05.騒動に巻き込まれた人々
ユーフィニアの馬車に続き、パウエル家、ブランシェ家の馬車が列なりヴィラ・フロスコーストにやってきた。
館につくとユーフィニアは、エフィーたちを談話室へ通すように執事に言いつけて、自分は着替えてくると言って館の奥へと消えてしまう。
ユーフィニアに置き去りにされる形になったエフィー達だが、執事は顔色一つ変えず、穏やかな笑みを浮かべて談話室へ案内してくれた。
「ヴィラ・フロスコースト、何て素晴らしいの」
館に到着する前の馬車から見える景色から、イザラの気持ちは上がりっぱなしだ。談話室に通された今も興奮は冷める処か見事に頂点でキープされている。
「イザラ、少しは落ち着いて」
「落ち着けるものですか! 見て、この絵。ナディア・リッツァーよ」
壁に掛けられた宗教画に、イザラは胸の前で指を組み目を潤ませた。ナディア・リッツァーが描く宗教画は、その荘厳もさることながら所々に風刺が潜み、また芸術か卑猥かで意見が分かれる線を狙う遊び心もあって貴族のみに留まらず大衆にも人気の画家だ。
今は、何処かの王宮の天井画を引き受けたとかで向こう三年は新作が出ないと言われている。
絵の大きさから見て彼の評価が改まる前に描かれたものだろう。この館の装飾品を選んだ人間は、相当な審美眼を持っているようだと聞いてもいないのにイザラがエフィーたちに解説してくれた。
だが、それはイザラに解説されるまでもなくエフィーも感じている。
ユーフィニアの別荘たるフロスコーストの屋敷は、彼女の身分を体現したかのように美しく貴重な美術品が惜し気もなく飾られ、絨毯、扉、階段の彫刻、目に入る内装すべてが威圧感を与えないよう調和し上品さで巧く纏められていた。
なにより、随所に飾られた生花が清浄な空気と柔らかな香りを振り撒き、見る者の目を楽しませるだけでなく心も癒す。
神は細部に宿るというが、細かな気遣いそのものがユーフィニアの人となりを紹介しているように思える。
彼女に仕える人々は、自らの仕事に精進することで彼女の期待に応えているのだろう。
それほどまでに目下の者に慕われる人物がユーフィニア・ウルザリンなのだ。
「豪奢で頽廃的な宴会風景……。こっちは、デオデュデオ・スパーズの『逸楽と飽食の饗宴』だわ。ああ、素敵。本物を見ることができるだなんて」
イザラは完全なユーフィニア信者になってしまったらしい。婚約者が高価な調度品に触って壊しでもしたらとイザラの横で構えていたダリルも、彼女の熱量に圧されてかいつの間にか一緒になって美術品を観賞し、感動のため息を吐いている。
エフィーは用意されたハイグロウンティーのカップを手に取り、唇を濡らした。ユーフィニアのお気に入りだと給仕人が言い添えた林檎と薔薇の花のブレンドは、口に含めば薫りが清々しく広がり、舌にはほのかな甘さが残る絶品だった。
「心に染みるわ……」
緊張の糸が切れたのか、人心地ついたとばかりに零れた吐息に斜め向かいに腰掛けた男が笑いを堪える。笑気を感じたエフィーは思わず半目になってそちら側を睨めつけた。
「お兄様……」
「俺は冤罪だ」
小言が飛んでくる前に否定するライアンも今日の出来事は堪えたらしい。
「でも、なぜライアン様がリシャール殿下の側仕えみたいな事をなさっていたの? 」
一通り美術品の観賞が終わったのか、戻ってきたイザラがライアンが座る椅子の背凭れに肘をついて後ろから彼の顔を覗き込む。
一人掛け用の椅子だが、ゆったりとした造りのそれはドレスを召したご婦人が休んでも十分すぎる大きさで作られていた。
イザラが後ろから覗き込んでも肩や髪が触れ合うような近さではない。
とはいえ、良識で考えれば近すぎる距離なのだが。
「今日の朝、国務院に人を貸せと殿下がやってこられたんだ」
「それは……災難でしたわね」
気の毒そうにエフィーは眉を寄せた。それに対し、顔を伏せたイザラは表情こそ判らないが、笑いを堪えているのか肩が小刻みに揺れている。
国務院の建物のなかは、常に慌ただしく人が行き交う。
イザラの頭の中では、そんな場所に連絡もなくやって来た王子殿下が居丈高に人を貸せと言い放ち、その声を聞いた官僚達が呆れに顔を青くして、次いで、この忙しさが判らないかと怒りに震える光景が繰り広げられていた。
朝から騒々しいこと。と呟かれた声は、全員が聞こえなかった選択をする。貴人たちの耳は、都合で聴力が変わるのだ。
「他の方も皆様、国務院の方でしたの? 」
笑いを堪えることに必死なイザラを横目に、エフィーは顔に覚えのない側仕えたちを思い出しながら問う。
「いや、一人いればいいだろうと言われて俺だけ叩き出された」
事務官達の鬼の形相が容易に浮かぶ。ライアンを貸し出されただけで僥倖なのだが、リシャールは分かっていなさそうだとエフィーの隣に腰掛けたルネスは無言で眉を顰めた。
「それでルネス様は、どうしてユーフォリア様の護衛をなさっていたの? 」
漸く笑いがおさまったのか、今度はルネスに標的を移したイザラが問い掛ける。彼女は事前に、エフィーがルネスのエスコートでスズランの舞踏会に参加すると聞いていたからだ。
「一昨日、突然命じられた」
実直を人型に押し込めたらこうなりました。みたいな人物がルネス・エネロである。宮廷騎士として仕える彼は、外朝部分の警らと巡回連絡を主な任務とする王の私兵だ。宮廷学校は外朝で開かれているため、エフィーとも顔を会わせることは度々あった。
奥手と思われていた堅物も、稀代の才女の前では波に浚われる砂の城のように簡単に崩れ落ちたらしい。互いに気持ちを確かめ合うと瞬く間に婚約が纏まったそうだ。
「普段、宮殿の警らをしている人間が今日の舞踏会に配備されたら面倒だから手を回したのかしらね」
リシャールが書面に認めていたエフィーの罪とやらを想像してイザラは首を傾ける。顎にあてられた二本の指は艶っぽく、反する少女らしい仕草と交わると形容しがたい色気を感じさせた。
「放っておいてもルネスは休暇を取っていたのに?」
他の宮廷騎士たちがどうかは知らないが、少なくとも将来義弟となる彼は妹とスズランの祭りを楽しむ予定だった筈だとライアンは鼻を膨らます。
「休みを取っている人間を態々仕事に駆り出す意味が私には判らないのだが」
くだけた態度のイザラに手を伸ばし、ダリルは婚約者を長椅子の背凭れから引き離した。
言外に令嬢らしくない振る舞いだと伝えられたイザラは、大仰に肩を竦めてみせ。
「あらやだ、ダリル。誰がいつ警備について、何時がお休みかを調べるような人が、あんな場所で、しかも相手を間違えて、更に婚姻解消ではなく婚約破棄とか言い出すわけないですわ」
と、高笑いが続きそうな表情で告げた。
「目も当てられない」
頭痛を覚えたダリルは、片手で眉間のシワを伸ばしながら空いた方の腕を広げイザラをその中へ迎え入れる。
「イザラにかかると、身も蓋もないわね」
エフィーは、ため息混じりにお茶を飲み。
「しかも、連れてきたのは見当違いの法律屋だ」
ルネスが繋ぎ。
「婚姻は、未だ聖主座府の領分だからね」
ライアンが斬って棄てた。
国務院の仕事は、統治の根本規範と行政に関する法の権限を調えること。であり、簡潔に表すなら『法律を作る』ことが仕事だ。
神によって導かれる婚姻は、今も昔も聖職者が裁量権を持つので彼らの範疇にはない。
人と国の法律屋を神に対して持ち出してどうする。と、いうのが目下の共通認識である。
一周回って疲れがぶり返し、各自が胃の腑ごと吐き出しそうなため息を吐いた頃、重い空気を払うような涼やかな声が響いた。
「お待たせしてしまって、ごめんなさい」
この場にいる誰より身分の高いユーフィニアの登場に、エフィー達は立ち上がると姿勢を正し、貴き身の上の方に対する礼を行う。
談話室に姿を見せたユーフィニアは、厳格が突き抜けて恐怖を抱かせる化粧は落とし、春の花の色でまとめた薄化粧にスレンダーラインの簡素なドレスを着ていた。社交用ではなく室内着として仕立てたものらしく余計な装飾のないミルキーオパールの清楚なドレスは、スカートの膨らみも最小限で身のこなしも軽やかだ。
ルーズな束カールで片側に寄せられた髪には、最近砂の国からやって来たと話題のジャスミンの花が飾られている。
「ああ。畏まらないで、座って楽にして頂戴」
ルネスが部屋の角へと下がろうとしたが、ユーフィニアが軽く指先で制した。
「それと、ルネス・エネロ。貴方の任を解きます」
エフィーの顔色が変わった。ルネスも分かりにくいが元々の仏頂面が更に強張ったように見えるので動揺しているようだ。
「誤解しないで。貴方は今からお客様よ」
「しかし」
「そこの、ええと……エフィー」
「ブランシェ。エルフリーデ・“エフィー”・ブランシェです」
エフィーに揃えた五指を向け、なにかを思い出そうとするように目を細めるユーフィニアに、エフィーは慌てて名乗りをあげた。
フロスコーストへと向かう馬車に乗り込む前、ユーフィニアは全員の名前を確認していたが、とにかく急いでいたので何処かで取り落としてしまったのだろう。
「そう、エフィー・ブランシェ。エフィー嬢の婚約者として貴方は此処に招待されたの。いいわね」
有無を言わせぬ眼力で、ユーフィニアはルネスを封じ込めた。
「今、皆様のお部屋を用意しておりますわ。今日はどうか泊まっていらして」
このお菓子美味しいわよ、どうか召し上がってみて。くらいの気軽さでユーフィニアが告げた言葉は、ほんの数刻前に知り合ったばかりの相手に言う台詞ではない。
物怖じしない性格のイザラもこれには目を白黒させた。
「ユーフォリア様、豪快すぎ」
「誉めていただいたのかしら?」
ふふ。と、楽しそうに笑ってユーフィニアは、綿花が詰め込まれた布張りの豪奢な椅子に腰を下ろす。
「落ち着かないわ。座って」
寛ぐように肘おきに身を凭せかけ、立ったまま自分を見やる相手にユーフィニアは手を横に振って座れと促した。
ひらひらと白魚のような手が、宙を游ぐようによく動く。まるで彼女の感情と連動しているようだとエフィーはぼんやり考えながら長椅子に腰を下ろした。イザラとダリルはエフィーの正面へと移動し、空いている長椅子に座る。次にライアンが。最後にルネスが腰を下ろし、全員が着席した。
「さぁ、これでゆっくりお話しできるわね」
ユーフィニアは、満足気に微笑む。彼女は、一体何が起こってあの様な騒動になったのか、その経緯をエフィーやイザラの口から聞きたかったのだ。
“ユーフォリア”と“ユーフィニア”が混在している為、混乱を招いてしまい申し訳ございません。
ユーフォリア・オブ・アーサリングとユーフィニア・ウルザリンは同一人物の為、作中で時にユーフィニアだったり、ユーフォリアだったりしておりますが誤字では御座いません。
英語だとアーサリングになるUrsaringがドイツ語だと綴りは全く同じでウルザリンとなるのが面白くて始めた物語のため面倒くさいことになっております。
スルーっと流して頂けると助かります。
何卒、宜しくお願い致します。




