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前編

ご都合主義っぽい作品や、童話や寓話のような作風が苦手な方は合わない作品なので、お読みにならないようご注意下さい。










「嘘……」


 呟きとともに持っていた新聞が音をたて落ちたが、誰も拾おうとしなかった。

 その新聞の一面には『魔王を封印した勇者と聖女が結婚を発表‼』と、大々的な見出しの記事が掲載されていた。その勇者とは、私の婚約者だ……。


◇◇◇◇◇


「天啓を受けた。魔王を封印できる勇者が、そなたである!」


 あの日、国王の使者を名乗る神官が村を訪れて来たと思うと、幼なじみであり恋人であったアルコへ近づくと、急にそんなことを言った。言われたアルコは面食らい、鍬を持つ手の動きが止まった。

 本人は親の農業を手伝っており、これまで一度も剣を握ったことがないので否定したが、神官はお告げに間違いはないと言い張り、彼は無理やり王都へ連れて行かされることになった。

 アルコは戸惑いながら馬車に乗りこみ、無理やり作った笑顔で窓から顔を出す。


「なにかの間違いだろうから、すぐに帰って来るよ」


 そう言ったのにアルコは、王城の庭にある岩に刺された勇者の剣を抜くことができた。その剣は勇者にしか抜けないと言い伝えられており、これまでどんな猛者が挑んでも抜けなかった。それをアルコは片手で柄を握ると、あっさり抜いたそうだ。


「やはりそなたこそ勇者!」


 そんな出来事があり、帰れなくなったことを手紙で詫びられたので、人間を食い物にする魔物を生み出す魔王を封印できるのは、あなたしかいないと神が告げている。だから頑張って。だけど必ず生きて帰ってきて、と手紙を返した。


 魔王は勇者が神より人間に与えられた剣で心臓を貫くことで、その力を剣が吸い取る。そして力を奪われた魔王は殻に覆われ封印される。しかし魔王は殻のような物体に覆われた中で、眠りながら力をゆっくり回復させ復活する。

 百年単位で復活する魔王は、私たちが生きるこの時代に目覚めると、人間を食らう魔物を生み出し始めた。人間はいつ襲われ食い殺されるか分からぬ恐怖中で生きている。


 人間を救う者として神に選ばれたのなら、それは神より与えられた使命。本音は辛く嫌だったが、現実を受け入れるしかなかった。


 それから私たちは何度も手紙をやり取りした。離れて暮らす私たちには、これしかお互いを繋げる手段がなかった。

 魔法道具を使えば遠隔通信も可能だが、それはとても値が張る道具なので、田舎暮らしの私には手の出せる代物ではない。もちろん他の村人も持っていない。


 新聞でアルコたち勇者一行が魔物を倒し勝利した記事を読み、命に別状がないと知り安心する日々。

 いくら神に選ばれた勇者とはいえ、絶対魔王たちに勝てる訳ではない。歴史上、何人もの選ばれた勇者が魔王へたどり着く前に命を落としたことがある。魔王に近づくほど敵も守りを固めるのか、より強敵となる。つまり敵を倒し進むたび危険は増す。

 時々アルコが大怪我を負い、癒し魔法を得意とする聖女により命が助かった記事を読むと、心配で心が張り裂けそうになり、今すぐ彼のもとへ駆けつけたい衝動にかられた。だけどなんの力も持たない私が行っても足手まといになるだけ……。だから……。



「神様、どうかアルコに力を……。魔王を封印し、無事にアルコが村へ生きて帰ってこられますように……」



 毎日教会で祈りを捧げた。


 勇者として旅立って間もなくの頃、一度アルコたちが村へやって来た。近くで魔物を倒したついでに皆の顔を見たくなり、無理を言って帰省したと笑顔で話すアルコの体には、傷痕がたくさんあった。どれだけ危険な旅なのかそれで分かり、恋人なのに心配しかできない自分が情けなくなった。


 彼の仲間は癒しと防御魔法担当の聖女マレン。魔法全般を得意……、ただし癒し魔法を不得手とする魔法使いアンディ。二人に比べると劣るが魔法が使える剣士のヴァール。体術と剣術を得意とするセゲイラの四人。各々神から与えられた力や武器を使い、日々魔物と戦っている。


「へえ、君がアルコの彼女か。噂はいつも聞いているよ」


 どうやら気さくな性格らしく、人懐こい笑顔でアンディは握手を求めてきた。マレンも私たちを見て『お似合いですね』と笑顔で言ってくるので、ありがとうと返す。

 だけど気がついた、マレンの笑顔が本心でないと。そして彼を見つめる視線から、彼女はアルコに恋をしていると。そんな人と一緒に旅をしていて心変わりされないかと不安になる。

 なにしろマレンはふんわりと柔らかいウエーブのかかった金髪に、丸く可愛らしいピンク色の瞳。長いまつ毛は上向きで、目を大きくぱっちりと引き立たせている。肌は色白でなにかあるたび、そっと頬が紅く染まる。可愛い女の子で、唇も小さく柔らかそう。守ってあげたい、そう思わせる人物だから。

 実際五人の中で一番年下の彼女の世話を、ヴァールとセゲイラがなにかと自ら買って出ている。その様子は少々過保護にも思えた。


「マレン、なにが食べたい? 取ってくるよ」

「飲み物は足りている?」


 まるで小さな子どもを甘やかすような二人の言動に、マレンは当たり前のようにあれこれお願いしている。三人にとってはこれが普通らしいが、少し異常にも見えた。


 たった一日だけの帰省、その晩……。


「こうやってイリスと夜空を眺めるのも久しぶりだ。やっぱり村は落ちつくよ」


 そう言うと村を発つ前によく行っていたようにアルコは、私の膝の上に頭を乗せ横になる。


「……こうやって満天の夜空を眺めていると、人間を食らう魔物が存在しているなんて信じられないのに……」


 私は呟くと彼の髪の毛をそっとなでる。

 何度戦ったのだろう。何度敵に傷つけられたのだろう。こんなに傷痕を残し、魔王を封印せよという、人々の願いという重圧を抱え……。負けることも、逃げることも許されず……。


「? どうした、なぜ泣くんだ?」


 ぽたり。自然と涙が落ち、それがアルコの頬に当たると彼は飛び起きた。


「だって……。私はいつも……。遠く離れた場所から、あなたの心配しか、できない……。無事を祈るしか、できない……。一緒に旅をして、戦える力が、あれば……」

「君は戦わなくていいんだよ! いや、誰も魔物と戦わなくていいよう、僕らが頑張っているんだから!」

「それよ! なぜあなたたちだけ頑張らなくてはならないの⁉ こんなに傷を負って……。負けを許されなくて……」

「……そうだな、なんで僕が選ばれたんだろう……。僕にも分からない。だけど……」


 ぎゅっと彼が抱きしめてくる。


「僕が戦うことで君の命が守れていると思えば、誇らしい気分になる。だから一日でも早く魔王を封印して村へ帰ってくるよ。そうしたら……」


 一度身を離すと、私の左手に指輪を嵌めてくれる。



「結婚しよう」



 私は泣きながら何度も頷いた。


「約束よ、絶対よ? だから必ず帰ってきてね」

「ああ、必ず」


 それから夜も遅いというのに、二人で待ちきれないと言わんばかりに双方の両親へ、全てが終われば結婚すると報告した。私も彼の両親も喜んでくれ、翌日アルコたちが出立する頃には、私たちが婚約したと村中に知れ渡っていた。


「浮気するなよ、アルコ!」

「するわけないだろ。お前たちこそイリスにちょっかいを出すなよ?」

「いいや、お前が負け死んだらイリスは俺がもらう。そうならないよう、頑張れよ」


 友人たちにからかわれながら、アルコたちは再び魔王討伐の旅へ出発した。

 しばらくするとより危険な地帯に入ったからか、彼からの手紙は届かなくなった。私は手紙をしばらくの間は書き続けたが、彼に届いているかは定かではないので、途中で止めてしまった。だからせめてもと毎日教会へ通い、無事を祈ることは止めなかった。


 それから数か月後、魔王が倒された一報を新聞で読んだ時は喜んだ。

 アルコが勝った! それに全員無事だと書かれており、神に感謝した。魔物を生み出す魔王が封印された世界で、私はアルコの帰りを待った。

 それなのに……。なんの連絡もなく、アルコとマレンが結婚すると新聞で知り……。



 世界から音が消えた。



「本当にすまない! どういうことか直接息子に確かめてくる‼」


 二人が結婚すると発表された記事が掲載されるなり、アルコの両親が私たち家族に土下座して詫びると、急いで王都へ出立した。アルコたちは今、その功績を国王に称えられるため王都に在留している。


「イリスはどんな様子だい……?」


 村の皆は直接家の戸を叩くことはないが、一歩家族が外へ出ると、誰もが私の様子を心配し、おずおずと尋ねる声が聞こえてくる。


「信じられねえ! あいつが‼ 約束を破るような奴じゃなかったのに! なんで変わっちまったんだ!」


 弟は連日報道される勇者一行の記事が書かれた新聞をビリビリに破いては、暖炉に放りこむ。

 今日は国王が二人の結婚について発表した言葉が掲載されていた。やれ喜ばしい。やれめでたい。やれお似合いだ。満面の笑みを浮かべている国王の写真に、憎しみが湧いた。


 私は抜け殻のようにぼんやりなにもせず、部屋の片隅で壁にもたれ座りこむ日が続く。


 なぜ……? なんで……? こんなのアルコらしくない……。許せない……! 嫌だ……。どうして……?


 くるくる変化する感情。しかし一度も二人を祝う気持ちは浮かばない。


 王都にアルコの両親が到達するかしないかというタイミングで、新たな新聞が流れてきた。

 そこにはアルコとマレンが入籍を済ませ、結婚式を挙げ夫婦になったという記事が掲載されていた。


「引っ越そう。ここは勇者の産まれ育った村だと、よそからの来訪者が増えた。いずれお前のことも知られるだろう。そうすれば辛い思いをするのは……」


 父の提案にただ頷いた。

 なにも考えられなかった。なにが正解なのか分からない。指輪を嵌めたまま、くるくると灰色でありながら、光を浴びると角度により、青や緑といった虹色に輝く石が埋まった指輪を見つめながら回す。

 そんな小さな宝石が埋められた、彼とお揃いの指輪。星空の下で、互いが互いの指に嵌め……。私の指輪はサイズが合っていなくて、少しぶかぶか。落ちない程度だけれど、指輪を贈ってくれ結婚を申しこまれたことがとにかく嬉しかった。

 あの時は嬉しくて、こんな未来は想像していなかった。


 引っ越し先を誰にも告げず、まるで夜逃げのように家族で家を出る。最後に指輪を外し、去る家の床の上に投げた。


◇◇◇◇◇


「ふざけるな‼」


 再会するなり挨拶もなく父さんは殴ってきた。


「お前……! イリスと結婚の約束をしておきながら‼」


 殴られた拍子に尻餅をついた僕は俯いた。じんじんと頬の痛みを感じながら、小さな声でぼそぼそと答える。


「だって……。仕方ないじゃないか……」

「なにが仕方ないだ! 立て‼」


 胸倉を掴まれ、無理やり立たされる。力をなくしている僕はだらん、と両腕を下げ父さんの目から背けるよう、視線を下に落としたまま。


「や、止めて下さい、お義父様‼」


 結婚式を終えたばかりで花嫁衣裳のままのマレンが叫ぶと、ぎろりと父さんは彼女を睨んだ。


「魔王を封印してくれたことに感謝はしている。だがお前に父親呼ばわりされる言われはない! 勝手に入籍しおって!」


 一日でも早くとマレンに急かされ、結局双方の両親を招待しないまま入籍を済ませ結婚式を挙げた。誰からの祝福も必要なかったから、マレンの言葉に従った。そう、僕にとってはどうでもいい結婚なのだから。

 魔王を封印し、王都へ帰る途中であの話を聞いた日から今日まで、マレンに言われるまま流されるまま。それはこれからも変わらないだろう。彼女のいない世界など、僕にとって無意味なのだから。


「イリスの気持ちを考えたのか⁉ あの子は……!」

「止めて‼」


 急に焦ったようにマレンが叫ぶ。


「お前がこいつと結婚すると知り、廃人のようになっていたぞ‼」

「止めてぇぇぇぇ‼」


 父さんとマレンの叫び声が重なり、思考が一瞬止まるがすぐに動き出す。


 ……え……?

 ……父さんは、なんて言った?


「え? どういう……。イリスは、死んだんじゃ……?」


 胸倉を掴まれたまま顔を上げ、少し力を取り戻した目を向け尋ねれば、母さんがなにを言っていると声をあげる。


「あの子が死んだ? なに馬鹿なことを言っているんだい。村であんたの帰りを待ち続け、毎日教会であんたの無事を祈っていたともさ。それなのにあんたときたら、なんの知らせもなく別の女と結婚すると決め、それをあの子は新聞で知って……。どれだけあの子が憔悴していると思っているんだい? あたしゃあ息子をこんな形で人を裏切るような人間に育てた覚えはないよ!」

「しかも入籍まで済ませおって!」

「ああ、あの子にどう言おう……。あたしゃあ、あの一家に会わせる顔がないよ……」

「え? でも、だって……」


 驚いてマレンを見る。騒ぎを聞きつけ、唯一挙式に立ち会った仲間たちが何事か目で会話を交わしている。

 父さんも様子がおかしいと気がついたらしく、胸倉から手を離す。


「……ちょっと待て。まさかお前、イリスが死んだと思っているのか?」


 ゆっくりと頷く。だって仲間からそう伝えられたのだから。


「生きているぞ⁉ あの子は死んじゃいない! 生きてずっとお前の帰りを待っている‼」


 イリスが死んだと聞かされた日から鈍くなっていた頭が、急に冴えてくる。ゆっくりと仲間と呼んでいた四人を見渡すと歩き出し、スピードを上げる。



「嘘をついたのか⁉」



 今度は僕がマレンの胸倉を掴み、そのまま勢いで背中を壁に押し当てた。その拍子にレースの生地でも破れたのか、ぶちぶちと音が鳴ったが関係ない。小柄な体を持ち上げるよう、力をこめる。


「魔法で連絡があり、イリスが魔物に食われて死んだと言ったのはお前だったよな⁉ 嘘だったのか⁉ 僕は魔法が使えないし、村に通信機がないことを知っていて……! それで騙したのか⁉」

「落ちついて、アルコ!」


 マレンの親友ともいえるヴァールが間に入り、僕たちを引き離そうとする。


「お前も知っていたのか⁉」


 叫ぶとヴァールは動きを止め、仲間と信じていた全員が俯く。


「まさか、あんたたち……っ。うちの子を騙したのかい⁉ イリスが死んだと嘘をついて!」


 真っ先に叫んだのは母さんだった。


「なにが世界を救った英雄だい! なにが聖女様だい! とんだ嘘つき女じゃないか! そんな女、神様が認めてもあたしゃあ、アルコの嫁と認めないよ‼」


 顔を真っ赤にした母さんは怒りを隠さない。それだというのに……。


「考えてみろよ、アルコ……。マレンはずっとお前のことを思って……」


 セゲイラがぼそぼそとした声で言い始め、余計に母さんの怒りに火をつけた。


「はあ⁉ それを言うならイリスの方がずっと長く息子のことを思っていたね! 年も同じ! 産まれた村も同じ‼ 家族同然にずっと一緒にいたんだよ、この子たちは! それだけ長くそばにいた二人を引き裂いておきながら……! なんて自分勝手な連中だ‼」


 目を大きく開き、血走らせた目で全員を睨んだまま、ふーふーと息を荒げる。魔物にも劣らぬ迫力にセゲイラは尻込みしつつ、それでも答える。


「その……。遠く離れ心配するしかできない相手より……。身近の助け合える相手同士の方が、幸せになれると決まって……」


 まだ言うのか! 今度は僕が我慢できず叫ぶ。


「僕は魔王を封印すれば村へ帰り、親の跡を継いで農業に勤しむと話したじゃないか! イリスと子どもを作って、家族と平和に暮らすのが夢だって! そう話したらいい夢だなって、皆そう言ってくれたじゃないか!」


 ついにセゲイラは黙った。

 なんてことだ。仲間だと思っていたのに皆マレンだけの幸せを考え、僕の幸せは考えてくれていなかったなんて……! しかもこんな……。騙して……。


 マレンの服から手を離す。


「……どうりで結婚を急いた訳だ。互いの両親を呼び寄せず先に入籍をしたのも、イリスが生きていると知られる前に夫婦になるのが目的だったんだな? 生涯結婚は一度だけという法律があるから!」


 結婚指輪を外すと、マレンの顔に向かって投げる。


「お前とは二度と会わない‼ 例え死んだと言われても葬式にも出るものか! お前とは書類上だけの結婚相手だ!」


 マレンは目を潤ませ泣き始めた。床に落ちた指輪を拾うとヴァールが酷いと責めてくるが、酷いのは最初に嘘を吹きこんだお前らじゃないか!


「……騙されたとはいえ、確認しなかったお前も悪いぞ」

「……分かっている」


 父さんの言葉にうなだれる。ああ、僕はなんて取り返しのつかないことをしたのだろう。魔王を封印した翌日、マレンから聞いた時に怖がらず確認をすべきだった……。でもイリスが死んだなんて認めたくなくて……。怖くて……。


「とにかく村へ帰ろう。イリスには経緯を話し謝れ。だけど分かっているな? もうあの子とは結婚できない……」

「分かっている、でも謝るよ。今の僕にはそれだけしかできないから……」

「ま、待って! 行かないで、アルコ‼」

「待ってくれ、アルコ! マレンの気持ちも考えてやれよ! こいつは本当にお前のことが……!」

「そうよ! あんな冴えない田舎女より、ずっとマレンの方が可愛いくて素敵じゃない!」


 泣き崩れたまま立ち上がろうとしないマレンと、彼女に加勢するセゲイラとヴァールの声を無視し、その場から去る。アンディだけがすまなかったと呟くよう謝り頭を下げてきたが、無視した。


 式場を出ると急いで国王から褒美で貰った金で魔法道具を買い、急いで転移して村に帰る。だがイリス一家は引っ越した後だった……。ほとんどの家具が残された人のいない薄暗い家で、僕はへたりこんだ。


◇◇◇◇◇


「おい、聞いたか? 今度この町に勇者一行が来るってよ! 町長が功績を称えるため、呼んだそうだ!」


 偶然聞こえてきた会話にパンの入った袋を抱えたまま、足の動きを止める。

 ……あいつらがこの町に来る? アルコを忘れるために、村から遠い町へ引っ越してきたというのに?

 今や勇者一行は世界の憧れ。あらゆる市や町の名のある者が呼び、彼らに惜しみない感謝と労いを贈っていると聞いている。世界を救ったのは間違いない。だけど……。


 ぐっと唇を噛みながら胸元を握る。


 これ以上あの人たちの話を聞きたくない!

 その場から逃げるように走り出したせいで、その後の会話は聞こえなかった。




「でも勇者様は来るかな? 結婚式を挙げたと新聞で読んで以来、どこにも姿を見せないよな。奥様の聖女様は、今は魔王との戦いに疲れたので休んでいると言われているが……」

「ここまで姿を見せないのは、なんか奇妙だよな?」

「入籍された時の写真も笑顔じゃなかったし……。聖女様と差が凄かったよな」

「お前もそう思うか?」




 走って家に帰ると乱暴にドアを開閉し、どたどたと足音をたて廊下を歩く。


「どうしたの?」


 家にいた母が異変に気がつき、驚いた様子で声をかけてくる。


「……あいつらがこの町に来る! 町長が勇者一行を呼んだって‼ アルコと会いたくないのに! なんで⁉ どうして……」


 パンの入った袋を机の上に置くと、ぎゅっと胸元を握り締める。


「どうせ呼ばれても数日の滞在よ……。だからこの町に来ても、すぐいなくなる。外に出なければ会うこともないわ……」

「だけど‼」


 世界を救った英雄でもあり、私を裏切った人たち。それなのに……。涙が溢れて止まらない。感情はぐちゃぐちゃで、自分でも一体どういう気持ちなのか表現できない……。忘れたい大好きなアルコの笑顔が浮かぶ。



「う……。うう……っ。うううー……っ」



 口元を手で覆い、床に片手で四つん這いになる。そんな背中を母は優しく撫で続けてくれた。

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