あなたは私を元の世界に返さなければなりません
長かった旅路もとうとう終わりを迎えようとしていた。
俺は逸る気持ちをそのままに玉座の間へと突っ込んだ。果たしてそこに、魔王は居た。
「魔王!今日こそお前を討ち取ってやる」
「…何とも野蛮で愚かな鼠が入り込んだものだ」
魔王の表情に驚きの色はなく、心底うんざりした嫌悪の感情が見てとれた。
「貴様ら人間は『世界平和』などを謳いながら、我ら魔族を追いやろうとしている。一方で貴様らが我らから略取して支配した都市では、人種など瑣末な異なりから、人間同士での差別や迫害が既に行われていると聞く」
魔王は玉座から俺を…いや、俺を含めた全ての人類を睥睨しているようだった。
「どこまで愚かなのだ。お次は何を以て選別する?生業か?家柄か?魔族を追いやったとて、他を排斥することで優越感を得ようとする醜い連鎖は止まるまい。平和などというお題目を掲げるのなら、その理想と貴様ら人間の浅ましい本性との矛盾を、先ず知れ」
「…お前たち魔族が今までしてきたことを思えば呆れて何も言いたくなくなるが、しかし魔王、お前に聞きたいことがある」
魔王は顎で俺に続きを促した。俺はそれを見て、ふと湧いた疑問を魔王にぶつけてみた。
「『矛盾』ってどんな話しだったっけ?」
突然、ブツンと電源が落ちるように目の前が真っ暗になった。何も聞こえない。
俺の旅はここで終わりなのだろうか?「お題目」の語源とかも聞いてみたかったのに。
◯
「悪巫山戯も大概にしてください!!」
気がつくと何者かに首を掴まれ締め上げられていた。首が動かせないので視線だけを下げると、そこには鬼気迫る形相があった。
その顔には見覚えがある。
「お久しぶりです、神様。こっちの世界に転生して以来ですね」
「故事成語の語源なんて聞かないでください!そんなのどう頑張っても違和感が出るじゃないですか!」
挨拶が無視されてしまった。
神様は酷く興奮していて、聞く耳を持っていないらしかった。言っていることも今いちよく分からない。
締め上げられているのに妙に余裕を感じて、眼下で捲し立てる神様は一旦置いて、俺は周りを見遣った。
何もない真っ白な空間が広がっている。
どうやらこちらの世界に転生する際に、神様に召喚された場所と同じらしかった。時間も空間も外とは隔絶されている特別な場所で、ここに居ても外では時間が経過しないしここで肉体的なダメージは受けない、らしい。
道理で首が締まっていても全く苦しくないわけだ。
ともかくそこに、魔王との決戦直前というタイミングで神様に再び召喚された、のか。
「…替わる言葉はありますけれど、そもそもどんな言葉にだって表裏一体で文化的な背景が糾えられていているもので、その語源を尋ねてしまったら…」
「あの、落ち着いてください。俺には神様が何を話しているかさっぱり分かりません」
はっ、と我に返る神様。
ようやく首から手を離してくれた。苦しくないとはいえ、持ち上げられたままじゃあ会話がしにくいから助かった。
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「何はともあれ、お久しぶりです神様」
「…お久しぶりです。取り乱してしまいすみません」
神様は気を落ち着かせるように大きく息をついた後に、ジロリと俺に一瞥をくれた。
「本当に私が何の話をしているのか、分からないのですか?」
「ええ、全く。説明してもらえますか?」
もう一度息をつく神様。今度のはあからさまな俺に聞かせるような、ため息だったけれど。
「私はこの世界の神ですが、魔王の侵攻に対して直接的な手出しは出来ません。口惜しいことです。しかし別の世界から救世主たる、他でもない貴方を勇者として喚び出すことは出来ました。…といったことを初めてお逢いしたときにお話ししたのは覚えていますか?」
「はい」
「そのとき、貴方を介してならこの世界に多少の干渉が出来ることに私は気がついたのです。ですから貴方が転生を果たしてからずっと、私の出来る範囲で貴方に助力してきたのです」
「え?転生してからこっち、神様が俺にサポートしてくれたことって何かありましたっけ?」
「っ!…………………………………………………………………………………………危ない、神である私が人間である貴方に手をあげるところでした」
「………」
怒りで眉をひくつかせながら声を震わせる神様に、ついさっき首を絞められたことを持ち出してツッコミを入れることは、俺には怖くて出来なかった。
神様が「まだお分かりになりませんか」と続ける。
「私は今までずっと、貴方がこの世界でした会話の全てを翻訳してきました。貴方が話す日本語と貴方が聞くこの世界の言葉を、です」
「あー」
成る程。
異世界に転生して、初めて出会った村娘と日本語で会話が成立したときに、何か引っかかったけれど「異世界転生ってこういうもん」と、気にしないことにしたのを思い出した。
そこから既に神様の翻訳が介入していた、ということか。でも一体どんな風に?
「え、同時通訳みたいなこと?」
「同時通訳………というよりは映画の吹き替えのようなものでしょうか」
神様が言葉を選びながら丁寧に、俺に説明をしてくれる。
「神ゆえに全知ですから、この世界で貴方々がどのようなことを発言するかを、予め私は少し先まで把握しています。なので先んじて翻訳を済まして、いざ貴方々が喋るときに翻訳した音声を聞き手の耳に再生する、ということを行っていました。貴方の喋る日本語が聞き手の耳にはこの世界の言葉で聞こえるように、またその逆も…といった具合です」
声質や声色なんかも忠実に再現していたのですよ、と少し得意気な神様。
映画の吹き替え、という神にしては俗っぽい例えのおかげで、神様がどんなことをしてきたのか俺にもかなり理解ができた。
…というかそんな一流邦訳会社ばりの仕事をこなされたら、「翻訳をされている」っていう発想に至らなくても仕方なくないか?「異世界転生なんだから日本語で会話が成立して普通」と、そこで思考が停止しても仕方がない。…と俺は自己弁護をしておく。
「それだけのことを一人でリアルタイムで行っていたなんて、神様はとてつもない手腕ですね」
「ま、まあ神の権能をもってすればこれぐらいは出来て当然。むしろこれぐらいしか出来なくて歯痒いばかりで…」
それなりに誇りを持って翻訳に努めていたんだろう。持ち上げてみると、満更でもなさそうだった。
それを見て神様が、今回どうして俺を喚び出したかが分かった気がした。
俺は魔王に矛盾の語源を聞いた。そこで異世界の住人である魔王が、楚の国の矛と盾の話をし始めるのは不自然だ。かといって魔王が、矛と盾が全く関係のない話を「矛盾の語源」として語るのも、それはそれで不自然になる。
神様は自分で「映画の吹き替え」と例えるくらい、それこそ字幕とか訳注とかに頼ることのない、自然な翻訳を目指してきた。だからどう頑張っても自然に訳せない俺の質問に、神様は我慢ならなかった、ということだろう。
「全く何であんなことをいきなり質問なさったんですか、しかも魔王に」
「いや何かふと気になって…それだけでこんなに怒られるなんて思いもしなかったです」
「………」
「今のは無神経でしたかね、すみません」
「いえ、私は別に『矛盾』の件だけで貴方を召喚したわけではありませんよ」
え、他にも何かあるの。
「ご自身の普段の発言に思い当たることはありませんか?」
「…何か気に障るようなこと、言っていましたか?」
「貴方は事あるごとに、ダジャレを仰いますよね」
あっ。
何となく話の先が見えて、俺はとりあえず沈黙を返した。
「雷の塔を攻略して『へきれきしてきた、もうたくサンダー』だの、天翔ける船を手に入れて『勇ましい航海にいざマジ行こうかい』だの…」
「個人的には『ホラーなほら穴、ほらもう一つ』とか気に入ってます。今季1番の手応え」
「いえ聞いていないですけれど」
茶化そうと口を挟んだら、思っていたよりも冷たく返されてしまった。手厳しい。
神様が続ける。
「ともかく、ダジャレを他言語に翻訳する身にもなってみてください。もちろん、直訳をしてしまったら意味がさっぱり伝わりませんし、ダジャレとしても成立しません。なので原文の意味を出来るだけ重視しつつ、こちらの世界の言葉で全く新しい冗談を作り上げなければならなかったのです、私手ずから!」
言葉を重ねるごとに神様の語気が強くなっていく。
間違っても「神様が翻訳していたから、俺のダジャレがさほど受けなかったんですね、成る程」とか言える雰囲気ではなかった。
「この空間は外と時間が隔絶されていますから幾らでも翻訳に時間はかけられますけれど、だからこそ貴方がダジャレを仰るたびに、納得できるまで悩み苦しみながら翻訳していたのですよ!私の苦悩、伝わっていますか?分かっていただけますか?」
詰め寄ってくる神様の目は据わっている。恐ろしくて俺は顔を背けるほかなかった。
日頃から生真面目に翻訳を続けて溜めたストレスと怒り、先の「矛盾」の件でそれらが閾値を超えて噴出した、というのが今回の召喚の経緯らしかった。
神様の愚直さと俺の言葉遊びが、ここまで神様を追い詰めていたとは。
「そ、そんなに翻訳が辛かったら、俺に旅の途中にでもこの世界の言葉を覚えさせたら良かったんじゃないですか。この空間で勉強させれば外では時間が経過しないわけですから、魔王の侵攻にも間に合いますよね?」
「高等教育を経ても英語すらろくに話せない貴方が、全く触れたことのない言語を習得するまで、何も無いこの空間で耐えられますか?」
「………」
ぐうの音も出ない。
「あの、本当すみません」
「…いえ、いいんです。貴方がわざと私を困らせようと、発言をしていなかったのは判りましたから。けれど、もう懲りました。ここからは一切翻訳しないことに決めました」
「え」
何だって。もう翻訳してくれない、ってそんなことになったらコミュニケーションの一切をどう取れば良いのだろうか。
「ま、まだ魔王との決戦も残っているのに、困りますよ」
「魔王との決戦しか残っていないんです、私の『助力』が無くとも何とかなるでしょう。それが終わったら元の世界に貴方を返しますから」
「そんな、まだ村娘との結婚も控えているのに!元の世界にも帰りたくありません」
「貴方の睦言を翻訳する羽目になんて、想像するだけでぞっとしません。尚更、お帰りいただきたく思います」
ふん、とそっぽを向いてしまう神様。
随分と嫌われてしまったらしい。どうにか宥め賺して、説得できないものだろうか。
「あの、神様」
「………」
呼びかけは無視されてしまったけれど、構わず続ける。
「これまでの会話での意思疎通が、何気なく出来て当たり前では無かったと、その有り難さに今更気がつきました。今まで違和感にほとんど気づけなかったのも、神様の翻訳家としてのスキルの高さを証明していて、改めて感服します」
「………」
「思い返してみると、それこそ洋画の吹き替えを見ているときみたいに、ところどころ口パクが合っていないところがあって、それは『あれ、今口の動きと声がずれているように思ったけれど、疲れてるのかな』で無視してきましたので、神様の翻訳は本当にほとんど完璧でした。凄い!」
「………称えるふりをして、その実私を弄っていませんか、貴方」
「そんなことは」
両手を振って大袈裟に否定する。
「今ので思いついたんですけれど、今度からは吹き替えじゃなくて字幕にしてみたらどうですか?リスニングが出来るから俺はこの世界の言葉が覚えられるし、訳注もそれなりに自然に組み込めるから翻訳の解像度も上がるし、一石三鳥くらいありそうじゃないですか」
「いや私の手間は全く変わらないような気がしますけれど、それに字幕って視界のどこにどういう風に付けるんですか」
「ちなみになんですけど洋画は俺、吹き替えより断然字幕派なんですよね」
「やっぱり私のこと弄ってますよね!!」
そんなの聞いてませんから!、とほとんど絶叫する神様。
駄目だ。火に油を注いで状況を悪化させたようだ。
「もう今すぐ送ります!さっさと魔王を倒して、さっさと元の世界に帰ってください!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そこから時間の経過しない空間で、体感小一時間、神様の説得にあたった。
最終的には神様が折れてくれた。議論に疲れ切ってしまったのか、土下座を厭わない俺の媚びへつらいに哀れみの感情を抱いたのか。
「…分かりました、最低限でよければこれからも翻訳を続けましょう」
「本当ですか?やったー!」
神様は大きくため息をついた。
「…仕方がありません、そんなに仰るんですから。魔王を倒した後もずっとこの世界にいて頂いて構いませんよ」
「ありがとうございます!」
「ただし最低限ですから、私は質を保証しませんからね」
さあ元いた玉座の間に送り返しますよ、と神様は小踊りしている俺に言った。
ふと、部屋の電気が落ちるように目の前が暗くなる。何も聞こえない。
◯
気がつくと、目の前には魔王が踏ん反り返っている。
召喚される直前に見ていた光景とまるで同じ。やはりあの空間にいる間は時間が一秒たりとも経過しないのだろう。
さて、まずは果たすべきことを果たそう。
決戦の直前瞬間的に、神の怒りとか常識の転覆とか色々を経験したわけだけれども、闘志はまだ萎えちゃいない。
「さあ闘おうか、魔王」
俺の言葉を聞いて魔王が口を開く。その声は抑揚に乏しい一本調子で…
「大丈夫、战おう、勇者。私に挑戦する人はたくさんいますが、彼らが理想を語っているだけであっても、現実とは何の関係もありません。感謝だけでなく、申し訳ないといわなければなりません、あなたは私を失望させることを。」
…異世界の言語にも対応していたんだな、凄いな○oogle。
おわり
異世界モノを書いてみようと、ふと思いついて出来上がった作品です。…ちゃんとした異世界作品が書けるようになるには精進が必要みたいです。