に小さな火花が散ったように感じた。
「……ありがとうございました」
小さく礼を言い、リリアーナは本棚に戻る。
彼もまた、任務に戻るようにゆっくりと歩き出す。
触れられない距離に、切なさと喜びが混ざる。
窓の外で馬車が通り過ぎ、春風が花を揺らす。
リリアーナは胸に残る小さな温かさを抱え、再び仕事に戻った。
今日のこの短い接触が、これからの何かの始まりになることを、
まだ知らないまま――。




