愛は魔法である。恋は反魔法である。
わたしは時々天才になるので、タイトルのようなフレーズもポンっと飛び出してしまう。自画自賛するお手軽な幼女作家なのであった。
さて、愛は魔法であるというのは誰しも体感しているところだと思います。
まるで魔法みたいというようなポエム度たっぷりなことが言いたいのではなく、現実として、理性的に考えて、そうなのです。
人間は赤ちゃんのときに母親に魔法をかけられます。
その魔法の内容は、様々な言葉が絡み合っているのですが、結局のところ「あなたは人間なのよ」という内容に集約されます。
つまり、赤ちゃんは人間になる魔法をかけられて人間になるのです。
あれをしなさい。これをしなさい。あれはダメ。これはいい。
例えば、虫を食べてはいけないというのは赤ちゃんから少々育った幼児にとっては強力な魔法です。
赤ん坊の頃から、セミやコオロギを口に入れてはいけないと言われてきたから、日本人は虫を食べられなくなっている。それが人間としての規範として作用しているからです。もちろん、外国では虫を食べる国もあるでしょうし、なんなら日本でも佃煮にして食べるし、コオロギとかは煎餅になってたりもするしで、要するに食べちゃいけない現実的な理由があるわけではないのです。その証拠に十分に育っていない幼女は虫を口に入れることができる。
もちろん、昔は食あたりとか起こしてたのでしょうし、今も口に入れるとばい菌やら寄生虫やらが怖いのでしょうが、そういった社会的なルールは後づけの理由であり、もしも虫を食べる文化で育てば人間は虫を食べるというわけです。
昔、猿に育てられた少年がいたという話ですが、その子は魔法がかけられていなかったため、発見当時は言葉も話せず四足歩行していたとか。誰も言葉を教えなかったら、言葉を話せるわけもない。
そんなわけで愛が魔法であるというのは、比較的わかりやすいのではないでしょうか。
そこで問題になるのは、後のほう。
つまり『恋は反魔法である』という言説のほうです。
こちらが今回のメインに語りたいこと。
ところで、物語的に言えば、恋は魔法を解く要因になっていることが多いと思いませんか。
シンデレラは王子様に恋をして魔法が解け、みすぼらしい姿に戻ってしまいますし、白雪姫は王子様にキスをされて呪いの魔法が解けます。人魚姫は王子に恋するのですが、最後には泡になり消えていくことが運命づけられている。ついでに言えば、人魚姫の場合は、愛されなかったということも理由になるでしょう。
なぜ、恋が反魔法になるかというと、恋が自己愛だからです。
日本語に『恋する』という言葉はあっても『恋される』という言葉はありません。それはあくまで恋をするというのが、わたしを基点とした自己愛的なものだからです。もちろん、この自己愛が育って対象愛になるということはありえます。この移行はグラデーションを描いており、瞬間的に切り替わるものではありません。
恋をすると、人間は『人間であれ』という愛の魔法が解かれます。
それはすなわち、
――赤ちゃんに戻ること
です。
いや、まあIQひくひくになるのは、目の中にハートマークを描いているような恋している女の子を見ていれば、なんとなく感覚的にそうだろうと首肯してもらえると思います。
この赤ちゃんに戻るというのは、母親的存在からかけられた愛という魔法をひとまずは引っぺがす効果があるでしょう。まだ魔法をかけられて間もない頃に戻るわけですから。
恋した対象が、なぜかはわからないけどコオロギを食べていたとします。もしも恋の強度が十分に強ければ、わたしはコオロギを食べるかもしれません。
恋した対象が、殺人鬼だったとします。わたしはその殺人行為をなんとかして肯定しようとするのではないでしょうか。
恋とは感情転移のことであり、感情転移とは幼少時の親に対する感情が、現に相対している対象へと移しかえられることをいいます。
つまり、恋している状態にあるわたしは、精神的には幼女に遡行しているのであり、その遡行深度が深くなればなるほど、赤ちゃんぽくなっていくわけです。
対象のことをちゃんづけで呼んだり、しゅき♡しゅき♡言っちゃうのは、たぶんそれが原因です。
ここで、感情転移というのが、精神治療に用いられていることに着目してみましょう。
精神治療をしていると、患者は分析者に対して恋に似た感情を抱くようになります。あるいは敵対的な感情を抱くようになったりもします。
なぜ転移が起こるのかというと、もともと幼少時にあったトラウマが意識されるのを防ぐためです。つまり一種の抵抗として転移は起こると考えられています。
わかりやすくするために、教育ママに育てられた例を考えてみましょう。
教育ママに育てられたA氏(男性)は教育ママから厳しくしつけられたため、アニメ作品を汚らわしいものと教えられて育ってきました。
一度、ママの帰りが遅いときにこっそりとアニメを見ていました。しかし折り悪くママが帰ってきて見つかってしまい、烈火のごとく怒られ、「こんなものを見るやつは人間失格だ」と言われます。
A氏はこのことがトラウマになり、きわめて実直で真面目な青年へと育ちました。しかし、アニメを見ている人間を激しく憎悪するようになってしまったのです。
分析者(女性)との語らいのなかで、A氏はトラウマ的記憶を思い出してしまいそうになります。トラウマは幼少時の記憶なので、精神的に遡行している。その遡行先として、母親とするのはトラウマを直視することになるので非常にツライことです。なので、分析者のほうへと移しかえることで難を逃れようとするわけです。
A氏は内的にはA氏は母親の存在を無かったものにしています。したがって、転移が起こるということは、母親を内的には殺していることになります。恋と殺意は似ているのです。
まあ、実際ヤンデレな彼女に迫られたらノーセンキューだけどね。
ここで、精神治療においては、転移を認識するだけでは足りず、解釈する事が必要だとされます。母親に対する愛憎などの複雑な感情があったと認めるだけじゃ足りないんですよね。要するに、A氏の場合は教育ママに対するコンプレックスがあるわけですが、それは母親なりの愛情だったと解釈することで、アニメを見てもいいんだというふうに寛解へと至るみたいな感じです。A氏の葛藤は解消され少しだけ他人に優しくなれます。
愛による恋の再定義こそが人間失格を人間にするということです。
そう考えると、恋愛とは古い魔法が解かれ新しい魔法をかけられるという循環運動なのだと思います。
以上、恋に恋する幼女作家よりお送りいたしました♡
そういや、ハッピーシュガーライフの作者さんが『恋愛自壊人形 恋するサーティン』という新作を書いてて、その中では恋した人形は馬鹿になるって言われてるんですよね。しかしながら、恋が愛へと変われば、人間的に成長できるのだろうなと思います。愛は人形を人間にするものですから。




