それぞれの、After that(それから)③
新は一槻と同じベッドに寝転がりながら、秘されていた一槻の祖父と実の産みの母だった少年の話を静かに聞いた。時々言葉を詰まらせる一槻の肩をそっと撫でながら。
「俺も、知らなかったことを知ったんだ」
まだ薄ら涙目の一槻を見ないようにしながら、新はぼそりと言った。
「知らなかったこと?」
ああ、と頷く新は、ちょっと困ったような顔をする。
「俺の能力は祟り神の犬神じゃなくてブラックドッグの方だろうって、職場の上司が」
「ブラックドッグ?」
首を傾げる一槻に「俺も良く知ってる訳じゃないんだけど」と前置きして新は上司から聞いた話を教えてくれた。
「犬神は、鵺っていう妖怪が退治された時に出た奴とか色々謂れはあるらしいけど、呪いで使われた犬の使役霊みたいなもんを指すことが多いらしい。けど、上司が言うには、俺の能力はそれに合わない。どっちかっていうと、海外、イギリスに伝わるブラックドックっていう教会を守る『墓守犬』に近いって言われたんだ。チャーチグリムとも言われるらしい。そいつは墓場に住んでて教会に忍び込もうとする悪い人間や悪霊、悪魔を退治するんだと」
「墓場に住んでるから墓守犬なの?」
安易だなぁと苦笑する一槻を優しく見つめて、新は話を続ける。
「ブラックドッグは紅い目をした黒い犬の妖精らしい」
「妖精!?」
やっぱりそれに喰いつくよなぁと思いつつ、新は苦笑しながら頷いた。
「俺は怨念を払えるから、誰かを祟るような呪いの手先の犬神じゃないだろうって言われた」
「なるほどなー」
うんうんと頷く一槻は、納得したという風に晴れ晴れと笑った。
「ブラックドッグなんてカッコイイな。聖なるものを守る妖精かあ。…で、でも、よ、妖精って!」
こみ上げる馬鹿笑いを必死に噛み殺すようにする一槻から離れ、新は身体を起こして座ると、笑いながらチラチラとこちらを見る一槻からぷいと顔を逸らす。
「上司が、黒いあやかしの犬だから黒妖犬ともいうって言ってたぞ。あの羽根の生えた妖精とはちょっと違うからな」
「う、うん、わか、わかった」
そう言いながらもごろごろとベッドの上を転がりながら一槻は散々笑い転げたのだった。
漸く笑いを収めた一槻はくるりと体勢を変え、仰向けに寝転がった。ほんわりと笑みを浮かべながら新を見る。
「なぁ、新。空っぽって良いもんだな」
「は? なんだよ、それ」
突然の話題の転換に、新は困ったように首を傾げた。
「オレさ、全部、そう、オレが思い出せるもんのうち、最高のもんを全部、失くしちまったんだよね」
渋澤のじーちゃんに、母方のばーちゃんとじーちゃんでしょ、美鈴さんの絵も、絵を描きたいって気持ちも、と一槻は指を折って数えていく。
「新に初めて会ったあの時、オレには何にも残ってないって思ってた時だった」
天井をぼんやり見つめ話す一槻は、辛い時のことを話しているはずなのに、ふわりと笑みを浮かべたままだ。
「色までまともに見えなくなった頃だから、空っぽになったオレに、何が残るんだよって思ってたんだけどさ」
お前に噛んでもらってまた生き返った時の世界は本当に綺麗だったんだ、と一槻はそっと目を細める。
新はベッドに投げ出されていた一槻の手をそっと取って握りしめた。その手は温かく、確かな命の熱があった。
この手を、この人をちゃんとこの世界に戻せて、本当に良かった、と新は一槻の絵の具の匂いが沁み込んだ手の甲に口付けを落とす。
ふふっと笑う一槻は、優しく目を細めて新の腕を引っ張ると、彼の元へ倒れ込んでしまった身体を抱きしめた。
「──空っぽになるとさ、みんな失くしちまったから、逆に何でも入ってくんのな。失くすことばっかり怖がってたけど、空っぽになったオレには、何でも入る。何でも入るんだよな。それが今はすっごく嬉しいよ。だからさ」
倒れ込んだ新の顔をそっと両手で挟み、一槻はその顔を優しく覗き込む。
「後生大事にしまってるお前の意地も、一度ポーンて捨てちまったら、代わりに何かいいもんが入ってくるかもしれねーぞ?」
新は動きを止めた。
それを静かに見つめ、一槻はニッと笑った。そっと手を伸ばして、新の野性味溢れる整った顔立ちをそっと辿る。
「急がねーよ。だからさ、オレのこともお前の中に入れてよ」
甘い一槻の囁きが新の耳にそっと忍びこんだ。
新の手が、悪戯する一槻の手を自分の手の平に優しく閉じ込める。
「……とっくに、とっくに入ってる。お前で俺は一杯だよ、一槻」
「……やったね!」
無邪気な微笑を浮かべる恋人に、新はとても丁寧な口付けを、たくさん送った。