04.騒動の失念された重要事項
ケイデン王国とは、とても面倒くさい歴史をもつ国だ。
王国の前身となるカイデン王国成立時より王族による分割相続が行われていたため、国内は常に分裂状態。内戦が続いているのが当たり前で、統一されていることの方が珍しい国であった。
その面倒くさい国を短い間であるが最後に統一したのが、当時強力な支配権を有したニコラスⅡ世ことニコラス・エドマンド・ティリ・ロメール。ロメール朝、最後の王である。
平安は長くは続かないもの。とは、よく言ったものでニコラスⅡ世が没すると、国は三人の息子たちによって再び分割された。
長兄が西カイデン、次兄が東カイデン、末弟が中カイデンの領主といった具合だ。
この時、中カイデンは『妥当な分割』であった筈の遺領で数合わせのような寄せ集めの地域を相続させられることとなる。統治は困難を極め、それは新たな火種となり燃え上がるのにさほど時間はかからなかった。
そして、三勢力の間で同盟と離反を繰り返す激しい権力闘争が始まる。
カイデンは、北にノルド海を臨み、南にベルーシャ帝国、東はニューヴェッティン王国に面した国だ。ベルーシャとは常に国境を争い、ニューラヴェッティンからは幾つかの支配地を略奪している。そんな決して友好とは言えない関係の二つの国が、東カイデンと中カイデンに干渉する動きを見せた。これに慌てたのは、北をノルド海、西南を天然の要塞とも言える岩山に囲まれた立地的には一番安全と思われる西カイデンであった。
安全だからこそ、この闘争の果てに損なわれる利益に目がいったのだろう。
更なる争いの激化を怖れた長兄は、聖主座府と各分国の有力諸侯に仲介を求めた。これが後に聖主座府の支配力を高める事となるのだが、この時は漁夫の利を獲ようとする他国を排除することにのみ注力してしまった。
和約が結ばれて三度冬が巡る前に次兄が病没し、四度目の春を迎えて間もなく南の国境を安定させた末弟も天の宮城へと旅立った。
西カイデンはロシュウォール王国、東カイデンはアウーロ王国と名前を変え、中カイデンはケイデン王国と名を改めた。
生前のニコラスⅡ世から公領地を与えられ、ドゥール公となっていたトマがドゥール朝を開きケイデンとしての新しい歴史が始まるのだが万物が凡て巧くいくとは限らず、トマから数えて三代目のジャン・ユノーの時代に継承戦争が勃発する。
バロータ伯ルイード・アンリ・マルノーが、異母弟であるジャン・ユノーを倒し王位に就いた。
ルイードは息子たちの婚姻外交やロシュウォール王室の内部抗争を利用して王権を強化していく。
時は流れ、カルロⅡ世が嗣子をもうけることなく没したことによりマルノー朝が断絶し、ジャン・ユノーの玄孫であるヴァローナ伯ジェローム・ユーグがケイデン王に選ばれて即位した。ユーグ朝の始まりである。
しかし、血筋としては正統でも度重なる権力抗争で支配力は衰退しており、ユーグ朝はヴァローナ周辺を抑えるのみで王としての権威の他には権力をもたなかった。
各地にはその土地土地の統治を行う伯と呼ばれる諸侯たちが割拠しており、再び王位を目指しての争いが起こるのではと危惧されたが、それを納めたのがウルザリン公である。
アウーロ王国の先王の外戚であるウルザリン公ウィリスが後見人となることで王権の安定をはかったのだ。
ウィリスが没するとユーグ朝は後ろ楯を失うこととなったが、彼は偉大なる遺産をユーグ朝に残していった。
ユーグ朝が開かれてから五〇年と少し。時の王はジェロームの孫のストレインへと代替わりし、ストレインが即位してから十二年が過ぎている。
この間に様々なことが起こったが、一番は聖主座府との権力争いだろう。
少し前まで聖主座府は、王家や貴族たちより強大な力を持っていた。
結婚相手を決めるのは聖主座府であり、聖主座府に益のある采配で婚姻がなされていたのだ。それが二〇年ほど前、当時の首座教父が生まれてまもない赤子を花嫁とするのは問題があると発言した。
倫理観的に首座教父の主張は正しい。しかし、これはこれで貴族たちには不都合が起こった。
婚約発表から婚姻までの猶予は二週間。この間に不当を訴えるものは証を揃えて聖主座府に訴えでなければならない。
赤ん坊ならば、異議申し立てが発生するような一切のリスクを伴わないのだ。
聖主座府の都合、貴族の都合、市井の論調。
それから五年後、婚約を結ぶのは十歳を過ぎてからと正式に聖主座府が定め、幼い場合は成人するまでは親元で養育されるべしと添えられた。
この律が正式に効力を発揮する前に、律に賛同しかねる聖主座府の一派の元で貴族達が駆け込みで婚約を行ったことは有名な話だ。
その後も幾度となく婚姻について話し合われ、婚約から成婚までの日数が撤廃されたのは、今から一〇年前である。
リシャール・“リック”・マコーレ・ユーグとユーフィニア・“エフィー”・ウルザリンは共に十八才。
これらの定めが決まる前に結ばれた婚約であり、彼らは一才に満たない年齢で夫婦になった当時ではごく一般的な貴族の婚姻である。