彼女の初恋と彼らの最後の恋②
女性をギャラリーから見送った後、一槻はギャラリーに置いてあるお気に入りの一人掛けソファーに身体を投げ出して、ぼんやりとあの写真を見ていた。
彼女が資料として置いていった卑弥呼姿の少女。彼女は、ここに写る個性派女優『由香』の恋人なのだろう。
「初恋かー」
一槻の初恋は、多分美鈴だ。祖父が描いた唯一枚の美人画。思えば彼女はどことなく一槻に似通っていた。そこに産みの母も血の繋がりのある親族さえ知らない彼の憧れが重なってしまったのかもしれない。
本当に、祖父の遺言で目標でもあった宝物のあの絵を燃やさなければいけなかった時、血涙が出たんじゃないかと思う。いや、本当に出た訳でもなかったが、それくらい酷いダメージをくらった。
思い返せば、自分が好きになった女の子はみんな華奢な可愛い系だったなと、なんというか今との違いに苦笑が漏れる。
「俺は、お前だ」
するりと音も無くやってきた男の腕が、後ろから一槻を抱きしめた。響きの良い、低い声が耳元で囁く。
「何だよ、ヤキモチか?」
くすりと笑って一槻は顎を上げて彼を覗きこむ大きな男の頬に手を当てた。そのまま、ひょいと口付けてやると、キツイ顔立ちの彼の顔が素直にほころんだ。昔と違って随分表情筋が仕事をするようになったと思う。
「新はやっぱり可愛いな!」
上機嫌に笑う一槻をさらにぎゅうぎゅう抱き込んで、新は拗ねる。
「──お前はどうせ俺じゃないだろ」
お? と一槻は新の顔を見ようとして、抱き込まれて身動きが取れないことに苦笑する。そのまま、溜息のように笑って頷いた。
「あー、まーなー」
「……」
「でも知らなかったなー。新、ヤンキー系のお姉ちゃん達にはすっごいモテモテだろ? ほっといても涌いてくる感じで? つかさー、施設でも学校でも、知り合う子なんていくらでもいたろー? 施設の麗美さんとかさー、優しい人じゃん? ああいう人が初恋だったんじゃねーの?」
ちょっと前、偶然町で出会った美人に二人でいる所へと声を掛けられたのを思い出し、一槻はちょっと黒い気持ちになりながら言う。
「……纏わりついてくるのが面倒だった」
「……それはそれはウラヤマシイこって」
一槻が苦く笑う。考えてみれば、一槻はこの新以外と親密な付き合いはしていない。
思春期に入ってからは祖父を目指して絵を描くことに夢中になっていたから、男友達と遊ぶくらいはあっても恋にうつつを抜かす暇は無かった。
「オレも女の子と遊んでみたかったなー」
ちゃらちゃらと遊ぶような甲斐性もない癖にそんな不埒なことをつぶやく恋人に、新はむっとして強引に顎を持ち上げると深く深く口付けた。
「──一槻には、俺がいる」
「そう、だ、な」
息を切らしながらも口づけの間に答える大切な恋人に、新は縋りつくように口付けを止められない。
深い口付けの合間に、一槻はがっしりとした新の首にしっかりはまる首輪を見た。それは、Ωにとって、望まない番を受け入れないために嵌める物だ。
発情期中にαから項に噛み傷を受けることで、Ωはその身体に番が誰なのかを刻みこんでしまう。例え愛していない相手でも、そのタイミングで噛み傷を受けてしまえば、愛していない相手すら番になってしまう。つまり、別のαに一槻は新の番の立場を奪われてしまうかも知れないってことだ。
他に目を向けることなく愛している恋人が一槻の噛み傷を受けてくれず、こんな物をずっとしていることが嫌じゃないはずはない。
巨大な黒犬に変化する新は、今の職場にその異能を評価されて移籍したこともあり、ヒート中こそ難しい案件を担当することも多い。
意志を必要とせず変化出来る発情期中は、意志を使わない分彼の能力を最大に発揮できるらしい。とは言っても、その期間が期間だけに、一槻にとっては不測の事態が怖くて心配でたまらない。
一槻と新は相思相愛なのに、新は一槻と番うのをずっと遠慮していた。
自分の身に宿る変化の力が一槻に迷惑を掛けるから、と番うことをずっと辞退されている。それも含めて丸ごと新が好きだと折に触れて伝えてきたはずだが、新は中々強情で、番うことだけは頑なに拒む。これほどいつも側に居るのに、一槻は新が奪われるかもしれない恐れを今も抱えていた。
新と過ごして十年経った。一槻も新も、もう三十代だ。そろそろけじめをつけたいとこの頃一槻は思っている。
絵も、有り難い事に固定客がついたし、そこからの紹介での新規顧客もぽつぽつ増えてきた。
新もあの事件が縁で、太い顧客を何本も持つ名門の警備会社に再スカウトされ働いている。
ハイスペックな運動能力と抜きん出た体力は勿論、彼の見える目と払う力は貴重なものらしく、特別な部署に所属していると聞いている。
基本的には発情期は一槻といることが出来るのも大切な条件だったらしく、この会社には満足しているようで、嫌な素振りも見せずに淡々と仕事に向かっている。
頃合いだ、と一槻は思った。彼の目の裏に、さっきの写真の少女の決然とした眼差しが浮かび、どこか躊躇う彼の背中を力強い眼差しが押してくれた気がした。
──なるほど、あの人の言いたかったのは、こういうことかー。
くしゃりと笑うと、一槻はそっと新の身体を押して唇を離すと大切な恋人の目を覗き込んだ。
「なー、新ぁ、そろそろオレ達結婚しない?」
「え? け、結婚、か?」
驚くかもしれないとは思ったが、余りの動揺に一槻はムッとした顔を新に向けた。
「なんだよ、オレが結婚考えちゃダメか?」
だんだんとしょげるような顔になって行く一槻へ回らない頭のまま必死に新は言葉を絞り出す。
「いや、お前はともかく俺が結婚とか、無理だと思って、た、ん、だ……」
呆然として一槻を抱きしめたまま硬直する新に、困ったように一槻は笑った。
「お前の何がダメなんだよ? こんなにずっと一緒にいたのにさー」
「俺は、普通じゃないし」
「そうだなー、そのお陰で会社で特別手当が出てるんだよな? 高給取りだって言ってたぞー新の会社の人」
「中卒だし」
「なのにちゃんと専門職についてんだからさー、大したもんだって言ってたよ?」
「…母親はアバズレで、父親も知らないし、もしも母親が戻ってきたら集りに来ると思うし」
「ここまで見事に音信不通で、それはないんじゃないかなーって思うけど? なんか新忘れてるみたいだけど、オレの方の自称親族も酷かったからね?」
「……ヒートになると獣化するなんて人間じゃありえない」
「そーだなー、あのもふもふは卑怯な程可愛いよなー。ヒートが終わった後の反省モードがオレのお気に入りだよー?」
でっかいのがしゅんとしてるとたまんねーよ? と一槻がにやりと笑った。
「お前の弱点なんて、みんな知ってるよ? 新もそうだろ?」
一槻は柔らかく笑って、自分を抱きしめる大きな子どものような恋人の背中をそっと撫でた。溢れんばかりの愛しさを込めて。
「オレはαだけど、血族系じゃないから権力なんてこれっぽっちもないし、まともな血縁も残ってない。生まれた経緯も経緯だし、杉本家みたいにさ、性犯罪者と被害者の子どもとしてつつこうとする奴が出てきても、まー、おかしくないしねー。画家としちゃ売れっ子って訳でもないし、正直やっと食べられるようになってきた程度だよ? ケチをつけようとするならいくらでもできるかもしれない素性だけど、新はオレのそんなとこなんて気にならないだろ?」
「……一槻」
喉に何か絡んだような声で名を呼ぶ新をぎゅっと抱きしめる。
「結婚しよーよ、新。オレ達なら、きっとそのままでもやっていける。そんでさ、困った時は一緒に乗り越えていける。新はオレを見捨てないし、オレも新を助けたい。今までみたいに」
俺たちなら出来るよ、そう言って笑う一槻に新は涙が伝う顔を見せたくなくて、その首筋にぐっと顔を押しつけた。
「あーらーたー、返事は?」
「……ずっと、一緒だ」
くくっと笑って、一槻は新の髪をくシャリとかき混ぜた。
「だな。一緒にいような、オレ達」
「ああ」
──三日後のヒートに、新は一槻の噛み傷をその首に受け止め、正式に彼の番となった。
「一槻の初恋って誰だよ?」
「ん? 美鈴さんだけど?」
「は?」
「じーちゃんが描いたみすずさんがえっらいべっぴんで、あれは一目惚れだったねー」
「……」
「聞いといて、妬くなって」
「………」
「しょーがねーなー、秘密にしとこうと思ったけど。あんな? オレ、初めてまともに誰かと付き合ったの、新だよ?」
「!!」
「機嫌直ったなー、良かった良かったって、新? こら、何してんの!? 変なとこまで触んなって」
「全部独占」
「……バーカ」
* * * * * * * * * *
これで本編は完結です。
本当は、最後の「彼女の初恋と彼らの最後の恋」①と②は番外編にするつもりでした。ただ、一槻の、最後まで新に手を伸ばす姿を書いた分までで本編かと思い直し、ここで完結としようと思います。
突然のラテン美女な人は、オメガバース異聞1に登場します。
気になった方は、よろしければご覧ください。…お月さまの方にありますので、年齢が合う方に。
この後、番外編を一つ、予定しております。よろしければ、そちらもご覧ください。
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