風とカフェモカ
「先生! 貰ってください!」
二月十四日の月曜日。世間はチョコレートに浮かれているが、目の前の彼女はそんなことをしていていい身分だろうか。
「おい、片岡。お前、狙ってるとこ国立だっただろ」
明らかに手作りくさいラッピングのチョコを、教師に渡す余裕なんてないはずだ。
「え、だって、高校最後だし、ここで逃すと先生に会えなくなっちゃうかもだし」
そう言って眉を下げる片岡の手には火傷の跡が見える。滅多に料理なんてしないと友人と話しているのを聞いたことがある。国立狙いの奴が使っていい時間の使い方じゃないはずだ。
「貴重な時間なんだから、私なんかより自分の為に使ってくれた方が嬉しいんだが」
「っ、だって、あたし、先生のこと」
「片岡」
少し言い方がキツくなってしまったかもしれない。名前を呼ぶと片岡はびくりと震えて唇を噛んで黙り込んでしまう。
沈黙が、二人きりの化学室を肌寒く感じさせる。
「……このチョコは預かっておく」
いくら学校とはいえ密室に二人きり。このご時世でそれが許されるのは、まだまだ世間一般的には恋愛も性愛も感じないだろうと思われている女同士だからだ。
彼女の経歴に傷をつけない為にも、二人だけの秘密としてもそれを発させてはいけない。
「……はい」
不貞腐れる彼女へ、インスタントのカフェモカを入れてやる。
「お前が第一志望に受かるの、楽しみにしてるからな」
「はい」
私の言葉にカフェモカを啜りながら今度は力強く頷いた。
「先生!」
「片岡」
桜咲くとは言うが、三月頭にやる卒業式で桜が咲くことなんてあるんだろうか。
「卒業おめでとう」
「ありがと」
第一志望に受かった片岡は隣県に行く。
「ほれ」
「え?」
十一文字の数字が書かれたメモを渡すと彼女は首を傾げた。
「なにこれ?」
「私の電話番号」
「えっ?」
あ、今の子は携帯番号なんぞ使わないんだったか?
「卒業祝いだ」
「え、なんで?」
片岡、さっきから「え」「何」しか言ってないな。
「あ、かけるのは大学入ってからにしろよ。まだ卒業見込みなんだからな」
「ちょ、質問に答えてよ!」
「あー……」
ざあ、と春風が吹く。温暖化の影響か風が冷たい。
「大事な時期が終わったろ?」
「うん」
「預かっとくって保留にしたろ?」
「……うん」
「その答え」
そう言えば桜色よりも濃い紅色に片岡の頬が染まっていく。
「な、ななな……!」
「お前、受験終わって語彙力溶けたのか?」
「先生のばか!」
「おう……」
何故か罵倒された。解せぬ。
「もうちょっとさあ! ムードとかさあ!」
「卒業式はムードたっぷりだろうが」
化学室よりも上等だろう。
「うぅ……大学行ったら、毎日電話するからね!」
「夜九時から十時の間な」
「短ッ」
「飲み会とかあっても絶対かけるからな。お前も二次会とか行くなよ」
「え、思ったより独占欲強ッ」
「遠恋舐めんな」
「あ、はい」
「あー、あと」
「はい?」
ざあ、と風が吹く。片岡の長い髪が風にまかれ、口元を隠す。
「一月遅れになるがホワイトデー、楽しみにしてろよ」
口元を隠す髪をそっと払ってやる。刺激が強かったのか、頬がこれ以上赤くならない代わりとばかりに彼女の目が潤み出す。
「食べたの?」
そう聞かれて首を振った。
「まだ」
「え……」
「冷凍保存してる。そうすれば一ヶ月は保つからな」
「えぇ……」
相変わらず、「え」と「な」しか言わない奴だ。
「あ、お前も来月でいいから用意しとけよ。高くなくていいからな」
「えっ!? 私もらってなくない!?」
私の言葉に慌てる片岡に「いや、やっただろ」と言えば「えぇ?」と彼女はお決まりの言葉を吐いた。
「キャラメルマキアートばっか頼んでるからだ。ギリギリ現役女子高生。カフェモカの中身を板に聞いてみろ」
「え……あーっ!!」
今日イチの面白い顔に思わず笑ってしまう。片岡に睨まれるが、しばらく止まりそうにない。
「絶対! 先生も驚かせてやるんだから! 来月覚悟しててよね!」
「まあ、楽しみにしてるわ」
これから先は長い。まだまだ私の手のひらで転がってばかりの彼女も、いつか私をあっと言わせることだろう。
そんな遠い未来が、私は今からとても楽しみだった。
カフェモカ……エスプレッソ+チョコレート+ミルク
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