表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/13

第八話

 この三日間、ずっと人間の朱里のままである。朱里は、今日は午後から出掛けるらしくて、まだ自室で寝ている。

「三井さん、おはようございます」

 台所のテーブル席に着いた由布子は三井に告げた。

「最近、夏目さんの調子はいいみたいだから、そろそろ三人で寝るのはやめにしませんか」

「そうでございますわね。このまま、坊ちゃんの容態か安定してくれるといいのですが」

 この時、由布子の胸に不思議な感情が過ぎったのだ。何かが胸を軽く締め付ける。

(ジュリと夏目さんが入れ替わらなくなったら、ここにはいる必要はないね……)

 由布子は、夏目朱里と出くわした時の衝撃は今も忘れていない。

(第一印象は最悪だったなぁ~)

 当たり前だが普段の朱里はシュッとしている。立派な御曹司だ。

(だけど、最近の夏目さんってセクハラ行為が目立つわ。今朝も、目覚めたら、あたしに抱き着いて寝てたのよ。迷惑だわ)

 本人はぬいぐるみ代わりだと言っていたけれど、そんなの嘘だと思っていた。しかし、三井は巨大なパディントンのぬいぐるみを抱えてこちらにやってきた。

「三井さん、それは……」

「これは、坊ちゃまと添い寝している熊ちゃんですよ。今日は、月に一度のクリーニングに出す日でございますよ。ダニやカビは厳禁でございますからね」

「本当に一緒に寝ているんですね」

「はい。この家に来たその日から、パディントンと共に寝ております。ちなみに、これは四代目のパディントンでございます。坊ちゃまは、熊ちゃんを噛んだまま寝る癖がございまして、布地がほつれてしまいます」

 由布子は遠い眼差しになる。

(あたしは熊の身代わりなのか……。てうか、あいつに噛まれた首、シャワーで洗い流しておかないと……)

 今日も、三井はランチボックスを用意していた。昨日、もう豪華なお弁当はいらないと言ったのに……。

「由布子様、安心して下さいな。今日は質素なお弁当でございますよ。わたしが、息子に作っていたものと同じものでございます」

 という事でお昼休み、お弁当を開けると、確かに中味は地味だった。

 卵焼きとタコさんウインナーとほうれん草のおひたし。

(結局、こういうのが一番落ち着くわ……)

 

       ☆


 今日は金曜日。

 学校を終えた頃、由布子のスマホに見知らぬ人からのメールが届いていた。ジュリに似た猫を公園で見かけたというのである。

 河川敷からは遠い場所だ。由布子の自宅や夏目家からも離れている。それでも、由布子の高校からは電車で半時間くらいのところなので行ってみたところ、確かに、ジュリに似た猫がいたが、金玉はない。

「この子じゃないです」

「あら、ごめんなさいね」

「いえいえ、とんでもないです。気にかけて連絡していただいて感謝しています」

 憑依しているジュリとは話せているので寂しさは薄らいでいる。

 しかし、ジュリの本体は見付かっていないので何とかしなければならない。

(ジュリ、どこにいるのかな)

 由布子のインスタを見た人がジュリの行方不明に関して心配するコメントを書き込んでくれている。

 まさか、ジュリは夏目朱里に憑依してますとは書けないので、当たり障りのない事を書いて更新した。

『まだ、うちの子はみつかりません。根気強く探していきます』

 河川敷を歩き回ってみよう。そんな事を思いながら公園沿いの舗道を歩いていると、懐かしい声が響いた。

「お姉ちゃん!」

 振り返ると、嬉しそうな顔の竜馬がいた。手には大きな袋をさげている。

「今、学校の帰り?」

「うん。」

「これ、昨日のエリザベスだよ。獣医さんのところにいるから安心だよ」

 由布子は動画を見せると竜馬は大きな目をキラキラと輝かせた。

「へーえ。エリザベス、太ったね」

「来月、赤ちゃんが生まれる予定なんだ。エコーをしてもらったら、三匹の赤ちゃんがいたよ」

「お母さん、こんなに長く預かってもらって申し訳ないって言ってる」

「遠慮しなくていいよ。夏目家はお金持ちだから余裕だよ。ところで、遺産を狙うおっさん、どうなったの?」

「分からない。僕と母さんは、今のところ何の被害もないよ。もう諦めたのかな」

 竜馬はハッとしたように言った。

「あっ、それじゃ、バスが来たから。もう行くね」

 立ち去る竜馬。それを見送る由布子。

 バス乗り場の前で立ち話をしていたのだが、その時、携帯を見るフリをしながら、二人の話を盗み聞きしていた男がいた。

 遺産を欲しがる工藤に頼まれてエリザベスを探しているチンケな男である。

 エリザベスを殺したら二万円の報酬がもらえる。

 その男は由布子の後ろをつける。由布子を追跡すれば夏目家とやらに辿り着くと思ったからだ。

 そうとは知らない由布子はテクテクと徒歩で最寄の駅へと向かう。

 まさか、この後、学生服姿の乙姫に遭遇するなど予想もしていない。


          ☆


 由布子はファミレスに入ると三井に連絡していた。

「今日は外で食べるので夕飯は結構です」

 三井の手料理は美味しいけれど、たまには、こういうものを食べて舌を庶民のレベルにリセットしておきたい。

 午後五時。さすがに、まだ夕飯には早い。

 隣の席にいた子供連れがチョコレートケーキを美味しそうに食べていたので、由布子もそれを注文していた。

 由布子のチョコレートケーキがテーブルに運ばれたのだが、その時、斜め前のテーブル席に二人連れの女子高校生がやってきた。席に着くなり二人は忌々しげに呟いたのだ。

「あーー、うぜぇ。夏目朱里様と婚約するなんて図々しいよね」

「ほんと、何様のつもりよ!」

「名前と顔が合ってないつーの」

「あいつの誕生会に一回だけ言ったけど、あれはおぞましかったよね」

「何が乙姫よ。濃い顔のクソデブじゃん」

 思わず、由布子は飲んでいた紅茶を吹き出しそうになる。

 斜め前のテーブルに目を向けた。そこにいるのは私立の生粋のお嬢様達だ。その白い制服は清楚そのもので、いかにもセレブという感じ。

 あの学校の生徒は上品なイメージがあるのだが、彼女達は、相当、口が悪いようである。

「あいつの父親、あたしのパパの会社の親会社の社長なんだよね。だから、いつもヘコヘコしてる。そういうの、マジで嫌だった」

「あたしのパパも、あいつの父親の会社と取り引きしてるよ。といっても、立場はあっちの方が上だけどね。ああ、うざっ、あいつのことチヤホヤして損したわ」

「ほんと、ほんと、あいつ、あたし達のこと、みんなの前では親友ですわとか言っちゃって、イタイよね」

「誰が、あんなブスと友達になるっていうのよ」

「そうそう。あたし達の便利なペイペイだっつーの」

 由布子は苦笑する。

(やっぱり、女の子同士ってドロドロしてんだなぁ)

 とはいうものの、乙姫のうざい性格に関しては由布子も知っている。もしかしたら、乙姫に振り回されて、彼女達も苦労しているのかもしれない。

 しかし、その数分後、意外なことが分かった。

『いらっしゃいませ~』

 店員の声と共に五番テーブルに来たのは制服姿の乙姫である。

 並んで座っている女子高校生A(地下アイドルふうの顔立ち)が乙姫を手招きしている。

「遅いじゃん」

「質屋が混んでましたのよ」

 乙姫が言うと、女子高校生B(強面で一重瞼)がドンッとテーブルを叩いた。

「あたし達、あんたが来るまで五分も待ってたんだよ。ほんと、使えないわ。のろまなんだから。つーか、そこは質屋じゃなくてリサイクルショップだっつーの」

 由布子は眉を寄せて聞き耳を立てる。

(むむっ。なぜ、乙姫がそんな店に行くのよ?)

 大金持ちの令嬢が行くようなところではないと思うのだが……。ああ、気になる。

 女子高校生Aが身を乗り出している

「それで幾らになったの?」

「おばぁ様のクロコダイルのバッグはニ十万でした。何しろ、半世紀前に上海でオーダーメイドしたものですから、値段があってないようなものだと言われましたの」

「二十万か……。それで、おばぁ様の形見の指輪とやらはどうなったのよ」

 主に聞き出しているのは女子高校生Aである。

「あ、あれは換金できませんわ」 

「だったら、こないだ、嬉しそうに学校に持ってきたエルメスのトートバッグを売れよ。あれ、人気あるじゃん」

「先月、お父様がシンガポールのお土産に買ってきたものですわ。無理ですわ。なぜ、使わないのかと西川が不思議に思いますわよ。西川は目敏い女なのですよ」

「それなら、その西川って女はクビにしちゃいなよ」

「無理な事ばかりおっしゃらないで下さいませ。あなた達、そんなにお金に困ってらっしゃるのなら、働けばよろしいではありませんか」

 すると、今まで黙っていた女子高校生Bが乙姫の顔に水をぶっかけたのだ。

「うるせー。てめぇ、そんなこと言える立場なのかよ」

 顔面から水を垂らしたまま乙姫は言い返す事無く俯いている。

(えっ。どういうこと?)

 由布子は目を疑う。まさか、乙姫は同級生にカツアゲされてるのだろうか。

 しかも、乙姫一家の方が格上のようである。

 苛められていますと乙姫がそう言えば、すぐに綾小路家が処理してくれるような気がするのだが……。どういう訳か、乙姫は途方に暮れている。

「わたし、今月のおこずかいの殆どを、あなた達に渡してしまいましたわ。もう、払えないと申し上げたでしょう」

「あんたの母親の指輪とか借りたらいいじゃん。落としちゃったって言えばいいじゃん。あんたの父親のロレックスとか、色々、お宝はあるよね」

「お父様やお母様の私物は盗めません」

「それなら、あんたの私物をメルカリで売りなよ」

「そんな、みっともない事は出来ませんわ」

「はぁーーー。あんた、馬鹿にしてんの? いらないものを売って稼ぐなんて庶民の常識だよ。ていうか、マジで苛々する」

「そうだよ。もっと金を持って来いよ」

「無理ですわ。もう耐えられません。警察に言いますわ」

 乙姫が今にも泣き出しそうな顔で首を振ると、女生徒Bが立ち上がり。乙姫の頭に手を添えてニヤッと笑った。

「ふうん、そんな事、言っていいのかなぁ」

 ガリッと鷲掴みしたまま、乙姫の髪の毛を剥がし取っていく。

「や、やめてーーー」

 由布子は面食らった。なんと、乙姫はヅラを被っていたらしい。

 別にハゲている訳ではないようだ。むしろ、毛量は溢れている。女生徒Bは地毛をまとめている網を引き離してしまうと、むき出しになった髪を指さしてケラケラと笑い出した。

 これは凄いぞ。爆発現場から出てきたマッドサイエンティストのような酷い髪だ。

「何だよ。その髪、きったねぇ。陰毛かよ」

「い、いやっ……」

 乙姫はカツラを取り返そうと腕を伸ばす。しかし、女生徒Bは涙目の乙姫の顔を動画で撮影しまくっている。

「陰毛女、陰毛女」

 二人で囃し立て禍々しい声で乙姫を貶めている。確かに、乙姫の髪質は、まぎれもなく陰毛そのもの。サラサラのお姫様ヘアからは一番遠いだろう。地毛の醜さを隠すためにカツラを愛用していたようである。

「こんな秘密があったなんてねぇ~ あんたの大好きな夏目様に知られてもいいのかなぁ」

「夏目さんとは婚約解消する予定ですわ。もっと他に素敵な方がおりますもの」

 その言葉が彼女達を更にイラつかせていく。

 なぜ、乙姫が国宝級イケメンをものに出来るのか。それは、乙姫の親が桁外れの金持ちだから。

 女生徒Bが言う。

「あんみたいなブスの陰毛女、まじでうざい。死ね。陰毛女」

「いやいや、駄目だよ。死ぬのは、あたし達にお金を貢ぎ尽くしてからにしてよね。高校に入ってから、先月まで、ずーーーと、あんたの友達を演じてやってたんだからね」

 打ちひしがれたように乙姫は唇を震わせている。

「ひどいですわ。なぜ、そんな急に態度を変えるのですか。カツラが、そんなに悪い事なのですか」

「はぁーー。ちげぇよ。あたし達、あんたのこと最初から嫌いだったんだよ」

「そうだよ、いつも自慢ばっかりしてさ」

「ほんと、こんな陰毛女の御機嫌とりをしていた過去を消したいわ」

 そして、二人はまた楽しげに囃し立てていく。

「陰毛女のくっそデブ。おまえの母ゃんもデブ~♪」

 乙姫は頭が真っ白になって吐き気をもよおしたように顔を覆って泣いている。

 何て事をしやがる。あいつら調子に乗り過ぎている。由布子の身体は勝手に動き出していた。

 その時の由布子は、自分が食べる予定だったチョコレートケーキを手で掴んでいたのだ。

(許さん。成敗してやるよ)

 ヌッと脇に立ったかと思うと、チョコクリームにまみれた手を女生徒Bの携帯の上になすりつけて汚してやった。

 ムニュ。グニュッ。

「ちよっと、何するのよ」

 女生徒Bが怒るのも当然だ。しかし、相手を見据えたまま由布子は平然としている。

「すみません。ちょっと手が滑ったみたいですね」

 言いながら、チョコにまみれた手を女生徒Aの顔で拭く。

 いきなり、ケーキの残骸をなすりつけられた女生徒Aは、わなわなと顔を引き攣らせている。

 しかし、由布子はゆったりと微笑む。

「雑巾と間違えました」

「あんた、何者よ。どういうつもりよ。訴えるわよ」

 女生徒Bはスマホを拭きながら怒鳴り散らすが、それを見下ろす由布子は平然としている。

「訴えたりしていいのですか。あたし、ここで見た事を綾小路家の皆さんにペラペラと話しますよ」

「うっ……」

 女生徒Aは怯みそうになったが、目付きの悪いBは言い返している。

「そんなことしたら、乙姫の陰毛ヘアの動画を世界中に流してやるわ。いくら、綾小路家でも、一度、流出した動画は消せないよ。永遠に笑い者になるといいのよ」

「そうですね。つまり、あなた達が陰毛陰毛と連呼している画像もネットに出たら消せませんよ。あなたのお父様達、これからどうなるのでしょうね……。北米の極寒の海で行なう蟹漁の船に乗せられて凍死したらどうするのかなぁ~ 綾小路の家の人達があなた達を粛清しないと言い切れるのかなぁ~」

 AとBは、さすがに青褪めている。

 乙姫は、所詮、コンプレックスに怯える哀れな子豚ちゃん。しかし、何事にも豪胆な由布子は違う。

 まるで黄門様が印籠を出すかのように言い放つ。

「あんた達、陰毛、陰毛って、うるさいんだよ。そんなこと言ってるけど、あんたらの心が陰毛なんだよ!」

 捻じ曲がっていると言いたいのだ。

「はぁ? 心が陰毛……」

 女生徒Aは、由布子の言葉に衝撃を受けて黙り込むけれど、Bは、どこまでも強気だった。

「言っとくけど、カツラは校則違反だよ。悪いのは乙姫だと思うけどね」

「それなら、あなたも校則違反ですね」

「はぁーーー。あたしは地毛だわ」

「そうですか。でも、あなた、カラコンをつけていますよね。カラコンは目玉のカツラです」

「うっ」

 その途端にAがブハッと笑い出した。笑いのツボに来たのか、大袈裟に手を叩いて笑っている。

「うーけーるー。確かに、そうかも。うーけーる。瑠璃子って、目、ちっさいのに黒のカラコンつけてるから、白目がほとんどないんだよね。妖怪みたいなんだよね」

「ちょっと、あんた、そんな事、思ってたの」

 木の洞のように黒い眼で睨みつけている。

「えっ、いや、あたしは思ってないけど、隣のクラスの子が言ってるみたい~ あ、あたしは思ってないよ~」

 嘘をつけ。あんたは思ってるだろう。

 乙姫から金をせびるような女の性根は腐っているのだ。プライドを傷付けられたBは帰ると言って席を立った。

 残されたAはバツが悪そうに謝罪している。

「ごめーん。ニ十万は返すね。だけど、それ以前にもらったのは返却できないな。乙姫、お金持ちだから許してよ。その代わり、陰毛のこと、あたしは誰にも言わないよ。あたし、乙姫のこと、ずーっと大好きだよ。ずっとずっと、あたし達はフレンドだよ。じゃねー。また明日~」

 謝っているようだが誠意が見えない。由布子は、もう怒る気持ちさえも薄れている。

 この子達って何なのよ。

(本当に悪いと思ってるのかな?)

 二人とも、お会計は乙姫に任せて立ち去っている。乙姫は萎びたきゅうりのような表情でカツラを付けなおしている。

 苦笑した後、由布子は乙姫の手を引いた。

「さぁ、あなたも帰ろう」


     ☆


 ファミレスの片隅で起こった小さな事件なのだが、それを、こっそりと見ていた者がいた事を由布子は知らない。

 由布子の後ろの側の席で身を顰めるようにしてコーヒーを飲んでいたイケメン。それはゼミのレポートの作成に追われてパソコンに向かっていた朱里である。

 陰毛豚のフレーズに誘われて目をこらすと、自分の婚約者の乙姫が苛められていたので驚いた。

 しかし、そこに由布子が乗り出したので、更にびっくりしたのである。

(それにしても、乙姫の髪がカツラだったとは……。いや、そんな事より、由布子、あいつは、やっぱり、普通の女じゃないよな……)

 陰険な女達を一喝する由布子を思い返すと頬が緩む。

(まじで由布子はカッコいいよな)


         ☆


 実は、夏目朱里の他にも現場を目撃した者がいる。最近、乙姫の様子がおかしいと気付いていた秘書の西川である。

『陰毛女、陰毛女』

 まさか、あのように陰湿に苛められていたなんて。よくも。うちの可愛らしいお嬢様をコケにしてくれたな。

 西川も乙姫の悩みを解決しようと苦慮してきたのだ。しかし、どんなヘアサロンに行っても、乙姫の爆毛は治らなかった。コンプレックスに怯える気持ちは西川にもよく分かる。

 ちなみに、髪質で悩む乙姫にカツラをかぶるように勧めたのは西川である。

 実は、西川の父親はカツラ愛用者だ。カツラをつけただけで営業成績が上がると言っていた。見た目の変化によって自信がつき、ポジティブなオーラが出るのかもしれない。

 とにかく、そういう訳で乙姫は、中学生になってからはサラサラのロングヘアの乙女として幸せに暮らしていたと思っていたのに……。くそー。あの二人のせいで乙姫は苦しんだようである。

 西川はわなわなと唇を震わせる。

(あいつらの父親の会社をぶっ潰してやる)

 いや、娘が苛められていると知ったら百合様が悲しむ。自分の監督責任を問われるかもしれない。とりあえず、あの二人は二度と乙姫様に手を出さないように策を講じようと決意する。

 そして、西川はスマホを取り出した。

(瀬戸由布子。たいした度胸だわ。良くやったわ。心から感謝するわよ)

 西川は、由布子のインスタのフォローをしようと決意したのだった。


        ☆


 よほど辛かったのだろう。乙姫はシクシクと泣いていた。

 今、二人がいるのはレトロな喫茶の二階席である。口直しに、由布子はクリームソーダーを注文すると、乙姫はバナナジュースを注文した。

 やがて、乙姫はポツポツと語り出したのだ。

「三ヶ月前、カツラをつけている事を知られましたの。そしたら、急に、あの子達は、わたしに対して、ああいう態度をとるようになったのですわ」

 親友だと思っていた二人に口止め料を要求されてショックだったという。

「高校生になってから、ずっと一緒にお弁当を食べていましたわ。わたし、あの子達が望むから、週に何度も料亭から仕出し弁当を取り寄せておりましたのよ。それに、お揃いの服が欲しいと言うから、アマゾンでワンピースやバッグを買ったりしていましたのよ。いつも三人で仲いいねって、先生方もおっゃっていたわ。でも、あの子達の笑顔は偽りだったのよ……」

 可愛い系の女生徒Aの名は星羅。カラコンの細目のBの名は瑠璃子。

「先月から、星羅と瑠璃子にお金を搾り取られていましたの。絶対に他の人には、カツラの事は知られたくなかったのです。あなたも、わたしのことを、醜い陰毛女だと思っているのでしょう」

 そんなことないと即答したいが無理だ……。ごめん。

 正直に由布子は言った。

「確かに、あなたの髪質に関してはヤバイと思うわ。それと、平安時代のお姫様みたいなカツラも似合ってないないなぁと思ってたんだ。それに、ロリータファッションもあなたに合わないと思ってた」

 やけに頭がデカイと感じていたのだが、爆毛の上にカツラを被っていた事が原因のようだ。

 乙姫は羨むようにして顔を歪めている。

「あなたみたいにサラサラ髪の人には、わたしの惨めな気持ちなんて分からないわね」

 由布子は、そうだねと小さく呟いて苦笑する。

「だけど、乙姫さんも、あたしの気持ちは分からないと思うよ。あたし、両親がいないんだ。乙姫さんは、お母さんは仲が良くて羨ましいよ。あたしはお母さんの誕生日を祝いたくても祝えないからね。それに、うち、ずっと貧乏だったんだ」

 母子家庭になってからの母はパートを増やした。

 兄も学校に行きながらバイトを続けており、中学生になると、由布子が家事を担うようになる。

「小学生の頃、帰宅しても誰もいなくて寂しかったよ。それに、お母さんが病気の時は収入が減って大変だったな。冬なのにエアコンをつけずに暮らすのって、マジで寒いんだよ。手がしもやけになりかけた」

 乙姫は声のトーンを湿らせている。

「あら、お気の毒ですわ。孤児ですの? お母様の財団の者を派遣しましょうか」

「ううん。今は、社会人の兄がいるから金銭の支援はいらないよ。今でも、やっぱり、夜になると寂しいの。何かが足りないって感じがするの。小学生の時は、特に寂しかったな。でもね、あたし小学六年の時、子猫を見つけたの」

 その子猫こそがジュリなのだ。母達が帰宅するまでの時間、ジュリが側にいてくれた。

「その猫は、あたしの宝物なんだ」

「親を亡くしてしまい、心が薄毛だったのですね。色々と、あなたの中から無残に抜け落ちていったのですね」

 その言葉に由布子は苦笑する。

「薄毛って……。その例え方は、やめてよ!」

 哀切に打ちしひしがれる乙女心を現すのに相応しくない。

「あら、だけど、あなたが最初に言ったのよ。心が陰毛って……。あなたに反撃された時の、あの子達の顔ったら……」

 クスクスッ。やっと乙姫が笑った。

「瀬戸由布子、あなたって本当に下品ですわね。お育ちが悪いのね。やはり、庶民は逞しいわね。わたしも野生のパワーを見習いたいものですわ」

 言い方はあれだが、どうやら、由布子を褒めているようである。

 乙姫はハンカチで鼻を噛んだ後、ポツンと呟いた。

「それにしても、どうしましょう。明日、学校に行く勇気がございませんわ」

 あいつらと顔を合わせたくないと嘆いている。そりゃそうだろう。

「あの子達とクラスを変えてもらうように校長に直訴したらどうかな?」

「そんなことしたら、みんなに勘ぐられるわ。わたしが留学するのが一番いいと思うの。だけど、一人で海外に行くのは怖いわ。外国でも苛められたらどうしたらいいのか分からない。人種差別もありますでしょう」

「別に、海外に行かなくても日本の学校に編入したらいいんじゃないの?」

「それこそ怖いわ。公立の学校には、ヤンキーやカラーギャングという恐ろしい生物が生息しているそうじゃありませんか。あと、ギャルという謎の生き物もいると聞くわ」

「……えっ、ああ、まぁ、うちのクラスにもギャルはいるけど、先刻の星羅と瑠璃子みたいな陰険な生き物じゃないよ。どっちかと言うと、性格はいいよ。いつも明るいよ」

 由布子のクラスメイトは、皆、偏差値は高くてマイペース。全員が個性的なので、乙姫も目立たないだろう。

「うちのクラスってイケメンの留学生とかもいるし、将棋のプロもいるんだよ」

 言っている途中で由布子は閃いた。

「そうだ。うちの学校に来たらいいんじゃない? うちの高校、服装は自由田だよ。もちろん、制服を着てもいいんだ。メイクもオッケーだし、カツラを着けていても問題ないよ。毎日、カラフルなカツラをつけてる男の子もいるよ」

「あら、驚いた。あなたの学校にも、わたしのような生徒がいるのかしら?」

「乙姫さんと違って、その男の子は毛がないの。眉毛も腋毛ないんだ。そのせいで苛められてきたみたいだね」

 気持ち悪いとか怖いとか爬虫類だとか色々と言われたそうだ。

「うちの学校では、その子も生き生きと暮らしてるわ。うちの高校、つまんない苛めとか、あんまりないんだ」

「それは魅力的ですけど、わたしの親が何と言うかしら。急に、転校したいと言ったら変に思いますわよ。それに、あなたの学校、庶民の学校なのでしょう? わたしのようなセレブが入ると浮いてしまいそうだわ」

「うち、夏目さんの母校だよ。確か、夏目さんの父上も卒業生だったと思うな」

「あら、それはいいですわね」

 顔を上げた乙姫の瞳がキラリと煌めく。

「決めましたわ。わたし、あなたの高校に来週から編入しますわ。あなたのクラスに入れるように細工します。西川に言いますわ!」

「あたしのクラスは特進クラスだよ。授業、ついていける?」

「失敬ですわね。わたし、こう見えて成績は優秀ですのよ。目を瞑っていても東大に入る自信はありますわよ」

「それなら、小細工しなくても同じクラスになれるね」

「ということは来週から親友ですわよ」

「えっ……」

 いきなり、親友? なぜ、そうなるのだろう。

 その後、乙姫は意気揚々とタクシーに乗り込み帰宅したのだが……。

 由布子はテクテクと徒歩で駅に向かう。改札を抜けながら考え込んでいた。

(なんだか不思議……。なせか、乙姫とアドレス交換しちゃったわ)

 まぁ、いいか。由布子は電車の中でスマホを見ると、SNSのフォロワーが二人増えていた。

 一人は『にっしー』

 もう一人は、『竜宮城の乙女』

 にっしーが何者か分からないけれども、ベテランの腐女子のようだ。やおい歴四十年と記されている。敢えて、『やおい』と記すあたりに、不思議なこだわりが感じられる。

 そして、竜宮城の乙女に関しては乙姫だと分かる。

(百合さんのお誕生会の写真をアップしてるよ……)

 インスタには乙姫が訪れたレストランや旅先の景色がズラリと掲載されている。

 まさしく、キラキラのセレブ生活。

(こういうのを見たら、嫉妬してしまう女の子達の気持ちも分からないでもないんだよなぁ)

 あの子達は、乙姫が享受しているブランド品や海外旅行に憧れるのかもしれない。

 でも、由布子は乙姫のような金持ちになりたいとは思わない。

(普通に暮らせたらいいんだよ)

 しかし、その時、貧相な男が由布子の背後に張り付いていた。

 そいつは、エリザベスを見つけようとして由布子を尾行していたのである。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ