第12話 遠くのひと
あの日――半年ぶりに図書館で再会してから、数日が過ぎた。
彼が見せた穏やかな笑顔と、静かな声の余韻が、
まだリリアーナの心に残っている。
久しぶりに過ごした平穏な午後は、夢のようで。
けれどその夢の続きを、そう簡単に望んではいけない気もしていた。
「リリアーナ、明日はお休みでしょう? 少しは気分転換してらっしゃい」
老司書のマルタのすすめもあり、
リリアーナは久々に友人のクララとミーナと街へ出ることにした。
王都の中心部――石畳の通りは春の祭りの準備で賑わっていた。
屋台から香ばしい焼き菓子の匂いが流れ、
道端には花飾りが並ぶ。
「ねえ、ここのお店、可愛いのよ!」
クララが笑い、ミーナも頷く。
三人で並んで歩くのは、いつぶりだろう。
リリアーナも自然と笑みを浮かべながら、
ふと、あの人のことを思い出してしまう。
――今頃、忙しくしているのだろうか。
そんな考えを追い払おうとしたときだった。
通りの向こうで、ざわめきが起きた。
「……何かあったのかしら?」
ミーナが首を傾げ、クララが人々の間から覗き込む。
「騎士団の人たちみたい……あの方、もしかして――」
クララの声に導かれるように、リリアーナも視線を向けた。
そして、息を呑む。
陽光に照らされる銀灰の髪。
背筋を伸ばし、冷静に部下へ指示を出すその姿。
通りの雑踏さえ彼の周囲では静まって見える。
――レオニス。
彼の表情は、図書館で見せたものとはまるで違っていた。
鋭い眼差しと低い声。
わずかに動く指先にまで、揺るぎない自信と覚悟が宿っている。
「すごい……本物の騎士団長ね」
クララの囁きが聞こえた。
リリアーナは答えられなかった。
ただ、胸の奥で小さな痛みが広がるのを感じる。
あの穏やかな声も、静かに笑っていた横顔も、
今はもう、遠くの世界のもののようだった。
高貴な人々が行き交う通りを、
彼はまっすぐに進んでいく。
だが、ほんの一瞬目が合った気がした
気のせい?
「リリアーナ?」
ミーナの呼びかけに我に返る。
「……ううん。なんでもないの」
小さく微笑んでみせたけれど、
その笑みはどこか寂しげで、胸の奥に刺さる痛みだけが残った。
あの人は、騎士団を率いる人。
自分はただの、図書館で本を整える男爵令嬢。
――やっぱり、違う世界のひと。
そう思いながらも、目は彼の背中を追っていた。
まるで、風に消える残り香を手で掴もうとするかのように。




