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第七話

 それは、坂元にとって青天の霹靂とも言える出来事だった。

 パーティーの直後、綾小路乙姫が婚約を解消したいと言い出したというのである。

(よりにもよって、乙姫様が、あの礼馬に目をつけるとは……)

 礼馬が未だに独身なのには理由がある。あいつはゲイなのだ。

 坂元は男達から情報を得たい時にはゲイのフリをする。いわゆる、ビジネスゲイだ。必要とあらば男を口説くことも厭わない。

(礼馬なら、愛していない相手のことも抱ける。乙姫様が後継ぎを産めば、あとは、暗殺してしまえばいいからな)

 ぶっちゃけ、乙姫の命がどうなろうと坂元の知った事ではないが、朱里の地位が危うくなることだけは避けたい。

(いかんな。すべてが裏目に出ている)

 坂元は執務室のデスクで溜め息を漏らしながら、これまでを振り返る。坂元の母親の清子は父の秘書だった。

 父の達郎にとって、秘書の清子は火遊びの相手だった。子供まで作ったというのに清子の元へと通わなくなっていた。そして、月々のお手当さえも払わなくなっていたのだ。

 清子は激怒した。そして、十歳になった息子を伏見家の前に捨てた。

『この子はあなたの子です。もしも、わたしの息子を施設に預けたり虐待したら、あなたの会社の不正の記録を新聞社に送りつけます』

 清子は達郎の会社の不正や恥部を隅々まで知り尽くしている。

『あなたの子として育てて大学に行かせて下さいな。でないと、どうなるか分かっていますよね』

 いきなり、伏見家に送り込まれた坂元は絶望していた。しかし、母は癌を患っていたのだ。そして、すぐに死んだ。

 父である達郎は、しぶしぶ、坂元を自宅で育ててくれたが、やっかい者として嫌われてきた。

 伏見家の別棟で暮らした。十歳の頃から自炊をして弁当も自分で作った。

 正妻の長男の拓也は、坂元よりも二歳年上だった。川に突き落したり、坂元の洗濯物をライターで炙ったり、それはそれは酷い事をやり続けた。

 むろん、正妻も祖父母も坂元を無視してきた。

 そんな中、なぜか、方子だけは坂元に対してひどい事はしてこなかった。

 方子は口下手で感情表現が下手くそなタイプなので友達も少ないが、一度親しくなった友人に対しては誠実に尽くす。そういう子だった。

 坂元は成績優秀。父は坂元に方子の家庭教師をさせた。その頃、会社の業績が悪化しており、塾に通わせる金にも困っていたのである。

 方子は何を考えているのか分からないと思っていたが、家庭教師として接していくうちに、方子は坂元に心を開くようになったのだ。

『坂元、あたし脂っこいものは嫌いなの。代わりに食べて』

 いらないからあげる。そんな感じで美味しいものを分けてくれたりする。方子は、食費にも苦労している坂元の事を気の毒だと感じていたようである。

『やっぱり、坂元と父様は似てるわね。笑った顔がソックリだわ。ほら、頬に縦のシワが出来るの』

 方子は容姿にコンプレックスを抱いていた。父親に似ており、いわゆる男顔なのだ。

 しかし、坂元にとっては可愛い妹。父が認知してくれないおかげで苦労はしたけれど、月日は流れ、坂元はお坊ちゃんが集うことで有名な大学を卒業していた。

 その頃、年頃を迎えていた方子が言った。

『夏目千里様って方を知ってるかしら』

 知ってるも何も、坂元の同級生で親友である。

『あたし達の女学校には千里様のファンクラブがあるのよ。あたし、千里様にバレンタインのチョコを渡したいんだけど、どうしたらいいのかしら』

『任せて下さい。わたしが千里に渡します』

 思えば、あの頃から、方子は完全無欠のプリンスである夏目千里に恋をしていたのである。

(方子を、親友の千里の妻に推薦したのはオレだ)

 この男にならば妹の方子を託せる。そう思っていたけれど、千里は、かつて愛した女を忘れていなかった。

 まさか、代理母を使って、まりあとの子供を作るなんて考えてもみなかった。しかし、坂元は思ったのだ。どのみち、誰かが千里の後継ぎを産まねばならない。

 それなら、この世にはいない女の卵子を使うのは好都合だ。子供がある程度育ったなら、代理母を日本から追い出せばいい。

 当時の方子は不妊で悩んでおり、医師からはもう無理だと言われていた。

 方子は昔から子供が好きだった。産みの母から虐待されていると知ったなら、朱里に対して心を痛めて無償の愛を注ぐと坂元は予想していたのである。

 あの二人は、公園で、たまたま出会った訳ではない。

(オレがお膳立てしたんだよ。実際、途中までは上手くいっていた。あの日、たまたま、オレは方子や朱里から目を離したのがいけなかった)

 方子の流産は予想外の事件である。妊娠していたなんて坂元は知らなかった。あの事件のせいで方子と朱里の運命は歪んでしまっている。

 本来なら、今頃、方子と朱里は仲良く暮らしていたはずなのに……。

(今回も、良かれと思って乙姫と朱里の婚約を盛り上げようとしたのだが……。目障りな瀬戸由布子のせいて乙姫は拗ねたのかもしれない……)

 朱里が夏目グループに君臨する為には綾小路家の力が必要だ。

 夏目グループの総裁の座を狙う礼馬を乙姫に渡してはいけない。

(はてさて、どうすべきなのか……)

 朱里を当主にしたい坂元は悶々としていたのだった。


    ☆

 百合のお誕生日パーティーが終わったのが午後十時。

 柴田の車で戻って来たのだが、三井は待ちかねたように出迎えた。

「坊ちゃま、お帰りなさいませ。由布子様、あらあら、今夜はお疲れになったようですね」

「ほんと、もうクタクタですよ」

 由布子は軽くシャワーを浴びた後、自室で眠ろうとしていたのだが、その時、三井が呼びかけた。

「由布子様、お布団を敷きましたよ~ いつでも、どうぞ」

 いやいや。今夜の朱里は人間だ。一緒に寝る必要はありませんと言いたいが、シルクのパジャマに着替えた朱里がトロピカルな声で由布子を呼んでいる。

「由布子、早く、こっちに来るニャン☆ 僕、由布子と一緒じゃないと眠れないニャン☆」

 貴様、嘘をつくなと怒鳴りたいけれども、三井の手前、そうはいかない。

 お望みとおりに川の字で寝るしかない。

「それでは、おやすみなさいませ」

 三井の号令によって部屋の明かりは消された。由布子は目を瞑る。たちまち睡魔に襲われて爆睡していたのである。

 深夜二時。背中に何かが張り付いてるような気がして目覚めたのだが、何と、朱里が背中から抱き締めるような形で由布子にひっついて眠っていたのだ。

(何なのよ。今、あたしに抱き着いているのは人間なの? それとも、猫のジュリなの?)

 いや、どっちにしても鬱陶しい。

 肘でバンッと朱里の身体を突いた後、由布子は足の裏で朱里の膝を蹴っ飛ばす。

「いてぇ」

 くぐもった声がした。由布子は三井を起こさぬように小声で呟く。

「あたしに抱きつかないでよ。もう、やだ。迷惑だよ」

「ひどいニャン。僕、由布子のことが好きなのに、意地悪しちゃ嫌だよ」

 僕? この呟きは猫のジュリではない。同じ布団に入るなど、セクハラ行為を超えている。

「夏目さん、ふざけるのもいい加減にして下さいよ。まじで、訴えますからね」

「由布子は冷たいニャン。でも、僕は、由布子と一緒にいると幸せだニャン☆」

 気持ち悪い。どういうつもりなんだと振り向こうとした時、首筋に妙な感覚が走った。

 えっ……。うなじに唇が寄せられている?

 ていうか、唇というより歯の感触も伝わるんですけど……。

「な、何してんるんですか!」

「猫のチューだニャーン☆」

 どうやら、朱里は、由布子が騒げないのをいい事に、無防備な首筋をハムッと噛んだようだ。

 横向きで寝ている由布子は真っ赤になる。夏目朱里。おまえは吸血鬼なのかーーーーと言いたくなる。

 それと同時にメラメラと闘志を燃やしていた。

「そうですか」

 言いながら、由布子は三井の枕元へと手を伸ばしていく。そして、それを掴むと、クルリと反転した。

 至近距離で見つめ合う二人。

 暗くても、お互いの顔の輪郭は目に映っている。フッと微笑むと由布子は、不意に表情を和らげた。それに対して、朱里も呼応するように目元を細める。

 よく洋画で見るような、『チリチリとしたキスシーン五秒前』の状態だ。

 うれし恥しのフアフアとした空気が二人を取りまいている。由布子の大きな瞳か朱里を見つめ続けている。

 ドクンッ。まるで少女漫画だ。朱里の鼓動が跳ねた。

 キスをして……。そう言いたげに由布子が目を閉じると朱里も目を閉じた。そして、次の瞬間、朱里の唇に何かかが覆いかぶさっていたのだ。

「うぐっ……」

 このキスはあまりにハードなものだった。朱里は目を引ん剥いて悶絶している。

「ふがっ……」

 そりゃそうだろう。朱里の唇を挟んでいるのは三井の入れ歯である。正真正銘の甘噛みだ。由布子は、どうか参ったかとばかりに囁いた。

「これが、あたし流の接吻だニャン☆」

 その顔は小悪魔。スケールの小さい悪魔だ。

「ブハッ」

 入れ歯を手で振り払うと朱里はムキになって睨んできた。

「おまえ、やっていい事と悪い事があるんだぞ」

 由布子はシッと目で朱里を威嚇すると、三井を起こさぬようにコソコソと言う。

「それは、こっちの台詞ですよ。セクハラ禁止ですぅーーー、あたしからのお返しですぅーー」

 おらおらおらーー。入れ歯を朱里の顔面に突き出して威嚇していた。もはや獅子舞状態である。

 カチカチ。カチカチカチカッ。三井の入れ歯で頬を挟まれそうになった朱里はもがくようにして首を振る。入れ歯の乱舞から懸命に逃れようとする。

「おい、やめろ。いや、や、やめて欲しいニャン☆」

「あんたが反省したら、やめてやるニャン☆」

「由布子はドSだニャン☆」

「そうだよ。悪い子に対しては、おしおきするニャン☆」

 いつのまにか、由布子も猫語になっている。深夜である。馬鹿な振る舞いは伝染するものなのだ。

「わりぃ子はいねぇがーーー」

 秋田のなまはげのように、由布子は入れ歯で威嚇する。

「わりぃ子は食っちまうぞーー」

 オラオラオラッ。入れ歯で威嚇。

「やめるニャン。いやたニャン」

 朱里は、くすぐったそうに身をくねらせて入れ歯から逃げようとする。この時、三井はさすがに目を覚ましていた。

(わたしがいるというのに、何をニャンニャンと戯れているのかしら……。仲かいいのは良い事だけど、睡眠不足はいけませんよ)

 三井はコホッと咳払いする。すると、朱里はハッとしたように三井の方に視線を移した。

 そして、小声で由布子に囁く。

「ふざけてないで、もう寝ようぜ」

「あたしは最初からそのつもりだよ。おやすみ」

「ん……。おやすみ」

 その時、朱里の口元には笑みがこぼれていた。こんなふうに誰かと枕を並べて寝るなんて何年ぶりだろう。

 それにしても、由布子は面白い娘だ。由布子に背を向けて横になったまま朱里は含み笑いを浮かべる。

(普通、そこまでやるかよ?)

 入れ歯に挟まれた朱里の上唇がヒリヒリする。

(いかん。はぁやと間接キスしたことになるのかな……。いやいや、それについては深く考えるのはやめよう)

 先刻、本当は由布子にキスしたかった。そんなことを思うなんてどうかしている。

 由布子にとって朱里はただの同居人。いずれ、別れる時がやってくる。

 だから、こいつのことを好きになってはいけない……。そんなこと、きっと、坂元や方子が許さないだろう。

 だけど、自分が好きな相手と暮らす事を望んで何が悪いんだ?

(オレは自分の人生を豊かにしたい。もう、誰にも遠慮したくない)

 そんな気持ちが朱里の中で、しっかりと芽生えようとしている。



      ☆


 翌朝。由布子が目覚めると両隣の布団は撤去されていた。割烹着姿の三井が由布子を急き立てている。

「由布子様、新学期ですよ。遅刻してしまいますよ」

「うわっ、大変。朝こばん、食べる時間がない!」

「柴田の車で送らせますよ。車内でおにぎりをお食べ下さい。こちらは由布子様のお弁当でございます」

 朱里は先に大学のキャンパスに向かったというのである。

(憑依してないってことだね。ジュリはどこにいるのかなぁ)

 飼い主としては猫のジュリと話したいが、今は無理だ。それにしても、お弁当がデカイ。

(おせち料理みたいな豪華さだな)

 お昼休み、教室で三段重ね重箱の蓋を開けた瞬間、友達の舞子が言った。

「あれれ、由布子、豪華だね」

「親戚の人が作ってくれたの。舞子も食べる?」

「うん。ありがとう」

 ローストビーフ。キャビア。鴨のコンフィ。鰻の蒲焼。煮物。栗きんとん。稲荷寿司。サンドイッチ。ゴマ団子。豚の角煮。和洋中、もはや何でもありだ。

(朝から作ったの? それとも、料亭から取り寄せたのかな……?)

 舞子が御馳走を頬ばりながら言った。

「ねぇ、ジュリちゃんは見付かったの?」

「……ううん。それが、まだなんだ」

 でも、幸いな事に親切なマダムとやらがジュリを匿ってくれている。

「最後に目撃されたのは河川敷なんだ。どうやら、ホームレスの人がジュリを助けてくれたらしいの。だけど、そこから先が分からないんだよね」

 ペット探偵が必死になって捜索しているはずなのに、なぜか、まだ見つからない。

(今度、猫のジュリが夏目さんに憑依した時にマダムについて聞くとしますか~)


    ☆

 

 春爛漫である。由布子が世界史の授業をしている頃。

 マダムは美しい芝生が見える自宅のテラスで物憂げな溜め息をついていた。

 人は、なせか独身の彼女を、『マダム』と呼ぶ。

 二十二年前、思い切って金玉を切除した。

 岡山の絶世の美少年と謳われた小日向昭三は三男で親から可愛がられていた。しかし、心は女だと親に打ち明けてからは一度も故郷の岡山には戻っていない。

 新宿でスナックを開いたのが二十三歳。その頃はティファニーと名乗っていた。

 マダムが三十歳になった頃から、スナックの客相手に星占いやタロット占いをするようになった。それが、よく当たると評判になり、気付いたら占いだけで暮らせるようになっていたのだ。

 今のマダムの顧客は大物政治家や政財界の重鎮。それに宗教家や芸能関係者やスポーツマンである。

 アメリカ大統領選挙の前には、各国の大使館の者や自民党の大物かマダムに未来を問いかけてくる。

 なぜだか、分からないが、マダムは占星術とタロットカードを通して未来を予知できる。外したことなど一度もない。

 そんなマダムの足元には美しいブルーの瞳の飼い猫が鎮座している。

「サファイアちゃん……。あなた、どうしたの?」

 ニャー。上品に鳴いておねだりしている。

(あら、あたしったら……)

 お昼のカリカリを与えるのを忘れていたらしい。

 マダムは、ゲーシーの中でスヤスヤと眠るキジトラのオス猫を見つめたまま瞳を揺らす。

(可哀想ね。まだ風邪は治らないのね)

 何度も同じタロットカードが出てくる。この猫は、もうすぐ死ぬ。

 燃え盛る塔と死神と悪魔のカード。この三枚がいつも出てくる。猫の破滅は避けられそうにない。

「迷子のトラ猫ちゃん……。あなた、外に出ると死ぬ運命なのよ。いいわね。ここから出ではいけませんよ」

 死亡フラグを回避する方法は、ただひとつ。元の飼い主に決して会わせてはいけない。

 オラクルカードが告げている。

『古い家族を捨てて新しい家族を選択せよ』

 哀しい運命が刻々と迫っている。

(トラ猫ちゃん……。ここで新しい家族を作りなさい。それが一番いいのよ)

 だから、マダムはインターフォンを無視する。

 ピンポーン、ピンポーン。ペツト探偵の仁科は、マダムとコンタクトをとろうと必死になるけれど、マダムは居留守を使い続けたのだった。








 

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