どこにもいけない男
『どこにもいけない男』
死のう。
そう決意したのは先日のことだ。
決意したのが先日というだけで、突然そう思ったわけではない。世界の理不尽さ、自分の情けなさ。ずっと迷ったり悩んだりした。それが、昨日、ある一線を越えた。ただ、それだけ。
「図体ばかりの役立たず」
「顔面お通夜ッスね」
「大無駄飯食らい」
「ちゃんと喋ってくれません?」
「汚らしいタイプのデブ」
「椅子を壊す以外の仕事もしろよ」
「邪魔」
違う違う。働いてからじゃない。
小学生の時、父と母が離婚したこと。
小、中学といじめられ続けたこと。
高校受験に失敗したこと。
高校でもやっぱりいじめられたこと。
二年引きこもりをしたこと。
無理矢理外に連れ出され、おじの会社に強制的に就職させられたこと。
小さい頃からのそういった色々が積み重なって、会社でも嘲笑され疎まれ続けたから、そう決意したんだ。
思えば、僕はどこにも行けなかった。
新しい土地に行くのが怖くて、僕は母の手を取った。
いじめから逃げるために一生懸命勉強しても、結局駄目だった。
他人の目を避けるために引きこもっても、結局、人から疎まれ蔑まれる日々を送った。
あの時、父の手を取れば。あの時、高校受験に成功してれば。あの時、おじの世話になるほど引きこもっていなければ。
あの時、あの時、あの時。
意味の無い考え。わかってる。
だって、どうせ、『僕』だから。僕が『僕』である限り、どうせ、どこにも行くことなど出来ないんだ。
だから、今日、僕は『僕』をやめる。
死によって『僕』では無い何か……もういっそ、蟻んこでもミジンコでもいい。別の何かとして生まれ変わるんだ。僕は『僕』じゃなくなって、ようやくどこかに行けるんだ。
目の前の輪になったロープをじっと見つめた後、それを首にそっとかける。
実家のアパートには首を吊れるような梁が無くて、仕方なく近場にある夜の公園を選んだ。
ここには立派な桜が植えてあって、横に飛び出た枝が首吊りには丁度いい。
夜風が冷たくて気持ちよかった。
人は居ない。虫の鳴き声がやたらと響く。いい夜だと思う。これで桜が咲いていれば最高だけど、残念ながら季節じゃない。
誰か悲しむかな。ふと、そう思ったけど。いるわけない。
母も。化粧が濃くなって、酒臭くなって。僕はそれからいないものなんだ。
わかってる。だから遺書だって書いてない。残すものなんてない。僕には何も残っていない。
むなしい。
悲しむ人はいなくても、迷惑を被る人はいるかな。
どうでもいいけど。
死体が出たら公園って使えなくなるかな。
心霊スポットとかになるかな。なったら嬉しいな。
……いけない。怖いからか、だらだらと取り留めないことばかり考えてしまう。
こういうのは勢いが大事なんだ。思い切って。そうだ。人生最初で最後の思い切りだ。そう思えば、出来る。出来る。
えいっ、と足元の小さい脚立を蹴り飛ばした。
ずん、と首に全ての、痛い! 苦しい! 痛い痛い痛い!! 苦しい苦しい苦しい!!
バキン!
暴れたせいか、ロープをかけていた木の枝が折れ、僕はドシンと尻もちをついた。
そのまま仰向けに倒れる。
あの痛みと苦しさを知ってしまったら、もう首吊りなんて出来ないだろう。
今日は満月だった。涙が溢れた。
結局、僕は僕のまま。
逝くこともできない、どこにもいけない男だった。
【どこにもいけない男 終わり】