第11話 ページをめくるたびに
「……また来てくださったんですね。」
リリアーナが静かにそう言うと、レオニスは柔らかく微笑んだ。
図書館の窓からは午後の日差しが斜めに差し込み、銀灰色の髪に淡い光が溶けていく。
それがあまりに自然で、眩しくて、思わずリリアーナは言葉を続けることができなかった。
「この場所が、思いのほか落ち着くんです。」
レオニスはそう言いながら、以前と同じ席に腰を下ろした。
半年もの間、訪れなかったのに――彼がここに戻ってきた理由が「落ち着くから」だなんて、どこか信じられなかった。
けれど、その言葉の響きに、リリアーナの胸の奥がほんのりと温かくなる。
彼は詩集を手に取ると、ゆっくりとページをめくった。
指先が紙を撫でる音が、静寂の中に溶けていく。
(図書館の空気に馴染んでる……貴族の人なのに)
リリアーナは受付の机越しにそっと視線を送る。
彼が本を読む姿は、まるでこの場所そのものの一部のようだった。
やがて、彼が静かに本を閉じ、立ち上がる。
「リリアーナ、ひとつ尋ねてもいいですか。」
呼び捨ての声に、また心臓が跳ねる。
「え……ええ、どうぞ。」
「この詩集の作者、前に薦めてくれた人と同じですよね?」
その問いに、リリアーナは思わず顔を上げた。
確かに、以前に彼へ渡した詩集の作者だ。
覚えていてくれた――たったそれだけのことが、嬉しかった。
「はい、同じ方です。前回の作品よりも少し晩年のもので……少し、静かな表現が多いです。」
そう説明すると、レオニスはほんの少し目を細める。
「……あなたが薦める本は、どれも心が落ち着きますね。」
リリアーナは一瞬言葉を失った。
図書館員として褒められることは何度もあった。
けれど――今の彼の声は、ただの礼儀ではなく、
まるで“人として”向けられた温かさを含んでいた。
「……ありがとうございます。」
小さく答えた声が、自分でも驚くほど掠れていた。
沈黙が落ちる。
けれどそれは気まずさではなく、穏やかな静寂だった。
紙の匂いと午後の光が、二人を包み込む。
リリアーナは少し迷った末に、机の端に積まれた本を一冊取った。
「この詩集も、もしお時間があれば。短いですが、とても優しい言葉が多いんです。」
レオニスはそれを受け取り、指で表紙を撫でた。
「あなたが薦めるなら、ぜひ読ませてもらおう。」
そう言って、自然に微笑む。
その表情が穏やかすぎて、心臓がまた落ち着かなくなる。
――まるで恋のはじまりなんて、ありえない。
彼は貴族で、公爵家の三男で、騎士団長。
自分は貧乏な男爵家の次女で、ただの図書館員。
それでも、名前を呼ばれるたび、瞳を向けられるたびに、
心がふわりと浮き上がってしまうのだ。
「リリアーナ。」
再び名前が呼ばれる。
「この詩、あなたは好きですか?」
その一言で、思考が止まった。
本を開いた彼の指が、淡く震えている。
ページの中央に書かれた短い詩を、彼が静かに読んだ。
> “出会いは風のように。
けれど、心に残るのは静かな余韻。”
「……静かなのに、温かい詩ですね。」
リリアーナがそう言うと、レオニスは微かに笑った。
「あなたに似ていると思いました。」
――息が止まった。
言葉が出ない。
彼は気づいていないのか、それとも、気づいていて言ったのか。
どちらにしても、リリアーナの頬はほんのりと熱を帯びていた。
レオニスは軽く本を閉じると、静かに立ち上がる。
「今日はありがとう。次に来たとき、また何かおすすめを聞かせてください。」
「……はい。」
短い返事しかできなかった。
けれど胸の奥では、ずっとさっきの言葉が何度も何度も響いていた。
“あなたに似ていると思いました”――その一言が、
一冊の詩集よりもずっと深く、心に残っていた。
その日の夜、リリアーナは自分の部屋でその詩をもう一度読み返した。
指先で文字をなぞりながら、胸の奥で小さく笑う。
(本当に、あの人はずるい人だわ……)
けれどその笑みは、ほんの少しだけ幸せそうでもあった。




