03.騒動の着地点
「三年ぶりだというのに、相変わらず光華の花嫁の格好か。子供の頃から変わらないな」
「アウーロでは、すべてを慈しむ光華の花嫁が至高の存在ですから。わたくしの憧れであり理想の姿ですわ」
スレンダーラインのドレスを纏うエフィー達とは違い純白のマーメイドラインドレスのユーフィニアは、まさに天の伴侶に選ばれた光の花のようであった。
光華の花嫁の特徴でもあるドレスと色を揃えたエナンは、左右に張り出すように結われた髪をウィンプルで隠したスタイルだ。髪だけではなく顎や首も隠しているため、彼女を更に人ではならざる存在へと引き上げている。
五歳の頃から年に一度、スズランの日にユーフィニアは光華の花嫁を模したドレスを纏ってリシャールに会いに来た。
ケイデンの光の乙女と違い隣国アウーロの光華の花嫁は、人々を見守り、人が不正を働いた時にはこれを断罪するとされる神の配偶者、天の花嫁と同一視され人間味がない。
修道女のように髪を隠し、肌が出ているのは仮面のような顔だけの白い生き物。唯一出ている顔ですら眉を塗り潰した白塗りで、唇にひとつ指の腹で推された紅だけが赤い。恐怖した幼いリシャールは、初めてユーフィニアと顔を会わせた日から発熱し、しばらくの間寝込んだほどだ。
リシャールにとって彼女は恐怖そのもの。
成人を迎えた今も幼き頃感じた圧迫感が抜けず、ユーフィニアは苦手であった。
そのユーフィニアが何を考えてかエフィーを背中に庇うようにリシャールとエフィーの間に割って入る。彼女に従う騎士も自然とエフィーを庇うように側に立った。
「何の真似だ。ユーフォリア」
「あら。此処が舞台の中心では御座いませんの? 」
ユーフィニアは今日で成人を迎える。
女公として威厳を増した相手に一瞬たじろぐも、自分の胸にすがるクリスティーナに気を取り直しリシャールは半歩前に出た。
「控えたまえ。今、私は秩序と規律についての話をしている」
「聞こえてきましたのは、もっと幼稚なお話だった気がしますわ」
「ユーフォリア! 」
リシャールと対等に言葉を交わすユーフィニアの存在に、クリスティーナの顔色がどんどん悪くなっていく。
彼女にとっては早々に決着し、今頃は優雅にリシャールとダンスを楽しんでいる予定だったのだろう。
「婚約破棄、とか」
フッとユーフィニアの口角が弓形に引き上がった。
「ハッ」
短く息を叩きつけるように笑ったリシャールは、ユーフィニアを通り越しエフィーへと視線を向ける。
「真実の愛を見つけたのだ。ろくに私に会いに来ないエフィー・ウルザリンより、常に私を気遣い身を尽くそうとするクリスティーナ・アムリ嬢の想いに報いたい」
「まぁ、素敵ですわね」
ユーフィニアの相づちにホールの室温が三度は下がった。
「ならば、関係解消と参りましょう」
「ユーフォリア? 」
優美で高潔な淑女は、敗けを知らない聖騎士の如く凛々しくエフィーの盾となってリシャールの前に立つ。
「スズランの舞踏会には、聖主座の方々が招かれていることをご存知ですわね」
ユーフィニアの指摘に、ホールにいた招待客の視線が今度は来賓席へと向いた。
教区長たる聖教父と二名の補佐教父は、常と変わぬ穏やかな笑みで自分達に向けられた視線を受け止める。数多の視線を向けられても聖職者たる彼らが動揺を見せることはなかった。
「其処の貴方」
物見遊山で留まったのか、果たして逃げ遅れたのか。ユーフィニアは付き従う自分の従者ではなく、ことのなり行きを見守っていた貴人を扇で指した。
「彼の者から『不実の証』を受け取り、ヴァローナ教区長ウェズリー聖教父にお渡しになって下さるかしら」
ユーフィニアに指名された男性は、明らかに彼女より年上だった。しかし、彼はひたすら顔を青くするだけでユーフィニアに抗言しようとはしない。
婚約や婚姻は、神の声を聞くものたちの領分である。
頷くことで給ったと言外に伝え、側仕えから書類箱を受け取ると貴人は貴賓席へと足を進めた。
教父たちは席を立って書類箱の到着を待ち、ホールに居合わせてしまった人々は息を詰め成り行きを見守る。
ユーフィニアは、公平性から第三者に託した。
王子が愚行に気付き、書類箱が教父の手に渡る前に阻んだなら――。
「確かに。受け取りました」
しかし、当人達以外が望んだ未来の選択はやって来なかった。
差し出された書類箱を補佐教父が受け取り、届けてくれた貴人へ聖教父が労りの言葉をかけている。
貴人は千々に乱れる感情を一本に引き結んだ唇に押し込め、教父らに礼をとると貴賓席から下がった。
「それでは、我々は此れより教管区に戻ると致しましょう。本日は『幸運をもたらすスズランの日』でございます。歌い、踊り、冬から目覚めた喜びを語らいましょう」
常ならば。
それなりの長さとなる祝辞が、一瞬で消化される。彼らは一刻も早く聖主座府へと向かいたいようだ。リシャールが何かを告げる前に早々に背を向け去ってしまう。
「なん……なのだ」
何もかもが、リシャールが想い描いていた展開と異なっていた。いや、望み通り婚約は破棄されるだろう。そこは予定通りだ。
なのに、何故か胃の腑に鉛を流し込まれたような重さを感じる。
唯一、変わらないのは腕に抱いた愛しい人の温もりだけ。
リシャールは、漠然とした不安に表情を固めた。
「それでは、わたくし達も失礼いたしますわ」
「待て、ユーフォリア」
用は済んだと言わんばかりに、聖職者達同様さっさと背を向けようとするユーフィニアをリシャールは呼び止める。
「ああ、殿下。ご多幸をお祈りさせていただきますわ」
漠然とした不安の原因を探りたい。そんなリシャールの思惑など知るはずもないユーフィニアが口にしたのは、やはり彼の欲しい言葉ではなかった。
「真実の愛、よい言葉ですわね」
「あ、ああ」
「でも代償と秤に掛ければどうでしょう」
「何を言っている」
「真実の愛とは重いもの、という話ですわ」
白い羽で作られた扇で白面の唯一紅く色付いた唇を隠し笑う。
愉しそうでもなく、腹立たしそうでもなく、蔑むわけでもなく、憐れむわけでもなく。
彼女の心は、天上の者になってしまったのではないかと錯覚するほどに感情の読み取れない笑いだった。
「それでも、愛してしまったのです」
到底敵わないと本能で嗅ぎ分けた相手ではなく、最初からの目的であるエフィーを睨み付ける。
「貴女より、私の方がリック様を愛しているわ!」
クリスティーナの声に、ホールの何処かでまた誰かが倒れる音がした。
「私と比べたら、そう……ですね」
視線で射殺さんとばかりに見つめてくるクリスティーナに、エフィーは身を強張らせながら頷き同意を示す。彼女は元からリシャールを愛してなどいないのだから当然だ。
「婚約破棄を受け入れるのだな、エフィー」
言質を取ったとリシャールの顔が輝く。
「受け入れるもなにも……」
既に書類箱は、回収されてしまっている。しかも、教区長達の目前で自らの裏切り行為を喧伝されたのだ。関係解消が覆ることはないだろう。
「去った心は戻りませんわ」
更にエフィーに詰問しそうなリシャールをユーフィニアが遮った。
「よい人生をお過ごし下さい」
ユーフィニアは今度こそ、この舞台から降りるためにリシャール達に背を向ける。
ユーフィニアが振り返ったことで彼女と目が合ったエフィーは、小さく息を呑み大きく肩を跳ねさせた。そこまで驚かせる気はなかったユーフィニアだが、彼女自身、この姿の自分を鏡で見ると三日は夢に出るほどだ。不可抗力とはいえ、重なりあった災難に申し訳無い気持ちになってユーフィニアはエフィーに声を掛けた。
「災難でしたわね。どうぞ、このままわたくしのヴィラにいらして」
勝手に退場しても構わないが、この場に残されるエフィー達の立場が気まずくなるのは気分が悪い。
それに昨朝突然、自分の護衛騎士に任じられた彼の彼女を見つめる心配そうな瞳を見れば、彼の苦難の一日を早々に締めて差し上げるのも悪くはないだろう。そう思ったのだ。
「え。いや、ですが」
戸惑い焦り、慌てる姿は随分と可愛らしいと、好感でユーフィニアの目が細くなる。
『生きる学堂』などと渾名されていると護衛騎士は言っていたが、貴族の謀には向いていない純真さだ。
ここでユーフィニアに取り入るくらいの強靭さがなければ生き残れないだろう。いや、この欲目のなさが彼女にない強さをもつ人間を彼女の周りに集めるのか。
臆するエフィーとは反対に、強い目力を自分に向ける令嬢にユーフィニアは顔を向けた。
「そちらのお友達の方もご一緒に。ここに残っておられても仕方がありませんもの、ね? 」
たおやかに笑う。まるで妖精のような無邪気で魅力的なユーフィニアの笑顔に、イザラを含め彼女の笑顔を見ることが出来た貴人達は一瞬で心を掴まれた。
一見仮面のように見える不気味な白塗りであったからこそ、人間らしく表情が動いたことで、それまでの拒絶が好感へと転換する。
人心掌握の手本のような鮮やかな笑顔であった。
「ユーフォリア様……っ」
「イザラ?!」
恋に落ちたかのような熱い呟きを隣で溢したイザラに、エフィーが目を剥く。イザラの婚約者であるダリルも彼女の肩を抱いた状態で驚きに目を丸めていた。
「さぁ、行くわよ。エフィー」
イザラはすっかりユーフィニアに付いていく気でいるらしく友人を急かした。生命力溢れる彼女は無意識に人の善意をかぎ分けるらしい。淑女と言えないお転婆な面もあるが、人の心の含みに敏感なのは優秀だ。
「え、でも」
周囲を気にするエフィーは、このような幕切れでいいのかと心が落ち着かずイザラとは対照的に腰が退けている。エフィーの心情を透かすかのように瞳が忙しなく動くのを見て、ユーフィニアは彼女を案ずる自分の護衛騎士に命じた。
「ルネス・エネロ。エフィー嬢のエスコートを」
「承知」
即答するとルネスは、エフィーに対し迷うことなく傅き、彼女の顔を見上げる。
「お手をどうぞ、光の乙女」
恭しく右手を差し出したルネスに、エフィーは一瞬躊躇するも慣れた仕草で彼の指先に自分のそれを乗せた。
エフィーをエスコートする権利が認められたルネスは、立ち上がるとリシャール達を振り返る。
「ライアン・ブランシェ。お前も行くぞ」
青い顔からほぼ白に色を変えていたライアンが、ルネスに呼ばれたことで息を吹き返す。
「此れにて」
リシャールに辞する意思を伝えるとライアンは、主人は誰だと問われそうな早さでエフィーへと駆け寄った。
「すまなかった。エフィー」
「お話は後で伺います」
ライアンが合流し、ユーフィニアはこれで全員かといった視線をルネスに送る。
思慮深い青い瞳にルネスは頷き返した。
「では、参りましょう。真実の愛を前に敗れた我々は潔く敗走致しますわ。皆様もご機嫌よう」
再び、幾人かの貴人が失神し倒れる音を背に、花嫁達は天楽の園へ向け逃走する――――。