ケンセイ
カーン。カーン。
その男は人里離れた山にいた。
カーン。カーン。
男は一心不乱に槌を振るっていた。
カーン。カーン。
男は剣を作っていた。
男の名はグドウ。『幻の剣聖』と称される者。
一昔前、国を襲った凶悪な魔族がいた。頭に生えた角、巨大な体躯、人を軽く引き裂く剛力。その魔族は御伽噺に現れる悪魔に準え、『鬼』と呼ばれた。
グドウはその鬼共の王をたった一人で討伐したのだ。
甲冑と強力な武器で武装した強者達を何百と返り討ちにした『鬼王』を。
その時、彼は着の身着のままで抜き身の剣を一本手に携えただけだったという。
カーン。カーン。
槌に打たれる度に赤熱した鋼が火花を散らす。
その火花が髪を焼こうと肌を焼こうとグドウは一切気にしない。
目を血走らせ、ただ機械的に鋼を打つ。
その鬼気迫る、狂気すら感じる様子に私は唾を飲みこんだ。
カーン。カーン。
「……俺を知りたいと言ったか」
グドウは手を休めることなく、ポツリと言った。
「ならば、昔話をしてやろう」
『ケンセイ』
鬱蒼とする深い森に覆われた山の中、切れた息を整えるために一度足を止める。
額に浮かんだ汗を袖で拭うと、私は大きく息を吐いた。
「……本当にこんな場所にいるのか?」
あまりの人気の無さに、意味が無いとわかっていても思わず独り言が口を突いてしまった。
私の名前は『ヘンシル』。記者だ。
悪に対して剣ではなくペンで戦う正義の敏腕記者、といいたいところだが、まだまだ駆け出しの若輩者。ネタを探して日々東奔西走している。
そんな私が何故こんな山の中にいるのかといえば、無論ネタのためだ。
私は独自の調査によって、ここに『鬼王』を討伐したという『幻の剣聖グドウ』が身を隠しているという情報を掴んだ。
グドウは謎の多い男である。出身は分かっているのだが、どこでどうやって剣の腕を身につけたのか、鬼王討伐後にどうして姿を消したのか、今まで一体何をしていたのか、全くと言っていいほど分かっていない。幻と言われるのも納得である。
そんな男の独占取材が出来るかもしれない。成功すれば、大金星の特大ネタだ。ちょっとやそっとで諦めるわけにはいかない。
私は気合を入れなおすと、再び足を前に踏み出した。
*
しばらく歩くと、少しばかり開けた場所に出る。
その猫の額ほどの平地に、山肌に沿うようにして粗雑なあばら家が一軒ポツンと建っていた。あばら家には煙突が備え付けられ、勢いよく煙を噴出している。ぱっと見廃墟にしか見えないが、今も誰かが使っているのは間違いない。
「……ここなのか?」
私は訝しく思いながらも、そのあばら家の戸を優しく叩いた。
「……」
反応はない。しかし、中からは何か金属を打ちつけるような音がずっと響いている。戸に手をかけてみた。鍵などは無さそうだ。
「失礼しま……っ!!」
戸を開けた私は思わずえずきそうになり、咄嗟に口元を手で覆った。すぐにハンカチを取り出して鼻と口に当てなおす。
凄まじい熱気。そして、臭い。これは……腐臭?
私の頭に危険信号が鳴り響く。同時に、特ダネの予感も。
「……誰だ」
奥から獣が唸るような低い声が響いてきた。
声の方に目を向けると、真っ赤な明かりにやせ細った男の背中がぼんやりと浮かんでいた。
カーン。
金属を打ち付ける甲高い音。飛び散る火花。
男は……槌を振るっていた。燃え盛る炉の前で槌を振るい、鋼を打ち、剣を作っているようだった。
家屋には炉の他に明かりと呼べるものはなく、辺りはとても暗い。
私は二歩、三歩とそろり近づき、ハンカチを口に当てたまま声をかける。
「わ、私は記者のヘンシルです。あなたは幻の剣聖と呼ばれるグドウさんですね?」
「……記者?」
グドウの黒目だけがギョロリとこちらを向いた。
炎に照らされたその目は血走り、異様にギラギラとしていた。
その目は、私に死を予感させた。
私が恐怖に萎縮して次の言葉を継げずにいると、グドウの視線はすぐに剣の方へと戻った。
「何をしにきた」
「しゅ、取材です!」
意を決して声を張り上げた。最早生きて帰ることが出来ない予感を私はヒシヒシと感じている。ならば、最後まで記者として生きていたい。その思いだけが、何とか恐怖を抑え込めた。
「あなたのことが知りたいのです! グドウさん!!」
「……」
グドウは応えず、しばらく槌を一心に振るう。
しかし、やがて、ポツリポツリと語り出した。
「俺を知りたいと言ったか。ならば、昔話をしてやろう」
私は固唾を飲んで、グドウの言葉を聞き逃さまいとする。
「俺は、とある鍛冶職人の弟子であった」
*
最強の武器とは何か。
その鍛冶職人は俺によくそう言った。
何者をも切り裂く剣か。
何よりも飛ぶ弓矢か。
全てを破壊する斧か。
俺にはよく分からなかった。どれもが最強と思えた。
すると、鍛冶職人はこう続けるのだ。
ならば、何者をも切り裂く剣を持った赤子が、おもちゃの剣を持った屈強な男に倒されたのなら、どちらが強い武器なのだ?
武器とは持ち手によって、発揮できる力が違う。その比較に意味は無い。
俺がそう言うと、鍛冶職人は怒りを滲ませて、怒鳴るのだ。
最強の武器とは、その武器を持った者が最強となるものでなければならぬ。例えそれが赤子だろうと、持ったらならばどんな相手にも負けることは許されぬ。
儂がこの手で作らんと欲すのは、そういうものだ。
鍛冶職人の腕は一流であったが、思想がどこか歪であった。
俺には理解できず、技術だけ学べれば良かった。
ある日、鍛冶職人が俺に一本の剣を差しだして、言った。
成したぞ、と。
*
「その剣を手に取った時、全てを理解した」
グドウの槌を振る腕が止まった。
「それは呪剣であった。強き血を只管に求める渇きの剣」
グドウがゆらりと立ち上がる。
「俺は鍛冶職人の首を刎ね、強きものを求め彷徨った。殺した。殺した。数え切れぬ」
グドウが振り向く。その目は狂気に淀んでいた。
「鬼の王は強かった。だが、殺した。どこにいるどこにいる。もっと強きものはどこに」
グドウは手近にあった錆びてボロボロの剣を手に取ると、それをこちらに向かって鋭く投げつけてきた。
「ひっ!」
恐怖に身が竦んでいた私は腰を抜かし、尻もちをつく。私は無事であった。投げられた剣は足元の床に刺さったのだ。
「た、助け」
「強きものはどこに……俺は気付いた」
グドウは私のことなど見ていなかった。熱に浮かれるように喋り続けている。
「探す必要などない。俺が作ればいい」
グドウが一歩踏み出す。
「師をも超える、呪剣を」
「ま、まさか」
「千人の血から鍛造する『千血刃』。貴様で千人目よ」
私は部屋の暗がりに目を凝らす。
そこにあったのは、死体。死体の山。腐臭の正体はこれだったのか。
あぁ……私はここで死ぬ。
そう確信した時、不思議と震えは止まった。
「さぁ、死ね。まだ見ぬ強者のために」
グドウが痩せ細った腕を振り上げると、その手がバキバキと歪に変形し、肘から先が異形の剣となる。
化け物。この男は剣聖などではない。剣に寄生され、生を支配された化け物……言わば『剣生』だ。
私はこの男の正体を世に知らしめなければならない。危険性を人々に伝えなければならない。抗え。戦え。戦ってここを脱出するんだ。
「うおぉぉぉぉ!!!!」
私は雄叫びを上げ、足元に刺さった剣の柄を握りしめた。
その時だった。
「手にしたな」
グドウの口角が、醜悪に歪んだ。
*
「千血刃は既に完成しておる」
「貴様が手にとった、それよ」
「どちらが最強の武器か、いざ、死合おうぞ」
*
「はははぁ!! 俺は、俺は師を超えたのだ!!! 俺は」
グシャッ。
何やら喚いていたグドウの頭を足で踏み潰す。四肢を失い、頭も砕かれれば流石に死んだようだ。
私は踵を返し、ふらふらと歩き出す。
「強き者はどこだ……強きものはどこにいる……」
この欲求のまま、私は殺戮を永遠に続けることだろう。
私は、人ではなく、血を欲する呪われた剣と成ったのだ。
【ケンセイ 終わり】